第29話 「テイマーギルドの壁」
その依頼書は、掲示板の最上段に貼られていた。
赤い縁取りに金の封蝋。さらにその上に「緊急」の朱印が押されている。三重の警告だ。
『大規模討伐依頼。エルデ南街道を封鎖する瘴獣群の殲滅。推定Bランク個体十二体以上。群れを統率するAランク個体一体を確認。テイマーギルド討伐隊が三度撤退。商隊の通行が途絶え経済被害が拡大中。Aランク以上のパーティー推奨。報酬:金貨十五枚。ギルド本部緊急承認済み』
「三度失敗してる」
俺は依頼書の添付資料を読んだ。テイマーギルドの討伐報告書が三通。
一回目。テイム獣四体を投入したが、瘴獣の群れの数に圧されて撤退。テイム獣一体が瘴気汚染で使用不能に。
二回目。Aランクのテイム獣二体を主力にした精鋭隊を編成。群れの統率個体に突撃を仕掛けるも、統率個体が群れを盾にして退避。精鋭隊は群れに包囲され、テイム獣二体を失って撤退。
三回目。遠距離からの魔法攻撃を試みるも、瘴獣の群れが散開して回避。統率個体が群れの配置を変えて対応。知性のある動きだった。
「テイマーギルドのAランクテイム獣二体を失ってる。相当な戦力を投入して、それでも駄目だった」
クロが報告書を覗き込んだ。
「三回とも力押しね。数で当たって、精鋭で突破して、遠距離で削る。全部正攻法」
「正攻法しか持ってないからだ。テイム獣は命令に従うが、状況に応じて自分で判断しない。テイマーの想定外の動きを瘴獣がすると、対応が遅れる」
「あたしたちなら、どうするの」
「群れを分断する」
木板を出して、街道の地形図を描いた。
「南街道は谷間を通っている。幅は三十歩ほど。瘴獣の群れは谷の中央に陣取って街道を塞いでる。統率個体は群れの後方。群れを盾にして、自分は直接戦闘を避けてる」
「知恵のある瘴獣って嫌ね」
「だが群れを一つに保っているのは統率個体の瘴気の繋がりだ。糸を切れば群れはバラける」
地形図の上に矢印を引いた。
「キサ。お前の幻術で群れの中央に偽の瘴気源を作れるか」
「偽の瘴気源、ですか」
「統率個体の瘴気に似た幻を群れの中に投げ込む。群れの半数がそっちに反応して移動すれば、群れが二つに割れる」
「……面白い使い方ですわね。やったことはありませんが、理屈は通ります。瘴気の匂いと視覚を同時に騙せれば」
「できるか」
「五秒なら」
「五秒で充分だ」
矢印を追加する。
「群れが割れた瞬間、アカが手前の半数をブレスで焼く。谷幅三十歩なら射線が通る」
「任せよ!」
「的を外すなよ。奥の半数はまだ生きてる」
「外すわけがないのじゃ!」
「ギンとクロは奥の半数を各個撃破。群れが混乱してる間にBランク個体を一体ずつ潰せ。ギンは正面、クロは側面。十二歩制限は解除する」
ギンの目が光った。
「全力でいいの?」
「全力だ。ただし統率個体には手を出すな。統率個体は最後に俺が指示を出す」
「分かった」
「ツルは全体の回復と浄化。瘴気の汚染が広がらないように地面の浄化も同時に頼む。負担が大きいが」
「大丈夫です。羽根は使いません。風だけで」
「全員の配置と動きは以上だ。ポイントは一つ。キサの幻術が群れを割った瞬間に全員が同時に動くこと。五秒の隙間に全てを詰め込む」
五対の目が俺を見ていた。
「今回は失敗が許されない。テイマーギルドが三度失敗した案件を、俺たちが一発で片付ける。それが意味するところは分かるな」
キサが一尾を揺らした。
「世論が動きますわね」
「ああ。テイマーギルドより俺たちの方が結果を出した。その事実は、Aランク審査にも、恩義契約の話にも、全部効いてくる」
「段取りの鬼ですわね」
「ただ慎重なだけだ」
◇
エルデ南街道。谷間の入口。
商隊の馬車が何台も立ち往生していた。街道が封鎖されて十日以上。荷が腐り始めている車もある。商人たちの顔に疲労と苛立ちが濃い。
「あんたたちが討伐隊か? テイマーギルドの奴らは三回も失敗したぞ。今度は違うのか」
商隊の隊長らしき男が声をかけてきた。
「違う。テイマーギルドじゃない」
