21.同級生との立ち話、親友(自称)との海辺、そして邂逅
翌朝、八時半。
昨日雀と決めた、海岸から少し離れた駅のホームの隅で、翔奏は雀を待っていた。
連休初日の海岸沿い駅の人の量はとんでもなく、外まで人が洪水のように溢れだしている。きっとここが有名な海岸だからというのもあるのだろうが、それにしても去年夏休みに来たときよりも多い気がするのは気のせいだろうか。
翔奏はメッセージアプリで、雀に隅で待っているとの旨を伝える。
暇なので周りを見ると、ふと電車の到着時刻などが書かれた電光掲示板が目に入った。
(次に来る列車って言ってたけど……なんだ、十五分後のやつか)
案外時間がありそうだ。一応英単語帳くらいは持ってきているが、さて一体なにをするべきなのか。
電光掲示板から目を外し、なにかないかと辺りを見回す。
外国人がやけに多いな……なんて、思っていると。
「……っ⁉ 桜歌……?」
駅の入り口——すなわちこちら側へと歩いてくる元友人であり現同級生の藤月桜歌がいた。
亜麻色の腰まである長い髪に、栗色の瞳。普段の学校での様子とは違う「オフ」の恰好——ポニーテールに白基調のシャツ、そして若干水色のロングスカートだ——をしていて、人がごった返しているからこそ目立ちはしないが、学校では廊下を歩くたびにすれ違った人全員を振り向かせるほどの美のオーラを放っている。
しかも定期試験では常に上位、容姿端麗才色兼備と言われたらまず思い浮かぶのが、桜歌だ。
言うなれば、いや言いたくもないが——カースト最上位の人間。それが、藤月桜歌。
(桜歌も、こんなところに来るんだな)
てっきり休日は都会に出ているタイプの人と思っていたが、案外こういうところにも来るらしい。観光目的で来たのか、食べ物目的で来たのか。
それにしても、一緒の日に来るとはまた低確率を引いたものだ。ここは学校から一時間ほど離れた場所。それよりも近い海はあったのだが、翔奏と雀はどちらも遠出をしたいということで、わざわざここに来たのだ。
……もしかすると、桜歌も同じ理由だったりしないだろうか。
「……あ、翔奏。久しぶり」
と、急に声を掛けられたので翔奏はその方向へと顔を向ける。声を掛けてきた人は、言わずもがなだろう。
「久しぶり……って言っても、同じクラスなんだけど」
「まあまあ、細かいことは気にしないで」
少し低めのダウナー系の声で言って、口角を上げる。
桜歌と話すのは、これが数か月ぶりくらいなはずだ。最後は、去年の文化祭の時だったか。翔奏のクラスへと足を運んでくれた時に、少し世間話をしたくらいだ。
昔はよくしゃべっていた記憶があるが……。
「しかし、奇遇だな。こんなところで会うなんて」
「言われてみればそうかも。翔奏は海を見に?」
「見に、っていうか、撮りに、だな。例の奴と待ち合わせをしてる途中」
「あー……なるほどね。大体察した」
どうやらまだ因縁は晴れていないらしく、桜歌は例の奴——言いはしないが分かるだろう——を聞き、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「逆に桜歌はなにをしに?」
「…………」
「……桜歌?」
「……翔奏なら、訊かなくても分かるでしょ」
「……っ!」
桜歌が声量を落として言うと、はっとして翔奏は目を逸らす。
そうだ。考えてみれば、桜歌がここに来てやることなんて一つしかない。声にこそは出さないものの、最初からそれは分かっていたはずだ。
そして、翔奏だけが分かっていたはず。
これは桜歌の中でも踏み込んではいけない——口に出してはいけない領域。だからこそ忘れてはいけなくて、桜歌自身に言わせるなんて以ての外だ。
(なのに……)
微妙な空気の中で、翔奏は重々しく口を開く。
「……ごめん、言わせちゃって」
「ううん、大丈夫。私こそごめんね、空気悪くさせちゃって」
しかし、やはりさすがと言うべきか。翔奏がそう言った時にはもう、その栗色の瞳には悲哀の情はなかった。
