第2話 「街と偏見」
東の街、灰樹の街エルデ。
城壁に囲まれた中規模の冒険者街で、ギルド支部が一つ、宿が六つ、酒場が十二。
酒場の数が宿の倍ある時点で、この街の気質が分かる。
「主さま、人がいっぱい」
「ああ。だからギン、耳と尻尾は隠せるか」
「……がんばる」
ギンが目を瞑ると、狼の耳と尻尾がすっと消えた。
残ったのは、銀髪に金眼の美少女。
目立つ。非常に目立つ。
だが、獣人の冒険者もいないわけではない。
魔獣だとバレなければ、なんとかなる。
「あと、俺のことは『ハル』でいい。主さまは目立つ」
「やだ」
「即答か」
「主さまは主さま。他の呼び方は、ない」
交渉決裂。
前世の取引先より頑なだった。
「……せめて人前では声を小さく」
「うん。主さまがそう言うなら」
こっちは通った。
譲れる線と譲れない線がはっきりしている。
犬というより、猛獣の矜持に近い。
*
冒険者ギルドの扉を開けると、革と酒と汗が混ざった匂いが鼻を突いた。
昼前だが、カウンター周辺には冒険者がたむろしている。
受付は三つ。
一番端の窓口に、栗色の髪を一つに結んだ女性が座っていた。
胸元の名札に「リノ」と書いてある。
「いらっしゃいませ。……ご登録ですか?」
「いや、登録済みだ。パーティー変更届と、同行魔獣届を出したい」
冒険者証を出す。
Eランク。所属パーティー欄に「レクスの牙」。
リノがそれを見て、一瞬だけ目を瞬かせた。
「《レクスの牙》……西のカーバス支部で登録されたパーティーですね。変更届ということは、脱退ですか」
「追放だ。正確には」
隠す理由もない。
リノは表情を変えず、淡々と書類を出した。
「承知しました。パーティー欄をソロに変更しますね。それと――同行魔獣届、とおっしゃいました?」
ギンを横目で見る。
銀髪の少女はカウンターの端を両手で掴んで、リノの顔を覗き込んでいた。
……完全に犬の仕草だった。
「テイム契約ではありません。この子は自分の意思で同行しています」
リノの手が止まった。
「……テイム契約なしで魔獣を同行?」
「はい」
「それは規定上、非常に厄介なケースです」
リノが言いづらそうに眉を下げた。
「冒険者が魔獣を街中に連れ込む場合、原則としてテイム契約の証明が必要です。契約なしの魔獣は『野生個体』扱いになりますので、ギルドとしては許可を出せません」
来た。
分かっていた。
この世界では、魔獣は「テイムして従わせるもの」だ。
テイムなしで魔獣が人に懐くなど、常識の外にある。
「規定を確認させてくれ。同行魔獣届の要件は三つだったはずだ。一、対象が瘴獣でないこと。二、街中で第三者に危害を加えないこと。三、同行者が責任を負うこと。テイム契約の有無は要件に含まれていない」
リノが目を丸くした。
「……どうしてその規定を?」
「前のパーティーで経費と書類の管理をしていた。ギルド規約は暇な時に全部読んだ」
前世の労務管理と同じだ。
規則は武器になる。
特に、権力のない人間にとっては。
「確かに、規約の文面上はテイム契約を必須とはしていません。ただ、慣例として……」
「慣例は規定じゃないだろう?」
リノは数秒黙った後、小さく頷いた。
「……お待ちください。支部長に確認します」
リノが奥に消える。
その間、周囲の冒険者の視線が痛い。
「なんだあいつ、魔獣連れてんのか?」
「テイマーか? にしちゃ魔力を感じねぇが」
「Eランクのソロ? ハッ、荷物持ちが一丁前に」
聞こえるように言っている。
こういうのも、前世で慣れている。
社内で陰口を言われるのと、冒険者に蔑まれるのは、大して変わらない。
ギンの耳が――隠しているはずの狼の耳が、ぴくりと動いた。
「主さま。あいつら、主さまの悪口言ってる」
「聞こえてる。無視しろ」
「……ギンが怒ったら、だめ?」
「だめ」
「ちょっとだけ唸るのも?」
「だめ」
「…………ぅー」
不満そうに俺の袖を掴む。
その力が微妙に強くて、布地が軋む音がした。
五分後、リノが戻ってきた。
「お待たせしました。支部長の確認が取れました」
リノの表情は、さっきより少し柔らかい。
「規約第七章第三項に基づき、テイム契約なしでの魔獣同行を仮承認とします。ただし条件があります」
「聞こう」
「仮承認の期間は三十日間。その間に同行魔獣が第三者に危害を加えた場合、即時取消。三十日以内に正式な同行実績を提出し、問題がなければ本承認に切替となります」
三十日。
前世で言えば、試用期間だ。
「分かった。ありがとう、リノさん」
「いえ……規約を正確に読まれていたのは、驚きました」
リノが少しだけ笑った。
規約を盾にする冒険者は珍しいのだろう。
「あの」
リノが声を潜めた。
