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19.かけられた言葉

 瞼を開けると、そこは知っているベッドだった。


 瞳に映ったのは見慣れた天井、けれど最近は見ていない、どこか懐かしいような景色で、翔奏はしばらく眼前の風景に呆ける。

 久しぶりのベッドなことを、堪能する。


(……ん? ベッド?)


 と、段々と思考が覚醒してきて、翔奏はこの状況のおかしさに気づいていく。

 ベッドで翔奏が寝ている。つまり、少女は——。

 飛び起きるように上半身を起こして、辺りを見回すと、


「っ、瑞葉さん?」


 いつもは翔奏が座っているはずの椅子の上に、少女が座っていた。


 背中を曲げて、どううやら机に突っ伏して寝ているように見えるが、しかしいつもとは違う視点で少女を見ていることに違和感を覚え、翔奏は掛かっていた羽毛を退かして体の向きを変え、床に足を着かせる。

 静かに、少女の元へと歩く。


「……瑞葉さん」

「…………、」


 音を立てないようにして近づき声を掛けるも返事はなく、翔奏は少し肩を揺らしてみる。

 しかし黒いストレートの髪が艶やかに揺れるだけで、少女が目を開ける様子は一向にない。というか、より熟睡してしまったのか、気持ちよく寝息まで立てている。


 ならば……、と翔奏は思い、そっと少女の頬へと手を伸ばす。

 触れる寸前で手を止め、


「えいっ」

「ひゃああ⁉」


 つん、と少女の頬を軽く触った。

 すると少女が訊いたこともないような高音とともに即座に目を覚まし、翔奏はすぐに手を引きながら一歩後ずさる。

 突然起こされた少女は状況が何なのか呑み込めていないらしく、椅子の上で「えっ、とー……」と困惑を露わにしている。


 少しやりすぎただろうか。今ならまだ弁解の余地があるとは思うが……。

 だが迷っている間にも、また変な想像をしたのだろうか、少女は段々と顔を赤らめていき、しまいには今さっき翔奏に触られた頬を手で押さえて口を震わせる。


 さすがにまずいと判断し、翔奏は口を開こうとする。


「ごめん、瑞葉さん、これ実は、」

「か、翔奏さん……、まさか今度こそ本当に、私をベッドに連れ込もうと……!」

「あの、いや、違くて」

「これで二度目ですよね⁉ ……で、ですが、やはり最初は少し準備をしてからではないと、私も、困ると言いますか……」


 言わんこっちゃない。絶対にこうなるのだ。


「だだだ、だから、少し待っていただけると、うれしいといいますか……」

「瑞葉さん? 人の話を聞いて?」

「でもやっぱり、翔奏さんにはそういう趣味があったんですね……私もできる限り、努力はするので、」

「っだから違うって! ごめん、悪戯心があっただけだから、勘弁してくれ!」


 翔奏が端的にそう説明すると、少女は一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


「……本当、ですか?」

「本当だから! 襲おうとかそんな考え一切持ってないから!」

「…………そう、ですよね。すみません」


 気恥ずかしさからか少し赤らみは残っているものの、少女は頬をいつもの色に戻して深く吐息する。というかすぐにそういう系の発想に至るのはどのようなものだろうか。一体どこでそんなことを教えてもらったのやら。

 時計をちらっと見る。


「ちなみに、瑞葉さん。なんで俺がベッドで寝てたの?」

「……え、嘘でしょ」


 いつもは少女がベッドの上、翔奏が床の上で寝るという構図で毎夜を過ごしているのだが、今日だけは違うことに翔奏は違和感を覚え、少女にそう訊いた。

 しかし単純な疑問に返って来たのはそんな呆れの言葉で、少女はジト目になりながらもため息を吐きかけながら言う。


「翔奏さんが、ドアの外で倒れていたんですよ。なかなか戻ってこないから何事かと思ったらドアの前で倒れていて……」

「……そう、なの?」

「はい、そうですけど」


 言い出された言葉を羅列しても翔奏自身の記憶が掘り出されなく、首を傾げながら聞く。自分はいったい、なにをしていたのだろうか?


