第31話 「懲りないレクスにざまぁを」
その日の依頼書は、見覚えのない筆跡で書かれていた。
「エルデ東部丘陵地帯、瘴獣群発生の緊急討伐依頼。報酬:金貨十枚。推奨ランク:B以上。依頼元:テイマーギルド管轄・臨時安全管理局」
封書は拠点に直接届いていた。朝、ギンが門の前で拾って居間の机に置いた。封蝋の紋章はギルド正規のものだが、紙の質が微かに違う。俺は指先で封蝋の縁を撫でて、眉を寄せた。
「リノ経由じゃない。直接届いてる」
キサが茶を啜りながら目を細めた。
「ハルさま。その依頼書、昨晩わたくしの情報網にも引っ掛かりましたわ」
「知ってたのか」
「ええ。三日前からテイマーギルド末端の事務員が臨時依頼書を二通作成していまして。一通は正規のギルド控え、もう一通は——」
キサが懐から薄い紙を抜き、机に滑らせた。俺の名前と拠点住所が記された走り書き。その下に、小さく署名がある。
レクス。
「レクスがグレイヴの部下と組んで、偽の緊急依頼でハルさまを東部丘陵に誘い出す。到着後、『テイムなしの魔獣が暴走した』という虚偽報告をギルドに提出し、冒険者資格を停止に追い込む。そういう筋書きですわ」
アカの眉根が寄せられる。
「罠じゃ! 行く必要ない!」
「いや」
俺は依頼書をもう一度読んだ。丘陵地帯の座標、瘴獣の種別、推定数。偽の依頼書でも、記載された場所に本物の瘴獣がいる可能性は高い。テイマーギルドが三日前から把握しているなら、放置すれば東街道の商隊に影響が出る。
「キサ。東部丘陵に実際の瘴獣は」
「おりますわ。Bランク相当の甲虫型が七体、Cランク相当の小型群が二十前後。テイマーギルドが手を出さなかったのは、罠の舞台として温存していたのでしょう」
俺は木板に炭筆を走らせた。
「罠を仕事に変える。段取りは俺の領分だ」
クロが屋根裏から顔を出した。
「またそのパターン?」
「最適解を求めるとパターンが生まれるんだ」
◇
東部丘陵は、エルデの街から馬車で半刻の距離にある低い岩場の連なりだった。草は疎らで、岩の隙間から瘴気の薄い霧が漂っている。
丘の手前で全員を止めた。
「作戦を確認する。キサ、幻術の範囲は」
「丘陵全体は無理ですわ。ただし、入り口から百歩以内なら偽の瘴気源を三つまで維持できます」
「充分だ。甲虫型は瘴気の濃い場所に集まる習性がある。偽の瘴気源で群れを三方向に分散させろ。アカ、分散した群れのうち最大の塊をブレスで焼く」
「任せよ!」
「ギン、クロ。残りの二群をそれぞれ担当。小型は数が多いが個体は弱い、一対多でも問題ない」
「わかった!」
「はいはい」
「ツル。回復と浄化に専念。誰か一人でも傷を負ったら即座に下がらせる」
「承知いたしました」
「俺は全体の動きを見る。逸れた個体がいたら指示を出す。各自、持ち場から離れるな」
五人が頷いた。俺は炭筆で岩に簡易の配置図を描き、方角と距離を数字で示した。
「開始」
キサの金色の目が細まり、丘陵の入り口付近に三つの紫紺の光が浮かんだ。偽の瘴気源。甲虫型の瘴獣が触角を震わせ、群れが三方向に割れ始めた。
最大の群れ——甲虫型四体と小型八体——が左の窪地に集まった瞬間、アカが跳んだ。
「喰らえ!」
赤い鱗の間から炎が溢れ、窪地全体を焼いた。甲殻が爆ぜる音が連続し、瘴気が焦げた匂いに変わる。四体の甲虫型は三秒で炭化した。
右の群れにはギンが突入した。銀色の体躯が岩を蹴り、爪が甲虫の関節を正確に裂く。一体、二体、三体。ギンの動きに無駄はなかった。
