16.約束をした日
瑞葉は翔奏が帰ってからというものの、ずっとどこか落ち着きのない様子で部屋の中をうろうろとしていた。
翔奏が風呂に入った後も、飯を食った後も、勉強をしているときも。本当に心配になってくるほど、瑞葉は落ち着きがなかった。
ついに痺れを切らして、翔奏は訊く。
「……なあ、瑞葉。どうしたんださっきから」
「ん⁉ ……な、なにが?」
しかしどうもはぐらかすつもりのようで、瑞葉は翔奏から目を逸らす。
うさぎを模したパジャマのフードの耳部分は忙しなく揺れ、謎の緊張がこちらにまで伝わってくるようだった。
「はぐらかすな、さすがに分かる。……なんか、話したいことでもあるのか?」
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「じゃあなんだ? 気になりすぎて、勉強も捗らないんだけど」
「そ、それはごめんって。だけど本当に話したいことがあるんじゃなくて」
「じゃなくて、だったらなんなんだ?」
少し目線を鋭くして、翔奏は訊く。
しかしそれでも、瑞葉はなかなか言い出そうとしない。まるで告白直前みたいな緊張感が、空気に流れている。
いやまさか、と翔奏は思う。告白なんて、そんなことを瑞葉が翔奏にするわけないのだから。
だが、心なしか瑞葉の顔は赤くなっているように見える。いつもよりもいい匂いがする、というか、気合の入り方が違うと翔奏は思った。
しかし、だからといってありもしない妄想を広げるのはご法度だ。相手の気持ちを勝手に推し量るなんて、浅慮もいいところではないのか。
それならなんで——と、翔奏は思うが。
「と、とにかく! 翔奏くんは、なにも気にする必要なんてないから、勉強に集中してて」
「いやだから、気が散っちゃって集中できないんだけど……」
「じゃあ小説読んでるから。これなら、気にならないでしょ?」
「……うん、まあ、そうだな」
知りたいところはありすぎるが、瑞葉が教えたくないのなら無理に聞き出す必要もない。
まあそれに、翔奏に関係のある事ならばいつか話してくれるだろう。そんな気長な思考をしながら、翔奏は勉強に戻った。
しかし、瑞葉はそれを言い出さないまま、気づけば二日が経っていた。
時折翔奏が瑞葉を注視すると、やはりどこか落ち着かないような表情でベッドに座ったり、ぼーっと窓を眺めたり、純愛ラノベを開きながら天井を見ていたりと、不思議な行動しかしていなかった。
困惑よりも心配が勝り、声を掛けるも、
「大丈夫だから。翔奏くんは気にしなくていいよ」
の一点張りだった。
しかしそう言われたからには引かざるを得なくなり、翔奏は靄のかかった気持ちを抱えながら二日間を過ごした。
事が起こったのは三日目だった。
いつものように学校から帰宅すると、
「っ、瑞葉?」
そこには、瑞葉がいなかった。
これまでは、帰ってくればいつもベッドの上にいたり、椅子の上にいたり、無遠慮に本棚をあさっていたりと自由な行動をしていた瑞葉が、今日ばかりはどこにも見当たらなかったのだ。
机の下を覗くもいなく、ベッドの下にもいない。部屋のどこを探してもいなく、翔奏の中の焦燥が大きくなっていく。
驚かそうとしているのだろうか。それだけならばいいのだが、もしどこか知らないところにでも行ってしまっていたりなんかしたら——。
「……落ち着け。きっと、少し外に出ているだけだ」
だがどうやって? あのパジャマ姿で外に出たとは、到底思えない。まず人に見せられるような恰好ではないと思うし(かわいいのだが)、第一変質者に襲われる可能性がある。
鼓動が、煩くなっていく。
(……探しに行かなきゃ)
そう玄関へと踵を返そうとしたところで、
