雨のカロック
土曜日の午後。レリーナは図書館へ向かった。
たまにズレることもあるが、土曜日はカロックへの呼び出しが多い。フィールドへ練習に行こうと思うと、途中の廊下にあるはずのない扉が現れ、それをノックすると大竜のジェイが現れる、というのがパターンだ。
そろそろだろうかと思い、レリーナはフィールドへ続く廊下をゆっくり歩いてみたが、その扉は現れない。一度フィールドに着き、来た廊下を戻ったが、やはり扉は現れなかった。
明日かしらね。あたし達が都合のいい日に合わせるの、ジェイも結構大変みたいだし。授業で疲れ切ったところで呼び出されなければ、曜日はいつでもいいんだけど。
カロックへ行き、試練である地図のかけらを探してこちらの世界へ戻る。カロックでどれだけ時間がかかろうが数分しか経過していない。夕方に呼び出されても帰る時間が夜遅くにはならないので、どこへ行ってたのかと家族に心配かけることはないのだ。そういう意味では、いつ呼ばれても構わない。
ただ、魔法の授業で疲れているのに、カロックで数時間魔法を使い続けることになると、さすがに体力がもたない。だから、平日よりは午後がフリーとなって体力に余裕がある土曜か、休みである日曜の方がありがたいのだ。
技術を上げることも必要だが、知識を増やすことも不可欠。練習するかどうか迷ったレリーナだが、今日は魔法書を読んで勉強することにした。
もう少し結界や防御の壁を上達させたいレリーナは、防御系の魔法が説明されている本を選び、空いているテーブルへ向かう。
レリーナのクラスで防御を習うのはもう少し先になるが、ターシャに少し教えてもらってすでにできるようになっている。でも、まだ弱い。近道があるとは思っていないが、コツがあれば利用して強度を上げたいと思ったのだ。
空いているテーブルに選んで持って来た本を置き、イスに荷物を置く。その隣のイスを引いてそれに座り、さて本を開こうとした……が。
「え、これって」
本は明るい茶色の革表紙。さっき棚から取り出した時は、中央より上に金色の文字で本のタイトルが書かれていた。今見ると、その文字が消えている。代わりと言っては何だが、本の右端、中央よりやや下の辺りにドアノブがあった。カロックへつながる扉と酷似している。
本の表紙は扉って表現されたりもするけど……ここから?
こっそり周囲を見回したが、誰もが自分の取り出して来た本に目を向け、レリーナを見ていない。テーブルの上から静かに自分のひざへ本を移動させ、レリーナはそっと本の扉をノックした。
「よっ、レリーナ」
本来なら本のタイトルがあった辺りから、小さな竜が顔を出した。元々、子猫サイズのジェイだが、小さい扉に合わせるようにしているせいか、ますます小さくなっている。
「ジェイ、どうしてこんな所から現れるのよ」
「ん? レリーナの顔がいつもより大きいな」
「ジェイが小さいからよ。って言うか、扉そのものも小さいの。あなたが今扉を出している場所、本の表紙なのよ」
「ホン?」
カロックに人間はいない。つまり、文字がない。文字がなければ本は作れないし、知らないのも道理。ジェイにこちらの世界の知識がどれだけあるかは聞いたことがないが、本と聞いて首を傾げるくらいだから知らないのだろう。
「あ、どっかで聞いたことがあるぞ。ラディ達からも聞いたんだっけ。ペラッペラのカミって奴に、うにょうにょした線が並んでるってあれだろ。かけらじゃなくなった地図もカミだよな?」
「そうよ。それより、カロックへ行けばいいんでしょ。今から帰るわ。いつものようにあたしの部屋に扉を出しておいて」
「わかった。じゃ、後でなー」
レリーナはもう一度周囲を見回したが、誰も気付いてないようでほっとした。改めて見ると本は元に戻り、タイトルの文字もちゃんと戻っている。
だが、いつもと勝手が違うので、このまま棚に戻すのははばかられた。それに、カロックから戻って来た後や明日に読むこともできるので、レリーナはそのまま本を借りることにする。