中央の小型群にはクロが影のように滑り込んだ。黒い爪が閃くたびに小型瘴獣が崩れ落ちる。クロは音を立てなかった。
ツルの白い翼が広がり、浄化の風が丘陵を撫でた。残留瘴気が薄れ、空気が澄む。
開始から一分半。
「——終了」
俺が静かに宣言した。甲虫型七体、小型群二十二体。全滅。味方の負傷、零。
◇
討伐が終わった直後、丘陵の東側から三人の男が現れた。テイマーギルドの制服を着た二人と、見覚えのある赤毛の男。
レクス。
「……は? もう終わってんのか?」
レクスの顔が引き攣った。隣のテイマーギルド職員が小声で何かを伝えたが、レクスは聞いていなかった。
「い、いや、関係ねえ。こいつのテイムなしの魔獣が暴走した証拠を——」
「証拠?」
キサが岩の上から声を落とした。九尾のうち一尾だけを揺らしながら、薄い笑みを浮かべている。
「レクスさま。わたくし、三日前からあなたの動きを追っておりましたの。テイマーギルド臨時事務局での偽依頼書の作成、副支部長補佐への虚偽報告の下書き、そしてこの丘陵で『暴走事故』を捏造するための打ち合わせの記録」
キサが三枚の紙を扇のように広げた。日付、署名、内容。全てレクスの筆跡と、テイマーギルド末端職員の印が押されていた。
「な……どこでそれを……!」
「情報屋を舐めないでいただけます?」
レクスの顔が青ざめた。隣のテイマーギルド職員二人は、既に後退り始めていた。
俺は腕を組んだまま、静かに言った。
「レクス。依頼は本物の瘴獣だった。俺たちは正規に討伐した。報告書はリノに直接提出する。お前の偽報告と、俺たちの実績報告。ギルドがどちらを採用するかは明白だろう」
「ふ、ふざけんな! テイムもなしに魔獣を連れ回すのが異常なんだよ! お前のせいでテイマーギルドの立場が——」
「それはお前の都合だ。俺の問題じゃない」
レクスは拳を握ったが、周囲に味方はいなかった。テイマーギルドの職員は既に姿を消していた。
レクスの拳が震えていた。怒りだけじゃない。追放した荷物持ちに見下ろされている屈辱が、顔に滲んでいた。
だが俺は何も追い打ちをかけなかった。言う必要がない。数字と事実が全てを語る。前世の営業で学んだ。勝った時に余計な一言を加えるのは、品がない上に相手を追い詰めすぎる。追い詰められた人間は予測不能な動きをする。
レクスが踵を返して去っていく背中を、黙って見送った。
◇
エルデのギルド本部。
リノが受付の奥で報告書を二通並べた。一通はハルの討伐報告。瘴獣の種別、数、討伐時間、味方の損害。全て数字で記載されている。
もう一通はキサが提出した証拠書類の写し。レクスによる偽依頼書の作成経緯、虚偽報告の下書き、テイマーギルド末端職員との共謀の記録。
リノは溜息を一つ吐いた。
「副支部長に報告します。レクスの冒険者資格は最低でも停止処分。テイマーギルド側にも調査が入るでしょう」
「頼む」
「ハルさん。……これ、掲示板に出しますよ。討伐実績も、レクスの処分も。規定通りです」
翌日、ギルドの掲示板に二枚の紙が貼られた。
一枚目。
『東部丘陵瘴獣討伐完了。Bランク甲虫型七体、Cランク小型二十二体。討伐者:ハル(Cランク)及び同行魔獣五体。所要時間:約一分半。味方損害:なし』
二枚目。
『冒険者レクス(Cランク)に対し、偽依頼書作成及び虚偽報告未遂の疑いにより、冒険者資格の無期限停止処分。詳細は支部管理室にて閲覧可』
掲示板の前に人だかりができた。
「一分半で甲虫型七体……?」
「テイムなしで?」
「レクスの奴、まだ懲りてなかったのか」
「つーか、テイムなしの方が強くないか、これ」
