テルラの助言
今日は日曜日だ。世間一般と魔法使い協会は休みである。
もっとも、魔法使い協会に関して言えば、休みなのは修学部だけ。職務部に所属している魔法使い、特に魔物退治かそれに準ずる仕事をしている者は日曜だろうが年末年始だろうが関係ない。魔物に人間の作った暦など通じないのだから、当然である。
まだ職務部ではなく修学部に所属するラディは、魔物退治をする訳ではないので休みだ。しかし、制服に着替えて出かける準備をしている。今からロネールへ行くためだ。
ロネールに限らず、魔法使い協会にはフィールドと呼ばれる魔法の練習場がある。どんなに思いっ切りやっても外に迷惑がかからないようにされている、いわば別空間だ。普段は実技の授業で使われ、それ以外では正規・見習いに関係なく魔法使いが鍛錬のために来る場所である。
ただ、見習いの魔法使いについては制服着用が義務づけられているのだ。制服には、正規の魔法使いが身に着けるケープその他の衣服程ではないが、防御の効果が折り込まれている。どこでどんな失敗をするかわからない見習いは、最悪の状態を少しでも避けるためにこの制服を着るのだ。
いちいち着替えるのは面倒だと思うものの、私服でフィールドに入るのを見られればすぐに止められてしまう。見付からなかったとしても、何かあった時に痛い目に遭うのは結局自分だ。正規の魔法使いだって、制服ではないだけで何かしらの防御力を有する服を着る。見習いが無防備なまま魔法を使うのは自殺行為にも等しい。
ラディは手早く制服に着替えてしまうと、部屋を出た。
「あら、ラディもロネールに行くの?」
息子の格好を見た母のセリーンの言葉に、ラディはわずかに首を傾げる。が、すぐに意味がわかった。姉のテルラも同じく制服を着ていたのだ。家族で冠婚葬祭に出席する予定はないから、彼女の制服を着る目的はラディと同じということ。
「じゃ、行って来まーす。ラディ、お先に」
行く先が同じでも、テルラは一足先にさっさと出かけてしまう。
「ふぅん、姉貴も練習に行くんだ。珍しい」
テルラが休みを返上してロネールに行くなど、これまでなかった。
「もうすぐ認定試験だからってね。今度こそ認定されるんだって言ってたわ。テルラがあんなに力を入れるなんて珍しいわね」
軽い口調で言っているが、セリーンも娘の行動に内心驚いているようだ。テルラは好きなことには驚く程に集中するが、そうでもないことだと「なるようになるわ」と少々投げやりにも見えることが多い。これまでの認定試験でも「ダメだったわ」とは言うものの、そんなに悔しそうでもなかった。彼女の本心はともかく、そんなふうに見えるのだ。
それなのに「私、この次は絶対に認定試験にパスするんだから」と言い、いつもならのんびりした休みを過ごす彼女が制服を着て学校へ行く。がんばろうとするのはいいことだが、あまりに唐突なのでセリーンとしても「あ、そうなの……行ってらっしゃい」と戸惑いながら見送るのが精一杯だ。
「残留が重なるのって格好悪いもんな。テルラもこれ以上の残留はいやだって思ったんだろ。俺だっていやだし」
ありえそうなことを言って母を納得させると、ラディも家を出た。
昨日カロックに行ったことで、テルラの中で何か変わったのかな。
そんなに離れてない所を歩いている姉の後ろ姿を見て、ラディはそんなことを考えた。
ラディは幼なじみのレリーナとともに、異世界カロックで大竜ジェイが受けている試練の協力者をしている。砕けた地図のかけらがカロックのあちこちに散らばり、それを捜し出すというものだ。
祖父のヴィグランも同じことをしていたようで、幼い頃によくその話をしてくれた。話に聞くのと、実際に自分が体験するのとでは大変さは天と地程にも違うが、それなりに楽しんでもいる。
昨日もラディはカロックへ行ったのだが、カロックへ通じる扉をテルラも通り抜けてしまったのだ。ラディが怪しげな扉を通ったのを見て、連れ戻そうとしたらしい。
かけらを見付けるまでは戻れない、と聞いて肩を落としていたテルラ。しかし、妙な世界に来てしまったと落ち込んでばかりもいられない。
ここではかけらを見付けるまでにあちこちで色々な魔物が現れるのだ。もちろん、好意的な相手ばかりではない。むしろ、非友好的な相手ばかり。そして、自分の命を守るために戦わなくてはならない。
