第19話 「妾のものじゃ」
目を覚ましたのは、腕が痺れていたからだった。
レーゲン森林の外縁。昨夜は火災跡の近くで野営した。幼竜を腕に抱いたまま眠ったはずだが、腕の中の感触が変わっている。鱗の硬さがない。代わりに、柔らかくて温かい何かが腕にしがみついている。
目を開けた。
赤い髪が視界を埋めた。
ツインテール。小柄な体。額から二本、小指ほどの角が生えている。背中の腰あたりから赤い尻尾が伸びて、俺の手首に巻きついていた。
裸だった。
俺はマントを掴んで、少女の肩に被せた。
ギンの時は慌てた。クロの時は焦った。ツルの時はまだ動揺した。四人目ともなると、手が勝手に動く。我ながらどうかと思うが、慣れとは恐ろしいものだ。
少女がむずむずと身じろぎした。マントの下で体を丸めて、それからゆっくり顔を上げる。
金色の目。
昨日、瘴気を剥がした後に見た色と同じだった。澄んでいて、幼くて、少し怯えていて。
「…………おぬし、誰じゃ」
意外にも、古めかしい口調だった。
「昨日お前を助けた者だが」
「助けた? 妾を?」
きょとん、とした顔で俺を見つめる。
しばらく沈黙が続いた。金色の目がゆっくり左右に動く。何かを思い出そうとしている。炎の記憶。痛みの記憶。そして、炎の中に入ってきた誰かの手の感触。
金色の目が見開かれた。
「おぬしか! あの、あの痛いのを取ってくれたのは!」
「ああ」
「妾の背中に触れたのか! 妾の鱗に手を入れたのか!」
「瘴気を剥がすために必要だった」
「ならばおぬしは妾のものじゃ!」
予想外の結論が来た。
「理屈が分からない」
「竜の理じゃ! 妾に触れた者は妾のもの! 身体に手を入れたのなら尚更じゃ! 文句は言わせぬ!」
背後から、聞き慣れた声が炸裂した。
「また増えたーーーーー!!」
ギンだった。三度目の絶叫。通算四人目。
銀色の耳が逆立って尾が膨らんでいる。もはや恒例行事になりつつあるが、本人にとっては毎回が一大事らしい。
「主さま! 主さまは何故寝て起きるたびに裸の女の子が増えるの!」
「俺に聞かれても困る」
「妾に触れた者は妾のものじゃ。そこの銀色、おぬしは何じゃ」
「何じゃ、じゃないよ! ギンは主さまの一番最初の——」
「最初? ならば妾は最新じゃな。新しい方が価値があるのは道理じゃろう」
「ないよそんな道理!」
クロが木の上から降りてきた。欠伸をしながら、騒いでいる二人を見下ろす。
「朝からうるさい二人組が増えたわね」
「おぬしは何じゃ。黒いの」
「黒いのって言うな」
ツルが焚き火の前に座ったまま、穏やかに微笑んでいた。
「まあまあ、皆さま。まずは朝食を——」
「食事より先に決めることがある! 妾のものは妾のものじゃ!」
少女がマントを翻して立ち上がりかけた。俺はマントの裾を掴んで引き戻した。
「先に服を着ろ」
「服? 何故じゃ。邪魔くさい」
「いいから、着ろ」
ツルが手際よく予備の下着と上衣を差し出した。四人目ともなると、ツルの準備も手慣れてきている。旅立つ時に用意していたのだ。
◇
服を着せて、朝食を食べさせて、少し落ち着いたところで話を聞いた。
記憶は断片的だった。
森で一匹で暮らしていたこと。ある日、背中に黒い何かがくっついて、それからずっと痛かったこと。痛くて怖くて、近づくものは全部燃やした。どれくらい燃やしたか覚えていない。気がついたら、誰かが痛いのを取ってくれていた。
「それがおぬしじゃ」
金色の目がまっすぐ俺を見る。
「おぬしの手は熱くなかった。妾の炎も効かなかった。妾の鱗に触れて、痛いのを取って、頭を撫でた。妾はそれを覚えておる」
竜の理というのが本当にあるのか、それとも幼い竜の刷り込みなのかは分からない。だが、最初に優しくしてくれた存在に強く執着するという点では、ギンと似ている。