優等生と言うか、やはりこういう人は世の中を切り抜いていくのが上手いと思う。今もそうだが翔奏は何度もこの切り替えに助けられてきたし、桜歌といなければ気づけていなかったことも多くあると思う。だからこそ、そんな桜歌が羨ましいのだ。
——特別だから。
「今日は一人か?」
「当然でしょ。他に知ってる人はいないもの」
「それもそうか。……あ、来月の中間試験のことなんだけど、この前の授業の古典の覚え方って、」
「ああそれね。何人からも訊かれたわよ」
「……すまん、説明してくれ」
「いいわよ。あそこの内容はね……」
閑話休題。
「じゃあ、そろそろ行くから。気をつけてね」
「ああ、こちらこそ、気をつけろよ」
互いに手を振り、桜歌はその場を離れた。これから、目的の場所に行ってから最近オープンしたハンバーガー屋に行くらしい。リサーチと実行力がすごすぎる。
だが、どういう心境の変化なのだろうか。桜歌があそこに行くとは。身の回りで何かが起きたのか、それとも。
だが結局は人読みだ。他人が推測して邪な想像を催してしまう方が悪い。だから翔奏はいつものごとく、思考を断ち切る。
と、ちょうどその時。
「……電車来たかな」
例の電車が駅へと着いた。十五分なんてほとんど桜歌との会話に溶けてしまったが、古典についてアドバイスをもらえたのでよしとしよう。
この電車に雀が乗っているはずだと思い、翔奏は目を凝らして出てくる乗客を見ていく。
するとその中で一人だけ、こちらを向いている人物を発見した。
「おー! いたいた翔奏」
「雀、おはよう」
またまたあふれかえる人の中を搔き分けながら、雀はこちらへと来た。「あっつう」と言いながら手持ちの扇風機を持っている様は、まるで旅行客のようだった。
雀は以外にも軽装で、ショルダーバッグを首からかけてリュックを背負い、格好も紺の半袖に黒のズボンという完全に外行の服装だった。
しかし近づいてくるにつれて、雀は表情を訝しげに変える。
「……お前、本当にいたんだな」
「どうした失礼な。幽霊とでも思ったか?」
「いや、そういうんじゃないけど……」
うーん、と唸りながら雀は翔奏をじろじろと見る。
「お前が、こんな早くに学校から一時間もかかる海岸まで来れるかなって、疑問に思っただけっていうか、信じられないっていうか」
「さらっとひどいこと言うな、俺だって本気を出せば七時ぐらいには起きられるに決まってんだろ」
「オレ六時に起きたんだけど」
「……はい?」
続けざまに言ってくる雀に少しキレるふりをして、なんだお前、と歩き始めながら言う。
「お隣さんに起こしてもらったのか?」
「んなわけ。ちゃんと自分で起きたわ」
「おお! ついに翔奏が自立した……!」
「とっくにしてるだろ、多分」
「そうか? たまに自己管理できてないときあるだろ」
「お前には言われたくないかもな」
「ハハッ!」といつものように雀が笑い、翔奏は先を歩いていく。こいつは、どこまでもハイテンションだ。
実を言うと、今翔奏が言ったことは半分嘘で、半分本当だ。
確かにアラームを掛けて七時に起きた。そこから自力で顔を洗って、朝食を食べて、歯を磨いて、着替えもした。
だが、そこからは——。
「最初の数枚だけオレが撮ってもいいか? 一応点検しておきたいから」
「全然いいよ。ていうか、お前の方が多く撮っていいよ? 俺は貸してもらってる身だし」
「大丈夫大丈夫。オレは他の時に、好きなだけ撮ってるから」
ありがとう、と少し遅れ気味に言い、カメラを組み立てる雀を横目に翔奏たちは海岸へと向かう。
思考は、朝へと馳せられた。
*** ***
朝、翔奏は電子音のアラームが鳴る音で目を覚ました。
「んん……?」
瞼をなんとか開けながらアラームの鳴っている端末を手探りで掴む。
電源を一度落としてアラームを消し、再び点けられた画面上に見えるのは。
「七、時……」
その数字を見つめる。
(しち……なな? いや、な……しち、時? ん、時間? 七、時? 七時?)
