31.ずれていたこと
翌日の放課後。空が茜色に染まり始めてきたとき、翔奏は学校最寄りの駅の近くにあるファミリーレストランで凛を待っていた。
どうやら十分ほど遅れると先ほどメッセージが来たので、翔奏は外で待つのをやめ、中に入って待とうと決める。
「いらっしゃいませー。何名様ですか?」
「二人です。もう一人はあとから来ますので」
「奥のお席へとお進みくださーい」
店内は翔奏の通っている高校の制服を着た生徒たちがまばらに見えて、だがその中に翔奏の知っている人はひとりもいない。
ざっとその人数を数えてから、翔奏は四人掛けの席に座る。人が少ないからか、どうやら少し贅沢をしてしまったみたいだ。
このままなにもしないのも居心地が悪いので、早めに近くにある注文用の端末からドリンクバーを二人分頼んでおく。料理セットのものと悩んだが、翔奏は通常料金のもの、凛は一応確認を取り、料理セットのドリンクバーを注文しておく。
そして適当にコーラを汲んできたところで、店のドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませー、何名様ですか?」
「待ち合わせをしている者です。場所は……」
その女性は一瞬こちらを見て、
「分かるので、大丈夫です」
「承知いたしました、ごゆっくりしていってくださーい」
店員との会話を手短に済ませると、こちらの方へと歩いてくる。
挨拶をしなければと思い、席を立とうとしたのだが。
「大丈夫です、桐宮さん」
腰まである黒髪に翡翠色の眼を輝かせた凛とした女性——凛は、優しく制止して逆に礼をしてくる。
大学から直接来たのだろう、服装はパステルカラーのカジュアルなもので、トートバッグを肩から下げていた。
「今日はあたしの方から呼び出してしまい、すみません。予定とかって大丈夫でしたか?」
「ええ、特には。いつもは雀と帰っているんですけど、今日は互いに用事があったみたいで」
「それはよかったです。タイミングがいいですね」
あながち間違っていない言葉を並べて、翔奏は凛に申し訳なく思わせないようにと自然に気を遣う。雀に用事があったのは事実だが、いつものように書店に行くという用事で、今度こそ数週間前に買えなかったライトノベルを買うと張り切っていた。注文した上に通知が来たらしいので、きっと受け取れていることだろう。
ちなみに雀にはもちろん、桜歌にも今日凛と会うことは伝えていない。もしかしたら桜歌は凛から言われているかもしれないが、今日の様子を見る限り気づいている素振りはなさそうだった。
なんとか頭を上げさせて凛を椅子へと誘導することに成功し、ドリンクバーを汲みに行くように促す。
「ドリンクバーは料理セットの安い方を頼んでおいたんですけど、凛さんはこちらで食事をする予定で?」
「そう……ですね。桜歌も、友達と食べてくると言っていたので。サークルの友達と駅前でクレープは食べてきたんですが、到底お腹が満たされるわけもなくて……」
凛はそう言うと、恥ずかしそうに腹を抑える。
サークルで思い出したが、そういえば凛は大学生三年生なのだ。やはりどうしてか高校生に見えてしまうので、私服で来た高校生かと勘違いをしそうになった。
だが顔を見れば一目瞭然、薄っすらだが口紅も塗ってあるし、化粧も若干してあるように見える。しかしそれでこの肌色なのだから、健康には相当気を使っているのだろうことが見て取れる。
凛は一度席を立ち、烏龍茶を入れて戻ってくる。きれいに伸びた指先が、翔奏の視界に映った。
「桐宮さんは食べないんですか? 一人暮らし……なんでしたっけ」
「そうですね、食べたいんですが……。最近は、少し健康に気をつけようと思い始めていまして。外食は控えるようにしてるんです」
当然、「作ってくれている人がいるからここでは食べられないんです」なんて爆弾発言ができるわけない。凛なら驚くだけでとどめてくれるだろうが、しかし自ら少女との生活を外に漏らすことはしたくない。自慢とか思われても困るし、しかも高校生が中学生と同棲している、なんてどこかの耳に入って噂にでもなってしまったら、大騒ぎどころでは済まないだろう。
だから少女のことは、翔奏にとって特一級と言っても過言ではないほどの秘密事項なのだ。
(そういえば瑞葉さん、今日は出かけるって言ってたな)
翔奏はふと、今朝の少女との会話を思い出す。
