22.禁忌への鍵
「……なんで、桜歌がここに?」
「それはこっちのセリフよ。……なんであんたがここにいるわけ?」
互いに火花をバチバチと散らしながら、桜歌と雀は道端なのにもかかわらず、鋭い目つきで睨み合う。
学校での二人のイメージからはまったくかけ離れた、思わず振り向いてしまうような美貌でもなく、爽やかに笑うクラスの中心的存在でもなく、そこにいたのは今にも嚙みつき合いそうな雰囲気のする猛犬。それが、桜歌と雀の本当の関係だった。
かくいう翔奏は、猛犬を止めるにはどうしたらよいのかとその場で狼狽してしまっていた。
「……あの、お客様? 四名様で、お間違いはないでしょうか?」
しかしそこに、空気が読めないのか、はたまた業務としてなのか分からないが、先ほど店から出てきた店員がその場をかき乱すように声を掛ける。
真面目に答えるとすれば、お間違いがあるに決まっている。こんな雰囲気でまともに昼食を取れるほど精神は強くないし、桜歌と雀だってパンが喉を通らないはずだ。
それならば、どちらかが先に引くのが得策。桜歌はリサーチをしていて予めここにすると決めていたようだし……いやそれは雀もしていたのだが。しかしここは紳士的に、こちらが先に引き下がるのが良いだろう。
まともに周りを見ようともしない雀の代わりに、翔奏は口を開く。
「い、いいえ、四名ではなく、二、」
「はい、四人でお間違いはないです」
「っ⁉」
刹那に聞こえてきた静かにはっきりとした言葉——もとい声に、翔奏はバッと振り返りその発言主を見る。
「……誰?」
桜歌の隣にずっといたらしいその女性が、店員に向かってそう言っていた。
腰辺りまで伸びた黒く艶やかな髪の毛のポニーテールに、目は翡翠色に輝いていて、目鼻立ちは桜歌と同じように整っていた。黒の肩出しのトップス、同じく黒のキュロットを着ていて、日傘も差している一見クールそうな女性だった。
「…………えっと」
しかし、こんなにきれいな人がいたのに、なぜ今の今まで気がつかなかったのだろうか。桜歌と並んでいれば尚更、視えていたはずなのに。翔奏は唖然と、その人を見る。
桜歌と雀も会話は聴こえていたようだがさすがに驚いて、その女性の方向を見た。
「凛⁉ あんた、なに言って……!」
「だって、桜歌ちゃんの知り合いでしょう? それならあたしもご挨拶がしたいもの。分かるでしょう」
「で、でも、私は、」
「桜歌ちゃん?」
「…………」
「いいでしょう?」
「…………好きにすれば」
そっぽを向いてしまった桜歌に、凛と呼ばれた女性はこちらへ一歩、歩み寄る。
「そちらの二人も、大丈夫かしら?」
「は、はあ……俺は、どちらでもいいですけど」
「…………まあ、いいですよ」
いつにも増して暗く答えた雀を一目見て、黒い髪の毛の女性は改めて店員さんに言う。
「すみません、お手間を取らせてしまいまして。四人で大丈夫です」
「はい……では、中へお入りください」
店員も戸惑っているのだろうか、ため息交じりの声で、店奥に向かって「五十三番入りまーす」と声を掛ける。巻き込んでしまって申し訳ないと、翔奏は思う。
窓際の四人席に案内されて、翔奏と雀は桜歌と凛と呼ばれた女性の対面に座る。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。
本来は沈黙の中では会話は生じないはずなのだが——翔奏は、未だに睨み合っている桜歌と雀の間でどんなアイコンタクトが行われているのか、大方予想はついた。
『本当になんでいるの? 私、もともとここに決めてたんですけど』
『知らないわ、オレもここに決めてたんだよ。しかも昨日からずっと』
『私の方が早くに決めてたんですけど? 被らせて来ないでくれますか?』
『だから知らねえって言ってるだろ、二度も言わせるな』
『言ったのはあんたの方でしょ、私のせいにしないでくれます?』
『おめえのせいで言ってるって言ってんだろうがよ……!』
と、そろそろ雀の怒りが沸点に達しそうなところで、例の黒い髪の毛の女性が口を開いた。
「申し遅れました、御神凛と言います。桜歌の親戚っていうか、まあそんなところです。よろしくお願いします」
深々と丁寧に頭を下げる凛を見て、翔奏も自分の名前を口にする。
