第22話 「受付嬢の災難」
拠点生活が、形になってきた。
朝はツルの料理で始まる。五人分の皿が食卓に並び、五脚の椅子にそれぞれが座る。ギンが一番に食べ始め、クロが静かに選り分け、アカが俺の隣で足をぶらぶらさせながらスプーンを握り、ツルが全員の皿を見渡して量を調整する。
食後に俺が木板を更新する。依頼の進捗、収支、装備の消耗品リスト。ゼノが三日に一度のペースで書庫に通うようになってからは、ゼノ用のお茶と菓子の在庫もツルが管理に加えた。
「ゼノさまは甘いものがお好きなようですので、今日は蜂蜜の焼き菓子を」
「ゼノは明後日だ」
「前日に焼いておいた方が味が馴染みますので」
ツルの準備は常に一手先を読んでいる。
庭ではギンとアカが追いかけっこをしていた。もはや日課だ。ギンが四足で走り、アカが短い翼を広げて低空を滑る。速度はギンの方が上だが、アカは方向転換が速い。
「捕まえた!」
「まだじゃ! 妾の翼は伊達ではないぞ!」
屋根の上でクロが丸くなっている。人型のまま瓦の上で寝るのは相変わらずだ。目は閉じているが、耳だけがギンとアカの方を向いている。寝ているふりをしながら全部聞いている。
アカの火力制御訓練は順調に進んでいた。的への命中率は九割まで上がった。はみ出す範囲も的の半歩以内に収まるようになっている。あとは実戦で連携に組み込む段階だ。
平穏な日常だった。
◇
午後、拠点の門が叩かれた。
三回。控えめで礼儀正しいノック。この叩き方は一人しかいない。
開けると、リノが立っていた。片手に革の書類挟み、もう片手に紙包みの焼き菓子。ギルドの制服のまま来ている。
「お忙しいところすみません。業務連絡と、差し入れを」
「いつもわざわざ悪いな」
「いえ、今回は特にお伝えしたいことがありまして」
居間に通した。ツルがお茶を五人分とリノの分を淹れた。リノがテーブルに書類を広げる。
「Cランク昇格の推薦、支部長の決裁が下りました。おめでとうございます」
Cランク。Dランクに昇格してからまだ一月半しか経っていない。
「Dランクからの昇格速度としては、エルデ支部の過去記録を更新しています。依頼完了数、報酬効率、戦闘事故率、同行魔獣の管理実績、すべて基準を大幅に超過。実技試験の日程は来週以降で調整しますが、正直なところ形式的なものになると思います」
「ありがとう。書類は今見る」
リノが書類の各項目を指差しながら説明する。署名欄、実技試験の概要、Cランクの権限と義務。リノの指先が紙の上を滑り、声は落ち着いていて聞き取りやすい。テーブルを挟んで向かい合い、自然と距離が近くなる。
その距離を、四対の目が見ていた。
最初に動いたのはギンだった。
俺とリノの間に体をねじ込んできた。椅子と椅子の隙間に無理やり入って、俺の腕に自分の腕を絡ませる。銀の尾が膨らんでいる。
「主さま、この人近い」
「ギン、書類の説明中だ」
「説明なら遠くからでもできるよ」
リノが姿勢を正した。
「業務上適切な距離を保っているつもりですが……」
「近い」
ギンが断言した。尾がさらに膨らんだ。
壁際でクロが腕を組んでいた。いつの間にか屋根から降りてきている。
「毎回わざわざ届けに来るのね。ギルドに行った時に説明すれば?」
「規定上決定後5日以内にお知らせすべき連絡なので……」
「規定ね。前回も同じこと言ってたわ」
「前回も同じ規定ですので……」
ツルがお茶を並べた。俺とギンとクロとアカの湯呑みは揃いの大きさ。リノの分だけ、一回り小さい湯呑みが置かれている。
「お客さま用でございます」
ツルが穏やかに微笑んだ。微笑みの温度がいつもより二度ほど低い。リノが湯呑みの大きさの差に気づいたかどうかは分からない。気づかない方が幸せだろう。
アカがリノの正面に立ちはだかった。腕を組んで、仰け反るように見上げている。体格差があるので威圧というより睨み上げている形だ。
「おぬし、また来たな」
「あの、前回もお会いしましたね。ギルド受付のリノです」
「覚えておる。妾のあるじに何の用じゃ」
「Cランク昇格の業務連絡です」
「前回も業務連絡と言っておったな。毎回同じ言い訳、怪しいのじゃ」
「言い訳ではなく事実です……」
