86.過去-協力と要望
俺は映像の再生を中断した。
ナッシュによって作成、編集されたこの映像にはまだ続きがあるが、この後の顛末は俺も起床しているから概ね把握している。
ラファータの癒しの力でケガ自体は消えていたが、一様に自身の出血や返り血、疲弊し切った顔をしていて、真夜中の戦闘の深刻さを物語っていた。
今朝はナッシュから今回の戦いの概要を急ぎ早に報告され、それをまとめてシュタッケルベルク嬢へ報告して、今後の位階の信徒への対策を精霊たち含めて手短に考えた。
それからこの映像を見て、戦闘の詳細を確認することにしたのだった。
しかし、想像以上に熾烈で危険な戦いだった。
仮面の悪魔としての活動にラファータを巻き込まざるを得なかった時点で、相当に追い込まれた戦いだったと予想していたが、本当に後少し歯車が噛み合わなかったらハーベルはこの世を去っていただろう。
そう思い巡らせて背筋が冷たくなった。
クロード爺さんの冷たく強張った手の感触を鮮明に思い出した。
俺は本当に覚悟がない。
温かった手が、ただの有機物になっていく有り様に、耐えられない。
この先の5年後の現在で、多くの生命を殺めてきたのに――俺は本当に独善的だ。
喪いたくないものが増えていく。
この手からもう何も溢れ落とさずにいたい。
『そんなことは不可能じゃろう』
ああ、その通りなんだろう。
あの冷たい手を俺は一生忘れない。
ハーベルは未だに目を覚まさない。
傷は確かに癒えたし、肉体的な疲労も消えたはずである。
それでも、眠りから覚めないのは精神的な疲労によるものらしい。
ラファータの癒しの力でも心は癒せないのだ。
「へえ、地下にこんな部屋を作っていたんだ」
俺はラファータを地下の執務室に案内した。
今回、ついに彼女を俺の暗部へと巻き込んでしまった。
しかし、ハーベルを救うためのキリル嬢の判断を責めるつもりは毛頭ないし、むしろその判断と献身には感謝と賞賛しかない。
今回の一件で生じ得る問題の全ては俺が責任を持って解決に導かなければいけない。
『まーた、そうやって背負い込もうとするんだから』
『ミアね、代理人くんは、むつかしく考えすぎだと思う!』
『あら、代理人君の美徳ですわよ』
『儂は気に入らんな』
はい。
ラファータは、用意した紅茶に口を付けた。
優雅で、ただの平民の少女らしからぬ振る舞いだ。
まるで既に聖女として教育を受けているようだった。
彼女も俺にその正体を仄めかしているのかもしれない。結局彼女は何者なのだろうか。ミアおねーさま曰くラファータであることには間違いないらしいから、眼前のラファータには未来の記憶があるのかもしれない。
もしもそうならば、俺の知らない事情も知っているかもしれない。
そこまで流れた思考を一旦断ち切って、俺はラファータに頭を下げた。
「ラファータ、ハーベルを救ってくれてありがとう」
「気にしなくて良いよ。それくらい大した手間でもないから」
ラファータにとっては本当に簡単な事なのかもしれないが、それでも他の誰にもハーベルを救うことが出来なかった。
剣鬼の時も、そして今回も。
俺はあまりに無力だ。
「それより、こうして秘密の場所に呼び出したのには理由があるんでしょ?」
「ラファータには事情を話さなければいけないと思っている。今回の一件で、もしかしたらラファータにも危険が及ぶかもしれないから」
「そうなんだ。それは困るね。お父さんとお母さんを危険に巻き込みたくないよ」
「本当にすまない。俺もラファータの家族が平穏無事に過ごせるように全力を尽くす。それで、どこから事情を話せばいいだろうか」
「……君はまだ私を疑っていると思っていたけど、詳しく話してくれるつもりなんだ?」
「……全てを話すべきではないと思っている。君は善人だし、味方だと思っている。しかし、どうも只者じゃない」
「癒しの加護があるからね」
ラファータは惚けるように微笑んだが、俺は首を振った。