「翔奏くん! もう帰ってたんだ」
「っ!」
いつもの、優しくて思わず甘えてしまいそうな、鈴を転がすような声がした。
声のした方向をバッと振り返る。
「瑞葉! どこ行ってたんだ⁉」
「ど、どこって……少し、外に出てただけだけど」
翔奏の剣幕に押されたように、瑞葉は少し背中を逸らせる。
だがすぐに翔奏の心配が分かったように、瑞葉は翔奏の頭の上に優しく手を置く。
翔奏は、一瞬目を見開く。
「ごめんね、心配かけちゃった?」
「……ううん、俺も、ごめん。考えすぎた」
前まではこういうことにも抵抗していたが、最近はどうも慣れてしまったというべきなのか、その掌が心地よくて、気づけば身を預けていることも多かった。
実感する。大事に想っている人が近くにいないだけで、こんなにも人は動揺するのだろうか、と。それは今までなかった気持ちで、瑞葉の優しくなでる手が、それを分からせているようだった。
こういうときに、悔しいが本当に瑞葉は年上なんだな、と思うのも、事実だった。
「どこ行ってたの?」
「んー? ちょっと、買い物にね」
「買い物……あ」
言われて最近の違和感に気づく。
瑞葉はあまり外出を好まない。日の光に当たりたくないとかで、朝は結構機嫌が悪く、ずっと「むすぅ……」という顔をしているほどだ。
その瑞葉が、外出をしたのだ。前々から予定は決めていたことだろうし、だからこそ瑞葉はここ最近落ち着きがなかったんだ。
翔奏は、そう結論付ける。
「そういうこと。だからか……」
「……ねえ、翔奏くん」
「ん?」
「なにか、他に気づくことない?」
「気づくこと? どこか……、っ……!」
言われて、翔奏は瑞葉がなにを指しているのか分かる。
今の瑞葉の恰好は、いつものゆるいアニマルパジャマ姿ではなく、外出用のしっかりとしたコーディネートだった。
細いラインに沿って履かれた、足首ほどの白いソックス。ベージュの短いキュロットスカートに、アルファベットが書かれたワンポイントの黒いパーカー、花の柄ついた白ベースのシャツ。そして、黒いキャップという女の子らしい服装が、どうも瑞葉という人柄を強調させているように思えた。
そしてなにより——こういう服が翔奏の好みなんだと、初めて気がついた。
瑞葉の上がっていく口角に気づけなかったのが、この時の翔奏の一番の失態だった。
「……そんなにジロジロ見て。写真でも撮らせてあげようか?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「でも、こういう服かわいいなって思ったでしょ?」
「それは、まあ…………思わないことも、ないけど」
こういうときに素直に自分の気持ちが言えないことが、翔奏の人間関係の発展を著しく遅らせてきた要因とも言えよう。
しかし、瑞葉はそんな言葉に、心底うれしそうに顔を明るくさせる。
「ほんとっ⁉ よかったぁ、この服にしておいて」
そしてそんな少し跳ねている瑞葉を見ていると、いつの間にかさっきの焦燥は去っていた。
ふと、翔奏は瑞葉が右手に持っているものが気になり、訊く。
「そういえば、なんだけど……。それ、なに?」
翔奏が指したのは、小さくも高級そうな、ブランドのロゴが入っている紙袋だった。
一見瑞葉はそういうブランドものには興味が薄いと思っていたのだが、ひょっとしたら結構買っていたりするのだろうか。……と言っても、そんなのを見たことすらないが。
瑞葉は自分の右手を見て、「……そうだった」と小さい声で呟く。
途端に、動きがぎこちなくなる。
「えっとー……その、翔奏くん」
「……はい」
なんだ、突然改まった感じで。というか、さっきまではいつもの瑞葉だったが、右手のものを訊いた瞬間に昨日までに戻った気がする。
