召喚者の根性
ミュアとは自主練習を一緒にしなかったものの、次の日も彼女は相変わらず笑顔でラディに接してくる。アーディとの言い合いなどなかったかのようだ。ラディの方からその場を離れるのも不自然だし、そんなことをしなければならない理由はない。なので、何でもない顔で対応している。
マイズからは「殴られなかったか?」などと心配された。確かにあれだと殴られかねない雰囲気もあったが、口だけで終わった、と報告しておく。
土曜日になったが、カロックへの扉は現れない。不思議に思いながらも、こちらからはジェイにコンタクトの取りようがないのでどうしようもなかった。
今週前半はミュアと一緒だったためにしっかり練習できなかったので、その分を取り返すようにしてラディは練習に励む。もし帰りに現れたりしたらちょっときついなー、と思ったりもしたが、何事もなく家に帰れた。
まさかジェイの具合が悪いとか……って、ないよなー。竜なんだし、巨大魚に喰われても火の中へ手を入れても平気なんだから。それに、時間の流れがこっちとは違うんだし、具合が悪くなっても治ってから扉を出すタイミングを見計らえば済む話だ。前にも金曜日に扉が出たことがあったし、あんな感じでズレてるだけかも。微調整するのに手こずってるのかな。
日曜日。ラディはロネールに出かけた。
修学部は休みだが、フィールドでの練習は許可されてるので、今日も練習するつもりだ。休みの日はさすがに練習に来ている見習いは少ないが、ラディのように熱心な見習いもちゃんといて、それぞれに苦手を克服しようとがんばっていた。
午前は肩慣らしのつもりで、あまり力まずに基本魔法の練習をする。昼になって食堂で昼食をとり、またフィールドへ向かう途中で……あるはずのない場所に扉があるのを見付けた。
お、来たか。
薄い茶色の扉は、ただ廊下が延びるだけの壁に現れている。この近くに部屋はないから扉は一枚もないのに、ぽつんとそこにあるのだ。不自然に存在しているはずなのに、なぜか周囲の景色と馴染んで見えるのは、やはり竜の力だろうか。
ラディは扉に近付くと、軽くノックをする。いつものように、扉から生えるようにして大竜のジェイがひょいと姿を現した。
「よっ、ラディ」
小さな竜が小さな手を振る。
「やぁ、ジェイ。今回は一日遅く出てるぞ」
「え? そうなのか? そろそろ慣れてきたと思ってたんだけど」
「慣れたからだいたいこの辺りって思ったら、ちょっと違うってこと?」
「まぁ、そんな感じ。今日、大丈夫か?」
「俺はいいよ。練習しにロネールへ来てるから。レリーナの方はどうかな」
「問題ないってさ」
恐らくほぼ同時に扉を出し、それぞれの協力者と話をしているようなのだが、どちらの都合も同時にわかるというのは感心する他ない。
「じゃあ、今から家に戻るよ。また部屋にこの扉を出してくれ」
「わかった。んじゃ」
ジェイの姿が引っ込み、ラディは急いで家へ向かった。
「あら? ラディ、ロネールへ行ってたんじゃ……あ、今から?」
ずいぶん早く帰って来た弟を見て、姉のテルラはその理由をすぐに察した。彼女も偶然カロックへ足を踏み入れたことがある。普段帰りの遅い弟がたまに早く戻って来る理由も、その時に知った。
「うん。行って来る」
「死なない程度にがんばりなさい」
どんなことが待ち受けているかを知っている姉。冗談とも本気ともつかない見送りを受け、ラディは自分の部屋へ戻った。
入るとすぐにさっきと同じ扉が現れる。いつもながら、見事なまでのタイミングだ。ラディはノブを回し、扉を押した。
扉を抜けると、明るい青空が広がる丘へ出る。いつもと同じムーツの丘だ。そして、宙にふわふわ浮いている大竜のジェイがいる。
「ラディ、練習中だったのか?」
「午前中……えーと、つまり昼飯前だけ。軽く肩慣らしできた状態だから、ちょうどいいよ」
カロックに棲む竜に午前午後の感覚がわかるのかふと疑問に思ったラディは、たぶんわかりやすいだろう言い方をしておいた。
土曜日に呼ばれれば、午前に授業があるのでこれもまたいい肩慣らしになる。だから、ラディ達にとっては土曜が一番コンディションがいい状態で向かえるのだ。こちらの都合ばかりをジェイに押しつけられないが、ジェイも協力してもらっているという立場上から要望を取り入れようとしてくれている。今日のように少しズレてしまうこともあるが、許容範囲内だ。