初めは渋っていたテルラも、援護せざるをえない状況になって攻撃や防御の魔法を懸命に使っていた。ほとんどは、カロックで魔物を相手に攻撃することに慣れてきたラディが撃破していたものの、上級2に在籍しているテルラの力もそれなり。
だが、ジェイやロック鳥のファルザスに、ラディの方が魔力は上、と言われてかなりショックを受けていた。
魔法使い協会の修学部において、クラスの名前はすなわちレベル。つまり、テルラは上級であり、ラディは中級の腕ということだ。
それなのに、レベルが下であるはずの弟の魔力が上だと言われ、テルラにすればひどく受け入れがたい話に違いない。自分は上級レベルのクラスにいる、というプライドが砕けたと感じたのではなかろうか。
最終的にその点をテルラが納得できたかどうかは知らないが、ああして出かけるところを見る限り、負けたくない、という気持ちが少なからず出たのだろう。セリーンに言ったように、次の認定試験を必ずパスする、というやる気も同時に出たのかも知れない。
んー……先に行くなら、もう少し早く歩いてくれないかな。
姉の背中で揺れる黒髪を見ながら歩いていたラディだが、身長差・コンパスの差もあってどんどん距離が縮まってきた。抜かすのも何だし、こちらがスピードを落とすのも自分のテンポが狂いそうだからしたくない。かと言って、それたりできるような別の道はなかった。あるとしても、とんでもなく遠回りになるのでそれはしたくない。
カロックみたいに魔獣を呼び出して、そのままロネールに飛んでもらえればなぁ。
心の中で小さくため息をつく。カロックでは魔獣の力を借りなければ移動もままならないが、自分の世界では街中で魔獣を呼び出すことさえ禁止されている。ラディは見習いなのでなおさらだ。
結局、テルラと並んで歩くまでに追いついてしまった。
「あのさ、テルラ」
「何?」
黙って歩くのも妙なので、話しかける。血のつながった姉弟なのに、意識すると会話もどこかぎこちない。大人に近付くと、こんなものなのか。
しかし、昨日テルラがカロックへ入ることになったのは、ラディがおかしな場所に連れて行かれるかもと思って追いかけたため。結果的に誤解ではあるが、助けようとしてくれたようなので、そこは感謝すべきだろう。
「ブラッシュ、何か言ってた?」
テルラの元クラスメイトで、ラディのよき友人であり、尊敬する先輩魔法使い。
ラディがカロックで疑問に感じたことを彼に尋ねるうち、ラディが何かよからぬことをしようとしているのではないか、とブラッシュに疑われるようになってしまった。
思い切ってカロックのことを言おうとして話しそびれ、ブラッシュはテルラに「空いてる時間を言ってくれ」と伝言まで頼んできたのだ。
「別に。あ、あんまり無理はするなって。ラディが爆睡してたってことを話したら、そう言ってたわ」
「そっか」
その日はカロックで体力・魔力の限界に近いところまで魔法を使った。そのため、自分の部屋に戻った途端に眠り込んでしまったのだ。その時のことをテルラは話したらしいが、ブラッシュはラディがなぜそんな状態になったのか、見当をつけていたりするのだろうか。頭のいい先輩のことだからこれまでのことを考え、魔法で何かやったのだろう、という推測はしているのかも知れない。
……さすがに異世界で、とまでは予想もしないだろうが。
「ラディこそ、ブラッシュに何を言ったの? 質問したって言ったわよね」
「えーっと、初めてカロックに行った時、小さい魔物に囲まれてさ。レリーナを守りながら攻撃するって大変だったから、そんな状況で何かうまい方法はないかってこととか」
他にもいくつかした質問をテルラに話すと、テルラはくすっと吹き出した。
「そりゃ、ブラッシュじゃなくても変だって思うわ。それ、およそ見習いのする質問じゃないわよ」
「そうかな……やっぱり」
「対象を守りながら攻撃? 魔物退治するぺーぺーの魔法使いがしそうな質問じゃないの。どんな状況になったら見習いがそんなことを尋ねるんだって、おかしいと思われても当然よ。まして、あのブラッシュが相手ならね。普通の見習いがする質問は、どうしたらこの魔法がうまくできるようになるか、くらいでしょ」
まだ十代にもかかわらず、ロネールを代表する腕を持つ魔法使い。腕だけでなく、頭もきれる。そんな人に質問して、怪しまれない方がおかしい。
