不満
似たような魔物が現れてはそれを排除しながら歩くうち、ラディ達は岩壁の前に立っていた。どこを見たって岩か岩と同じ色の草木なので、正直なところ壁なんだか何なんだか、よくわからないような気分だ。
とにかく、前へ進もうにも灰色の壁が邪魔している。上を見ても同じ色の枝葉が視界を遮っていて、目の前の壁が大きな岩なのか崖の一部なのか判断できない。歩いて来た方以外で進もうと思うと、左右どちらかへ行くしかないのだ。ジェイが周辺を探ると、人が一人通れそうな幅の穴を見付ける。
「この岩壁の奥からかけらの気配がしてるし、この穴を通り抜けた方がたぶん近道だ」
迂回しようとしてかけらから離れてしまうのは困るし、回り道をしたところでやっぱり進むのは難しい状態となったら、またここへ戻って来なくてはならない。穴を通れば近道になる分、何があるわからない危険性というものが出て来るが、それは今更だ。
「アルダにはちょっと幅がきつくないかしら」
ラディやレリーナは横向きになればどうにか通れる、という幅だ。高さは問題ないが、大型の魔獣には通りにくそうな狭さである。
「あら、これくらいなら通れなくはないわ」
「基本がねこだから、多少狭く思えても行けるんじゃないか? 顔が通れば身体も通るって本で読んだような気がするけど」
「多少身体が当たっても、この穴はそう簡単に崩れそうにないから。心配しなくていいと思うぞ」
「別に心配なんてしてないわ。でも……そうねぇ」
ラディやレリーナの顔を見て、アルダは意味ありげな笑みを浮かべた。
「ちょっとマネしてみようかしら」
「マネって俺達の? 俺達の何を……」
ラディが言ってる間に、アルダの姿が変わっていく。
「あー、マネってそういうことか」
ラディとレリーナが目を丸くしている横で、ジェイが納得している。
アルダは人間の女性に姿を変えたのだ。声や話し方でだいたいの推測はしていたが、二十代前半に見える。長く真っ直ぐな黒髪が腰まで伸び、肌は白くてきめ細やか。身長はラディとほとんど変わらず、人間の女性達がうらやむような素晴らしい体型をしている。顔立ちも整っているが、その瞳は黒豹の時と同じ金色。
なぜか黒のノースリーブのミニワンピース姿。さらにヒールの高い黒のロングブーツ。カロックに人間はいないのに、どこでそんなファッションを知ったのだろう。
「魔力の高い魔獣が人間になるってことは聞いてるけど……美人って本当なんだな」
「あら、ありがと」
「……」
ラディと嬉しそうに笑うアルダを見ていたレリーナだが、彼らからすっと視線をそらす。
「ジェイ、これって洞窟の入口……じゃないの?」
「たぶん、すんげー大きな岩だ。覗いて見た感じだと向こうは明るいし、自然現象で亀裂が入ったか何かで通り道ができたようになってるみたいだな」
「以前入った、地底湖へ続く洞窟とはまた違うってことね」
「ああ、そういう空気は感じない。んじゃ、行くか」
ジェイが先に穴の中へ入って行く。ぼんやりと明るいのは、ジェイの身体が淡く発光しているせいだ。入口付近は少し暗いため、地底湖へ行った時の経験をふまえて協力者の二人が歩きやすいようにという配慮だろう。
「次は俺が入るよ。レリーナがその次で、アルダが最後。アルダ、おかしな奴が追って来ないか、注意していてくれ」
「わかったわ」
ラディはジェイの後に続いて穴へと入る。その後にレリーナ、アルダと続いた。
中は暗いが、真っ暗ではない。薄闇といったところか。先を行くジェイが発光しているのもあって、恐怖を感じるような暗さではなかった。それに、進行方向は確かに明るいようだ。自然のトンネルみたいなものだろう。
「あら、思ったより縦長の穴ね。かがまないと歩けないかと思ったけど、手を伸ばしても上に手が届かないわ」
