灰色の山
アルダに翼はないが、二人の人間と小さな竜を乗せ、軽やかに宙を駆けていた。しかし、元々高くは飛べないと言う。なので、森の上を通過する時などはかろうじて森の木に足が触れない、という高さで移動している。頭では空を飛んでいるとわかっているが、この光景を見ていると草原を駆けているような錯覚を覚えた。
「空を駆けるのって、かなり遠出する時くらいだからね。この力がなくなっても、地面を早く駆ける脚があるから特に困らないわ」
空には障害物がない、というのが飛べる力の利点らしいが、急を要することがそうそうない。そのため、アルダの種族はあまり空を駆けることがないと言う。
「普段は地面を駆けるってことは、こうして空を飛ぶのは久々だってことだろ?」
「そうね。前回空を駆けたのがいつだったか、すぐには思い出せないわ」
「それでこんなにスピードが出るのか……」
下を見れば、木々の緑が流れていく。間近だから、流れる速さがはっきりわかるのだ。これで久々のスピードなら、普段走っている地面ではもっと早く駆けられるということだろうか。人間が逃げようとしても、数歩も先へ行かないうちに捕まってしまいそうだ。
「ラディってさ、やっぱり召喚うまいよな」
「そうか? 竜にそう言ってもらうと、嬉しいけど……ジェイの言い方だと、いつも召喚だけがうまいみたいに聞こえるんだよなぁ」
前にもそんなことを言われたが、他の魔法でほめられたことがないので、本当に召喚だけしか能がないみたいだ。
「まぁ、他の魔法はそこそこってところ。召喚についてはさ、こうして呼び出す魔獣がみんな、移動が速いんだ。高さは問題ないから、アルダみたいに高く飛べなくてもいいし。でも、こうやっていい感じで向かえてるからな」
「今までに呼び出した魔獣も速かったの?」
「ああ。アルダに負けず劣らず速かったぞ。同じ行くなら、早く着く方がいいからな」
「ふぅん。ま、速さならそう簡単には負けないわよ」
ライバルがそばにいる訳でもないのに、アルダの駆ける速度が上がった。
「お、見えて来たぞ」
ラディの体感では、一時間くらい経った頃だろうか。
ジェイの言葉で前方を見るが、何も見えない。竜の視力がどれだけあるのか知らないが、大竜にしろ魔獣にしろ、人間とは比べものにならない程遠くまで見えているらしい。荷物にならなければ、双眼鏡がほしいところだ。
それでも、ジェイがそう言って少しすると、小さな山が見えて来た。最初は影のようにしか見えなかったが、その黒い影がわずかに薄まって暗い灰色になり……そのままの色で山の姿が現れる。
「灰色のあれ? あそこがラパの岩山なのか?」
「そうよ。ね、地味でしょ」
アルダが地味と言うのもわかる。形はどこにでもありそうな山だ。斜面には木が生え、その木には葉が茂っている。ただ、色は灰色の濃淡でしかない。地面や木の茶色も、葉の緑もない。一部では花らしい形の物が咲き乱れているのも見えたが、それも灰色だ。
「もしかして、あそこにいる生物も似たような色なのか?」
「よそ者でない限り、そうだな。ここに限らず、周囲の色に溶け込んで自分の姿を消す奴は存在するけど、ここはさらにわかりにくいから気を付けろよ」
岩の凹凸だと思ったらトカゲだったり、たくさん茂った葉の一枚だと思ったら虫だったりすることはざら。単なるトカゲや虫ならいいのだが、その中に魔物が潜んでいるから少々やっかいだ。
「ここにいる奴全てが擬態してるってことか。目がおかしくなりそうだな」
「ジェイ、そういうのが襲って来たら……どういう攻撃をすればいいの?」
「特にこれっていうのはない。もちろん、相手によって弱点はあるけどな。よその山や森にいる奴と同じだ。色が山と同じってだけ」
「どの魔法を使ってもいいってことか?」
「制限はないぞ。来る前にも話したけど、草や木は岩に近い成分なんだ。火を使っても、周囲に燃え広がることはほとんどないから遠慮するな。獲物だと思ってかかって来た奴は、こっちも遠慮しなくていいから」
魔法に制限がないのは嬉しいが、相手が喰うつもりでかかって来るのかと思うと、そこはあまりいい気がしない。だが、その点はいつものことだ。
「で、どこに行けばいいの?」
目が悪ければ、灰色の山ではなく「灰の山」に見えそうだ。すぐ近くまで来ると、灰色の壁が立ちはだかっているように思える。