昨夜はとにかく少女の寝相がひどかった。いつもそうと言えばそうなのだが、今回に至っては二回戻しても、三回戻しても、少女はベッドから落ちてきたのだ。途中で唸っているような声も出していたので、さすがに心配になって朝になってから少女にどうしたのかと聞いた。
そしたら、
『きょ、今日、出かける予定で。久しぶりに外界に足を運ぶもので、緊張、というか、少し動悸が……』
と、そんな堅苦しい言い方交じりのどう見ても緊張しているようにしか見えない挙動をしていた。どこに行くかまでは訊かなかったが、そんなことがあって少女が今日出かけていることを知っているわけだ。
ちなみに夕飯は少女が作ると言っていたので、ここで摂らなくても問題はないだろう。
「そうなんですか……。偉いですね」
「まあ、そのせいでこんなに細いわけですし。いいことばかりではありませんよ」
凛ほどは細くない腕を見ながら、翔奏は苦笑する。
きっと他人から見れば、そんなに細くはないのだろう。平均的な男子高校生の腕、そう言うと思う。
だが翔奏はそう思わないように自分自身に暗示をかける。平均的、それはつまり普通なのだから。普通は、翔奏が一番言われたくないことだから。
だから翔奏はそれに耐え切れなくて、メニュー表を差し出した。
「オーダーしてください。俺はドリンクバーだけで充分なので」
「…………」
「凛さん?」
しかし凛は差し出されたメニュー表を受け取らず、まるで物言わんばかりにじっとこちらを見てくる。若干頬を膨らませているように見えるのは、気のせいではないだろう。
凛は数秒こちらを見つめ、ようやく口を開く。
「桐宮さんも、なにか頼んでください」
「……え? いや、なんで」
「なんでもいいです。デザートでいいので、なにか頼んでください」
「…………?」
突然言われた命令口調に、翔奏は怪訝な顔をする。
おそらくは、一人だけ食べているのは気分が悪いとか、話に入りずらいとか、そういう理由だろう。翔奏だってそうだ。誰かが水を飲んでいる目の前でステーキを食べられる自信なんて、まったくない。
しかしそのために人を巻き込むだろうか。微妙な空気になってしまうことを恐れているのなら今からでも注文を変えればいいと思うし、デザートくらいだったら大丈夫だろうと思うのだが。
「桐宮さん、今甘いもの食べたいですよね」
「……いや、そんなに」
「食べたいですよね?」
「…………」
「奢るので、食べてください」
「……ええ」
凛は有無をいわせないと言わないばかりの圧で翔奏を見つめる。
そんなに言うほどの理由が凛にあるのかは分からないが、奢ると言われたので翔奏は熟考してから頷く。
「……まあ、そういうことなら、お言葉に甘えて」
「ありがとうございます、あたしの身勝手なばかりに」
「いや本当ですよ。どうしてそこまでして……」
「でも桐宮さん、今甘いものを食べたい気分でしょう?」
「…………まあ、そうですけど」
「それならいいじゃないですか。ついでにあたしの奢りなんですし」
「はあ……」
凛の察する能力に、思わず身を引く。
確かに今日は塩っ気のあるものしか食べていないので、糖分を入れて頭を回らせたいところだ。今日の授業に身が入らなかったのも、そのせいかもしれない。
そんなに顔に出ていただろうか、と軽く頬を触りながら、翔奏は渋々メニュー表を取る。
そしていつもは優柔不断な翔奏は珍しく即決し、
「じゃあプリンで」
対して、いつも即決していそうな凛は、
「……じぇ、あーいや……。……ちー、いや違う……」
「……凛さん?」
「…………か、カラメルパフェで」
翔奏が若干の圧をかけると、無理やり決めたようにそう言い放った。
もう一度確認すると確かにそれでよかったようなので、翔奏はそれぞれを注文する。なぜか凛に対して申し訳ないという気持ちが、翔奏の中に芽生え始めていた。
「じゃあ注文しましたので。俺のドリンクバー、セットのほうに変えなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫です。お店側に迷惑をかけるのは、ちょっと、なんていうか……」
「……コミュ障?」
「ち、違います。コミュ障じゃありませんっ」
「でもそれって典型的な、」
「だから、コミュ障じゃありませんってば」
「……そう、ですか」
「信じました?」