「えーっと、桐宮翔奏です。隣にいるやつは……」
「…………木蔦雀です」
「っていうやつで、桜歌……さんとは同じクラスで、たまに話させてもらったりしています」
「桐宮さんと、木蔦さんですか。いつも桜歌がお世話になっています」
「だから凛、それは……」
「あたしが言いたいから言っているだけ。別に桜歌のことなにも言ってないでしょう?」
「っ……まあ、そうだけど」
どうやらあちらは凛の方が二枚くらい上手のようで、桜歌は歯を嚙みながら少し肩を落とす。
学校ではトップに君臨する桜歌が、こんなふうに言い負かされるとは。翔奏も桜歌のことはだいぶ知っているつもりでいたが、やはりより近くにいた人の方が相手の内面を深くまで知れるらしい。
翔奏も雀とは長いこと一緒にいるが……。考えてみれば、深くまでは知れていないような気がする。雀自身が話したくないと言うことも大いにあるだろうが、それ以上に近くにいないからなのかもしれない。
(……そばにいる、か)
思い出すように少し目を細めて、翔奏は窓から見える景色を廊下側から覗く。
ふと、逆に通路側を向いていた凛と視線が合う。
見つめ合うわけにもいかず、そのまま逸らそうと思ったのだが。
「桐宮さん、なにか食べたいものありますか?」
「……食べたいもの、ですか?」
「昼食食べに来たのでしょう。それなら、なにか頼んだ方がいいと思ったのですけれど」
「ああ……すみません、メニュー表取ってくれますか?」
「ええ、どうぞ」
まだ傷の一つもない新品のメニュー表を受け取り、翔奏はそれを開く。
そして、一ページ目の大部分を占めて一際大きく宣伝されていた——この店の売りにもなっている商品が、目に入った。
(これが桜歌が言ってたハンバーガーか)
『ほたてバーガー』と称しているそのハンバーガーは、写真で見る限り本場のハンバーガーとも言わせるかのような大きいハンバーガーだった。ほたてが年頃の高校生には人気だろうボリュームで、横にはそれに比べて小さく価格が表示されていた。
ハンバーガーだけにしては高いと感じたが、しかもよく見てみると、どうやらポテトと飲み物もセットでついてくるらしく、それならばと翔奏は納得する。
なんと言っても大きさが大きさなので、食べきれるのか分からないが……。まあ、なんとか食べきろう。
「すみません、じゃあ俺はこれでお願いします」
メニュー表を見せながら『ほたてバーガー』を指さして言うと、凛はポニーテールを揺らしながら興味深そうにそれを見る。
「美味しそうね……。じゃあ、あたしもそれ食べましょうか」
「えっ……その、胃もたれとかは」
「大丈夫よ。大食いは得意な方なの」
涼しい顔でさらっとえげつないことを言うな、と翔奏は一歩身を引く思いで凛を見る。翔奏はあくまで小食なので、さらっと得意と言うのは絶対に無理だ。
凛は翔奏と凛のやり取りをぼうっと眺めていた二人の方を向き、見せるようにメニュー表を前に出す。
「二人はどれにしますか?」
二人は少し考えてから——同時に言った。
「私も『ほたてバーガー』で」
「翔奏が選んだやつで」
「あ」
「え」
「「は?」」
揃った声に、再び互いのことを睨む。
ここからまた言い争いになるか——と、翔奏は身構えたが。
「じゃあ全員『ほたてバーガー』でいいですか?」
「俺はそれで構わないけど、雀は……」
「オレもそれでいいです」
「え?」
「桜歌ちゃんは?」
「私もそれでいいわ。それ食べるって決めてたし」
「じゃあ、注文しちゃいますね。すみません、注文いいですか?」
一瞬敵対意識を見せたように感じたが、意外にも桜歌と雀は素直に自分が選んだものを注文していった。
また口喧嘩になるのかと思ったが……。翔奏と凛のことを考えてか、はたまた自分の意志を貫き通したかったからなのか、それとも言い争いで体力を消耗したくなかったからなのかは分からないが、そこまで二人も感情的にはなっていないようだった。というより、どこか諦めているようにすらも感じていた。
しばらく雑談——主に桜歌と雀の間以外でだが——が続き、数分ほど過ぎるとポテトとハンバーガーが載ったトレーが四人分送られてきた。
「これが翔奏ので、これが凛ので、」
「これオレのかな」
「それ私の」
「…………っふう、まあいいか」