「んー、もうちょい右。……あ、その辺り。降りやすい場所でいいから降りてくれ」
ジェイに誘導され、アルダはラパの岩山に降り立った。
「確かに木だけど……岩から削り出されたみたいな感じだな」
「本当にジェイの説明通りの山ね」
足下には丈の短い雑草も生えているが、それらも灰色。しかも、よく見れば岩で作ったんじゃないかと思えそうな質感だ。非常に精密にできた彫刻にも見える。そういう意味では、とてもリアルな芸術品と言えそうだ。
「で、今回は何の魔法を使えばいいんだ?」
地図のかけら探しをする際は、ラディかレリーナがジェイに指定された魔法を軽く発動させる。どういう作用か未だにわからないが、その魔法を使うことでかけらの気配がジェイには感じ取れるのだ。
「今回は火の魔法。頼むな」
「わかった」
火を使っても心配することはないような話だったので、魔法を使う方としても気が楽だ。
ラディはろうそくに点すような小さい火を出す。かけら探しの時は、これで十分らしい。よくこんなのでわかるなぁ、といつも感心する。
「んー……こっちの方向だな」
ジェイが動き出し、ラディ達も後に続いた。
「いっつもこんなこと、してるの?」
ここへ来る間に大竜の試練については説明していたものの、思った以上に地道なものなのでアルダが一応の確認をする。竜が巣立ちするための儀式と聞いているし、それならそれでもっとハードなものを考えていたのだ。
「場所は違うけど、いっつもこんな感じだよ。レリーナや俺が言われた魔法を使ってジェイが進むのがいつものパターン。……今までスムーズに進めた試しはないけど」
「あら、どうして?」
「オレ達の行く手に魔物が現れて、妨害しようとするからな」
ジェイの言葉で緊張が走るが、その姿は見えない。ただ、ラディも何かしら異様な雰囲気は感じ取れた。何かにじっと見られているような。
「別に大竜の試練を邪魔するつもりじゃないと思うんだけどさ。単に自分達のテリトリーにエサらしいのが来たから襲っちゃえってところだろ」
「ジェイ、軽すぎるわ……」
レリーナが苦笑するが、魔物にすれば本当にそんな気分なのかも知れない。うまくいけば腹が満たされる、という程度でしかないのだろう。襲って来るのはレベルの低い魔物がほとんどなので、ジェイの強さを知らないからそういうことができるのだ。
「なーるほど。この連中、襲っちゃえって思ってるのね」
「え……あの、アルダ?」
レリーナはアルダの言葉に不安を覚える。
「少しは感じない? もう囲まれてるわよ」
異様な雰囲気は気のせいではなかった。周囲の木々が、風もないのに揺れている。茂った葉はこすれ合い、ざらついた音を出した。一応結界は張っていたが、ラディは念のためにもう一度レリーナと自分に結界を張る。
「オレ達の邪魔をしたって、何のメリットもないはずなんだけどなぁ。ラディ、そっちに葉の形をした虫がいるぞ」
ジェイが正体をあっさり見破ったそばから、本当に葉の形をした生物が動き出す。
「あ、虫って言っても魔物だからな。そんなサイズでも」
せいぜいラディの手の平くらいだろうか。これではピンとこないが、ジェイが言うからには間違いなくこれでも魔物だ。
「……ぜいたく言うつもりはないけど、それなりに普通の色の方がいいかも。帰ったら小石もまともに見られなくなりそうだわ」
多少色の濃さは違うものの、現れた葉の形をした虫の魔物は全部が灰色。薄っぺらい身体に細い手足がついている。
「何かされる前に、さっさと掃除するに限るか」
ラディは魔物がいる周辺で小さな爆発をいくつも起こす。その爆発に巻き込まれ、魔物は本当の木の葉のように吹っ飛んだ。レリーナも小さな火の玉を連続で飛ばし、魔物達を弾き飛ばす。ジェイは岩を降らせて押しつぶし、アルダはその強靱な爪で引き裂いた。
「小さいけど……数が多いな」
どうにか一掃できたが、次々に現れるのには閉口する。大きい魔物単体も怖いが、小さい魔物が複数で来るのも面倒だ。今はジェイが教えてくれたから、攻撃を受ける前にどうにか消すことができた。だが、教えてもらわなければ、どこに潜んでいるのかよく見えない。
「ここにいたら、また出て来そうだな。行くぞ」
ジェイの言葉に反対意見はない。ラディ達は足早にその場を後にした。
☆☆☆
進んで行くと、また別の魔物が現れる。次に現れたのは、ネズミのような小動物系だ。さっきの虫よりは大きいが、それでもどちらかと言えば小さい部類に入るだろう。