「昨日も言ったけど、さっさとカロックの話をして楽になれば? 私が突然現れても、ジェイは全然気にしてなかったじゃない。同じようにブラッシュが行ったところで、ジェイが怒るとも思えないわよ」
建前としては、大竜の協力者がカロックへ行く。だが、突発事故のようにテルラが足を踏み入れても、ジェイが戸惑ったり渋ったりする様子は全くなかった。テルラのちょっと失礼とも言える言葉に拗ねた様子を見せたくらいだ。あれだと知り合いに何か言われた時の反応と変わらない。
「うん。前にカロックの話を他の人にしてもいいかって聞いたら、あっさり構わないって言われた。俺が気になるのは、ジェイじゃなくてブラッシュの方だよ」
ジェイが今の言葉を聞いたら、オレのことも気にしろよ、と拗ねてみせるかも知れない。あの竜はすぐに機嫌が直るものの、よく拗ねるのだ。
「テルラの時は実際に足を踏み入れてから、カロックの説明をしたって形だったろ。ブラッシュの場合、話が先になる訳で……信じると思う? バカにするなって、そのまま友情崩壊につながるのもいやだし」
「だけど、このまま黙っていたって友情崩壊でしょ。こんなに気にしてるのに、ちゃんと話さないのかって」
確かに、どっちに転んでもあまりいい結果にはなりそうにない。
「ブラッシュみたいなタイプにはね、はっきり言った方がいいわよ」
「……ブラッシュみたいなタイプって?」
「ラディが疑問に思ったことを質問したように、ブラッシュも疑問をそのままにしておかないってこと。うやむやにしようとすれば、かえって問題がこじれるわ。彼が納得しようと信じまいと、話すしかないわよ。だいたい、今の時点で半分バレてるようなもんじゃないの」
「まぁ、そうなんだけど」
ラディが何かしでかそうとしている、と思われている。ある意味、しでかしているようなものだ。運が悪ければ死んでいた、ということもあるくらいなのだから。
「私が思うに、コツとしては堂々と話すことね」
「堂々と……」
「信じるかな、どうかなって思いながらおどおどした様子で話していたら、本当のことを言っても信じてもらえないわよ。嘘を考えながら話してるんじゃないかって疑われるのがオチね」
テルラの言葉がラディの中にすとんと落ちてくる。ちょっとつかえが取れたような。
「ブラッシュならそうかもな。今までは言い渋ってたから、余計に気にされたみたいだったし。だけど、堂々と話してそれでも信じてもらえなかったら?」
「一緒にカロックへ行けばいいじゃない。次がいつかは知らないけど、あの扉が出た時にブラッシュを連れて入れば、どれだけ否定したって目の前の現実は変わらないわ」
話をした時にブラッシュがどういう反応をするかはともかく、最終的には一緒に行くしかなさそうだ。ジェイが協力者以外を受け入れてくれることに、ひたすら感謝する。
そんな話をしているうちに、二人はロネールに着いた。
「私はあなた達がどこまで親しいのか知らないけど、少なくともブラッシュが頭から否定するってことはないと思うわよ」
「うん……」
ラディもそう思う。すぐには信じなくても、ラディが一から十まで全て嘘で固めている、などと疑うことはないはず。
……そう信じたいだけかも知れない。そんなふうに思っていたラディだが、テルラにもそう言われ、少し心が軽くなった気がした。
☆☆☆
月曜日の朝。
教室へ入ってきた担任のラオクから、進級前テストの告知がなされた。時期的にそろそろだとわかっていても、日付を告げられると教室内がざわつく。それはレベルに関係なく、どのクラスでも同じだ。テストの日程は前日に告げられるため、半ぬきうちテストと呼ばれたりもしている。
進級テストは文字通り、次のレベルへ進級するためのテスト。だが、そのテストは進級前テストに合格した者しか受けることはできない。進級前テストはわずかに難易度が低く設定されており、それに合格できないなら本テストでの合格は無理、という訳だ。
実際、進級前テストであってもクラスの半分は不合格になる。そのクラスの魔法をしっかり自分のものにしておかないと、かなり手強い。
中級1までのクラスなら、テスト内容は担任の口から告知される。だが、中級2以上になると白い紙が配られるだけ。その紙には封印の魔法がかけてあり、自力でそれを解呪しなければテスト内容を知ることができないようになっているのだ。解呪は絶対のものではないし、やることはほとんど変わらないのだが、テスト内容を全く知らないでテストを受ける度胸のある者は過去にいない。
