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26.ここに来た理由

 荒れ果てた参道から舗装された道に出ると、すでに日は暮れかけていて、夕の日が翔奏たちを照らし始めていた。


 四人はそれぞれ山から出るまで一言もしゃべらず、ただひたすらに早く、けれど疲弊した様子で歩く。


 それもそのはずだ。だって――。


「……疲れたな」

「……ああ、いやになるほど」

「…………本当に、ね」

「…………」


 雀の一言で、凛以外の三人はおもむろに口を開ける。


 ()()()()といい、翔奏の奇行といい。桜歌と雀にも迷惑をかけ、申し訳なさそうに翔奏は下を向く。


 だがそれ以上に無表情で、口を固く結んだ人が、翔奏の後ろにはいた。


「……御神さんは、」

「凛でいいです。あたしがこの中で一番、謝らなければいけない人なのですから」

「…………そう、ですか」


 桜歌と一緒に暮らしているという、御神凛。大学院生だというこの人が、この騒動を起こした原因となる人物だった。


 つい数時間前。次の目的地を決めるときに「あたしはここがいいと思うんですけど」と日本三大心霊極地の一角に指定されている零牡寺(れいぼでら)を指定してきたのが凛だった。


 そして実際に、凛だけが謎に乗り気で零牡寺に向かったのだが――。


「じゃあ……凛さんは、()()()()()()()()()()()()

「……その言い方だと、気づいているようですね」

「ええ。……もっと早ければ、なにかできたかもしれませんが」


 桜歌と雀は顔こそはこちらに向けていないものの、耳は傾けているようで黙ったまま翔奏と凛の会話を聞く。


 気づいているというのは、凛の本当の目的が零牡寺に来ることではなかったのか、ということだ。桜歌と凛は同居しているのにもかかわらず、別々に家を出てきた。それは凛なりの桜歌を零牡寺のことに巻き込まないための配慮だったのかもしれないが、だが実際今こうして、桜歌も、翔奏も、雀までもがいる。そして翔奏は実際に洗脳をかけられそうになっていた。


 翔奏は人に詮索をするのも、されるのも嫌いだ。できればしたくない。


 だがこれは、もう少しで大事に至ってしまっていたかもしれないことだ。教えてもらわなければ道理ではないとか、そういう話ではない。


 凛は重々しそうに、息を吸って、吐いて、その固く閉ざそうと決めていただろう記憶に触れる。


「…………桐宮さんには話しましたが、あたしには、彼氏と呼ぶのに値するほど仲のいい男の人の友達がいたんです」

「えっ、凛あんたお付き合いしてる人がいたの?」

「まあ正確には付き合ってはないけど……。とにかく、二人だけで旅行したりとか、時々家に遊びに行ったりとかで、自分で言うのもなんですが、付き合っていてもおかしくはないような人がいまして」


 そこから先は、翔奏が聞いた内容と同じだった。


 ある日、凛が言う彼から食事に誘われた。調べたら結構高いレストランだったからせっかくだったらお洒落をしていこうと思ったのだが彼からいつもの格好でと頼まれて、凛はレストランへと向かおうとした。


 しかし――凛がレストランに辿り着く前に、彼は近所の交差点で車に撥ねられ、亡くなってしまっていた。


 凛が事故現場に着いたときにはすでに跡形もなく処理がされていて、どうしても凛はこれが夢だと疑わずにはいられなくて、無意識に盲目になってあたりに這いつくばり、彼を探した。


 そして、結果的に見つけたのだが――。


「……結婚指輪、でした」

「結婚って、あんた……っ!」

「…………そういうこと、なんですか」


 それで凛はようやく、彼が凛にプロポーズをしようとしていたと、気づいたのだ。

 ――彼が死んだ、後で。


「でも……()は、なにもできませんでした。なにもせず、泣きもせず、ただ何事もないかのような日常を過ごしていました」


 それは一種の現実逃避だったのかも、と凛はいう。

 だが。


「でも、それでも私は彼と一緒にいたかった。最期くらい、隣で迎えたかった。そう思ってるのに……思っている、はずなのに、涙のひと粒も出てこなかったんです。私は――薄情な人間なんです」