「いいえ」
「…………」
少々からかいすぎたのか、むう、と頬を膨らませて、凛はそっぽを向く。
初対面……に近い人をここまでいじるのは、翔奏も初めての感覚だった。会ったのは二回目、けれどすでに会っているような安心感が、凛からはする。凛にだったらなにを話してもいいような、受け止めてくれるような。ある種の“優しい”雰囲気が、凛からはしていた。
だがしかし——思い出せ、翔奏。なぜここに今日来たのかを。
翔奏は知っている。翔奏たちと行く以前、凛が何度も一人で零牡寺を訪ねていたということを。そしてその話が翔奏に関係あるからこそ、今日ここに呼び出されたのだと。
ふう、と軽く息を吐く。
「先日はペンダントのこと、ありがとうございました」
本題に入ったかと思ったのか、凛はぴくりと肩を震わせる。
膨れっ面も直り、改めて凛は翔奏のほうを向く。
「いいえ、それほどでも……。桐宮さんの通った後に落ちていただけなので」
「そうですか。ですが、本当にありがとうございます。あれを落としたこと、忘れていたみたいだったので」
凛の表情が一瞬凍る。それは生温い空気に似合わない、真冬の氷の温度で。
瞬間に冷気を感じ取った翔奏は身震いするのを我慢して、手の中で紅いペンダントを握りしめながら続けて言う。
「この間——凛さんと今日のことの連絡を取った日の夜、テレビ番組を見たんです。確か……最恐地のことが紹介されていて」
今度は本当に、凛の動きが固まった。
頭の天辺から爪先まで、血液の流れまでもが静止したように凛は表情を強張らせる。
きっと凛は、これがなんのことかは分かっているだろう。なにせ、きっとあの日の夜その番組を見ていたのだから。
だがこれは感じ取るなどの問題ではない。きっと口にして、言葉にしなければいけないことなのだ。
それから逃げては——だめなのだ。
「零牡寺も、ドローン映像でしたけれど紹介されていたんですけど、そこに幽霊が映ったってテロップが出てて」
自身の瞬きが少なくなるのを感じながら、なおも翔奏は続ける。
「その人影、ある人にそっくりだったんです。ドローン映像で、近くまでは接近しなかったみたいでしたけれど。白いワンピースを着ていて、髪が黒くて、寺の周りを物色するみたいに歩いていて」
できるならば、否定してほしかった。凛のためにも、桜歌と雀のためにも——自分のためにも。
けれどそこに否定されるべき事実がないことなんて、とうに分かっていた。
沈黙は了承——つまりは、そういうことで。
「ねえ、凛さん」
正面にいる凛を、正面から、絶対に逃がさないと言わないばかりに見据える。
「俺たちを連れて行ったことも、死にかけたことも、雀と桜歌が迷惑をしたのも……あいつらがどうかは分かりませんが、別にいいんです」
言えばどうでもよいと——翔奏は一蹴する。
だが。
「ですが、それなら……なんでもう、零牡寺に行っていたんですか」
インターネットの世界には少なからず悪趣味な奴もいるもので、零牡寺には年中無休のライブカメラというものが存在していた。
それの過去の映像を確認すると、毎日——とまではいかないものの、ほぼ連日のように、平日も構わず頻繁に出入りしている人影がそこに映っていた。
そして、その人こそが、凛だったのだ。
「凛さん」
「…………」
凛は答えない。動揺しているわけでもなく、なにかを考えているように、じっと視線を手にあるガラスのコップに注いでいた。
だが早く答えが欲しい翔奏がそんな長い時間を待てるはずもなく、早々に痺れを切らしてもう一度問う。
「あなたは……零牡寺で、なにを見たんですか」
「…………それは」
だがまた口を閉ざしてしまう。それが今の翔奏にはどうしても、わざと焦らしているようにしか見えなくて。
もう一度問おうと思った、その時だった。
「これを、見つけたんです」
いつの間にか来ていたプリンとカラメルパフェを取り分けながら言ったので、意味が分からなかったが、すぐに持ってきていたトートバッグに手を入れたので、なにか用意してきたものがあるのだと理解する。
翔奏がスプーンを出しながら待っていると、丁寧に取り出されたのは一つのUSBメモリーだった。
「これが、どうかしたんですか?」
「……零牡寺の地面に、埋められていたものです」
「れっ……え……⁉」
急に言い放たれた爆弾のような発言に、翔奏はUSBメモリーに伸ばしかけていた手を思わず引っ込める。
