20.海の予定と少女の追い打ち
五月の上旬。
段々と暑くなってきた日に、翔奏と雀は通学路を逆走、つまりは下校をしていた。
なんでこんな意味の分からない言い回しをしたのかというと、それは少し難しいのだが……。まあ、雀のせいだ。
雀は翔奏の隣で、大きくため息を吐く。
「……っはぁ、明日からゴールデンウィークだな」
「そうだな。予定ないからこういう長期休み本当に困るんだよな」
と、翔奏の返答を聞いた瞬間、雀の目が不敵にこちらへ向けられる。
「お? 奥さん、今予定がないっておっしゃいましたね?」
「勝手に既婚者にするな、そして奥さんにするな。……まあ、予定はないけど」
「よし、じゃあ遊びに行」
「行かないよ、俺は。外出るのやだし」
「……まあ、お前はそう言うと思っていたよ」
雀からの提案を即座に断り、しかし雀の方は翔奏の回答は想定済みだというように肩を落とす。
そして傾向と対策だと言わんばかりに、もう一度提案する。
「じゃあ、海を見に行くのは?」
「……海って。濡れるから嫌だ、」
「いい写真が撮れるかもよ?」
「…………いやでも、俺は」
「カメラ貸してあげるよ?」
「…………ちょっと、考えさせて」
「っしゃー! ゲットー!」
「行かないよ?」
「ごめんって冗談だって見捨てないでって」
若干呆れを露わにしながらも、翔奏は行こうか行くまいか考える。
翔奏は風景写真の撮影が好きで、その中でもエモーショナルなものを撮るのが趣味だったりする。まあ写真を撮りたくないなんて人はいないとは思うが、しかし翔奏自身はカメラを持っていないので、こうして年に数回雀からカメラを拝借させてもらって、遠くへと出掛けているのだ。
しかも雀のカメラは一眼レフ。中古でありデジタルカメラとは仕様が大きく異なるが、そのレンズに映す色彩鮮やかで精巧な景色はデジタルのレンズとは違う。肉眼に勝るものはないが、翔奏はこういう形に残る物系の産物が好きなのだ。
実を言うと、翔奏もこのゴールデンウィーク中に誘おうとは思っていた。昨年は伝え忘れて無味のゴールデンウィークを過ごしてしまったため、行こうと誘おうとは思っていたのだが。
まあ、承諾してもいいだろう。
「……で、雀はいつ行くつもりなの?」
「お? 行く気になったんだな? 引きこもりゲーマーが外に出るんだな?」
「誰が引きこもりゲーマーだ、それはお前だろ」
「ハハッ! それもそうか。……で、いつ行くのか、だっけ」
「そう。早めに予定は決めておいた方がいいからな」
「うーん、そうだな……」
まさか、「明日行こう」なんて言い出すことはないだろう。ゴールデンウィーク初日だし、翔奏もゆっくりと家で過ごしたいところはあるのだが。
しかし、雀がスマートフォンを開いた時点で、それはフラグに変わった。
「明日とかどうだ? 快晴らしいし、強風も吹いてなくて写真日和だぞ」
「っ……明日? 今、明日って言ったか?」
「ああ。それ以外の日は曇りだったり、雨だったりするからな。低気圧でオレもダウンするかもしれないしさ」
「……そっか、お前低気圧弱いんだったな」
「そうそう。だからオレ的には明日にしてくれたらありがたい限りなんだけど……」
ゆっくりしたかったが、雀が他の日だと寝込んでしまう可能性があると聞き、翔奏もその状態の雀を連れて行くほど自分本位の人間ではないので、それなら仕方がないと妥協する。
「分かった。じゃあそれでいいよ」
「おお! ありがとう親友よ、好きになりそう」
「気持ち悪い」
「……その一言だけなのやめれない?」
それから翔奏と雀は、駅に着くまでに明日の予定を立てていく。
「何時にする?」
「まあ、せめて正午くらいで……」
「なに言ってんだ、昼飯食べるんだから九時だろ。明るい海岸は最高だぞ」
「……なるほどね」
そんな調子で話し合い、待ち合わせ場所はどこにしようか、昼食はどうしようか、海でなにをしようか、帰りはどうしようか、など、先日のウィンドウショッピングとは一変、細かい予定を立てていく。
やっぱり雀は予定は刻んで立てるタイプの人間だ。ウィンドウショッピングは、本当に翔奏を元気づけるためのものだったのだろうか。
十数分で一通りの予定は立て終わり、二人は駅で別れる。
「じゃあ、また明日」
「おう、親友よ、また明日」