「っ…………凛」


 桜歌は一瞬目を見開き、だがすぐに俯く。おそらく家で彼の写真でも見たのだろうか、桜歌の刹那に投げられた視線の先は、誰もいないはずの凛の隣だった。


 初めて聞くには衝撃的な内容で、これですべてが話されたような気にさせられたが――雀は、その違和感を見逃さなかった。


「続けざまに、申し訳ないんですが……。それじゃあ、御神さんの言う彼のことと零牡寺に、そういう関係があるんですか?」


 話術が上手いのだろうか、凛は微妙にその話題を避けようとしていたが……。やはり雀は敏感だ。疲れて回らないはずなのに、すぐにその疑問を呈す。


 すると、別に話す気がなかったというわけではなかったらしく、凛は後ろで遠ざかっていく山をちらりと見てから言う。


「……私は彼の関係者だからという理由で、いろいろと警察から教えられたんです。彼の……死が映っていた防犯カメラの映像こそは見ませんでしたが、やはり彼を轢いた人はなにがなんでも許せなかったので。検死とかの詳細を、聞いたんです」


 あくまで無表情で――だがしかし、仄かに怒りを孕んだような顔で、息を吸う。


「彼は――無人のトラックに、轢かれたんです」

「無人っ!?」

「誰も乗っていなかったってこと……?」

「…………」


 翔奏も桜歌も、黙っているがおそらく雀までもが驚きを隠せず、一斉に凛へと顔を向ける。


「そのトラックが別の防犯カメラの前を走っている映像は見せてもらったのですが……本当に、誰もいませんでした。無人っていうか、よく見るとハンドルも運転席もなくて。助手席とサイドレバーらしきものしか、ありませんでした」

「……でも、ナンバープレートとかを見れば。回収したのなら、そのくらいは分かるはず……」

「ナンバープレートもありませんでした。回収も……したらしいのですが、次の日には保管場所から忽然と消えていて、警察官の方も保管場所への侵入の形跡すらもないとかで、一時は騒然としていました」

「……なにからなにまで、本当に不気味だわね」


 夕日の光は暖かいはずなのに、体内の温度が段々と下がっていく。


 ここは桜歌も、当然翔奏も知らない話だ。ハンドルも運転席も、ましてやナンバープレートすらもない車なんて、一見操縦ができないように見えるし、肝心の運転方法がないのに助手席だけがあるというのも、また本当に不気味だ。


(トラックが消えていたのだって……)


 段々と人通りも多くなり始めたところで、凛は再び語りを続ける。


「それで、警察の人にお願いしたんです。このトラックの出どころを調べてください、と」


 そうしないと、()()()()()()()すらも、できなくなってしまうから。

 凛は見え始めてきた海の水平線を眺める。


「手当たり次第の防犯カメラの映像を掻き集めて、調べてくれました。私も毎日のように警察署に行って、行って、行って……それで、ようやく見つけたんです。どこにあったのかを」

「…………それが――」


 ――零牡寺だった、ということですか。


「……そういうことです。さっきの山道を降りてきたところ以前の映像はありませんでしたが、絶対に、零牡寺で間違いはないです」


 無力感に苛まれたような、絶望したような表情を浮かべ、凛は下を向く。


 きっと凛も、零牡寺で起きた事件は知っていたのだろう。だからこそ「心霊現象」の一言で片付けられてしまい、相手にされない。警察もそこまではきっと、付き合ってくれなかったのだろう。たかが一事件のことで、以前に警察が捜査を終了したはずのところ、つまり零牡寺のことまでもを対応していられるか、と。


 そして凛自身も行くことに引け目を感じていた。自らそんな危険なところに赴いて、もし帰らぬ人となってしまったら。彼は、彼と同じところに自分も来るのを望んでいるのか。そんなことを毎日のように、考えてしまっていたのかもしれない。


