攻撃を受けたのは
つまづいて、小さく二、三歩前に進む。でも、かろうじて転ばなかった。
「大丈夫か」
「うん、平気。ちょっとつまづいただけよ」
そう答えたレリーナだったが、声をかけてきたのがクオードだけだったことに気付く。カロックではいつもレリーナが小さな悲鳴をあげるとすぐ、ラディが心配してくれるのに。
レリーナの声が聞こえなかったのだろうか。そうだったとしても、クオードがこうして立ち止まって気にしてくれているのだから、ラディやジェイがまったく気付かないはずがない。
嫌な予感がした。
「……ラディ?」
返事がない。ジェイの声もしなかった。クオードも異変に気付き、そちらを見る。
「しまった。離されたか」
「え? 何? 離されたって、どういうこと?」
「魔物が手を出して来たようだ。複数で行動している場合、互いの意識が別方向に向いた一瞬を狙って引き離される」
「ええっ。じゃ、ラディとジェイはっ?」
「この草原の、どこか別の場所にいる。あるいは私達が別の場所に連れて来られたかだ」
「そ、そんなぁ。ラディ! ジェイ! 返事してよ」
思わずレリーナは声を上げて彼らの名前を呼んだ。ラディはクオードの向こう側にいて、ジェイは少し前を進んでいたはず。
だが、どちらからも返事はなかった。風が草を揺らす音さえも聞こえない。真っ白な空間は完全な静寂のみが支配している。霧が出る前は草原だったはずだが、全く何もない空間になってしまったような気にさせられた。
「あの、クオード」
怖くて身体が震えそうだが、何とか声までは震えずに済んだ。
「ん?」
「あなたの毛、掴んでていい? これ以上ばらばらにされたくないもん。お互いが触れていれば無意識のうちに相手を感じられて、これ以上引き離されることはないでしょ」
「そうだな。足下に気を付けろ。今度私から手を離したら、完全に孤立させられるぞ」
「わかったわ」
レリーナはクオードに近付き、その白い毛を掴んだ。その確かな感触に、少しほっとする。
「これからどうしよう。ラディ達、心配してるわね」
「霧が晴れるのを待つしかない。視界が戻れば、空から捜すことは可能だ」
「草原にいることは間違いないの?」
「これをしでかした魔物には、別の場所へ飛ばすだけの力はないはずだ。この草原で人間を捜すのはそう難しくない。この草原が広いという点では面倒だが」
「そうね。ラディやジェイが移動するのは限界があるもん。捜すのなら、クオードの方が絶対に適任よ」
魔物ではない、生き物のにおい。それを近くに感じ、レリーナはこの広い草原に完全に一人で放り出されたのではないと安心できた。
「よかった、クオードがいてくれて。あたし一人だと、怖くて泣いてるわ」
泣いてる場合じゃないとわかっていても、その状況に不安と恐怖で自然と涙も出るだろう。泣くことで自分が感じている不安を自分でますますあおってしまうこともある。本当に一人でなくてよかったと感じるレリーナだった。
「クオードはこの草原のこと、よく知ってるの?」
「多少話を聞いた程度だ。魔物がよそへ飛ばすというのは知っていたが、実際にされると思ってなかった。私のように大きな魔獣まで飛ばすとはな」
「そうね。プラス人間一人が一緒だもん。認めたくないけど、その点はすごいわ」
霧はいつ晴れるだろう。ジェイはずっと出ている訳ではないように言っていたが、一度霧が出たら晴れるまでにどれくらいの時間がかかるかといったことは話してなかった。夜になってもまだ……ということはやめてほしいのだが。
「白い牙……」
「え?」
声が聞こえた気がして、レリーナは周囲を見回した。だが、霧が立ちこめるばかりで、何も見えない。
「クオード、何か聞こえた?」
「ああ。どうやら魔物がちょっかいをかけてきたようだな」
クオードの大きな三角の耳がぴくぴくと動いている。
「白い牙にかかるぞ」
「あの鋭い牙を折れ」
「白い牙は危険だ」
また聞こえた。もう一度見回すものの、レリーナの目に映る物は何もない。
一方で、クオードは心の中で舌打ちする。
クオードはここの魔物がどういう形で接触してくるか、聞いたことがある。