身体に見合わない太いしっぽを武器にして振り回し、尖った前歯を突き立てようとする。以前にも似たような魔物には遭遇したが、今回はその時よりも小さい代わりに数がさらに増えた。ついでに言えば、灰色の身体だ。本当に石でできているんじゃないかと思えるような質感である。
「こんなのを相手にしていたら、キリがない。ジェイ、少しくらい大きい火を使っても山火事にはならないよな?」
「大きい火? たぶん……」
「おいおい……」
確か、火を使ってもいいと聞いた気がするのに。
「冗談だよ。もし火事になりそうだったら、ちゃんと消してやるから。どうするんだ?」
「一気にやらないと、俺達の体力がすぐになくなりそうだからな」
ラディが呪文を唱えると、周囲に火の手が上がる。ラディ達を中心にして火が燃え上がったのだ。火の結界ができたようなもの。いくら魔物でも、その火の壁に飛び込んで中の獲物を襲ってやろう、という無鉄砲なことはしない。火の勢いにたじろぎ、だが逃げるでもなくラディ達から狙いを外そうとはしなかった。
「逃げなかったことを後悔させてやるよ」
ラディ達を囲んでいた火が、再び唱えたラディの呪文で外へと広がる。火の輪が魔物達の方へ迫ったのだ。驚いた魔物達が逃げようとするが、あわよくば襲ってやろうとラディ達に近かった魔物は逃げ切れず、炎に焼かれてしまう。火の輪は高速で広がり、逃げようとする魔物を次々と焼き尽くしていった。
ある程度まで広がると、火は急速に衰える。消えた後には、魔物だったのであろう黒い灰が残っていた。相当な数を焼いたはずだ。火の勢いに恐れをなし、かろうじて生き残った魔物達はちりぢりに逃げて行く。
「おー、やったな、ラディ。これであいつらが余程のバカでもなきゃ、しばらくは寄って来ないだろ」
「しばらく、なの?」
「あんまり記憶力がよくないからな。頭、ちっさいだろ。その分、覚えてられるのも限られてるしな。しばらくしたら恐怖心が消えて、また来るって寸法。全滅させるか、ここを出るかしない限り、ずっとあいつらの相手をさせられるんだ」
命の危険を感じてくれない魔物というのは、こういう時に厄介だ。
「じゃ、そのしばらくってのが来ないうちに行きましょ。ラディが心配した山火事にはならなかったようだし、私達がここにとどまる理由はないでしょ」
アルダに促され、また歩き出す。今はラディが火の魔法を使ったので、改めて使う必要もなく進める。
「あれ、何なの?」
最初に気付いたのは、レリーナ。進行方向にある木や岩の上に、それらとは濃さの違う灰色の泥のような物がついている。水分の多い泥がついているように見えるが、木の幹についているそれらはたれてくる様子もない。
「スライム系の魔物」
「ああ……」
ジェイの答えを聞いて、レリーナは言わなきゃよかった、と後悔する。どうせそのうち向かい合うことになるのだろうが、自分からあんなものに気付きたくなかった。
「やだ、もう……溶けかけたなめくじみたいだわ」
「あ、そうかも。レリーナ、例えがうまいな」
「ジェイ、笑い事じゃないわよ。あれもやっぱり……こっち来る?」
「準備中ってところだな」
そんなことを言っている間に、泥のように見えた魔物は次々に木の幹を伝って地面に降りて来る。地面と同じような色をしているが、わずかに立体的なので影が見えた。そのおかげで存在がわかりやすい。擬態という点では、最初に見た虫の方がずっと上手だ。
「さっきラディが使った火でやっちゃえば、簡単じゃないの? あいつら、のろのろしてるし、この周辺の分なら全滅もさせられそうよ」
こういう魔物に触るのはあまり気が進まないのか、アルダがラディに火の魔法を促した。
「ね、ねぇ、あれって……」
「え……ジェイ、あれって合体、してるのか?」
木や岩から降りて来たスライムの魔物は、仲間とくっつき合い、そのサイズを元のものより大きくしようとしていた。くっつく数が増えれば、その分大きくなる。
「大きくなって、一気にこっちへどーんっ……といった計画かな」
「ねぇ、ジェイがシリアスになる時って、あるの?」
「えーっと、俺が知る限り、ないな」
ジェイが他人事のように言うのでアルダはあきれ、問われたラディも苦笑するしかない。
「どんな言い方したって同じ結果になるんだから、それなら明るく言った方がよくない?」