アルダの視線は普段より間違いなく高い。それが面白いのか、声が今までより楽しそうに聞こえた。空を飛べるのだから高い視線など珍しくないはずだが、それはそれなのだろう。
「レリーナ、足下は大丈夫か? 俺が歩く限り、だいたい平坦な道みたいだけど」
「うん、平気よ」
トンネルの中で魔物が現れるでもなく、無事全員が通り過ぎて外へ出た。トンネルの向こうも灰色の世界でさっきまでと大して代わり映えしない景色だが、草木が密集したように生えている所が多いため、通りやすそうな場所が限られてくる。見た目は草でも石のようなものだから、気楽に踏んで進めないのだ。こういう時は宙を浮かんで移動できるジェイがうらやましい。
「アルダ、元に戻らないのか?」
人間の姿のままで歩くアルダに、ラディが首を傾げる。さっきは岩穴の幅の関係で姿を変えたが、今は黒豹の方が都合がいいはずだ。
「戻ってもいいんだけどね。二足歩行なんて、そうないでしょ。もうしばらくはこのままでいようかしらって。心配しなくても、魔物が現れたってちゃんと対処はできるから」
「心配はしてないけど……腕や足に傷ができるんじゃないか?」
足下はロングブーツなのであまり問題ないが、腕に関してはノースリーブなのですらりと伸びた白い手はむき出しだ。周囲の草木は遠慮なく傷を付けるに違いない。ラディもレリーナも長袖だからそういった心配はないが、アルダの格好を見ていると少し歩くだけで傷だらけになりそうで見ているこっちの方が怖いのだ。
「私が魔獣だってこと、忘れてない? これくらいで傷が付く程、やわじゃないわ」
「あ、そうか……」
繊細そうに見えても、現実には人間の何倍も強い魔獣なのだ。
「でも、心配してもらえるっていいわね。たまにはかまってもらえるのも悪くないわ」
「きれいな女性が傷付くのって、見たくないしさ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
アルダが笑う。瞳の色さえ見なければ、本当に人間の女性が笑っているみたいだ。灰色の濃淡しかないこの山の中で、レリーナには彼女が輝いて見える。
「ジェイ、火を使わなくてもかけらの気配はわかるの?」
レリーナは視線をそらし、何でもないようにジェイに声をかけた。
「うん。こっちだ」
レリーナに尋ねられ、ジェイは進行方向を指し示すと再び進み始める。ラディ達もその後に続いた。
同じように歩いているつもりだが、道なき道を進んでいるためか、次第にレリーナの歩調が少し遅れがちになる。その少し後ろをアルダが歩いていた。レリーナより余程歩きにくい靴なのに、アルダは何も問題なさそうに進んでいる。
「ねぇ、レリーナ」
「え? 何?」
一度振り返ろうとしたものの、足下の悪さで転びそうになるため、レリーナはすぐに前へ向き直る。
「協力者同士でも、仲が悪いもの?」
「え? 仲が悪いって……ラディとあたしのこと?」
唐突な質問に、レリーナの足が止まる。
「そうよ。ここではあなた達しかいないでしょ」
「それはそうだけど……どうしてそう思うの? あたし達、別に仲が悪い訳じゃないわ」
立ち止まってしまったことで、ラディやジェイとの距離がまた少し離れる。
「あたし達、試練の協力者である前に、幼なじみなの。あ、幼なじみってわかる? 小さい頃からお互いを知ってる友達ってことだけど」
「ふぅん。小さい頃を知ってると言っても、だからって仲がいいとは限らないでしょ」
「そういう場合もあるけど……あたし達は違うわ」
「そうかしら。レリーナの態度って、どこかよそよそしいわよ」
「え……」
そんなことを言われたのは初めてだったので、レリーナは驚いてアルダの顔を見た。
「あまり彼に構いたくないって感じ。さっさと終わらせて帰りたいみたいよ」