複数でいた場合、一番弱い者の心に付け入って不安をあおり、仲間を敵だと思わせるのが常套手段らしい。
惑わせる言葉は弱い者にしか聞こえないことが多いが、時として他の者にもあえて聞かせることがある。疑われたとわかって自分はお前の敵ではないと言っても、相手はますます不信感をつのらせる。そうして仲間同士で相打ちさせるように仕向けるのだ、と。
まさに今の場合がそうだ。
レリーナを怖がらせ、これを知ったクオードが何をどう否定しようとこの身体だ、小さな人間が不安を消すことなどありえない。単に小さな人間であればよかったのだが、レリーナは魔法使いだ。魔法で攻撃されれば、クオードとしてもそれなりの防御をせざるをえない。彼女の魔力はそう高くないようだが、魔法の属性によってはクオードにとってダメージになる場合もある。
この場から逃げるなりレリーナを殺すなりすることは簡単だが、それでは魔物の思うつぼ。誇り高い狼の血が許す行動ではない。
だが、それならどうすればいいのか。
クオードが舌打ちしたのは、そういう面倒が起きそうだからだ。
あの声を聞くな、言葉を信じるなと言ったところで、一度レリーナの心に染みついてしまえばそう簡単には消えない。
ジェイとラディを捜すにしても、どの辺りにいるか見当も付かないから捜している間にレリーナがどうかされてしまう。いざとなれば、彼女の気を失わせ、目を覚ますまでに霧の中であろうと飛び立ってジェイ達を捜すしかない。
クオードがそう考えている横で、レリーナは何度も「白い牙がうんぬん」という言葉を聞いていた。霧の中にどれだけの魔物がいるか全くわからないが、すぐそばでささやかれるのはひたすら不気味で怖い。
しかし、彼女が不安にかられ、警戒してクオードから離れることはなかった。
「こんなに何度も警告してくるなんて、変な魔物ね。ある意味親切な気もするけど、それだけ自信があるってことかしら」
レリーナの言葉に、クオードの方が戸惑った。
「警告?」
「だって、さっきからずっと言ってるでしょ。白い牙が襲って来る、みたいなこと。牙が襲うって、文法がちょっとおかしい気もするんだけど。とにかく攻撃方法を教えたら、状況によっては自分が不利になるじゃない。それをあえて教えるってことは、相当の自信家よ」
どうやら、レリーナは魔物が「白い牙をむいて襲ってやるぞ」と教えているのだと思っているらしかった。
どうしてそっちの方向へ行くんだ?
聞いたクオードは、レリーナの考え方に首を傾げざるを得ない。
この場合、魔物はそばにいるクオードがお前を襲うぞと言っている、と考えそうなものだ。
白い牙を繰り返すのは、クオードの身体が白いから。白い牙は危険だ、というのはクオードが危険だということで、言葉として何もおかしいところはない。白い狼の牙がお前を襲うぞ、と魔物は言っているのだ。
それなのに、どうしてクオードのことはレリーナの考えの枠から出ているのだろう。
「レリーナ、お前は……私が怖くないのか」
その考え方があまりに不思議に思えて、クオードはリスクを承知で尋ねてみた。尋ねることでレリーナが本来魔物が仕向けようとする方向に向いてしまうこともあるが、聞かずにそのままでいる方が気持ち悪い。
一体、この人間は何を考えているのか。
尋ねられたレリーナは「?」な顔をした。彼女の方でも、クオードは何を言ってるのだと言わんばかりだ。
「クオードが怖いはずないでしょ。協力者のあたし達に協力してくれているのに」
ラディが召喚で呼び出した魔獣。契約はせず、あくまでも口約束で力を貸してくれることになった相手。その関係は不安定ながら、レリーナはその約束が破られることはないと思っている。
今まで破られたことがないし、一度承諾してくれた魔獣が約束を反故にするなど考えられない。魔物と戦わなければならないという時、仮に逃げてもジェイが後を追ってその行動を糾弾することはないだろう。その程度の魔獣だったのだとあきらめ、次の魔獣に頼む。それだけのこと。
しかし、ラディが呼び出す魔獣は身体も大きく、魔力も高い。魔力が高いということは、プライドもそれなりに高い。敵前逃亡なんて、彼らの思考の中にはないはず。だから、頼りになる。