急いで家に戻り、部屋へ入ると机の上に荷物を置いた。すでに扉は現れていたのでレリーナはそちらに近付いたが、ふいにその足を止める。
一旦、部屋を出るとキッチンに入って冷風庫を開けた。一般の人にも使用できるように開発された、氷結の力が働く食料保存箱である。その中の二段目の一角に、小さなゼリーがたくさん入っていた。チョコを手作りする時などに使う小さな紙のカップを使い、レリーナが作ったフルーツゼリーだ。
「妖精にリクエストされたの。だから、食べないでね」
家族に、どうせならもっと大きな容器で作ればいいのに、と言われ、レリーナは笑ってそうゴマかした。見習いでも魔法使いならそういうこともあるのだろうと、家族はあっさり納得し、食べられることなくそこにある。レリーナは運ぶために用意しておいたケーキ用の箱にそれらを並べ入れると、改めて部屋に戻った。
図書館で見たのとは違い、いつもと同じでまともな大きさの扉の前に立つ。ノブを押し下げ、扉を開けた。
「え?」
思わずそんな声が出た。カロックへつながる扉を通ると、そこはムーツの丘と呼ばれる場所。いつもそうだし、今回もそうだ。しかし、いつもと違う点がある。
小雨が降り、空も灰色なのだ。暖かな太陽の光が降り注ぎ、青空が広がるのが常であるカロックに雨が降っているのである。心なしか、空気もひんやりした感じだ。
「あ、レリーナ。そこにいて」
先に来ていたラディが、こちらへ駆けて来る。駆けて、と言ってもそんなに距離はないのでほんの数歩ではあるが。
レリーナのそばへ来たラディは、結界の呪文を唱えた。いつもならまず魔獣を呼び寄せ、目的地へ出発する時にかけている魔法なのに。
不思議に思ったレリーナだったが、すぐにその理由がわかった。
人間に対してかける結界は、いわば透明の膜。魔物の攻撃から守ってくれるように、雨もしのげるのだ。崖から落ちたりしたら、その衝撃までは遮断できないが、この程度の雨なら弱い魔物が水で攻撃したのと同様に弾いてくれる。魔法の気配を消して移動する時には使えないが、今はそんな気遣いをする必要もない。傘をさしてカロックを動き回る訳にはいかないから、見事な代用となる。
「ありがとう、ラディ」
「驚いただろ。雨なんて珍しくないのに、カロックに来る時はいつも晴れてたから意外すぎてさ。思わず、どうなってるんだって言ってジェイに笑われた」
言いながら、ラディは苦笑する。レリーナも笑ったが、ラディのそう言いたくなる気持ちもよくわかった。
常に同じ天気なんて自然界ではありえないと知っているはずなのに、異世界というだけでその常識もあっさり破られてしまう。
「まぁ、この辺りで雨が降るのは確かに珍しいんだけどさ。どうなってる、はないだろ」
ラディの後からこちらへ来たジェイが、けらけらと笑っている。
「珍しいことには違いないのね。じゃ、雪が降ったりもする?」
「この辺りには降らないな。雪がある場所は限られてるんだ。そのうち行くことになると思うぞ」
「あたし、寒いのは苦手だから、行かないで済むと嬉しいんだけど」
そうはいかないのだろうが、レリーナの個人的希望だ。
「オレが細工できることじゃないから、期待には添えないだろうなぁ。妙に重なったように思うけどさ、今回の行き先は雨降りの森なんだ」
「じゃあ、この状態がずっと続くことになるのか。結界が無事な限り、濡れることはないけど」
「ジェイ、地面がみんなぬかるんでる森へ以前行ったけど、あんな感じなの? あの森は霧が出たりしていたわよね」
湿度の高い空気に満たされ、ツルが絡んだような木が生え、地面という地面はぬかるみだった森。この森ではラディが命の危険にさらされた。雨降りの森と聞くと、あまりいいイメージがわかない。
「地面はほとんど苔に覆われてる。苔がない部分はぬかるんでるかな。だけど、その森は地面より空の方がちょっとヤバいんだ」
「これまで、安全な場所に行ったことはなかっただろ。何がヤバいんだ?」