拭かれてはいるのだろうが、よく見てみればところどころに土の固まったような跡がある。土塊の付き方からだいぶ長い間土の中に埋められていたということが分かるが……。これが本当に零牡寺に埋まっていたのだとしたら、だいぶ怪奇なことになる。
翔奏は寸前のところまで出かけていた驚きを、なんとか飲み込む。
「……いつ見つけたんですか」
「桐宮さんたちと行った時です。外周を回っていたら、これを見つけて。なにか手掛かりになるんじゃないかと思って、持って帰ったんです」
「手掛かりって……その、彼氏さん、の?」
「まあ……そうですね」
凛の彼氏とはむろん、交通事故で亡くなった凛の幼馴染のことだ。レストランで会う約束をしていた最中、結婚指輪を持ったまま無人のトラックに轢かれたらしい。
そしてその無人のトラックの経路を辿っていくと、零牡寺につながっていて——。だからこそ凛は、トラックの正体を見つけようとしているのだ。
翔奏が思い出していると、凛はもう一度バッグに手を入れ一台のノートパソコンを取り出す。
机の上に、飲みかけのコップ、手の付けられていないデザート、そしてUSBメモリーとノートパソコンが置かれる。それが意味していることは、つまり。
「……今から俺も見るんですか」
「ええ。桐宮さんがいてくれたほうが、助かります」
真顔に正面から言われて、翔奏は誰でも思いつくような質問をする。
「……なんで、俺なんですか?」
それは最初から思っていた疑問。凛だったら翔奏よりも親しい間柄にある人はいくらでもいるはずなのに、なぜよりにもよって平凡な翔奏を選んだのか。
他人だからこそ話しやすいというのもあるだろうが、それにしても、なぜ。
「桐宮さんも、きっと知りたいんでしょう」
その言葉で、ハッと、俯きかけていた顔を上げると、翡翠色の瞳が翔奏を真正面から見つめていた。
知りたい——確かにそれはある。聞いた以上、人間の根源にある飽くなき探求心というか、誰でも持っているような知的好奇心というか。だが他人から向けられるそれがいやだったからこそ、翔奏は一人でいることを選んだ。人の禁忌に触れないように、と関係を遠ざけてきた。
(そうやって生きてきたからこそ、あっちから来るようなやつがいたって知ったときは、驚いたけど)
だからこそ、翔奏は責任の持てないような好奇心では動かない。もしそれが亀裂の原因になったら、もっといやだから。
しかし凛は翔奏の心境とは真逆に、続けてみせる。
「それにきっとこのことは、桐宮さんにもいずれ関係してくることだと思うんです」
「……俺に?」
思わぬ発言に、翔奏は首をかしげる。
「ええ。あたしもはっきりと言えるわけじゃありませんけど……。何回も出入りして霊にでも憑りつかれたんですかね、少し分かるようになってきたんです」
「……怖いことを、さらりと言いますね」
「ふふっ。怖いなんて、とうの先に置いてきましたからね」
優しく、凛は笑う。だがその裏には凛も知らないようなことが隠れている気がして、翔奏は身震いをする。
恐怖の感情がない。それは時に役立ち、時に破滅を呼び。そして今——それは別の恐怖へと形を変えて、翔奏を襲っていた。
だが凛はそんな翔奏に向かって、さらなる追い打ちをかけてくる。
「約束しましたよね。あの事は絶対に他言しない、って」
「……ええ」
「覚えているならよかったです。だからあたしは、翔奏さん——あなたに、お願いをしているのですから」
翔奏はその時、あの事というのは凛の彼氏のことについてだと思っていた。見た様子、話しているのは翔奏だけのようだったので、だから他の人に——主に桜歌に言わないでくれ、と頼んでいるのかと。
だが——今なら分かる。
あの時——凛が訊いた時から、翔奏は凛の禁忌へと手を触れてしまっていたのだ。その禁忌というのは凛の彼氏のことではなく、震えた息でもなければ、影のかかった暗い表情でもなく。
一緒にいたかったという——たった一つの言の葉だったのだ。
とても脆く、だから胸の奥深くに隠し続けていたその生温いものを、他の誰でもない翔奏が壊してしまったからなのだと。
だから。
「……分かりました。本当に、俺でいいんですね」
「ええ。そうでなければ、来てもらった意味がないので」
自分が勘違いをしていたと。
いまさら、気づいた。
31.ずれていたこと