「お前は俺のものじゃない。俺もお前のものじゃない。だが仲間にはなれる」
「仲間?」
「一緒にいて、一緒に飯を食って、一緒に戦う相手のことだ」
「……それは、ものとは違うのか」
「違う」
「よく分からぬ。だがおぬしは妾の傍にずっとおれ。それでよいな」
「ああ。それでいい」
ギンが不満そうに唸った。だが口は挟まなかった。俺が「ものじゃない」と言ったことで、少しだけ溜飲が下がったらしい。少しだけ。
朝食の後、空き地で能力を確認した。
「ブレスを撃てるか」
「愚問じゃ。竜のブレスは生まれながらのもの。見ておれ」
少女が口を開けた。
喉の奥に赤い光が集まる。次の瞬間、炎の帯が射出された。
空き地の端に立っていた木が、一本まるごと消し飛んだ。
焼けた、ではない。消えた。幹も枝も葉も灰も残らず、熱で蒸発したとしか言えない消え方。地面に黒い焦げ跡が走り、その先に何もない空間がある。
「……Bランクの瘴獣を一撃で灰にできる火力だな」
「当然じゃ。妾の炎は完璧じゃ」
「完璧な炎は俺の髪を焦がすのか?」
右側の前髪の先端が縮れている。ブレスの射線がわずかに右にずれて、五歩離れていた俺のところまで熱が届いた。
「……ちょっとだけ、ずれたのじゃ」
角の根元が赤くなった。
褒められたかったのだ。すごいと言ってもらいたくて見せたのに、失敗を指摘された。悔しいけれど認められない。唇を尖らせて、尻尾が落ち着きなく左右に揺れている。
「威力は申し分ない。だが今のままだと味方を焼く。制御の訓練が必要だ」
「妾に訓練が必要だと? 竜じゃぞ?」
「竜でも外したら意味がない」
「……む」
反論できず、角の根元がさらに赤くなった。
「ギンもクロも、最初は連携がバラバラだった。訓練で合わせた。お前も同じだ」
「妾をあやつらと同列に扱うか」
「同列だ。仲間だから」
少女が黙った。
金色の目が揺れて、尻尾の動きが止まって、それからぷいと横を向いた。
「……考えてやらぬこともない」
素直じゃない。
だが尻尾の先だけが小さく揺れていた。嬉しいのが隠せていない。
◇
エルデの街に戻ったのは、昼を過ぎた頃だった。
門をくぐった時点で、空気が違うと感じた。
通りを歩く住民の視線が多い。こちらを見て、隣の人と何か話している。指をさす者もいる。
「……見られてるわね」
「レーゲンの火災、もう伝わってるんだろ」
三日間燃え続けた森林火災が突然消えた。Bランクの討伐隊が撤退した相手を、Dランクのパーティーが解決した。噂が広まらない方がおかしい。
ギルドに着くと、受付の前に冒険者が溜まっていた。俺たちが入った瞬間、視線が集中する。
「あれだろ、テイムなしの——」
「竜の幼体連れてるって」
「嘘だろ、あんな小さい女の子が……」
少女が俺の腕にしがみついたまま、周囲を睨んでいた。威嚇というより、知らない場所が怖いのだ。尻尾が俺の手首にきつく巻きついている。
リノが受付カウンターの向こう側で立ち上がった。
「ハルさん。お帰りなさい。報告を」
「ああ。レーゲン森林北東部の火災について。原因は竜型魔獣の幼体による暴走。暴走の原因は背部に付着した瘴気塊。瘴気を物理的に除去した後、同行者の浄化能力で残留瘴気を洗浄。魔獣の鎮静に成功し、火災は自然鎮火。討伐は行っていない」
カウンター周辺の冒険者たちがざわめいた。
「討伐してねえのかよ」
「鎮火したんだから結果は同じだろ」
「いや、でもAランク推定の竜をテイムなしで——」
リノが報告書に書き込みながら、目を丸くしている。
「火災の鎮火、暴走魔獣の保護、瘴気汚染の浄化。これだけの実績を一回の遠征で達成されたのは……少なくとも私の在任中では初めてです」
