85.過去-夜明け前
「姉さん——ッ」
アルテナが倒れたハーベルを見て張り詰めた声を上げた。
駆け寄ろうとするが、残り僅かとなっても位階の信徒は未だに彼女を囲んだままだ。
「——どけ」
アルテナは隙ができることにも構わずに、『五之剣・天凛』で包囲を突破した。
後ろと横からも斬り付けられて血を流すが、彼女は顔色も変えずに倒れた姉の下まで駆けた。
ハーベルの容体と、射創を確認して、アルテナは息を呑んだ。
どれだけハーベルの容体が悪いのかを覚ったのだろう。
「姉さん! しっかりしろ! ハーベル姉さん……!」
アルテナはハーベルに寄り添って負傷部分近くに触れた。
おそらく生命力を活発化させるために竜気を送ろうとしたが、はっとした顔で手を離した。
ハーベルは竜気を受け入れることが出来ない体質だ。
そのため自身が産み出す竜気に身を灼かれ、実の父にも虐げられていた。
「ぐっ……! くっ……!」
アルテナは自分の中に僅かばかり存在する霊気を集約して、ハーベルに送り込む。
しかし、彼女は『クリアランス』等の初歩的な魔法しか使えないほどに霊気の絶対量が少ない。
ただでさえ竜気よりも活力を与える能力に乏しい霊気ではハーベルの傷を僅かばかりも癒すことができない。
「そんな……姉さん、ダメだ、死んだらダメだよ……」
「竜気を流して!」
穴に分断されていた位階の信徒を始末したキリル嬢が、二人に駆け寄った。
ナッシュ以外のことでは常に冷静沈着で無表情な彼女は鬼気迫った顔で、震えるアルテナを叱咤した。
「竜気をありったけこめて! 動きを止めるな!」
「姉さんがたくさんの竜気を受けると肉体が焼かれるんだよ!」
「死なすな! 生かし続けて! 生きていれば、どうとでもなる! ロベルト・ヒックスだってそうでしょ!」
その言葉に茫然自失としていたアルテナはハッとした。
「そうか! ラファータなら!」
そう叫んで、しかし、すぐにその気勢は萎んだ。
「ここは、シュタッケルベルク領だ。この重体の姉さんを竜気で延命させながら辿り着くなんて……不可能だ」
しかしキリル嬢は苛々しながら要点だけを告げた。
「私が癒しの加護を持つ娘を抱えて戻って来る。とにかく生かせ。傷を塞げ、心臓を動かせ、肺に空気を入れろ。全力を尽くせ」
「キリルの脚が速いからといって、そんなことが……」
「この女に今死なれたら困る——私を信じて」
「……ああ!」
普段は使わないような言葉を口にしてまで、鼓舞しようとするキリル嬢に発奮されて、アルテナは眉根に力を入れて、強気な面持ちを作った。
「キリル、頼む」
「私は言われた仕事は何でもこなしてきた。自分から口にした仕事なら尚更しくじらない」
それから、キリル嬢は他のメンバーに手早く指示を出した後、鋭い音を立てて姿を消した。
彼女の纏う竜気が空気と擦れて、火花を立てる。
俺の全速力移動と同等以上の速さだろう。
「姉さん、熱いかもしれないけど、我慢してくれ……」
アルテナは竜気をハーベルに流し始めた。
『水之羽衣』を始めとして、アルテナも竜気ならば扱いは非常に巧みだ。
『四之剣・砂鯨』で、損傷箇所を走査し、彼女の傷に粘膜状の竜気を貼付して出血を留めた。
止まった心臓に一定の振動を与えることで、拍動を促す。
彼女の仮面を外し、気道を確保して、気流を操作して空気を全身に取り込ませ、排出させる。
加えて水竜気と風竜気で血中の酸素濃度と二酸化炭素濃度も操作する。
竜気を精巧に用いた人工心肺である。
常人には不可能な奇跡に等しい業の組み合わせは確かにハーベルの生命、そして霊を辛うじて繋ぎ止めていた。
しかし、蒼白だったハーベルの肌に強い赤みが差し始めた。
ハーベルの体内を駆け巡る竜気が彼女の身体を灼いているのだ。
「姉さん、死ぬなよ……キリルも頑張ってくれてる。きっと大丈夫だから」