「魔物が出る場所から早く帰りたいって思うのは確かだけど、ラディに構いたくないってことは……」
「ラディに何か不満でもあるんじゃない?」
そう言われ、レリーナは「ない」とすぐに言えず、言葉に詰まった。
「ほら、やっぱりあるんじゃない」
「あたし、不満なんて……」
「それじゃ、ないってすぐに言えなかったのはなぜ?」
遠慮なく尋ねられ、また詰まった。
カロックへ来て、魔物を退けるために魔法を使う。その時に少しでもケガをせずに済むよう、ラディは結界を張ってくれる。レリーナが危ない時、援護してくれるし、守ろうとしてくれる。
そんな彼に不満があると言ったりしたら、ラディでなくても気分が悪いだろう。
でも、レリーナは言葉に詰まってしまった。
「あなた達の世界の方で、何か問題でもあったんじゃないの」
「問題なんて……。あたし達、普段はお互いが顔を合わすことってほとんどないの。こうしてカロックに呼ばれた時に会うくらいで……」
「今、自分で言いながら何かに引っ掛かったでしょ」
アルダは怖い程、レリーナの表情の小さな変化に気付く。
「ほとんどないってことは、少しはあるんでしょ。どこかで顔を合わせた時に、何かあったんじゃない? 言い合いしたとか」
「何かって、何も……。あたし達が通ってる魔法使いの学校で、ラディが女の子と魔法の練習をしているのを見たくらいよ」
前回カロックへ来て、今回カロックへ来るまで。ロネールでラディを見掛けたのは、その時だけだ。そう、見掛けただけ。言い合いどころか、言葉は何も交わしていない。
「何だ、わかってるんじゃない」
アルダが軽く肩をすくめた。
「要するに、ラディが女の子と一緒にいたのが気に入らなかったんでしょ」
「え、ちょっ、ちょっと待って、アルダ。ラディだって、誰かと一緒に魔法を練習することくらい、あるわよ」
「だけど、それが不満なんでしょ?」
「えー、そうなっちゃうの?」
アルダの出した結論に、レリーナは戸惑うばかりだ。
「取られそうだから、焦ったんじゃない?」
「と、取られそう?」
「あなた達を見てたら、いいつがいになりそうだもの。さっさと自分のものにしちゃいなさいよ」
「つがい……自分のものって……」
あまりにも意外な言葉がアルダの口から飛び出し、レリーナは彼女の言葉を反芻するしかできない。どうしてそんなふうにつながるのだろう。
「そう考えると、さっきのもそうだったってことね。ラディが私のことをほめたりしたもんだから、気に入らなかったんでしょ」
「それは……」
男の子って、やっぱりきれいな人が好きなんだなぁ、とは思った。アルダは人間ではないが、それは関係ない。だがまさか「きれいな人が傷付くのを見たくない」なんて言葉がラディの口から出るとは思わなかった。それを聞いて気に入らなかったと言おうか、気分がよくないと言おうか、どこか平静でいられなかったのは事実だ。
性格が素直で正直なレリーナは、そんなことないわよ、と強く否定できない。
「あれ? いつの間に離れてたんだ?」
ラディはレリーナとアルダが少し離れた場所で立ち止まっているのに気付いた。ずっと後ろについて歩いているものだと思っていたのに、音や気配がないことに気付いて振り返るといない。何やら話し込んでいるようだ。
「女同士の話かなー」
「え……まぁ、確かに女同士だけど、人間と魔獣だぞ」
「種族は違っても、女には変わりないだろ。何か通じるところがあるんじゃないか?」
「そうなのかな。何を話してるんだろ」
ラディの耳では、彼女達の会話を聞くことができない。
「さぁ。話が終われば来るだろ」
ジェイの耳には、彼女達の会話が届いているのだろうか。でも、何を話しているのかを尋ねるのは、盗み聞きするみたいで気が進まない。
ジェイが言うように、彼女達の話が終わるのをラディは待つことにしたのだった。