「報酬は保護案件として処理してくれ。討伐報酬は請求しない」
「え」
リノだけでなく、周囲の冒険者も声を上げた。Aランク推定の討伐報酬は金貨十枚。それを辞退する冒険者を、誰も見たことがない。
「殺してないものの報酬は受け取れない。保護と鎮火の実績だけ記録に残してくれれば充分だ」
リノが数秒間こちらを見つめて、それから静かに頷いた。
「……分かりました。保護案件として処理します。鎮火功労金として金貨二枚が自治体から出ますが、そちらは受け取っていただけますか」
「それは受け取る。仕事の対価だから」
ざわめきの質が変わった。批判的な声もあるが、それ以上に困惑と、いくらかの敬意が混じっている。
だが、別の声も聞こえた。
「テイムなしでAランク相当の魔獣を連れてるってことだろ。あれが街中で暴走したらどうなる」
「竜の幼体だぞ。さっきの森林火災を見ただろ。あれが街で起きたら——」
少女の尻尾が強張った。聞こえているのだ。
俺は少女の頭に手を置いた。角の間を指先で撫でる。強張りが少しだけ緩んだ。
「それで、もう一件」
俺はカウンターに書類を置いた。
「同行魔獣の追加届を出す。四体目だ」
リノの手が止まった。
「四体目……」
「規約に上限はない。確認済みだ」
「確認済みなんですね……」
リノのため息が、いつもより深かった。ペンを取り直して、書類に記入を始める。その手つきは正確だが、表情は複雑だ。
「種族は竜型魔獣、幼体。名前は——」
ペンが止まった。リノがこちらを見る。
「名前、決まってますか?」
俺は隣を見た。赤い髪の少女が俺の腕にしがみついたまま、書類を覗き込んでいる。金色の目が「名前」の欄を見つめていた。
この子にはまだ名前がない。
昨夜は名前どころではなかった。今朝は「妾のもの」の主張と能力テストで手一杯だった。ここまで、俺はこの子を「お前」としか呼んでいない。
ギンは銀色だから「ギン」。クロは黒いから「クロ」。ツルは鶴だから「ツル」。
我ながら雑な名付けだと思うが、全員文句を言わなかった。むしろ喜んだ。もらった名前が何であれ、名前をもらったこと自体が大事なのだと、三人を見ていて分かった。
赤い髪。赤い鱗。赤い炎。
「アカで」
リノのペンが動く前に、少女が口を開いた。
「……アカ?」
「ああ。赤い奴だから、アカ」
「妾の名前か」
少女の声が変わった。尊大さが抜けて、ただ音を確かめるように繰り返す。
「アカ。アカ」
何度も唇が動いた。金色の目がゆっくり瞬きした。
「おぬしが、くれた名前か」
「嫌か」
「嫌ではない」
声が小さくなっていた。金色の目が潤んでいる。
だが泣かない。唇を噛んで、顎を上げて、涙を堪えている。竜は泣かない。そう自分に言い聞かせているように見えた。
代わりに、腕を握る力が強くなった。小さな手が俺の腕にぎゅっと食い込む。
「妾は——アカは、この名前を誰にも返さぬ」
初めて、自分の名前で自分を呼んだ。
反対側の腕を、ギンが掴んだ。
「主さまの右はギンの場所!」
「妾は左じゃ!」
「あたしの定位置なんだけど、左」
「なら、妾はてっぺんじゃ!」
アカが飛びかかってきて首に足を巻きつける。肩車をするような形になった。
「皆さま、順番に——」
ツルが仲裁に入りかけた。
「順番なんかない! 妾が一番じゃ!」
「一番はギン!」
「うるさい、二人とも」
「クロも参戦しないでください……」
拠点までの帰り道が、過去最高にうるさかった。
前を歩く俺の右腕にギン、左にクロの視線、後ろからツルのため息、頭の上でアカがはしゃいでいる。
五人になった。
荷物持ちだった頃には想像もしなかった騒がしさだ。
悪くない、と思った。
◇




