10.睡眠議論と学食の二人
「じゃあおやすみ、みずはさん」
「おやすみなさい、翔奏さん」
風呂も上がり歯も磨き、時計が十二時を指そうとしたとき。昨日の教訓を活かしてギリギリ健康的な時間に寝ようとそれぞれの床に入った翔奏と少女は、電気を消して目を瞑ろうとする。
「また明日」
「はい、また明日……って」
だがなぜだか少女はそのままで終わらせず上半身を起き上がらせて、床で寝ている翔奏をジト目で見る。
「おかしいじゃないですか! なんで翔奏さんがなに食わぬ顔で床で寝てるんですか!?」
「え、俺もともと床で寝てたよ」
「そんなわけないじゃないですか……っていうのは、床で寝ている人に失礼ですけど。でも少なくともここは翔奏さんのベッドでもありますし、私ばかりが占領するのは気が引けます!」
そうベッドを叩いて反抗してくる少女に迂闊にもかわいいなどと言ってしまいそうになり、あくまで翔奏は冷静になだめようとする。
「床の質感たまんないんだよなあ、これ」
「いや嘘ですよね。さっきお風呂から上がってきたとき、『体いったぁ』って言ってましたよね。床で寝るばかりだと、いつか本当に体壊れますよ?」
「それを言うならきみもだと思うけど。それに、少なくとも俺は男できみよりも絶対に年上だから体も丈夫なわけだし、きみが床で寝たらそれこそ本当に体が壊れかねないんじゃない?」
「なっ……! わ、私年齢言ってませんよね!? そうやって見た目だけで判断するのは良くないと思います!」
「そうやって突っかかってくるところが年下っぽい」
「んむう……。で、でも、私としても二日連続であなたを床に寝させるのは罪悪感で押しつぶされてしまうといいますか……」
「でも俺も女子を床で寝させるほど自分を情けないやつだと思いたくないし、第一もう準備しちゃったし……」
「んぐぬぬ……!」
少女は長考の末、一つの結論を出した。
*** ***
――まあ予想通りだったが、結局翔奏は床で寝た。
翔奏は雀と並んで国語の成績は上位だ。その翔奏に文章力の分野で勝るものがいるとすれば、それは同位の雀かそれ以上の数人だけ。まあ学校は小さなコミュニティなので、あくまでも翔奏の周りのローカル的な話だが。自画自賛はあまりしたくないので、ここらでやめておく。
他の教科? ……よし、この話は終わりにしよう。
不満そうに頬を膨らませてベッドに横になる少女は、翔奏を再びジト目で見つめる。
「……絶対に明日はベッドで寝させてやります」
「……まあ、明日決めよう」
「それ絶対に今日と同じパターンのやつじゃないですか」
しかしそうは言いながらも、やっぱりというべきか、少女は寝る直前に申し訳なさそうな顔で翔奏を見てきた。
「……すみません、本当に。二日連続床で寝させてしまって」
「大丈夫だよ、きみのほうがベッドで寝たほうがいいと思うし」
「明日は私が床で寝ますので、絶対に」
電気を消して翔奏が文字通り床に入っても少女は謝り続けていたので、翔奏はそれを制して口を開いた。
「それを言うなら、俺こそごめん」
「……翔奏さんが謝る理由こそ分からないんですけど」
「うーん……まあ、いろいろと。謝りたかったから」
「謝りたい人っているんですね……」
正直に言うと、翔奏が謝っている理由は少女に謝らせてしまったということに対してだった。それでまた翔奏は、少し胸が苦しくなっていた。
しかし考えてみると、少女は病院にいるのだ。つまり少女は病人で、女の子だからという理由だけではなく、病人を床で寝させる外道者に翔奏はなりたくなかった。だから謝らせてしまったという罪悪感よりも、床で寝させる罪悪感の方が大きいと判断して、翔奏が床で寝た方がいいのではないのかと思ったまでだ。
――でも、結局は全部、自分の保身のために。
「じゃあ、おやすみなさい」
「……うん、また明日」
だが|寝る前特有のネガティブ思考《事実》はとりあえず端に追いやって、そう返事をして目を瞑る。