軽く手を振り、翔奏は雀とは反対方向のホームへと進んでいく。
そう言えば、明日のことは少女にも伝えておかなければいけない。外出することや昼食は要らないことなど、必要な情報を交換することは大事だ。
帰ってからのことをぼんやりと考えながら、翔奏は電車の座席に深く腰を掛けた。
*** ***
「海、ですか?」
少女はきょとんと首を傾げる。
自室にて、翔奏は少女に明日の説明をしていた。
「そう。年に数回友達と海とか山とかに言って写真撮ってて、今日の帰りにゴールデンウィーク中に行こうってなった」
「……なるほど。それで明日になった、と」
「まあ最も俺はなにも初日じゃなくてもいいって思ったんだけど、友達が低気圧に弱いらしくて。さすがに体調の悪いやつを連れ出したくはないから」
確かにそれならそうですね、と少女は頷く。
「それで、明日は昼食は要らないとのことでしたが?」
「……だね、申し訳ないけど、そうしてもらいたい。食材が余ってるとかだったら、帰ってからでも全然食べるから」
「いえ、それは大丈夫ですよ。奈緒さ……看護師さんに食べてもらいますので。意外と喜んでもらえるんですよ」
「アットホームだな」
「ですね。そんなに親しくなるものではないと思うのですが、なんせ私は付き合いが長いので」
そうなれば、看護師としてもありがたい限りだろう。看護師は業務は大変で夜勤のケースも少なくなく、それに加えて簡素な食事しか食べられないことが多いと聞く。しかしそこに美味しい食事が一つ入るだけで、案外やる気が出るものではないのだろうか。勝手な憶測でしかないが、少女の料理を思うと決して過言ではないと思う。
少女は優しいな、と翔奏は思う。優しい、というか無意識のうちに気配りができているのだ。なかなか難しいことだと思うのだが、それを少女はさっとやってのけるのだ。
少女は頬を赤らめ、首を少し折りながら微笑む。
包み込むような紅い瞳が翔奏を見る。
「夜ご飯は作っておきますから、しっかりと帰ってきてくださいね?」
「っ……! ……お、おう。そうする」
その微笑に不覚にも心臓が高鳴り、かわいいと思ってしまったのは、きっと疲れているからだろう。今日は特になにもなかったが、現代人はいつも疲れているのだ。そう、これはきっと疲れているだけ。
しかし一体どうしたものか、少女は更に追い打ちをかけてくる。
「ふふっ、まるでお嫁さんみたいですね」
「っ⁉ な、ななななななに言ってんだ⁉」
突如として少女の口から放たれたその言葉に、翔奏の心臓は不意にドキリと音を立てる。
いや確かに思った。確かにお嫁さんみたいだなとは翔奏も思った。けれどそれをわざわざ口に出すことがあるのだろうか。これは後で自身の発言を思い出して羞恥にかられるやつなのではないのだろうか?
少女は頬を紅潮させながらこちらを見つめる一方で、翔奏はどうしたものかとため息を吐きながら考える。
(……とりあえず、話題を変えなきゃ)
そう思い、翔奏は口を開く。
「み……瑞葉さんは、さ。海とかを見に行ったことってある?」
「海ですか……そうですね、あんまりありませんね」
話題を変えると少女は一瞬目を丸くし、だが次に紅潮も引いていていつもの少女に戻っていた。
翔奏は驚きながらも安堵する。
「本当に写真で見るくらいで。一回行ってみたいと思いますけど、なかなか機会がなくて」
「写真って、どんなやつ?」
「えーっと、ちょっと待ってくださいね……」
言うと、少女は机の方に走り、高さがある引き出しから一冊の本を取り出す。
表紙には、有名な海岸の写真が載せられていた。
「これ、ですね。だいぶ前に買ったものなんですけど、たまに風景画が見たくなったときに見ています」
「……開いてみてもいい?」
「ええ、どうぞ」
丁寧に受け取り、翔奏は一ページ目を開く。
「っ、すごい……!」
そこには長野県軽井沢の森林の風景があり、色彩鮮やかでずっと見ているとまるで自分がそこにいるかのような感覚に引きずり込まれる。肉眼で見たように、違和感がない。
右下の端には小さく「長野県軽井沢町」と記されているだけで、ただ眼前にあった景色だけをそのまま伝えたいがための写真集だと、すぐに気づいた。
「これってそんなにすごいんですか? 誰か著名な写真家さんが撮っているとか……」