「雨以外のものが降ってくるんだ」
「……」
ラディとレリーナ、二人して沈黙する。あまり先を聞きたくない気がした。
「えーと、まずそれが生きてるか生きてないかを聞こうか」
「生きてない。さすがに魔物が雨みたいに降ってたら、オレもやだよ」
そんなことになったら、魔物の巣窟よりひどい状態になりそうだ。
「遠回しに聞いても同じか。何が降るか、率直に言ってくれ」
「石とか泥とか」
「泥もいやだけど、石が降るって怖いわね。だけど、石が降ってたら、地面がとんでもないことにならない? 岩山みたいになったりして」
「地面に落ちると、雨みたいに染み込むんだ。卑怯だよなぁ。地面に染み込むなら、降ってる時も雨みたいに影響の少ない状態でいてくれればいいのにさ」
ジェイの言うことももっともだが、地面に落ちた時のことなんてこの際どうでもいい。問題は空中にある間は「石」に違いない、ということだ。石の雨ということは、色は違うがヒョウやアラレが降るようなものか。
「カロックって、本当に危険に満ちてるなぁ。自然界では危険は普通なんだろうけど」
扉を通って現れるこの丘は、数少ない安全な場所のようだ。いつもここに出て来るのは、そのためだろう。
「全体的には雨が降る場所の方が多いけど、そういうエリアもあるってことだよ。んじゃ、ラディ。召喚、頼むな」
「ああ。あ、そうだ。この前、召喚の授業があってさ。俺の呼びかけに応えたのがグリフォンだったんだ。バルディが金色になったような個体でさ」
ラディは先日の成果を報告する。
「グリフォンって、すごく珍しい魔獣でしょ。カロックじゃないのに、来てくれたの?」
「ああ。俺より、先生達の方が盛り上がってた」
ラディはその時のことを簡単に話した。
「ここでやる時と同じ感覚だったから、大型の魔獣が現れたのかなって」
「言ったろ。ラディは召喚がうまいって。それが発揮されただけだ」
「そうなのかな。先生達はグリフォンが現れたことに意識が向いてたみたいだから、そういうことは言われなかったけど」
「んじゃ、そのうちわかるようになるさ。その調子で他の魔法も頼むぞ」
「ああ、がんばるよ。こんな話をした後で召喚するって、何となく緊張するな」
大型の珍しい魔獣を呼んだと話していたのに、ここで召喚したら小さな魔獣が現れた、なんて大笑いだ。
ラディは大きく息を吐き、それから召喚の呪文を唱えた。少しすると、目の前にたくさんの水滴が現れ、急速に一つとなる。それが大きな塊になったと思った瞬間、弾けた。その後で現れたのは、濃い青の身体を持つ魔獣だ。
「お前が私を呼んだのか? この世界に……人間?」
人間にすれば、二十代後半かもう少し上といったところだろうか。落ち着いた低い声だ。コバルトブルーの身体は長く、ラディの身長の1.5倍くらいか。何とか抱えられる太さだ。そこに短い四肢があり、身体の色よりやや濃い瞳は濡れて輝いている。全体としてはジェイとよく似た姿なのだが、牙や角、ヒゲは見当たらない。蛇と呼ぶには脚があるし、トカゲと呼ぶには頭が高く持ち上げられている。
「そうだ。俺はラディ。大竜の試練の協力者だ。この世界での移動や襲って来た魔物を撃破するのに、お前の力を貸してほしい」
「試練、か」
静かな瞳がジェイの姿を捕らえる。
「うん、そう。今日はキウの森へ行くんだ。一緒に行ってもらえると、すっごく助かる」
相も変わらず、ジェイの口調は軽い。他の大竜はどういう言い方をしているのか、尋ねてみたい気がする。
「水属性の小竜なら、どうってことない場所だろ」
そうか、これが小竜って呼ばれる魔獣か。
ジェイとよく似ていると思ったのも、同じ「竜」という名前があるせいだろう。本では見たことがあるが、竜の姿はどの本でも大雑把な姿でしか描かれないため、どうしてこの魔獣に竜の名前がついているのかわからなかった。ジェイを見て竜の姿を知り、こうして小竜を目の前にすると、確かに小さな竜という名前が合うように思える。……今はジェイの方が小さな竜だが。