無慈悲に雀からトレーを奪っていく桜歌を見て少し笑いそうになり、なんとか声を出さずに済んだところで。
翔奏は桜歌が置いてくれたトレーの上にある『ほたてハンバーガー』を少し持ってみる。
「……おっも」
最初の感想は、それだった。重量級にしても重すぎるそのハンバーガーは、見た目通りにずっしりとしていて、いかにも食べ応えがありそうだった。
内部の構造は、そこに敷かれた厚いヒールから順に、牛ひき肉の分厚いパティ、溶けたチーズ、たっぷりの焼いて醤油につけられたほたて、レタス、トマト、そこから対照的に、またレタス、ほたて、パティ、チーズ、最後にクラウンが載せられているという、これは人気になるだろうという予想通りの、けれど見るだけで少し食べることに引け目を感じてしまうようなハンバーガーだった。
(これに……今から噛みつくのか)
圧倒されて隣を見ると、雀はすでにそれを口へと運んでいた。
「……美味そうに食うんだな」
「ひっはいうあいはああ、ひえほあっああ」
「だから食べながらしゃべるなって。行儀悪いだろ」
斜め前の凛も口が小さいながらもどんどんと食べ進めていて、美味しそうに少し口角が上がっていた。やっぱり、魚介は美味しいのか。
まじまじとそれを見つめながら、どうしようか考えていると。
「翔奏、それ食べないの? 食べないなら私もらっちゃいたいけど」
「いや、まだ食べないとは一言も……。ん? もらっちゃいたい?」
「うん。もう一個食べたいなあって思って」
「……お前、もう食ったのか?」
「いや当たり前でしょ。こんなに美味しいんだから」
見ると、桜歌の手元からは本当にハンバーガーが消えていた。
手に持っているというわけではなく、本当にすべて口に含んで、そこからすべて噛んで飲み込んだのだ。早さも化け物だし、胃の大きさも化け物だし、なによりこれをもう一つ食べようと言う食欲の深さがすごすぎる。満腹にはならないのだろうか。
しかし翔奏も食べないというわけではないので、持ったハンバーガーを自分に引き寄せる。
「あげないよ、俺食べるし」
「そう……なら、他のを注文しようかしら」
「胃袋ブラックホールかよ……」
若干呆れ気味で返事をしてから、翔奏はもう一度覚悟を決めるためにハンバーガーを見る。
覚悟を、決める。
(尋常に……!)
口を大きく開けて、それを食べると——。
「……っ!」
口の中に転がり込むパティとトマトの酸味、レタスの食感が同時にして、本来のハンバーガーを感じさせる。
そしてその上から覆いかぶさるような蕩けたチーズと、なんといってもほたての弾力、食感、味、すべてが今までのものをかっさらっていく。
それがパンでうまいことに調和されて——一つの、ハンバーガーと言う料理になっていく。
「どう、美味しいでしょう?」
桜歌が若干食い気味に翔奏に訊いてくる。
翔奏はいったん口に含んでいるものを飲み込んでから、
「……美味しい」
「でしょ? このハンバーグのこと知ってからずっと美味しそうだなって思ってたんだよね」
自慢げに話す桜歌を、翔奏はハンバーグを口に運びながら見る。まあ連れてきてもらったのは雀に他ならないのだが、最初に決めていたのは桜歌だと言っていたか。よく開店一週間経たずでここをリサーチできるものだ。
それにしても、食べてみると意外に食が進む。最初はもっと重いものだと思っていたのだが、これは桜歌が言っていたことも分からない気はしない。
と、そうしているとポテトも食べ終わったらしい雀が口を開く。
「ごめん、オレ手洗い行ってくるから。戻ってくるまで待っててくれ」
「ああ、分かった」
翔奏が雀を出させるために一旦席から離れると、雀は事前に確認していたのか迷わずに手洗い場の方向へと向かっていった。
すると、ここでまた。
「……ごめんなさい。私もお手洗いに行ってくるわ。ちょっと待っててね」
「うん、いってらっしゃい、桜歌ちゃん」
おそらく雀と同じタイミングで行きたくなかったのだろうか、桜歌も迷わずに雀が入っていった隣の扉へと消えていった。
残されたのは、翔奏と凛のみ。
「……それにしても美味しいですね、これ」
「ですね。魚介ハンバーガーって初めて食べました」
沈黙。
「……今日空きれいですね」