疲れた体を癒やすように、床の冷たさを感じながら眠りに落ちた――
「――――おーい、翔奏」
――はずだったが、さっきまで聴いていたはずの声とはまったく別の男子の声が耳に入り、その声で翔奏の脳が起こされる。
目を開けると、
「お前また二時限目から寝てたぞ、本当に大丈夫か?」
そこには、昨日と同じように翔奏の机の前に立っている雀がいた。
あたりを見回すとさっきまで見ていた部屋の風景とはまったく違く、その喧騒と雀の姿でようやく今は学校の昼休みの時間だと認識する。
ゆっくりと体を起こし、かすれた声で雀に応対する。
「……ああ、うん。眠かっただけだから」
「そんなこと言って、来年は入試だぞ? 勉強とか大丈夫なのか?」
「まあ、なんとかやってるよ。……あ、昨日お前から借りたノート写し忘れた」
「なにしてんだよお前……。なんか本当に心配になってきたわ」
いつもの爽やかな顔でやれやれという顔をする雀に、翔奏は訊く。
「そういえばお腹空いてて学食行きたいんだけど……。雀も行く?」
「ん? ああ、行くぞ。オレもそのために来たんだがな。翔奏がなかなか起きないもんで」
「……ごめん」
「そんな深刻に謝らなくてもいいって。早く行かないと売り切れるぞ?」
そう言って雀は早々と翔奏の席を離れると、教室のドアの方へと歩いていく。
「……そうだな」
翔奏は少し口角を上げて立ち上がり、雀の下へと歩いていく。
その時に、ふと一瞬だけ見えた雀の生気のない表情は、多分幻想だろう。
*** ***
「……ふぇは、かなは」
「食べ物口に入れながら話すな、汚いだろ」
学食にて。翔奏と雀は日の当たり、周りにあまり生徒のいない窓際の席を取って昼食を摂っていた。
弁当という概念がない翔奏としてはありがたいし(そもそも料理と言うものがなにかを知らない)、同じく弁当のない雀も同様にありがたがっていることだろう。量も自分で調節でき、サービスはいい学食だ。
その昼食を摂っている途中。向かいの席に座った雀は翔奏に問いかける。
「……っんぐ。お前なんかあったか?」
「というと、具体的には?」
「いやいろいろとよ。さっきの超絶睡眠もそうだし、なんか最近翔奏あんまり元気ないなぁって思ってて」
「そうかな、普通だと思うけど」
「それが通常運転だとオレが怖いんだが」
若干引いたような感じで、雀は少し後ろに椅子を下げて身を引き寄せる。翔奏は睨むような感じで、そう言ってきた雀を見る。
実際、図星だった。睡眠不足はいつものこととして、一昨日や昨日……引いては今日の朝も、色々とあって疲れた。だから元気がないのは当然のことかもしれない。
だが雀の言う最近は、きっともっと前からのことだ。多分数週間とか数ヶ月とか、そこら辺の話。雀は人を長く観察するタイプだから、ここ数日の話というより、そっちの方が可能性は高い。
「まあお前がなんもないって言うならオレはなんも口出せないけど。なんかあったら言え……ってのも酷か」
「そんな心配しなくてもいいよ。ってか、それっていつぐらいから?」
「オレたちが入学したときから、時々」
「だいぶ前だな? 嘘だろ」
思ったよりも随分前からだったことに驚愕し、しかしその理由に思い当たる。
(……あいつがいなくなった日の数週間後か)
大方それだろうと、翔奏は思う。というかそれしかないだろう。
しかし、それを今更雀に打ち明けるわけにもいかず。
「……なんかあったら、まあ言うよ」
「絶対言わないやつだろ、それ」
「…………まあまあまあまあ」
「別に無理にとは言わないし、オレ自身もなんかあっても言えないと思うからいいけど……。本当に睡眠不足だけは気をつけろよ? あーれの後遺症は長引くからなぁ」
「昨日早く寝たけどな……」
「ちなみに何時だ?」
「一時」
「それを人類は遅いというのだよ、翔奏くん」
「へいへい、今日は零時半に寝れるように頑張ります」
「三十分しか変わってねえじゃねえか、それだと」