今回は絶対にパスしてやる。
ラディは配られた紙を見詰め、リベンジを誓う。
中級2のクラスは今回で二期目。一度残留、つまり進級テストにパスできず、同じ授業を二度受けているのだ。これはラディに限らず、多くの見習い魔法使いが経験すること。さらにレベルが上がれば、三期四期と残留を重ねる見習い魔法使いはいくらでもいる。ストレートで進級できるのは、ブラッシュのように実力がある者だけだ。
もっとも、そうやって早く進級できても、三年間の修行期間を経ないと正規の魔法使いになれる認定試験は受けられない。ストレートで進級しても、上級2で残りの期間を消化してすごすことになるが……それは本当に少数だ。
カロックで本物の魔物を何度も相手にしてきたことで、ラディの実力は一期目の時とは比べものにならないはず。フィールドでの練習も今までより長く時間を費やし、内容もハードにしてきた。
ジェイにも言われたもんな。初めてカロックへ来た時より魔力が上がってるって。その言葉にのぼせてちゃいけないだろうけど、それを信じて臨めば。
心の中で拳を握りながら、ラディは配られた紙に向けて解呪の呪文を唱えた。これさえもできなければテストは見送った方がいい、などと言われているが、ラディは難なく封印を解いた。心なしか、前回より楽に解けた気がする。それだけ確実に魔力が上がっているということか。
テスト内容は、基本魔法による攻撃と防御の壁や結界、複合魔法である爆裂の使用だ。順番は多少違うが、前回ラディが受けたテストとほとんど変わらない。中級2ではこれらの魔法がしっかりできるようになったと認められれば進級できる。
結界や壁はカロックで毎回使うようになったから、何とかなりそうかな。火は一つ目巨人相手にがんがん使ったから自信がある。土も巨人に使ったっけ。でも、回数としては少ないな。水や風も……この前、蜂を相手に氷を使ったから、水と風の複合魔法で使ってることになるのか。爆裂も巨人に……って、あいつら、レリーナを喰う気でいたとんでもない奴らで、今思い出しても腹が立つ。でも、俺の術向上には役に立ってくれてるな。
カロックに行くことで、ラディは実戦でかなり魔法を使っている。この経験が役に立たないのであれば、魔法使いを目指すのはあきらめた方がいい。
前回進級前テストは合格したものの、ラディは進級テストで落ちた。指定された魔法で攻撃してもなかなか魔物を全滅させられず、時間切れになったのだ。狙いが外れたり、当たっても消滅させられなかった。結界を破られたのでそこでも減点。技は使えるが、それぞれが力不足だったのだ。今回は要領が掴めているし、力も上がっているはず。
ラディは授業が終わってからの自主練習で、基本魔法を一通り使ってみた。毎日のように練習を重ねているので、スムーズにできるようになった気がする。ただ、カロックで火の魔法を多く使っていたせいではないだろうが、水の魔法の攻撃力が少し弱いように見えた。
ここで冒険するのって……危険な賭かな。
呪文で現れた的を水で弾き飛ばし、それらが消えていった辺りを見詰めながらラディはふと考えた。
火はもちろん、風も土もそれなりの強度に仕上がっている。ただ、水の力がどうしても納得できる強度にならない。かろうじて的を飛ばした、と見えてしまう。明日の進級前テストでは何とかなっても、本番である進級テストで通じるかどうか。前回のことを思い出せば今回は突破できる気もするが、何となく心許ない。絶対的な自信がなかった。
だが、氷ならできそうに思える。氷は氷結魔法と呼ばれ、風と水の複合魔法だ。つまり、普通に水を使うより難易度が跳ね上がる。だが、攻撃力も跳ね上がるのだ。さらに、水で攻撃するように指示されている部分を氷にすれば、得点も高くなる。……成功すれば、だが。
テストで指示されてもいないのに、わざわざ難易度の高い複合魔法を使う見習いはほとんどいない。同じ複合魔法でも爆裂は今回のテストの内容に含まれているので避けようがないが、氷結を使うかは受験生の自由だ。自由ということは、使わなくてもいいということでもあるので、失敗の可能性が高い技をあえて使おうなんてみんな思わない。