「じゃあ何だ」
「ただの冒険者だ。テイムなしの」
商人の目が胡散臭そうに細くなった。だが他に選択肢がないのも分かっているらしく、それ以上は何も言わなかった。
谷の入口から百歩先に、群れが見えた。
黒い霧が谷を埋めている。蟲型、獣型、泥型、複数の種類が混在した瘴獣の群れ。数は報告通り十二体以上。おそらく十五体前後。谷の奥、群れの後方に一回り大きな影がある。統率個体だ。
「クロ」
クロが地面に耳を当てた。
「十六体。統率個体を含めて十七。報告より多い」
「増殖したか。問題ない。作戦は変わらない」
全員が位置についた。
「キサ。頼む」
「承知しましたわ」
キサの九尾が全て展開された。普段は一尾だが、全力の幻術には九尾の全てが必要らしい。白い尾が扇のように広がり、薄紫の光が集まる。
光が圧縮されて、キサの掌から射出された。弾丸のように群れの中央に飛び込む。
着弾。
偽の瘴気源が群れの真ん中に出現した。統率個体の瘴気に酷似した偽の匂いと視覚が、半径十歩に広がる。
群れが反応した。
手前の八体がそのまま。奥の九体が偽の瘴気源に引かれて後方に移動する。群れの中央に十歩の空白が生まれた。
分断成功。
「アカ、今!」
赤い帯が谷を走った。
アカのブレスが手前の八体を薙ぎ払う。谷幅三十歩の全域を覆う広域焼却。Bランクの瘴獣が四体、一撃で霧散した。残り四体が炎で怯んでもがく。
「ギン! クロ!」
銀と黒が同時に飛び出した。
ギンが残った四体のうち二体に突進。制限なしの全力。銀の爪が瘴獣を裂き、瘴核を抉り出す。
クロが残り二体の横を走り抜ける。音のない疾走。爪が閃いて腱を断ち、動きを止めた瞬間に蹴りで瘴核を砕く。
手前の八体、全滅。所要時間七秒。
問題は奥の九体と統率個体だ。
幻術の効果が切れた。キサが膝をついている。九尾の全力幻術は消耗が大きい。
「キサ、下がれ。あとは任せろ」
「……はい」
奥の九体が幻から覚めて、こちらに向かってくる。統率個体の瘴気が群れを再編成しようとしている。
「ギン、群れに突っ込め。数を減らせ」
「了解!」
「クロ、統率個体の脚を止めろ。逃がすな」
「はいはい」
ギンが群れの中に銀色の嵐を起こした。制限なしの全力戦闘。爪が振られるたびに瘴獣が霧散していく。三体、四体、五体。
クロが群れの横を擦り抜けて統率個体に迫る。統率個体が残りの瘴獣を盾にしようとしたが、盾になる数がもう足りない。ギンが群れを削りすぎた。
クロの蹴りが統率個体の後脚を打つ。動きが鈍る。
「アカ、統率個体。腹を焼け」
「燃えるのじゃ!」
二射目のブレスが統率個体を直撃した。Aランクの外殻が赤熱して割れ、腹部の瘴核が露出する。
「ギン、とどめ!」
銀の爪が瘴核を貫いた。
統率個体が崩れ落ちる。黒い霧になって霧散し、残った瘴気が地面に染み込む前にツルの浄化の風が全てを洗い流した。
静寂。
谷に残っているのは六人の冒険者だけだった。
「……全滅?」
背後で商隊の隊長が呟いた。
「十七体を……何分だ?」
「二分ちょっとですわね」
キサが息を整えながら答えた。九尾を一尾に戻している。
「テイマーギルドが三回失敗したのを、二分で」
商人たちが顔を見合わせた。
街道は開通した。
◇
ギルドに帰還すると、既に噂が広がっていた。
商隊の馬車がエルデに到着し始めたのだ。十日以上止まっていた物流が再開した。商人たちが酒場で話し、酒場の噂が街に広がり、街の噂がギルドに届く。
掲示板にハルたちの討伐報告が掲示された。
「テイマーギルドが三度失敗した案件を、テイムなしの冒険者が一発で片付けた」
その事実が、一枚の報告書になって貼り出されている。
冒険者たちの反応は、以前とは明らかに違っていた。
「あの銀髪の嬢ちゃん、一人で群れの半分を潰したらしいぞ」
「竜のブレスでAランクの外殻を焼いたってよ。あの小さい嬢ちゃんが」
「テイムなしであの連携……本当に操ってないのか」
「操ってたらあの動きにはならねえだろ。命令で動く獣にあんな判断力はない」