 まずは帰宅時からだ。今日は少女が遅くなるということで、自分で夕食を作るように言われていた。キッチンに立って考えてみるも、カルボナーラはさすがにやめて簡単そうなオムライスを選択した。


 しかしそこでオムライスに使う食材が足りないことが判明し、近くのスーパーマーケットまで買いに行った。そこでたまたま夏織と会い、世間話をしながら帰って来た。


 そして——、


「……っ!」


 刹那、翔奏の脳内に今までの記憶がフラッシュバックする。


 思い出した。翔奏はオムライスを作り、()()()()()()()()()()に絶望し——。


 ——翔奏の中の特別が、折れた。


 ——なにもかも、特別も、たった一欠けらだけあったはずのものも、すべて吐く。


 ——台に向かって、嘔吐する。


 吐いたんだ。


 たった一つだけ——唯一特別だと思っていたことが、いつの間にか普通に変わってしまっていたことに気づいて。


(俺は……、……吐い、たんだ…………)


「……翔奏さん? 大丈夫ですか?」

「あ……、ああ、大丈夫だから」


 少女が心配そうな顔で覗き込むも、翔奏は深呼吸をして思考を落ち着かせる。


 そうすると、想像だが今まで翔奏がベッドの上で眠っていたことにも合点がいく。混濁状態の翔奏は自室に戻ろうとするも、ドアノブに手が届かなくそこで式意識を失ってしまう。それをすでに部屋に戻っていた少女が発見し、少女が翔奏をベッドまで運んだ。

 所詮妄想で自室は分からないが、きっとそうだろう。


 だとしたら、少女にはきっと迷惑をかけたに違いない。仮にも男子高校生を女子がベッドまで運ぶとなると、相当な重労働だろう。そして疲れたからこそ、机の上で眠ってしまっていたのだ。


「……ごめん、瑞葉さん。迷惑かけたよね」

「い、いえ、そんなことは……。今はもう、大丈夫なんですよね?」

「おかげさまで。だいぶ落ち着いた……っていうか、楽になった」

「……? ……まあ、それなら、よかったです」


 翔奏の言い回しに違和感を覚えながらも、ため息を吐きながら少女は安堵する。


 時間が経つと落ち着くとはまさにこのことで、翔奏の心境は先ほど吐いたときとは一変して元に戻っていた。思い出すたびに呼吸が苦しくなるが、これもきっと時間が経てば直るだろう。


 一種の諦めというか、どうしようもない事実を前にしてなんとか進めていた足を止めてしまったような。


 だが、一時的な療法としてはそれでよかった。例えそれが刹那の錯覚だとしても、それしかなかった。


 ——そうなることを、願うしかなかった。


 翔奏の不穏な雰囲気を察知したのだろうか、少女は顔を少し俯かせる。

 そして、意を決したように固唾をのむ音が聞こえた。


「あの、翔奏さん。実は、」

「もう遅いし寝ようか。明日も学校あるし、きみだって寝ないとそっちの人たちに怒られるでしょ?」

「あ、…………。……はい、そうですね。寝ましょう」


 翔奏はそれを意図しなく遮るように言い、床に簡易ベッドの準備をする。


 さっき起きた時点で午前二時、連日学校のある学生にとっては、夜更かしもいい時間だ。少女だって看護師に怒られるだろうし、なにより夜遅くまで起きていることは肌荒れの原因になるだろう(気にしているかは分からないが)。


 少女はどこか靄のかかった表情を浮かべながら、先ほどまで翔奏が寝ていたベッドへと移動する。

 しかしその感情に疲れ切った翔奏が気づくわけもなく、そのままスイッチの前まで移動する。


「じゃあ、消すからね」

「はい……あ、ちょっと待ってください」


 だが少女はなにを思ったのだろうか、横たわろうとした身体を急いで起こして、翔奏の前まで駆け寄る。


「絶対に、自分を卑下しないでください。あなたは優しくて、とても暖かい人ですから」

「……えっと、急にどうしたの?」


 突然にかけられた言葉に意味が咀嚼できなくて訊き返すが、少女はそれに応える間もなくベッドへと再び駆ける。

 そして髪を靡かせながら振り返り、


「とにかく、自らを自らで責めないでください。責めてほしい時は、私が責めて差し上げますから」


 その言葉を最後に、少女はベッドの羽毛を勢いよく被った。風が舞い、部屋の中には呆然と立ち尽くした翔奏だけが取り残される。


「…………なんなんだ?」


 なぜ急に翔奏が自身を責めているとか、卑下しているとか、そういう話になるのだろうか。思い当たるところはあるものの、少女にはあまりそういう姿を見せたことはないはずで、直近で探すと数時間ほど前の吐いたときくらいだ。


 まさかそれを見たのか……? とも思ったが、すぐに首を横に振る。


 翔奏は少女の世界に、少女は翔奏の世界には干渉ができないはずで、互いの部屋にある者はその人が振れたところを見た瞬間にこちらにも見えるようになるし、触れるようになるのだ。翔奏が吐いたのは洗面所で、まさかそこまで足を運べたとは考えづらい。


(だとしたら、どうしてあんなことを……)


 考えてみるも、少女の思考の糸口すら掴めない。たまたま思いついて言ったのだとしたら、それもまたなんでなのだろう。

 結局その時は、部屋の明かりを消して首を傾げることしかできなかった。



 まさか、少女が見ているとはつゆほども知らずに。



 翔奏は、眠りについた。




19.かけられた言葉

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