アルテナは痛ましい顔をしながらも、竜気を流し続け、ハーベルを鼓舞する。
「――姉さん、私はやはり姉さんが好きだよ。私は魔法がろくに使えないし、姉さんに助けて欲しい。私は頭が良くないし腹芸もできないから、賢くて少し腹黒い姉さんが側にいないとダメなんだ」
アルテナは自分の仮面も外した。
目尻に涙を溜めて、ハーベルに微笑み掛ける。
「姉さんにはまた髪を結って欲しい。髪の結い方なんて知らなかったから、本当に嬉しかった。恥ずかしくて断っていたけど、化粧も教えて欲しいし、服だってまた一緒にデザインして作りたい。姉さんと一緒にしたいこと、まだまだたくさんあるんだ」
ハーベルの身体の一部は赤黒く変色を遂げつつあった。
「これで終わりなんていやだよ。姉さん、生きて」
永遠に思える程の時間が過ぎる。
裏方人員とイオナ嬢は、周囲の戦闘痕や、死体の処理を行った。
彼らも迅速かつ的確に行動していたが、それもおそらくハーベルの指導の結果だろう。
皆、アルテナの邪魔にならないよう静かに控えている。
全身の火傷がハーベルの美しい銀の髪が、抜け落ちた辺りからは、悲愴な雰囲気が強くなった。
アルテナは無心で、祈るような仕草で竜気を流し続ける。
天地も分からない暗い水中に放り出される感覚と、ひりつく静寂の痛みの中、光が差すのをただただ待つ求道者のように。
夜更けから始まった戦闘から長い時間が経って外は紺青色に染まりつつあった。
そして、光は差した。
「……ただいま」
キリル嬢が戻って来た。
その背中にラファータを負ぶっていた。
あまりに速度を出したせいか、その衣服は破れほつれていたが、道中で癒しの力を受けたのか、肉体的な疲れはほとんどなさそうだった。
ラファータは、キリル嬢の背中から降りて、ハーベルの側に膝を着いた。
道中で多少の事情を聞いていたのか特に慌てることなく、彼女の具合を検分している。
「……これなら何とか間に合うと思う。本当にギリギリのラインだったね」
「ほ、本当か!?」
「身体の中の異物は取っておいた方がいいね。少し癒したら砕けた矢じりを摘出して、一気に回復しよう。摘出は任せていい?」
「あ、ああ! 頼む!」
「それじゃあ始めるね」
ラファータの癒しの力で、ハーベルの火傷は時計が巻き戻るように治っていく。
「うん、ここで一旦取り出そう」
「あ、ああ。姉さん、痛かったらごめん」
アルテナは再び『四之剣・砂鯨』で矢じりの位置と形状を把握し、竜気を纏った3本の指で矢じりを抜き取った。
「治すね」
ラファータの癒しの力によって、ハーベルの負傷は完治し、ただ眠っているだけの少女となった。
こうして、ラファータの癒しの力は再びハーベルを救った。
「……ありがとう! ラファータ、本当にありがとう!」
アルテナはラファータに抱き着こうとするが、ラファータはひょいっと躱した。
「そんなに血塗れで抱き付かれると両親が心配するの。それに早く家に戻らないとやっぱり心配される」
「あ、ああ。そうか。すまない」
アルテナは『クリアランス』を何度か使用して自分の衣服を清潔にした。
それから改めて、ラファータに抱き着こうとした。
やはりラファータはひょいと躱した。
「……綺麗にしたぞ?」
「うん、綺麗になったね」
「それじゃあどうして避けたんだ?」
「……本能的になんとなく?」
二人は構えてじりじりとお互いの距離を測り合った。
そしてアルテナの後頭部にキリル嬢のチョップが入った。
「バカテナ、早く帰り支度して」
「いてっ、ああ、つい……バカテナ!? 失礼過ぎないか!?」
キリル嬢はその抗議に対応せず、裏方メンバーに撤収の指示と確認をする。
「……夜明けだね」
アルテナたちが山の開けたところまで移動したのとほぼ同時に朝日が昇った。
「明けない夜になるかと思った。ラファータのおかげだ。改めてありがとう」
「明けない夜は……耐えられないからね」