ラディも氷結魔法が得意というのではないし、失敗のリスクは水魔法よりつきまとう。かろうじてであっても、水の攻撃が的に当たれば点数はもらえる。氷を使って失敗すれば減点され、トータルで合格点に達しなければ当然不合格。難しい氷魔法をがんばって使おうした、という挑戦に関しては試験官に好印象を与えるが、点数には結びつかない。あくまでも、術が成功したか否か、で評価される。だから、氷魔法を使うのは危険な賭、ということになるのだ。
それでも、一昨日行ったカロックで蜂の魔物に氷で攻撃し、結果的に全滅させた。援護でレリーナが風を送ってくれたおかげで氷のスピードが増したから、というのもあるが、少なくともあの蜂に比べればテストの的はずっと弱い。つまり、ラディ一人の力でも十分に通じる。
氷はちゃんと出せる。だったら……。
ラディは的が魔物の姿になって現れる呪文を唱えた。それに向けて、氷を放つ。幻影の魔物達は氷に当たり、次々と消えていった。
魔物を倒すという点では、今の俺なら氷の方が確実だ。失敗しても、時間内に的を落とせばいいんだし、間に合ううちに水へシフトチェンジすれば……何とかなるよな。
前回は間違いなく、今より魔力が弱かった。それでも進級前テストは合格したのだから、強くなった今ならいけるはず。
ラディは自分の力を試してみることに決めた。やりやすい、できそう、と思う技を使った方がいい結果が出る、と信じて。
一通りテストに必要な魔法のおさらいをし、フィールドを出た。明日がテストとあって練習する見習いの姿も多かったが、いつの間にかほとんどいなくなっている。自分ではさらっと流したつもりのラディだったが、いつもの練習と変わらない時間までしっかりやっていたようだ。
遅くなりついでと言っては何だが、ラディはブラッシュに会うために職務部の棟へと向かった。早く行かないと、テルラが伝言を忘れたと思われてしまう。
担任に用がある時は、直接職員室へ入る扉を使って中へ入る。それ以外では隣の扉を使用する。受付になっていて、そこで自分が会いたい魔法使いを呼んでもらうのだ。
これまでラディは正規の魔法使いを呼び出す用事などなかったので来たことがないが、女子の見習いはよくこの受付に来ると聞く。
目的はブラッシュだ。腕も顔もいい魔法使いを思春期まっただ中の女子が放っておくはずもなく、差し入れや手紙を受付に託しに来るらしい。受付の人も余計な仕事が増えて大変だなぁ、と話を聞いた時にラディはそんなことを思った。
今は自分がブラッシュに用がある訳だが、変な誤解をされたりしないかとふいに不安がよぎる。まぁ、誤解されたところで何か迷惑をこうむるというのでもないだろう。むしろ、ブラッシュにうまく話ができるかどうかの方が今は問題だ。
扉をノックして入るとカウンターがあり、その向こうが狭い事務室になっている。五十を超えていそうなおじさんが三人いて、そのうちの一人がこちらを向いた。
「ブラッシュを呼んでもらえますか」
「今日は外に出てるよ」
ノートに何か書いていたおじさんは、メガネを外しながらそう答えた。外に、ということは、仕事に出ているということだ。ほっとしたような、がっかりしたような。
「それじゃ、伝言をお願いします」
「伝言ね。はいはい」
おじさんは机にあるメモを一枚取り、立ち上がるとペンを持ってカウンターの前に来る。普段から似たようなことはよくあるのか、手慣れた感じだ。
「『ブラッシュの都合のいい時で構わない』」
「えーと『……で構わない』と。それだけでいいの?」
さすがにこんな伝言を受けたことがないのか、おじさんは不思議そうな顔で尋ねる。
「はい。それでブラッシュには通じますから」
「名前は?」
「え? あ、ラディです」
あまりこういう伝言をしたことがないので、名乗るのを忘れていた。
「一応、クラスを聞いておこうか」
「中2です。担任はラオク先生」
中級2は三クラスあるので、聞かれる前に伝えておく。
「いつ戻るかわからないけど?」
「いいです。急いでいませんから」
「そう。じゃ、確かに預かったよ」
「お願いします」
軽く会釈して、ラディは受付を出た。扉を閉めた途端、小さく息を吐く。
もうカロックの話をすることは決めたが、先延ばしにされるとそれはそれで妙なプレッシャーのようなものを感じてしまう。あとは、ブラッシュが仕事から戻り、いつどこそこで会おうという連絡が来るのを待つしかない。
変な疲れ方したな。早く帰ろう。