「…………まあまあまあまあ」
「それハマってんのか?」
珍しくため息を吐く雀を横目に、翔奏は目の前の皿を食べ進める。
仮に言えと言われても、きっと翔奏は、瑞葉のことも、今身の回りで起きていることも言わないだろう。
それは雀に限った話ではなく、きっと親に訊かれても決してそのことを口外することはないと思う。
きっと、一種の「秘密」というものへの憧れだ。そういうものが人生でなかった翔奏にとって、初めて認識できた「秘密」だから、言いたくないのだと思う。
なんの用事もない人が深夜まで起きていることだってそうだ。冷静に考えてみれば、夜を更かすことなんて不健康極まりなく、寝ることができるなら早く寝ればいいという話なのだが、誰しもが持ち得る特別への憧れで、深夜まで起きていたいという欲求ができる。
本当に人間は不便なものだと翔奏は思う。自分が一番、それに当てはまっているくせに。
——そしてそういうふうに自分にとって都合の割ることを棚に上げて、人のことばかりを上から見て批評してしまう自分が、なによりも嫌いだ。
じゃあオレがナイティングコールしてあげようか? と言う雀に対し、ナイティングコールってなんだよ、と軽く突っ込む。
「雀こそ大丈夫? お前がため息吐いてるところとかあんまり見ないから」
「ん? ふぁんえ?」
「だから食べてから言え。……いや、お前こそ元気ないのかなって思っただけだから」
「おお、ついにオレを親友と認めてくれるのか!?」
「文脈って知ってる? 話戻して、実際どうなの? 雀は」
「うーん……」
まじめな問いかけに対して、雀は唸って長考する。そんなに考えることだろうかとは思うが、主観で今の自分を判断するのはなかなか難しいことを知っているので、翔奏は食い終わったうどんの皿の隣にあった水を飲んで待つ。
しばらくして、考えていたはずの雀は手に持っていた丼に入っていたカツ丼を一気に呷り、急なことに思考が追いついていない翔奏はただ見ていることしかできず、今度は飲み込んでから雀は口を開く。
「……ぼちぼちもとに戻ってると思う、多分」
「な、なるほど……。もとに戻ってるっていうのは、つまり?」
「元気な状態に戻ってるってことだな」
「……つまりは?」
「んー……強いて言うなら、違うオレになろうとしている途中かな」
そう少し口角を上げて言う雀の真意を読み取ろうとするも、その表情からはなかなか見えてこなかった。著しくため息が多いのは多分昨日のせいだろうと予想はついていたが、詮索したくない派の翔奏は水を飲み終えてため息を吐き、空の皿が載ったトレー持って立ち上がる。
だが特に立ち上がる理由もなく、普通に雀を待つ予定だった翔奏はなぜ立ち上がったのかが分からなくなり、咄嗟に思いついた適当な意味付けを考える。
「……あー、早く教室に戻ってお前から借りたノート写さないとだから、俺もう行くね」
「ん? ふぁあ、ふぁはっは」
「だから飲み込んでから言えって……じゃあごめん、行くから」
「おっけー、また後でな。あ、終わったらノート俺の机の上で」
「分かった、置いとく」
互いに手を振って、翔奏は食器を銀色の下げ台に置いて学食を出る。暖かいところからいどうしたからだろうか、少し身震いをする。
出てから、翔奏はやっぱり雀と一緒にいたほうが良かったと後悔する。一人でいると、どうしても嫌なことを考えてしまうから。雀から借りたノートの授業は今日授業があるなら理由は成り立つが、本当は明日あるので、咄嗟に出てきた理由だった。
昼休み独特の喧騒から離れていち早く自分の教室に戻ろうと、少し足を早める。
最近、あいつのことが思い出されるのはなぜだろうか。
その答えは、まだ誰も知らなかった。
10.睡眠議論と学食の二人
記念すべき10話目は、学食でのお話です。
この作品を書き続けられるのも、見てくれている皆様のおかげです。
これからも、翔奏や瑞葉たちをよろしくお願いします。