「君はラファータだと思うが、少なくとも13歳のラファータだとは思っていない」
正確に言えば、13歳のラファータについてはヒックス君の記憶には存在しない。
この年には彼女はもう聖令教の聖女として、教会の本部に家族と共に移り住んでいるからだ。
補足すれば、その契機は本来の歴史ならばヒックス君の負傷に由来するわけだが、この過去ではそうした事態が起きていない。
しかし今のラファータはヒックス君の記憶にある12歳のラファータとはあまりに乖離している。
年頃の少女は瞬く間に別人に変貌するとは言っても、これは程度が甚だしいという域を越えている。
「今は私の話をする時間ではないでしょう?」
「……そうだな。すまない」
短く謝り、本題に入ることにした。
「俺は、俺たちは道化の悪魔として、暗躍して来た。オイコノ子爵領の権力を弱体化させるためだ」
少なくとも始まりはそうだった。
ラファータは予想が付いていたのか特に驚きもせず、続きの言葉を待っていた。
「今回の一件は、オイコノ子爵とは関係ないが、やはり危険な権力者や組織が絡んでいて、それに関連した戦いだった」
「権力者を敵に回すのは大変なのに、本当によくやるよね。そして、その敵戦力が想定以上に強かったんだね?」
俺は苦い感情を味わいながらも首肯した。
「強敵だとは思っていた。しかし、敵の強さ、厄介さを見誤っていた」
「味方が弱過ぎたのかも?」
ラファータの言葉に首を振った。
「――みんな、本当によくやってくれている。ただし、人員の少なさは問題だった」
狂信者50人に対して、こちらの戦闘人員は僅か4名だった。
狂信者と対抗できるだけの戦闘ができるのは他にはナッシュくらいだが、ナッシュには裏方のまとめと情報伝達による戦闘補助をして貰った方がよほど効率的だ。
「数は力だからね。みんなが正しい、正義といえば、それが本当に正義になってしまう。 それくらいには多数は暴力的だよ」
どこか遠い目をしながらラファータは語った。
『くたびれたオジさんみたいな目だよね』
『流石に失礼ですわよ! 腐った魚の目くらいマイルドにすべきですわ』
『それはマイルドになっとらんじゃろ』
『おめめ、にごってるねー』
精霊たちは相変わらず無邪気なものである。
ラファータは息をついて、続きを促した。
「今回の厄介な敵の正体は教えて貰えるのかな?」
それは教えるべきことだろう。
「位階の信徒、という過激派の組織だ」
イカイノシント、とラファータは確認するように言葉を繰り返した。
「聞いたことは、あるかもしれないね」
そうは言うものの、あまり琴線に触れているようではなかった。
「自分たちの位階を高めて、崇める神に捧げるために虐殺を繰り返す集団だ」
ラファータは少しだけうんざりした顔になった。
「随分と邪悪なカミサマを崇めているんだね。まるで——」
そこまで言って、彼女は言葉を詰まらせた。
「……まるで?」
「何でもないよ」
彼女は誤魔化すように紅茶に口を付けた。
『はあ? 気になるじゃん? 何て言おうとしたのさ』
俺も気になるが、彼女は話さないと決めたことは決して話さないだろう。
「それでその邪悪なカミサマの正体は掴んでいるの?」
彼女は早口で問い掛けた。
そこまで明かして良いか少し悩んだが、口にすることにした。
「重魔スペルビアという——」
がしゃん、と音が鳴った。
ラファータの落としたティーカップが割れた。
ラファータが欠片でケガや火傷をしていないか心配したが、それ以上にその顔色の蒼白ぶりは尋常ではなかった。
「ラファータ、大丈夫か?」
「……はは、重魔スペルビアか。重魔スペルビアと戦うつもりなんだ?」
重魔スペルビアを知っているのか。
『……やっぱり、このラファータって未来のことを知ってるよね。代理人君みたいに、過去に戻ってきているのかな』
『しかし、重魔スペルビアを本来の歴史のラファータさんが知っているとは思えませんが、代理人君よりも後の未来から来ていれば辻褄は合いそうですわね』