「お、レリーナも来たな」
「……こんにちは」
レリーナは家にいたのだが、カロックへ行くことになったので制服に着替えていたのだ。普通の服でいるより、たとえほんのわずかでも防御効果がある制服の方がいい。今では学校の制服であると同時に、カロックへ向かう時の正装みたいになっている。
「レリーナ、今日は日曜だけどよかったのか?」
よくなければ来ていないが、それでもラディは一応聞いてみる。
「うん、さっきまで魔法書を読んでいたから」
明日以降に習う予定の魔法について、予習と言う程しっかりとではないが、魔法書に目を通していたのだ。
「……レリーナ、元気ないようだけど、本当に大丈夫だった?」
横からジェイが尋ねてくる。レリーナは少しびっくりしたような表情になったが、首を横に振った。
「あたしは平気よ。今日はこれといって予定はなかったから。本当よ」
「そうか? まぁ、大丈夫じゃないって言われても、今からじゃ戻れないしなぁ」
「本当に大丈夫だってば。ジェイ、あたしはいつもの通りよ。早く今日の目的地へ向かいましょ」
ラディもレリーナにいつもの元気さがないように思えたが、特に具合が悪そうというのでもないし、顔色もいつもと変わらない。本人が平気だと言ってるのにしつこく尋ねるのも悪いかと、それ以上は聞かなかった。
「そっかぁ? それじゃ……えーと、今回はラパの岩山が目的地だ」
「え、岩山……なの?」
行き先を聞いて、レリーナは顔をしかめた。
「ん? あ、前に向かった岩山みたいな所じゃないから」
レリーナを安心させるためか、ジェイは笑って言う。以前にも岩山へは向かったことがあるが、そこに一つ目巨人がいてレリーナは巨人達に襲われたのだ。前回カロックへ来た時、レリーナにはまだその時の恐怖が残っている、ということもわかっている。だから、ジェイはあえて笑顔で言ったのだ。
「地面は確かに岩なんだけどさ。他は普通の山……みたいな感じ」
「ジェイ、みたいな感じって何だよ」
「前に行った岩山は、本当に岩がごろごろしてるだけの場所だったろ。ラパの岩山は普通の山みたいに木があったり草が生えてたりするんだけど、それが岩と同じ色してるんだ。その木を形作ってるのは岩に近い成分なんだけど、色さえ気にしなきゃ普通の木と変わらない。遠くから見たら、灰色の山だな」
「草木が岩と同じ色って……カロックって本当に妙な場所が多いなぁ」
話を聞いてラディは苦笑する。でも、レリーナは笑ってない。その様子に、ラディは心配になってきた。
「レリーナ、本当に大丈夫か? 行ってみないとわからないけど、話を聞いた限りじゃ前に行った岩山とは違うみたいだから、怖かったことはあまり思い出さないで済むんじゃないかな」
「う……ん。ジェイ、早く行きましょ。ここでじっとしている訳にはいかないもん」
無理矢理吹っ切るように言うレリーナ。あえて平気そうにしているのがわかってしまうが、彼女が言うようにここでじっとしていては帰ることすらできない。怖いと思っても、行くしかないのだ。
「おう、そうだな。じゃ、ラディ、召喚頼むな」
「わかった。……今日は特定の魔獣でなくていいんだな?」
「来てくれるなら、誰でも大歓迎」
それを聞いて、ラディは安心して召喚の呪文を唱える。条件がない呪文なら、この魔法もかなり慣れてきた。
目の前に小さな黒い渦巻きが現れる。見ている間に大きくなり、やがて四肢を持つ魔獣を形作ってきたと思うと黒い豹になった。
「変わった気配がすると思えば……あら、珍しい。存在しないはずの種族がいるじゃない」
金の瞳以外、黒のみ。だが、その黒い毛皮は艶やかだ。声を聞く限り、人間で言えば二十代前半といったところか。
「あなたね、私を呼び出したのは」
黒豹は迷うことなく、金の瞳をラディの方へ向ける。
「ああ、そうだ。俺はラディ。大竜の試練の協力者だ。カロックにいる間、力を貸してほしい」
「大竜? いつだったか、知ってる子がちょっと関わったって話をしてたわね。まさか私の所にまで来るとは思わなかったわ」
大竜の試練については、それなりのレベルの魔獣であれば知っている。仲間内で経験がある魔獣がいるというのなら、話は通じやすそうだ。
「それじゃ、縁があったってことかな。トラブルがなきゃ、今日一日で終わるはずだからさ。ちょっと手伝ってくれない? 頼むよ」
いつものように、ジェイの口調は軽い。