「緊張感に欠けるわ」
アルダはすっぱり斬り捨てる。そんな会話の間にも、魔物は一つになろうとしてサイズを大きくしていった。
「全部集まってから叩いた方が、何度もやる手間が省けていいかもな」
「そんなことして、俺達の力が通じなくなるまで大きくなったらどうするんだよ」
単に淋しいからみんな集合、とは思えない。集まることで力が強くなるから合体しているのだ。力、つまり攻撃力だけでなく防御力も上がれば、一体ではあってもひどく面倒な相手になってしまう。
「そこは連携だろ。さて、こういう奴には何を使うかなー」
「ぶよぶよしてるから、固めちゃえばどう? それをたたき割って小さくなったのを集めて燃やせば、あいつらも動かないから楽に始末できるんじゃないの?」
「お、アルダの案、いいねぇ。それを採用しようぜ、ラディ」
あの魔物が集まることでどんな動きを見せるかは予測もできないが、それができないようにしてしまえばいいのだ。
「固めるってことは、凍らせるのがいいかな」
「それがいいだろ。あの色だと、土の魔法は効果が薄そうだしさ。みんなで一斉に氷魔法を使えば、十分に通用するって」
「言い出しておいて悪いけど、私は氷結魔法はできないわよ」
「そっか。まぁ、オレ達だけでも何とかなるだろ。そろそろ全員集合かな」
どれだけのスライムが隠れていたのか、合体した魔物はラディの身長よりも高くなっていた。幅にいたっては高さの二倍以上はある。遠くから見たこの岩山を模型にしたらこんな感じになるんじゃないかと思えた。
「よーし、いくぞー」
アルダの言う通り、緊張感のないジェイのかけ声でラディとレリーナは一つの山になったスライムを凍らせるべく、氷結の呪文を唱えた。さぁ、これから、という時に動きを封じられてしまい、魔物の山はぶるぶると震えて何とか動こうとする。だが、三つの力が同時に働いているので、そう簡単には動けない。
「うわっ」
だが、相手もだてに集まったのではないようで、凍りかけていた表面に亀裂が入った。そのまま内側から力を放出したのか、氷結の魔法が弾き返される。結界を張っていなければ、魔物の表面についていた薄い氷が飛び散り、カミソリで切られたような傷ができていた。
「あら、返されちゃったわね」
「気合いがちょっと足りなかったか。ラディ、レリーナ、もう一度やるぞ」
「だけど、同じことをして効くかしら」
「すぐには動けないみたいだぞ。次は固まるって」
「ジェイが言うと、ゼリーでも作ってるみたいだな」
「あんなゼリー、見るのもいやよ」
グロテスクにも程がある。レリーナが大きく首を振った。
「ゼリーって何? 食い物? うまいの?」
「そういう話はあいつを片付けてからにしなさいよ」
横で見ていたアルダが、完全にあきれている。
気を取り直し、ラディ達は再び氷結の呪文を唱えた。魔物は抵抗しようとぶるぶる震えたが、今度はさっきのように氷を跳ね返せないでいる。数回重ねて凍らせ、完全に動かなくなったのを確認して、ようやくラディとレリーナは一息ついた。
「まだ終わってないぞ。次は爆裂な。氷ごと割れたら、あとは一気に焼き尽くせば片付くだろ」
「あの……あたし、まだ爆裂は習ってないわ」
氷魔法は中級1で習うが、爆裂は中級2で習う。完成させやすい魔法から教えてくれればいいのだが、あえて難しい方から教えられるのだ。早めに教えておくから、さっさと慣れろ、という意図があるらしい。
「そうか、レリーナはこれからだっけ。じゃあ、俺の爆裂の力に火の力で援護して」
「わかったわ」
「火なら、私もできるわよ」
今度はアルダも加わり、全員で一気に火の力を魔物に向ける。ラディとジェイはそこへ土の力を加えて爆裂を起こした。氷漬けの魔物は一気に熱せられ、大きな亀裂がいくつも走る。その形を保っていられず、大きな音をたてて魔物は砕けた。
大小のかけらに砕けたそれを、さらに火で包む。再び分裂して元に戻らないよう、焼き尽くした。
砕けて遠くまで飛んでしまったかけらについては、いちいち集めていられない。だが、目の前にある魔物のかけらだった物は全て焼き尽くした。これでスライム系の魔物は一掃できた……はずだ。少なくともこの周辺にいる魔物は。
「今度も火を使ったから、かけらの気配がわかりやすいな。よし、よそから別の奴が現れないうちに行こうぜ」
ラディ達はジェイの後に続いて歩き出した。