四方から圧を受けて、リノの額に汗が浮いていた。焼き菓子を持ってきた手が微かに震えている。
俺はギンの腕を解いて立ち上がった。
「すまない、うちの連中が毎回」
「い、いえ。慣れて……」
リノが言いかけて、やめた。
「正直に申しますと、前回より圧が増しています」
「人数が増えたからな」
「それもありますが、練度が上がった気がします」
練度。連携が取れてきているということか。喜ぶべきなのか悩むところだ。
◇
署名を終え、リノが書類を革挟みに戻した。
帰り際に、リノが玄関で立ち止まった。声を少し落とす。
「あの……もう一つだけ。業務連絡とは少し違うんですが」
「何だ」
「最近、ハルさんの評判が近隣の街にまで広がっているようです。テイムなしで魔獣を四体連れた冒険者がいる、と。ギルドにも問い合わせが何件か来ています」
「問い合わせ、か」
「ええ。同業者の冒険者からが多いですが、中には……ハルさんの『方法』を知りたいと言ってくる者がいまして。身元が確認できていません」
リノの目が真剣だった。受付嬢の顔ではなく、協力者の顔をしている。
「直接会いたいと言っている者もいます。お気をつけてください」
「分かった。ありがとう」
リノが小さく頭を下げて、門を出ていった。
玄関を閉めて居間に戻ると、四対の目が待っていた。
「主さま、あの人と玄関で小声で話してた」
ギンが真っ先に切り込んできた。銀の耳がぴんと立っている。
「何を話したの」
「仕事の話だ」
「仕事の話を小声でする必要ある?」
クロが壁に寄りかかったまま言った。猫の目が細い。
「ギルドの内部情報だからな。大声で言うものじゃない」
「ふうん」
信じていない顔だった。
「お茶のお代わり、いかがですか」
ツルが急須を持って間に入った。話題を変えようとしている。だがツル自身の目も、微妙に笑っていなかった。
「妾はあの女を認めておらぬ」
アカが椅子の上に正座して宣言した。
「毎回言ってるなそれ」
「毎回来るから毎回言うのじゃ」
「リノさんは協力者だ。うちのCランク昇格を通してくれたのも彼女の推薦があったからだぞ」
「それとこれとは別じゃ」
何が別なのか聞いても答えは返ってこないだろう。四人とも、リノ個人に敵意があるわけではない。ハルの傍に来る女性というカテゴリに反応しているだけだ。リノにはいつも申し訳なく思う。
「焼き菓子、もらったから食べよう。ツル、皿に出してくれ」
話題を変えた。ツルがリノの紙包みを開けて、焼き菓子を五枚の皿に分ける。ギンが一番に手を伸ばし、アカが「妾の方が大きいぞ」と比べ始め、クロが黙って端の一枚を取った。
日常の音が戻る。
◇
夜。
皆が寝静まった後、俺は書庫にいた。
ゼノが前回の訪問時に残していったメモを読み返している。古文書の解読はまだ序盤で、恩刻に関する記述の全体像は見えていない。だが、ゼノは「急がない方がいい」と言った。中途半端な知識は判断を誤らせる。その通りだと思う。
だがリノの言葉が引っかかっていた。
俺たちの『方法』を知りたい者。身元不明。直接会いたい。
評判が広がるのは悪いことじゃない。依頼の質も報酬も上がる。Cランクに昇格すれば活動の幅はさらに広がる。だが同時に、目をつけられるということでもある。テイムなしで魔獣を従える方法があるなら、それを利用したい人間がいてもおかしくない。
窓の外に目をやった。
月明かりが庭を照らしている。ギンとアカが走り回った跡が地面に残っている。洗濯物を干す竿。クロが昼寝する屋根の端。
何かが横切った。
一瞬だった。月光の下を、細い影が走った。猫ではない。クロの気配でもない。もっと滑らかで、長い影。
目を凝らしたが、もう何もいなかった。
気のせいか。
窓を閉めて、書庫を出た。廊下を歩きながら考える。明日、ギルドでリノにもう少し詳しく聞こう。問い合わせの内容と、時期と、できれば経路を。
自分の部屋のドアを開けると、ギンが俺のベッドの端で丸くなっていた。いつものことだ。銀の耳がぴくりと動いて、寝ぼけた声が聞こえた。
「……主さま、おかえり」
「ああ。寝てろ」
ギンの銀色の尾が小さく揺れて、また静かになった。
平穏な夜だった。
ただ、窓の外を横切った影だけが、頭の隅に残っていた。