『これも道化の神の仕業か? 全容が見えそうで見えぬな』
『???』
大丈夫だ、ミアおねーさま。俺もよく分かっていない。
『ほんと!? ミアと代理人くん、やっぱり仲良しだね!』
ラファータは暫く俯いていたが、徐に顔を上げた。
右手でスリーピースサインを作っている。
顔には真剣な決意の色が浮かんでいた。
「3つ、協力してあげる。3つ、要望を聞いて」
いきなりの提案に眉をひそめたが、ひとまず聞かせてもらう。
ラファータは指をいったん畳んで、再び人差し指を立てた。
「要望1、私の事情については探らないで」
『この秘密主義娘!』
『ディスコミュニケーションは不幸を生むだけですわよ』
『でぃすこみゅ! でぃすこみゅ!』
『やかましい、騒ぐのは後にせんか』
ラファータは続いて中指を立てた。
「要望2、私の癒しの力をこれ以上周知されないように協力して。これまで以上にね」
彼女が望むならば、最初からそうするつもりだが。
『最初の方は、リスク回避のためにも必要かとか言っていたくせに』
もう考えは変わった。
そして、ラファータがそう望むならば、俺はラファータが聖女にならないように努めたい。
ラファータは薬指を立て、少し躊躇しながら最後の要望を述べた。
「要望3——重魔スペルビアの野望を止めて」
重魔スペルビアの野望というと、人間を幸せにしたいというやつか。
『人類を進化させたい的な感じだったよね』
『そのために重魔リリスをオイコノ領にけしかけてシーフィアさんを強奪したりしていましたわ』
『むー! シーちゃんの敵はミアの敵だよ!』
『今更じゃが、精霊の寵児を手に入れるには回りくどい手口じゃな。強力な手駒がいるなら襲わせて手に入れれば良かったものの』
『下手に生命の危険に遭わせることで、精霊の寵児として覚醒させたくなかったのではなくて?』
『もしくは、心が弱ったところに漬け込もうとしていたのかも』
どうであれ、重魔スペルビアの野望を食い止めることは、俺の代理人としての存在理由の一つと言っていい。
ヒックス君とヒックス家を不幸から救うためには重魔スペルビアを倒さなければいけないのだ。
しかし、もう一つ、掲げていた存在理由は、よく分からなくなってきた。
目の前のラファータはヒックス君の愛したラファータではないだろうし、俺はヒックス君でもない。
いずれにせよ、彼女があげた要望3つとも、請われるまでもなく叶えるつもりだ。
『足元見られるから黙っておこう』
『そうじゃな』
テトラくんちゃんとヘプたん様は強かである。
ラファータは反対の手で人差し指を立てた。
「それから、協力1、貴方たちの活動については口外しない。どんな形でもね」
そうして貰わないと困る。
ラファータが人差し指を立てた。
「協力2、今回、貴方たちの活動に協力してあげる。貴方はハーベルたちをとても大切に思っている。癒しの力があれば喪わずに済む確率は大きくなる」
「いいのか?」
「利害は一致する。もちろんもう少し細かい条件を付けさせてもらうけど」
クロード爺さんの冷たい手の感触と、映像の中のハーベルが灼けていく姿が重なった。
対照的な二つの光景は、しかし、どちらも俺の心から熱を奪っていく。
ラファータが力を貸してくれるならばこれ程助かることはないが。
『今回の件というと、どこまでが適用範囲か悩みますわね。やはり位階の信徒の案件……それでは重魔スペルビアの野望を止めるという要望には不均衡ですわね』
『えー? ラファータが代理人くんたちの仲間になるってことじゃないの?』
解釈は後で細かく規定することになるだろう。
ラファータは薬指を立てた。
その顔は少しだけ得意げだ。
『ドヤ顔ダブル|3P≪スリーピース≫だ』
『ぶふぉっ』
噴き出すヘプたん様につられて俺まで噴き出してしまった。
「……」
不愉快そうなラファータに睨まれてしまった。
申し訳ない。