最後の一言が重かった。命令で動く獣にはあの判断力はない。テイム獣との決定的な違いを、現場を知る冒険者たちは感じ取っていた。
リノが報告書を受理しながら、小さく笑った。
「商隊の被害が止まりました。街の経済的損失は試算で金貨百枚以上でしたから、ハルさんのパーティーは街を救ったと言っても過言ではありません」
「大げさだ」
「大げさではありません。これで世論はさらに動きます」
リノの目が真剣だった。
「Aランク審査の追い風になりますが、同時にテイマーギルドの面子を潰した形にもなります。グレイヴさんは穏やかではないでしょう」
「分かってる」
分かっていてやった。テイマーギルドの失敗を拾ったのは、挑発ではなく実績の積み上げだ。だが相手がそう受け取らないことも計算に入っている。
◇
同じ日の夜。ギルド本部、幹部会議室。
長いテーブルの上座に、グレイヴが座っていた。
灰色の髪。鋭い眼光。黒い外套の胸にテイマーギルドの紋章。五十年の人生で刻まれた皺が、顔に深い影を落としている。
手元の報告書を閉じた。テイムなしの冒険者による南街道瘴獣群の殲滅報告。
「Bランク十六体とAランク一体の混成群を、二分で殲滅。同行魔獣五体、全てテイム契約なし」
グレイヴの声は静かだった。怒りではない。もっと深い場所から出る声だ。
会議室には他に三人の幹部がいた。誰も口を開かない。
「テイマーギルドの精鋭隊が三度失敗した案件を、Cランクの冒険者が片付けた。世論がどう動くかは明白だ」
グレイヴが立ち上がった。窓の外を見る。エルデの夜景が広がっている。街灯の光が石畳を照らし、まだ遅くまで開いている酒場の窓から笑い声が漏れている。
「私はテイム術を否定しない。テイム術は人類が魔獣の脅威に対抗するために生み出した技術だ。百年以上の歴史がある。数え切れない命を救ってきた」
振り返った。
「だが、あの男は違う方法を示した。テイムなしで魔獣と共に戦い、テイマーギルドが失敗した任務を成功させた。これが広まれば、テイム術そのものへの信頼が揺らぐ」
幹部の一人が口を開いた。
「しかしグレイヴ殿、あの冒険者の実績は事実です。結果を否定することは——」
「結果を否定はしない」
グレイヴの声が硬くなった。
「だが結果と安全は別の問題だ。テイムされていない魔獣は、いつ暴走してもおかしくない。あの竜の幼体がレーゲンの森で何をしたか忘れたのか。森が三日間燃えた。テイムされていれば、あの暴走は起きなかった」
正論だった。
テイムされていない魔獣は制御できない。暴走のリスクは常にある。ギンが渓谷で暴走しかけたことを、グレイヴは知らないだろう。だが知っていたら、それこそが論拠になる。
「テイム術を使わない魔獣との関係は、信頼に依存する。信頼は数値化できない。再現性がない。あの男にできることが他の誰にもできるとは限らない。制度として認めるには危険が大きすぎる」
グレイヴが席に戻った。
「Aランク審査は予定通り行う。だが、彼の方法を制度として認めることと、個人の実績を評価することは別だ。混同してはならない」
幹部たちが頷く。
会議が終わり、幹部たちが退室した後、グレイヴは一人で残った。
机の引き出しから、古い写真を取り出した。色褪せた一枚。若い女性と、幼い子供が二人。
二十年前。グレイヴがまだ現場のテイマーだった頃。担当していたテイム獣が暴走した。魔核の劣化による制御崩壊。テイムの維持に失敗した。
暴走した魔獣は、グレイヴの家を襲った。
妻と子供は逃げ切れなかった。
写真を引き出しに戻した。
「支配こそが安全だ。信頼では守れない。私はそれを知っている」
誰もいない会議室に、低い声が落ちた。
「あの男の善意が本物であっても、善意だけでは足りない。いつか必ず、制御できない瞬間が来る。その時に失われるものを、あの男はまだ知らない」
灯りを消して、部屋を出た。
グレイヴの歩みは重かった。正しいと信じている道を歩く人間の足取りだった。
◇