しばらくしてようやくその意味を理解した翔奏は、毛布を軽く蹴り上げる。
当然だ。予想した時間に起きられたことなど、ここ最近……いや、ここ数年の翔奏には一回もなかったのだから。
声にならない声で、翔奏は喜ぶ。
「っ、やった……!」
「んむう……。どうしたんですか? そんなにけたたましい音を朝から鳴らして……」
しかしその音はベッドの上にいる少女まで起こしてしまったようで、少女は気怠そうな声を出しながら上半身を起き上がらせて眼を擦りながら声をはっきりとさせる。
翔奏は毛布からゆっくりと立ち上がる。
「ごめん、起こしちゃった?」
「……んむう? あ、いや、大丈夫です。翔奏さんのせいじゃありません……うぅん、ありません……」
さすがの眠そうな声に、心配になる。
「……きみはまだ、寝ててもいいけど」
「んむ……いいです、起きます。一回起きたら、起きる主義なので……」
「そう言いながら頭揺らしてるけど……。まあ、いいか」
意識を失いながら眠そうに眼を擦る手を止めている少女を申し訳程度に見て、翔奏は今のうちにと前夜に準備していた外服にさっと着替える。
起きて早々はスマートフォンを見ないようにしているのだが、今日ばかりはメッセージアプリを開いて雀にメッセージを送る。
《起きられたぞおい》
するとまるで驚いた時間を空けたように、
《まじか》
のたった一言が間を置いて返って来た。それだけで、雀が驚愕したことは伝わってきた。
してやったという思いで、翔奏は顔を洗い、簡単な朝食を済ませて歯を磨く。
「……あと十分くらいか」
現時刻は七時ニ十分近く。三十分に出ようと思っていたので、まだ時間には余裕がある。
リュックを背負いに自室に戻ると、案の定と言うべきか少女は横に倒れていた、つまりは寝ていた。
音を立てないように、と静かにリュックを取る。
しかしあと十分ある。受験生としては、なにかをしないと動悸が鳴ってくるほどには追い詰められていた。
——そこで、リュックの中に入ってある単語帳を開いていたら、もしくはすでに家を出ていたならばなにか変わったのかもしれない。
しかしその時翔奏が手に取ったのは、文庫サイズの小説。これが、雀へ伝えた部分の嘘となるところだ。
時間に余裕があるとこいていた翔奏は、小説を広げて——、
寝た。
*** ***
結局はすぐに目覚めた少女に起こしてもらってなんとか無事だったのだが、寝たと自覚した時の心臓がキュッとなる感触は今でも覚えている。それほど衝撃的で、翔奏にとっては大事故だった。
だがしかし、今こうして雀の隣にいる時点でそれは過去のことに過ぎない。そう、だから雀にも伝えなかった。
……なにより、どう起きたのか問い詰められると思うし。
「お、海見えてきたぞ!」
「……本当だ、潮の匂いがする」
と、そんなことを考えているうちに翔奏と雀は海岸へとたどり着く。
駅を降りた人たちの大半が海目当てなので、海岸へ行く道路は車道にはみ出てもおかしくないほどのたくさんの人で溢れかえっていた。ここだけ人口密度が高くなっているんだろうな、とどうでもいいことを思ってしまう。
しかしそうは言っても、海岸に近づいていることで海風も吹くようになってきた。今の季節な微妙だが、おそらく薄い長袖できて正解だったのだろう。隣の雀は身震いをしている。
信号を二つほど渡り、砂への階段を降りると。
「おお! 海だ‼」
「波の音が大きいな」
そこには、どこまでも続く青い地平線があった。潮の匂いが間近でして、波の音もより大きく聴こえ、去年来たばっかりだが、なぜか新鮮だった。
雀がカメラを素早く俺に預け、波打ち際へと走っていく。それはまるで、小さな箱庭から抜け出した鳥のようで。
青い空が余計に、雀を眩しくさせた。
「あいつ、本当に元気だな」
苦笑しながら、翔奏は歩いていく。
言えば、翔奏と雀はもう高校三年生なのだ。こんなことをしていないでとにかく勉強をしなければいけない期間。先生からも講師からも周りからも、四方八方から脅される時期だ。
しかし、実際の高校三年生は今「波でチキンレースだ」とか言って遊んでいる。そこには当然息抜きもあったし、同時に日常から抜け出したという背徳感もあった。その二つが混ざって、なぜだかエモーショナルな気持ちになる。
「おーい、写真撮らないのかぁ?」
波で遊んでいる雀に翔奏は大声で訊く。
「ああ、いいぞ! 勝手に撮ってくれ!」
では遠慮なくと思い、翔奏は雀のカメラの電源を入れる。
画面にメーカのロゴが浮かび、モニターが設定画面に切り替わる。
撮り方を覚えているか、と心配になるが、手癖で思い出してなんとか撮れる状態まで持ってくる。
「最初はなに撮ろうかな……」
と言って周りを見回したものの、最初になにを撮るかは決まっていた。
「雀ー!」
「ん? どうし、」
「3、2、1」
「うわ、ちょ、おお⁉」
「0!」