冒険者たちの視線が変わっていた。畏怖でも嫉妬でもなく、数字を見た上での純粋な評価として。
◇
その夜。
拠点の門を、何かが叩いた。ノックではない。低い位置から、控えめに、爪で引っ掻くような音。
ギンが最初に反応した。耳が立ち、鼻が動く。
「……瘴獣じゃない。獣。でも、知ってる匂い」
俺が門を開けた。
月明かりの下に、一匹の狼が蹲っていた。体躯は大型犬ほど。橙と赤が混じった毛並みは所々焦げ、左耳の付け根に古い火傷の痕がある。
炎狼。
レクスが以前テイムし、逃げ出したとされるBランクの魔獣。テイマーギルドの記録では『制御不能により廃棄予定』と記載されていた個体だ。
炎狼は俺を見上げた。赤い瞳は濁っていなかった。テイムの光も、瘴気の影もない。ただ、疲れ切った目をしていた。
キサが目を細める。
「テイムの残滓がありませんわ……自分の意思で来たようです」
炎狼はゆっくりと前足を折り、頭を下げた。跪くように。
俺は屈んで、炎狼の目線に合わせた。
「お前、名前は」
炎狼は首を横に振った。小さく、確かに。
「……なかったのか」
炎狼は答えなかった。ただ、赤い目が俺を見つめていた。名前を持たない獣の目。何かを待っている目。
胸の奥で、六つ目の熱が灯った。
——ああ、また拾った。
違う。拾ったんじゃない。来たんだ。
背後でギンの声がした。
「主さま……また増えるの?」
銀の耳が垂れている。声には諦めが三割、心配が四割、そして三割の「知ってた」が混じっていた。
「分からない……ただ困っているなら助ける。それだけだ」
クロは何も言わなかった。ただ屋根裏の窓から下を覗いて、炎狼を一瞥した。
「……また松明一本で突っ込むつもりなら止めるわよ」
「突っ込まない。向こうから来たんだ」
「そう。なら、入れてあげなさいよ。外は寒いでしょ」
ツルが玄関から出てきた。手に毛布を一枚持っている。
「お客さまですか。それとも——」
「まだ分からない。ただ、怪我はしてないみたいだ。痩せてるけど」
「では、まず温かいものを」
ツルが炎狼の前に屈んで、毛布をそっとかけた。炎狼の体温で毛布の縁が微かに焦げたが、ツルは気にしなかった。白い指が橙色の毛並みを撫でる。
「大変でしたね。もう大丈夫ですよ」
炎狼の目から、涙のような光が一瞬だけ零れた。
六人と一匹で、門の前に立っていた。月が高い。秋の夜気は冷たかったが、門の内側はいつもと同じ温度だった。
◇
その同じ夜。
ギルドの奥、幹部室。
グレイヴは報告書を机に置いた。レクスの処分通知。東部丘陵の討伐記録。掲示板の反応報告。
長い沈黙の後、窓の外を見た。
「……秩序を壊す男だ」
誰に言うでもなく、呟いた。
机の隅に、古い写真立てがあった。色褪せた絵の中に、若い女性と小さな子供。二人とも笑っている。
二十年前の夜。担当のテイム獣が暴走し、村を襲った。三十七人が死んだ夜。制御を失った魔獣が何をするか。グレイヴはそれを体で知っている。
「テイムなしで五体。いや、六体目が来たか」
炎狼の件は、まだ報告書には上がっていない。だがグレイヴの情報網は速い。
「自由にさせれば、また誰かが死ぬ。あの夜のように」
グレイヴの声には、怒りではなく、恐怖があった。
大切なものを失った人間だけが持つ、静かな恐怖。
写真立てを引き出しに仕舞い、灯りを消した。
暗い部屋に、テイマーギルドの紋章だけが月光で光っていた。
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