「ですよね。日傘差さないと日焼けしちゃうので、持ってきていて正解でしたね」
沈黙。
「……今日海行きましたか?」
「ええ。さっき雀と写真撮ってきました」
……また、沈黙。
いや多すぎるだろ、と翔奏は内心で思う。さすがに沈黙のペースが多すぎると言うか、続かない話の話題しか思いつかない。一言二言で終わらせるようなものしか、翔奏には思いつかなかった。
とその時、翔奏は一つの質問を思いついた。
「あの、答えられなかったらいいんですけど……」
「なんですか?」
若干声のトーンを落として、翔奏は言う。
「桜歌と、今日どこで会ったんですか?」
「今日どこでって……。どういうこと、ですか?」
「今朝駅で桜歌と会ったんですけど、その時桜歌は一人だったので。御神さんがどこで桜歌と会ったのかな、って少し気になりまして」
一つの疑問が、それだった。今日桜歌とどこで出会ったのか。それがこの御神凛という人と出会ってからの最大の謎だった
。
しかし凛は簡単に答えるような素振りは見せず、少し顎に手を置いてから思いついたように言う。
「桐宮さん、桜歌ちゃんの……両親が亡くなったことは、ご存じで?」
「……はい、知ってます。昔、桜歌から聞きましたから」
それならば、と頷いた凛は、固く結んでいた口を開く。
「今日……命日でね。桜歌ちゃんは、そのためにわざわざここの近くにまで墓参りに来ていたんです」
「命日……。今日が、ですか」
「そうですね。で、そこにあたしも用があった……っていうか、目的は同じなんですけれど、それでたまたまそこで会って、今に至るっていう感じです」
「……すみません、辛いこと話させてしまって」
「いいえ、大丈夫です。あたしよりも……桜歌の方が、傷は深いと思うので」
どこか静かになりながら言うと、凛は残りのハンバーガーを食べていく。
桜歌の両親は、そう——数年前に、事故で亡くなっている。
数年前のちょうど今日。ゴールデンウィークで家族旅行に出かけていた桜歌たちは、高速道路を走っていたところ対向車線から一台のトラクターが道路を外れて突っ込んできて、車がプレッサーのようにガードレールに押しつぶされてしまった。
咄嗟に庇った母の行動で桜歌はなんとか助かったが、両親は亡くなり、過失致死を犯したトラクターの犯人もまた突発性の病気によって事故を起こしてしまったので、救出されたときにはすでに死んでいた。
つまり、悪者がいない——。誰を恨むことも、誰を責めることもできない。まさに地獄と言う名にふさわしい環境の中に、桜歌は一年間以上いたのだ。
しかしそんな桜歌を引き取ってくれた親戚がいて、その人が今の生活を支えてくれているらしい。
確か、その人の名前は——。
『今いるのは、御神さんっていう人の家なんだけど』
「……御神さんの義妹が、桜歌だったということですか」
「……そこまで考えられるほど、桜歌ちゃんを知っているんですか。……まあ、そういうことですね。だから桜歌もあたしに懐いていますし、あたしも桜歌を……時々、頼ったりしています」
その「時々」という言葉には、なにかプライドが隠れているようにも見えた。
桜歌が凛の義妹だろ言うことは、必然的に凛は大学生以上となる。そこのあたりの……というか、年上の威厳はなんとしても守りたいのだろうか。
少し重い空気になり、食べる手が止まっていると。
「……あたしからも一つ、質問してもいいですか?」
「ええ、好きに訊いてくれればと思いますけど……」
こちらも好きに訊いたのだからそれは当たり前だ、という意味を込めて翔奏は言った。
そんなに翔奏を抉るような質問はこないだろうと、どこかで腹を括っていたのかもしれない。ピンポイントで、翔奏を芯から根こそぎ取るような質問なんて、こないだろうと。
だが、それは唐突に来た。
「桐宮さんは——好きな人が突然いなくなったら、どうしますか?」
「っ!」
好きな人が突然いなくなったら。
そのワードが聴こえた瞬間に、翔奏の中でなにかが、悲鳴を鳴らした。
『ずっと、一緒にいようね。約束だよ?』
『キス、していい?』
『……ありがとう、翔奏くん』
『私はずっと、きみのそばにいるから』
『本当に、大好き』
それは、翔奏にとって禁忌の記憶への鍵となる、たった一つの言の葉だった。
22.禁忌への鍵