ラディやレリーナの後ろに大竜が控えていると言っても、魔獣はジェイを天敵と恐れていたり、神のような存在としてあがめている訳ではないのだ。多少の影響はあっても、その存在を必要以上に気にしたりはしない。つまりジェイが怖いから言うことを聞いている、という訳ではないのだ。あくまでも、彼らの意思で協力してくれている。
そんな彼らを怖がるなんて、レリーナには理由が思いつかなかった。相手の身体が大きいから本能的に怖い、というならともかく、襲われることなどありえないと思える魔獣を怖がる必要はない。
レリーナにあっさり言われ、クオードはまた聞いてしまった。
「さっきから魔物が言っている白い牙というのが、私のことだとは思わないのか?」
「どうしてクオードのことになるの?」
質問を返され、クオードは困った。
どこまで言っていいのだろう。自分にレリーナを襲うつもりなどないが、これを言うことで彼女がそう思い込んでしまったら、今度こそ自ら面倒な状況をつくることになってしまう。
「だから、それは……私の毛が白いから」
こんなに歯切れが悪い言葉を口にしたのは初めてだ。魔物はレリーナに精神的攻撃をしかけていたはずだが、もしかして攻撃されたのは自分だったのだろうかとさえクオードは思い始める。
「毛が白いと、白い牙? それって変じゃない」
「変?」
何が変なのか、もうクオードには理解不能だ。人間の考えることはわからない。
「あたし、授業でニセ者の魔物に攻撃することがよくあるけど、みんな白い牙よ。身体の色が何色だろうと、どういう種族だろうと。毛が白くて白い牙なら、カエルの魔物なんて緑の牙になっちゃうじゃない。炎属性の魔物だと、赤い牙よ」
言ってから、レリーナは自分で「変なのー」と笑っている。
「そっか。あの声はクオードがあたしを襲って来るって思わせたかったのね。じゃ、魔物に悪いことしたかしら。あたし、そんなふうに全然思えなかったもん。白い牙って言われても、クオードには結びつかないわ。それに、ラディが呼び出した魔獣が襲うなんてことはないってわかってるもん」
どこかで聞いたことがある。疑うことを知らないバカ正直という性格の者がいる、と。それは人間のことだったのか、とクオードは理解した。
少なくとも、目の前にいる人間の少女はそうだ。
「あ、霧が……」
真っ白だった周囲が、次第に晴れてくる。そうして見えたのが、霧と同じような身体をした人影のような魔物だった。ぐるりと囲まれている。これらの魔物が、クオードがレリーナを襲うぞ、といったようなことをささやき続けていたのだ。
「あんた達ね、クオードとあたしをケンカさせようとしていたのは」
ケンカではなく、最悪だと殺し合いにも発展していたのだが……レリーナの言葉には緊張感が足りない。でも、本人は全く気付いていなかった。
「何が白い牙よ。人間だって、ちょっぴりだけど尖った歯の一本くらいは持ってるんだからねーだ」
一応、レリーナは怒っているのだが、クオードにはとてもそうと思えなかった。
「レリーナ、乗れ」
「え? わかったわ」
乗っていた方が、また霧が出ても離ればなれになりにくい。レリーナとしてもただ毛を掴んでいるだけより安心できるので、クオードの言葉に素直に従った。
一方、白い人影は一つに集まりだす。十を軽く超える魔物は完全に一つとなり、クオードと変わらない大きさにまでふくれあがった。その形は白い牙。魔物の牙だけを再現したかのような形になっている。
「あら、やっぱり親切な警告だったってことかしら」
「こちらは何の警告もしてやらなかったが……警告してやる義務もない。さっさと蹴散らして、ジェイとラディを捜しに行くか」
「うん、その意見に賛成」
形は牙だが、その質感は煙に近い。霧に紛れやすいからだろう。
レリーナはその牙の周囲に竜巻を起こした。そこへクオードも援護し、倍以上のエネルギーが魔物を襲う。牙は折れるように短くなって消えてゆき、やがて霧散した。
「ラディの方でも同じようなことが起きてるのかしら」
「白い牙と言われて、ラディがジェイを連想するかは怪しいな」
彼らに何が起きていたか、今は知る由もない。
早く合流すべく、クオードは大きな翼を羽ばたかせた。