「いや、そうじゃないんだけどさ。……なんていうか、吸い込まれるみたいな風景だから、思わず」
翔奏が言うと、少女はそれに頷く。
「あー、確かにそれは分かります。なんていうか、まるで見る人に疑似体験をしてもらうような写真というか。私も初めて見た時は驚きました」
「でしょ? 色も調整されているのかは分からないけど、全然違和感がないし」
少女が覗き込んだので、翔奏は少し左に顔をずらして少女とそれを見る。
どの写真も緻密に色の調整が行われていて、まるで違和感がなくすっと脳が受け入れられるような写真ばかりだった。しかし最後に出てきた写真家の名前には聞き覚えがなく、翔奏はそれに余計に驚いた。
ありがとう、と言って翔奏はそれを少女に手渡す。
「それ、書店で買ったの?」
「そうですけど、本当にたまたまあっただけで。ちょうど写真集が欲しいって思っていたからちょうどいいなって思って買っただけです」
「偶然ってすごいな……」
言えば、その偶然が今の翔奏の脳裏に焼き付けられている写真なのだ。偶然というものは、思っている以上に力を持っているのかもしれない。
「それでは、私は料理を作ってきますので。待っていてください」
「うん、分かった」
「ではー……あ、テーブル出しておいてください」
「あいよ」
手軽くやり取りを済ませ、少女は部屋から出て行く。その先は、きっと廊下につながっているのだろう。
一人になった翔奏は、ベッドに仰向けに寝る。
天井を仰いでいると、一つの言葉が脳内を過る。
『ふふっ、まるでお嫁さんみたいですね』
「……あれ、どういうことなんだろう」
少女はそういうことを言うタイプではないし、思っていなさそうな雰囲気を常日頃醸し出している。そういうことを言ったら怒られそうな……というか、単純に気持ち悪がる人だと思う。
しかし、それを自分から言い出すとは。翔奏も引きはしなかったが、どこかの爽やかな自称親友があんなことを言うものなら気持ち悪すぎて鳥肌を立てながらひっくり返ってしまうだろう。想像するだけでも、寒気が止まらない。
それに……あの時の少女は、なにか変だった。洗脳されているというか、頬の紅潮もまるで熱が出ているように紅かった。体調がすぐれないのならご飯を作らせるつもりはなかったのだが、しかし話題を変えた途端に頬の紅潮が引いた。まるで、不思議な現象を見ているかのようだった。
(……そういえば、どこかの誰かも変な時に頬が眼よりも紅くなってたっけ)
と、そう考えようとしたとき、タイミングよくまだリュックの中にあるスマートフォンが通知を鳴らした。
まあ予想はできたものの、渋々という感じで上半身を起こし、音の鳴った物体を取り出す。
メッセージアプリの一番上には、新規のメッセージとして予想通りの奴から一言届いていた。
《明日もし遅刻しそうなら、お隣さんにでも起こしてもらえ》
「お隣さん……ああ、そういうことか」
文章を読んで、その意味に気づく。
先日少女へのプレゼントを選ぶために雀とショッピングモールを歩いていた時に、雀にはおおまかだが誰に上げるのかは伝えていた。その中で伝えた少女の立ち位置が、
『女子って言っても、誰に渡すんだ? 好きな人?』
『ちげえわ。まあ、なんていうか……隣にいる人、というか』
隣にいる人、つまりはお隣さんというわけだった。
間違いは言っていないのだが、翔奏の妙な言い回しに雀は首を傾げていた。
まあそれで、こんなメッセージが翔奏の元へと届いた、というわけだ。
翔奏は即座に返信を返す。
《お隣さんに起こしてもらえると言う奴の方がどうかしてる》
それだけを送り、翔奏は電源を切り明日海に持って行くためのショルダーバッグの中にそれを入れる。
確かに少女に起こしてもらうというのもなしではないのだが、さすがに男としてのプライドが駄目だと言っている。年下の女の子に起こされてはいけない、自力で起きなければいけない、と。
「……まあ、保険でな」
小さく呟きながら、先ほどしまったスマートフォンを再び取り出してタイマーを設定する。
設定時刻は、七時。
「……絶対に起きてやるからな」
今日は夜更かしをしないでしっかりと寝よう。誰かを驚かせようと、翔奏は決心した。
20.海の予定と少女の追い打ち