「……だからオレたちを巻き込んだんですか? 帰らぬ人となることが怖かったから?」

「っ、雀。その言い方は」

「桐宮さん、いいんです。結局は……多分、そういうことですから」


 自嘲するように言って、凛は空を見上げる。

 翡翠色のエメラルドのような瞳が、太陽に反射する。


()()()は、きっとこうだから。だから……いつまで経っても、だめなんですよね」


 涙こそ出ていないが、眉尻を下げた自分を虐めるようなその表情は、無自覚にも美しく。


 夕日が余計に、凛の目鼻立ちのきれいさを際立たせていた。


 ――と、桜歌はぽつりと呟く。


「……凛は、確かに身勝手よね」

「っ……。そう、よね」

「でも、凛」


 しかし、はっきりと。


「凛は、唯一私の隣にいてくれる人なのよ。怒っても、泣いても、凛しか私にはいない。凛がいなくなったら、私は本当に一人になっちゃう」

「……桜歌、なにが言い、」

「勝手に死んだら、一生恨むからね」


 凛の桜歌を見つめるその瞳が、大きく開かれる。

 それは誓い。それは約束。それは、


 お(まじな)い。


「…………ええ、そうね」


 見開かれた瞳孔が戻るまでの時間を開け、凛は小さく呟く。その言葉は小さかったが、だが確かに聞こえた。


 そして次に、凛は顔こそは向けないものの翔奏に向かって口を開く。


「桐宮さんも……本当に、すみませんでした。あたしの身勝手で、こんなことになってしまって」

「いいですよ。結局、無事だったんですし」


 快く、とはいかないものの、翔奏は凛の言葉に首を振る。


 あの時の感情の正体は、未だに分からない。記憶に覚えてはいるが、まるで見えない誰かの指示をそのまま受け入れてしまっているような、そんな感覚だった。自分の意志にさせられていると言うか、錯覚を覚えさせられている気分だった。


 だが、あの時の感情は本当に自分のものではなかったのかと言うと、それも少し難しいところである。


 なにせ、翔奏は特別になりたいのだから。普通なんて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。


 だからあの時思っていたことは、もしかしたら――。


「ありがとう……ございます」


 嫌われることを覚悟していたのか、凛は少し意表を突かれたような顔をする。


 しかし凛は立ち止まって、


「……ですが、それでもあたしがあたしを許していい理由にはなりません。本当に、今日はごめんなさい」


 今度はしっかりと翔奏の眼を見据えて言った。


 それは自戒の念なのだろうか。それとも翔奏へまっすぐと伝えられた言葉なのだろうか。


 だがどちらにせよ、凛がそのことを肝に置いてくれたのならよいと、翔奏は思った。


「…………。……今日は、さすがに帰りますか」

「だな。山登りなんて久しぶりで腹減ったわ」

「そうね。……ねえ凛、今日の夕飯なんなの?」

「ええっと……シチューね、確か。素は作っておいたから、あとはそれを入れて煮るだけね」

「……美味そう」

「よだれ垂らすな雀、汚い」

「ふふん、凛のご飯はちょーう美味いんだからね? 最高と言っても過言ではないわ」

「そんなことないわよ。まあ桜歌には任せられないけどね」

「っ……。その、昨日はごめんって」

「いいわよ。昨日シチューの素の入ったタッパーを落として台無しにしたのは、許してあげる」

「桜歌……まじか」

「び、便乗するな! あとあんた、微妙に顔逸らすのやめなさい!」

「…………逸らしてないけど?」

「笑ってんのよ! あー本当に雀はいらつくわね、まったく」


 海岸が見えてきて、橙色に煌々と空を染め上げる太陽が、水平線の彼方へと沈んでいく。


 決して笑いなんてしないけれど。そんな関係ではないし、そんな余裕があるわけでもないけれど。


 今はただ、少しでもいいから、浸からせてほしかった。


   *** ***


「…………」


 マンションのエレベータの中。翔奏は疲れ切った足をなんとか動かしながら自分の部屋へと向かう。

 時刻はすでに七時超え。五月とはいえ、さすがに外は暗くなり始めている。なかなか遅くなってしまったことを、まずは少女に謝らないといけない。きっと料理を用意して待ってくれていることだろうし。