「個人的な意見ですが……テイムなしで魔獣が懐くなんて、聞いたことがありません。もし本当なら、学術的にも重要なケースかもしれません。何かあれば、私に相談してください」
「……助かる」
誠実な人だ。本当に頼ってもいいかもしれない。
*
ギルドを出ると、ギンが唸った。
「主さま、さっきすごかった」
「何が?」
「あの紙の人に、言葉だけで勝った」
「勝ったんじゃなくて、規則を確認しただけだ」
「ギンには同じに見える。主さま、戦わないで戦ってた」
……この子は見た目の割に、妙に本質を突いてくる。
「仮承認、三十日ってことは」
頭の中で計算が始まる。
前世の癖だ。
期限があるなら、逆算してスケジュールを組む。
宿代が一泊銀貨二枚。食費を含めて一日銀貨三枚。
三十日で銀貨九十枚。手持ちは銀貨百二十枚と銅貨少々。
同行実績を出すには、クエストをこなして報告書を蓄積する必要がある。
最低でもEランク依頼を十件。できれば問題なくこなして、Dランクへの昇格推薦を貰いたい。
「ギン。明日から依頼を受ける。瘴獣の討伐依頼が中心になる」
「ギンが全部倒す」
「いや、全部じゃなくていい。大事なのは『安全に、確実に、効率よく』こなすことだ。三十日で実績を積む」
ギンが小首を傾げた。
「主さまはいつも数を数えてる」
「まぁ、それしかできないからな」
「ギンは数、苦手」
「だから俺が数えて、お前が戦う。役割分担だ」
「……やくわり、ぶんたん」
ギンがその言葉を噛みしめるように繰り返した。
そして、ふわりと笑った。
「ぬしさまと一緒にやるってこと?」
「そういうことだ」
「うん。それがいい。ギン、そういうのがいい」
尻尾が――隠しているはずの尻尾が、スカートの下でもぞもぞと動いている。
隠せていない。全然隠せていない。
「……ギン、尻尾」
「あ」
慌てて引っ込める。
耳まで赤い。
前世も今世も、部下の管理は胃が痛い。
*
宿を決め、昼食を取り、午後は街の下見に充てた。
エルデの街は東西に市場通りが貫いている。
武器屋が三軒、防具屋が二軒、薬屋が四軒。
薬屋が多いのは、瘴獣による汚染被害がこの地域では深刻だからだろう。
ギンは終始、俺の半歩後ろをついてきた。
手を繋ぎたがったが、街中では目立つので却下した。
代わりに俺の上着の裾を掴んでいる。
譲歩の結果がこれだった。
「主さま、あの匂い」
市場通りの外れで、ギンの鼻がひくひく動いた。
「獣。でも瘴獣じゃない。……怪我してる」
「怪我?」
「血の匂い。あっち」
ギンが指さしたのは、市場裏の路地だった。
木箱が積み上げられた隙間に、黒い毛並みがうずくまっている。
猫だ。
真っ黒な猫。
右の前脚が不自然な方向に曲がっている。骨折か。
近づくと、黒猫が鋭い目でこちらを睨んだ。
金色と碧色の左右非対称。
威嚇のように低く唸る。
「ギン、この猫は――」
「魔獣。ギンと同じ」
ギンの声が少しだけ硬くなった。
「主さま。助けるの?」
「……お前、嫌か?」
「嫌じゃない。主さまが助けたいなら、助ける。ギンは主さまのすることを止めない」
言葉の端に、微かな棘がある。
嫉妬ではない。
不安だ。
また誰かを助けたら、その子も俺に懐くんじゃないか。
ギンだけの「主さま」じゃなくなるんじゃないか。
見ないふりはできる。
通り過ぎれば、ギンとの二人旅は続く。
だが。
黒猫の目が、こっちを見ていた。
助けてくれ、とは言っていない。
むしろ、来るなと言っている。
それでも、折れた脚で踏ん張っている。
「――ギン。薬屋で添え木用の細い板と包帯を買ってきてくれ。銅貨五枚で足りる」
「……うん」
ギンが走り去る背中を見送ってから、俺は黒猫の前にしゃがんだ。
「触らないから安心しろ。今は見てるだけだ」
黒猫は唸るのをやめない。
だが、逃げなかった。
ギンが戻ってきた。
添え木を当て、包帯を巻く。
黒猫は一度だけ爪を立てたが、傷が痛んだのか、すぐに力を抜いた。
「よし。あとは安静にしてれば繋がる」
干し肉の欠片を置いて、立ち上がる。
「行くぞ、ギン」
「……食べないの? あの子」
「警戒してる。人が離れれば食べるだろ」
「主さまは、いつもそう」
「ん?」
「助けて、見届けないで行っちゃう」
ギンが、少し拗ねたように言った。
「ギンの時も、『今夜だけ』って言った。でもギンは離れなかった。あの子も、きっと」
「……それは」
「主さまは分かってない。助けられた側が、どれだけ忘れられないか」
金色の目が、まっすぐ俺を射抜いた。
その視線の強さに、俺は言葉を返せなかった。
路地を出る時、背後で微かな音がした。
振り向くと、黒猫が干し肉を咥えていた。
左右非対称の目が、一瞬だけこちらを見た。
それは威嚇でも懇願でもなく。
ただ、じっと。
値踏みするような目だった。