ジェイは水属性と言ったが、ラディが今回の目的地が雨降りの森と聞いたので、自然にそのイメージが念に絡んで呼び出せたのだろう。もっとも、雨以外の物が降るのに水属性も何も関係ないと言われそうだ。
「……大竜の試練については、聞いたことがある。わかった。どのようなものか、確認させてもらおう」
小竜はセルフィと名乗った。
「よーし。じゃあ、出発するか……と言いたいけど。レリーナ、何を持ってんだ?」
いつもは手ぶらの二人が、レリーナの手には白い箱。そこからかすかに甘い香りが漂うことにジェイは気付いていた。
「あ、これね。前に帰る時、ゼリーの話をしてたでしょ。ゼリーって何だって。だから、こういうものよって作って来たの。食べてみる?」
「やった。食べる食べる」
人間にすれば何歳になるのか聞いたことがないが、ジェイは小さな子どものように喜ぶ。並んだゼリーを見て、ラディが感心した。
「レリーナ、わざわざ作って来たのか」
「ゼリーくらいなら作れるもん。何がいいか迷ったんだけど、簡単に買えるオレンジとリンゴにしたの。あ、でも……異世界の食べ物を口にして大丈夫かしら」
「多少のことじゃ、はら痛なんて起こさないぞ。へー、色のきれいなスライムみたいだな」
「ジェイ! 魔物にたとえるの、やめてよ。あたし達、普通に食べてるものなんだから」
もう少し気の利いたコメントをしてもらいたい。次に食べる時、思い出しそうだ。
「これ、何でできてるんだ?」
「ジェイが今持ってるのは、オレンジゼリーね。オレンジってカロックにあるのかしら。柑橘の絞り汁とゼラチンと砂糖で作るの」
「ゼラチンって何?」
「え……」
そんな質問が出るとは思わなかった。ゼラチンはゼラチンだ。原料は……知らない。
「動物の身体にある成分だよ。確かタンパク質が主成分だから……細かいことは俺もよく知らないけど、動物の身体を作ってる物の一部ってこと」
「へー。これの中に動物が入ってるのか」
「間違いじゃないけど……煮詰めたりして加工したものだから。骨や皮がそのまま入ってる訳じゃないぞ」
ジェイが小さなカップの中をまじまじと見るので、ラディは苦笑しながら訂正しておく。カップは小さいが、ジェイが小さいのでそれなりの大きさに見えた。
「ラディ、ゼラチンの原料、知ってるのね。あたし、考えたことなかったわ」
どう答えていいかわからずに困っていたら、すっと救いの手を差し伸べられた。内容はそう大したことではないかも知れないが、レリーナにとっては感激ものだ。
「何かでたまたま読んだんだ。俺もそんな細かい部分はよくわかってないしさ。それより、俺も一つもらっていい?」
「こんな小さいのでよければ。セルフィもいかが? 果物や甘い物がきらいじゃなければ、試してみて」
レリーナはリンゴゼリーを勧めた。
「果物はたまに食するが……」
見慣れない食べ物を差し出され、セルフィは少しちゅうちょしている。いたって普通の反応だろう。ジェイが無警戒すぎるのだ。
「お皿に出せれば、あなたでも食べやすいと思うんだけど。これでどう?」
カップは紙だから、力の入れ加減でどうにでも変形させられる。レリーナはカップを押し広げ、カップそのものを皿のようにした。スプーンなどはないので、ラディは吸い込むようにして食べている。ジェイも小さな手でカップを持ち、同じようにして食べた。
「確かに柑橘だけど、何か違うぞ。甘いしうまいし、ふるふるしてる」
ジェイは気に入ってくれたようだ。セルフィも匂いを嗅いでいたが、レリーナの手の上にあるゼリーを吸い込む。
「朝露を飲んでいるみたいだな」
「そう? やっぱり小さいと水滴に等しいかもね」
ジェイ向けのつもりだったので、小さいカップにしたのだ。ラディやセルフィにはさすがに小さい。
「だが、味は悪くない」
「本当? よかった。作った甲斐があったわ」
雨は降っていたが、ムーツの丘の一角では笑顔の花が咲いたのだった。