 エレベーターが鳴り、目的の階へと着く。翔奏は少し泥にまみれたリュックサックから、鍵を取り出す。

 自室の前に来て、鍵穴にそれを挿し込む。

 すると、なぜだろうか。今日の出来事が想起してきた。


『翔奏さん! 起きてください、遅刻しますよ!』

『みずみずしいは……なまめかし、だったかしら。シク活用だったわよね』

『そのお隣さんってやつに会ってみたいもんだなあ。翔奏、今度紹介してくれよ』

『それじゃあ入りましょうか……。そちらの二人も』


 昼食を摂って。


『もう……なにも、失いたくないんです。嫌なんです、大事にしていたことが、目の前から消えていくのが』

『……翔奏。本当に、なにも話してなかったの? あんたら』


 秘密を知り。


『あたしには、あたしのやるべきことがあるので』

『怖い怖い怖い! 怖いってえええ!』

『かか翔奏、そんなに早く歩くな……!』


 最恐地に行き。


『翔奏、なにやってるんだ⁉』

『あんた戻ってきなさい‼ なにしてんの!』

『……桐宮さんは、バカですね』


 惹かれて。


『御神さん、あんた……』

『別に凛がなにをしたからって、私は嫌いにはならない……いえ、なれないわよ』

『……謝ることしかできない自分が、本当に嫌になりますね』


 そして今ここにいる。

 正直、死んでもおかしくないようなことだってあった。それがなんの引力かは分からないが、これはきっと偶然だ。桜歌たちと遭遇してしまったのも、零牡寺に行ったのも、果ては、今日雀と海に行ったのも。すべて、たまたまに起こったことなんだ。……そう思い込んだ方が、早い。

 だが今更後悔しても遅い。死んでたなら話は別だが、しかし実際、桜歌も雀も凛も、無事だ。それがなによりのことで、当たり前を維持できたんだ。

 翔奏にとっての普通を、維持したんだ。


「……まあ、いいか」


 一度目を瞑って回想に耽った後、翔奏は眼を開けてゆっくりと鍵を回す。

 きっと少女も、怒るかもしれないが翔奏を待ってくれていることだろう。早く入りたい、と願いながら回していると。


「…………は?」


 思わず、そう声を上げてしまった。

 翔奏は慌てて、もう一度同じ方向に回してみる。


「…………なんで」


 鍵が、()()()()()()()()

 確かに方向はあっている。このドアは右回りで開錠するようになっていて、疲れていてもその感覚だけは沁みついている。なにせ中学生のころから住んでいるのだ、間違えるわけがない。

 だが——開かない。

 それがなにを意味するのか。


「……これで、開いたら」


 翔奏は恐怖を前に戦慄したような表情を浮かべながら、あえてそのままドアを押してみる。


 すると——予測していたかのように、開いた。


「っ!」


 こんなことは今まで一度もなかったので、翔奏は困惑していた。自分がやったのか、それとも第三者が勝手に開けたのか。分からないが、翔奏は携帯電話を片手にゆっくりと中に入る。

 なるべく足音を立てないようにして、絶対に消したはずの電気が点灯していたことを見て見ぬふりをしながら進んでいく。

 すると、翔奏の自室のドアが開いているのが見えた。


「金目のものなんて、なにもないぞ? 通帳もここにあるし……」


 だが空き巣や強盗が入ったのだとしたら、おそらくここだろう。考え、考えあぐねた結果、翔奏はキッチンからゆっくりと包丁を取り出す。

 この間のオムライスの時以来使ってこなかったその包丁は、暗闇にあやしく光る。


「…………」


 呼吸を整えて。


「……ッ‼」


 踏み込む。


「誰かいるんだったら出てこいッ‼ こっちは疲れてんだ……」


 だがしかし。

 その暗闇の中には。


「……よ?」


 当然のように、誰もいなかった。


「なんだ……。俺の思い違いだったのか?」


 不審者がいないことに一安心した矢先だった。

 もう一つの疑念が、脳裏を過る。


「待って。それじゃあ……瑞葉さん、は?」


 気づき、明かりをつけた部屋を見渡す。

 見えるところにはもちろん、ベッドの下にも、クローゼットの中にも、机の下にもいなかった。

 さらには、出れないと分かっていてもリビングやキッチン、洗面所を隈なく調べたが、少女は見つからず。


「じゃあ……開いてたのも、点けっぱなしだったのも、まさか……瑞葉さんが?」


 自室を見渡す。

 簡易的な机と椅子、その隣の本棚と、真ん中に敷かれているカーペット。そして青いシーツのベッドがただ置いてある、簡素で無味な空間。


 ――ただ殺風景な光景が、眼の前に広がっていた。




26.ここに来た理由

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