ファインダーから目を離して画像を確認すると、そこにはバランスを崩して砂に尻もちをつく直前の雀の姿が映っていた。
だが、どうしても手振れと言うか、画角が全体的に斜めになってしまっているため歪んだ世界のような映り方をしてしまっているのがどうしても気になる。一体どうしたら直るのだろうか。
「雀ー、大丈夫か?」
「大丈夫だけど、少しは心配しろよ! 親友だろ?」
「…………」
「おいなんか言え!」
まあそれは冗談として、翔奏は立ち上がった雀の元へと行く。
「ごめんごめん、あんまりにもお前の映りよかったから。立てるか?」
「ああ、立てる。っていうかオレは見世物じゃないからな? 勘違いするなよ?」
「分かった、ごめんって。次は事前に言うから」
「……まあそれなら、いいか」
まんざらでもないように考え込む雀に、翔奏の口角は少し緩む。
こいつを見ていると、本当にいつも——、
「っ、おい、波が来てるぞ! しかもでかいやつ!」
「うおやばいカメラ濡れるって」
「お前それ濡らしたらただじゃすまさねえからな。有り金は対手でも弁償させてもらうぞ」
「俺が壊したことあるか?」
「……ねえな」
「だろ? だから大丈夫……まってあぶねえ!」
「おいふざけんなおらあ!」
受験期とは思えない、あまりにも無邪気な叫び。
こんなの傍から見たら、おかしい人たちだと思われるだろう。今日ばかりはたくさん人がいて誤魔化せたと思うが、しかしこれを同級生になんて見られたら——特に桜歌にでも見られたら、ほぼ雀だが黒歴史もの確定だろう。
だが、それでもよかった。
それでもよかったから、今はとにかく、休める場所が欲しかった。
*** ***
「そろそろ昼飯食べるところ探すか?」
「そう……だね。写真もだいぶ撮ったし、とりあえずはそうしよう」
あのあとはしっかりと本来の目的であった写真を撮り、雀からも斜め画角を直す方法や被写体になってもらいながら、翔奏はこれでもかというほど写真をカードに収めていった。
楽しかったのだろう。よく分からないが、しかし笑ったのは確かだった(主に雀が原因なのだが)。
そして今は、午前十一時。ちょうど飲食店が開業する時間帯で、翔奏は目星があると言う雀にただついて行っていた。
「なんか海岸沿いにあるって書いてあったんだけど、どれかな……」
だがやはりというべきか、そう簡単には見つからないらしく雀は手元のスマートフォンでマップを表示しながら頭を掻いていた。
「写真とかないの? 店の看板みたいな」
「まだできて二、三週間くらいしか経ってないからなあ。調べてもあるかどうか」
「結構最近建てられたんだな」
「そうらしいぞ」
どんなものが売っている店なんだろう。そう思った刹那。
(……なんか、嫌な予感がするな)
翔奏の直感が、翔奏自身に向けてそう告げていた。
最近営業が開始された飲食店——どこかで聞いたことがある。同じかは分からないが、もし同じだった場合は……。
「……なあ、雀。ちょっと遅らせないか? そういえば撮りたい写真思い出して」
「そんなこと言っても、もう遠くまで来ちゃったしなあ」
「い、今でもいいから。だから、ちょっと、」
「あ、あれだ!」
「あっ」
雀が横断歩道を渡って小走りにその店に近づいていく。
看板には、ハンバーガーを彷彿とさせる文言が書いてあり、新築の店という雰囲気も漂っている。
「翔奏、ここだぞ多分!」
「あ……ああ」
震える声で翔奏はそう言う。
こうなったら早く食べて、早々と店を抜けるしか——、
「あ、翔奏! さっきぶりだわね」
「っ…………」
その声は今朝聞いた声とまったく一緒で、少し低いダウナー系の声。なによりもその亜麻色の髪と栗色の瞳が、人物を際立たせている。
翔奏は咄嗟に雀の前に立つ。これで誤魔化せるとは思っていないが、なんとか時間を引き延ばすことができたら、
「あ、ああ、さっきぶり! ええっと、あ」
「——桜歌?」
後ろから、さっきまでの雀とは明らかに違う、トーンの低い声が聴こえた。
——ああ、終わった。
「っ! ……雀、なんで」
しかしその瞬間、ハッとしたように桜歌は眼を見開く。
そうだ。今朝翔奏が言っていたことを思い出したのだ。
『例の奴と待ち合わせをしている途中』
例の奴——それは雀のこと。
そして雀にとっての例の奴は、桜歌のこと。
その二人が今、邂逅してしまった。
遠隔で、バチバチと火花が飛び合う音がする。
どうやら同じ目的だったのは、こちらの方だったみたいだ。
「…………ああ」
二人は睨み合い。
翔奏は終焉を予感し。
もう一人の黒髪の女子は、その光景を見て。
そして、そんな空気を壊すように。
「お客様、四名様でお間違いないでしょうか?」
ドアを開けた店員が、火花が散り合っているとも知らずにそう声を掛けてきたのだ。
21.同級生との立ち話、親友(自称)との海辺、そして邂逅