「私の力を借りたい? ふぅん……」
黒豹はゆっくりとラディに近付いた。頭がラディの胸辺りにくる程の体高。後ろ足で立てば、ラディの身長などあっさり超えるサイズだ。メスではあっても四肢は太く、たくましい。その前脚で軽く払われただけでも、人間などは軽く飛びそうだ。
そんな大きな魔獣がラディの胸元に鼻を近付け、臭いを嗅ぐ。横で見ているレリーナの方がどきどきした。
「敵っぽい臭いでもする?」
ジェイをまねた訳ではないが、ラディは軽く聞いてみる。
「んー、悪くないわね」
金色の瞳がきらりと光る。
「大竜の力が選んだ協力者だぜ。悪いはずないだろー。協力者はみんな、優秀だぞ」
ジェイにそう言われると、ラディもレリーナも嬉しい。見習いではあっても、それなりに評価してもらっているのだ。
「変な汗はかいてないようだしね」
「変な汗って……」
「魔力の有無は二の次よ。もちろん、高い方がいいんでしょうけど。でも、私はそれだけで判断しないわ。いくら魔力が高くても、根性なしに力を貸すのはお断り」
ラディの胸元に突きつけていた鼻面を、黒豹はゆっくりと引いた。
「魔獣を見て、びびってるような奴について行く気はないわ。そういう奴って、魔法ができてもいざって時にしっぽを巻いて……あなた達にしっぽはないみたいだけど、とにかく逃げてしまうような奴に力を貸しても損するだけ。私の姿を見て平静を取り繕っても、身体は正直なものよ。緊張の汗やら何やらが出てしまう。自分ではわからなくてもね。そういう意味で、あなたは変な汗をかいてないってこと」
一応、ラディもそれなりに緊張しているのだが、それとは違うらしい。恐怖の方が勝っているような魔法使いはダメ、ということなのだろう。
「えーと、つまり俺は合格したってことかな」
「そう。根性があるって認めてあげる。何をするか知らないけど、私ができることはしてあげるわ」
「ありがとう。えーと……」
「アルダよ」
ラディが詰まったのを見て、黒豹が名乗る。
「よろしく、アルダ。彼女はレリーナ。俺と同じ協力者だ」
「あら、協力者って複数なの?」
「オレの場合はそうなったんだ」
「ふぅん」
アルダはさっきラディにしたのと同じように、レリーナに近付いて臭いを嗅ぐ。彼女はアルダを呼び出した訳ではないが、同じ協力者ならやはり力を貸すことになる。なので、アルダはレリーナも試しているのだろう。
ラディが同じことをされている時はどきどきしたが、そうする理由がもうわかっているのでレリーナはあまり緊張しないで済んだ。レリーナの背が低いので、ラディの時よりずっとお互いの顔が近くなる。
「……お花みたい」
「え?」
顔を上げたアルダと至近距離で目が合い、さすがにレリーナも驚いた。
「あ、変なこと言ってたらごめんなさい。豹って図鑑の絵でしか知らないんだけど、斑点があるってことは知ってたの。真っ黒に見えて、でもちゃんと斑点はあるのね。こうして実際に見たら、その斑点がお花が並んでるみたいに見えてきれいだなって思って……」
「あら、ありがと。ずいぶん余裕ねぇ、私の身体を観察できるなんて」
「この二人、カロックには何度も来てるからな。その分だけ魔獣を呼んでる。今更ビビることなんてないさ」
ジェイがけらけら笑う。だが、二人はいつも緊張しているのだ。初対面の人間と会うのとは訳が違うのだから。
授業で習ったように、魔獣を呼び出して契約、という流れがここにない。協力してほしいと言ってしてもらう、いわば口約束だけでことが運んでいるのだ。
それなのに、今日はその口約束さえもしないうちに魔獣が近付いて来た。一瞬で命を奪える距離に、緊張しないはずがない。アルダは基本的な根性の有無を調べているようだが、それでも手の平にはじんわりと汗がにじんでいる。
「そう、慣れたものなのね。それで、これからどうするの?」
「ラパの岩山まで運んでほしいんだ」
「あんな地味な所に行くの? 私、あんな所に棲む連中の気が知れないって常々思ってるんだけど」
ラディの答えに、アルダは趣味が悪い、とでも言いたそうだ。
ジェイがさっき話した、遠くから見たら単なる岩山、というのがアルダの言葉からも想像できた。ビジュアル的にも本当につまらないのだろう。
「仕方ないわね。力を貸すって言ったんだし。じゃ、行くわよ。さっさと乗って」
アルダにせかされ、ラディとレリーナは急いでその黒い背中にまたがったのだった。