一体どうしたんだ。そう思いながら、瑞葉を見つめていると。
「た……」
「……た?」
「た、ん……」
「…………?」
刹那、覚悟を決めたように目を瞑り、
「誕生日おめでとう、翔奏くん!」
そう言いながら、紙袋を両手で持って俺に突き出してきた。
「たんじょうび……?」
まるで初めて口に出す単語のように声を出すと、瑞葉の顔が曇り、
「え……もしかして、きみの誕生日今日じゃなかった?」
「い、いや、合ってるけど」
あまりにも突然のことに、翔奏は困惑する。
誕生日。すっかり、そのワードが頭から抜けていた。確かに今日は翔奏の誕生日で、瑞葉は決して間違ってなどいない。むしろ、祝われた翔奏はうれしいはずなのだ。
誕生日プレゼント、という認識でいいのだろうか。おもむろに差し出されるそれを、翔奏はなるべく丁寧に手に取る。
「これ……俺が、もらっていいの?」
「もちろん! きみのために買ってきたんだし、気に入ってくれたらうれしいんだけど……」
若干上目遣いな瑞葉に、不覚にもドキリとさせられてしまう。服装も相まって、どこか新鮮で、それでいて断れないような雰囲気を感じた。もともと断るつもりなんて毛頭なかったが。
開けていいのか、という視線を送ると、瑞葉は頷く。
丁寧に、中の箱を取り出す。
「……包装、解くよ」
「うん」
紙袋を机に置き、リボンで結ばれた小説ほどのサイズの箱を開ける。
中には、黒い財布が丁寧に敷かれた緩衝材の上に置かれていた。
「財布って……もしかして、先月の」
「そうだよ。あの時、きみに訊いたもの」
そういえば先月、突然に「なにが欲しい?」と訊かれた。数分考え「財布かなあ」と言うと、瑞葉は「ねえねえ私は? 私は欲しくないの?」と迫られたので、適当にあしらった記憶がある。
あの時に言った財布。しかも、革製の丈夫なもの。俺の趣味に合わせたように、無地の黒色だった。
瑞葉を見ると、不安そうな顔で翔奏の顔を覗き込んでいた。
「どう? 気に入った……?」
翔奏は目を閉じ、呼吸を整える。
そして目の前の瑞葉を見据え、言う。
「……すごく、うれしい。本当にありがとう」
素直な気持ちを——瞬間的に感じた、今だからこそ言える想いを、口に出した。
すると案外気持ちの良いもので、翔奏は花が咲くように微笑む瑞葉を、今度こそ正面から見ることができた。
「~~~! 翔奏くん、大好きっ‼」
「ちょ、瑞葉⁉」
しかし瑞葉の方は想いが爆発してしまったようで、いきなり翔奏に抱き着いてくる。
なんとか瑞葉を受け止め、財布も落とさずに済んだ翔奏は、今日くらいはこの気持ちに応えなければ、と瑞葉の背中に手を回す。
「これも、私からのプレゼントだよ。翔奏くん」
「……っ!」
耳元で囁かれた吐息を多く含んだ声に、思い出す。
(そういえば、適当にあしらった時……)
あの時、確かに翔奏は「じゃあ瑞葉もね、はいはい」と言った。そもそも言葉の意味が分からなかったし、実現するとしても、しようがないのではないのか、と思っていた。
それが、こんな形でもらうことができるなんて。
「本当に、大好き」
耳に入ってくる息の量に、思わず顔を赤くする。
そして——瑞葉は、こう言ったのだ。
「ずっと、一緒にいようね。約束だよ?」
ずっと、一緒。それは人生で初めていわれた言葉で、普通の翔奏にとって——唯一、確固たる約束ができた瞬間だった。
翔奏は、ゆっくりと口を開く。
「約束、だな」
瑞葉が、天使のように微笑む。
鼓動、吐息、温度、湿度。瑞葉を感じられるだけで、翔奏は本当にうれしかった。
——その後、自分たちの行動に赤面しながら瑞葉が途中で買ってきたケーキを食べたのは、いうまでもないだろう。
16.約束をした日




