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異世界マップ  作者: 碧衣 奈美
第三話 別の協力者

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ブラッシュの疑問

 目の前に少女が立っている。着ている白いワンピースには、一点の汚れもない。泥の沼に立っているのに。いや、本当は泥の中ではなく、上に浮いているから汚れないのか。

 白い肌に、赤いくちびる。真っ直ぐな黒髪は、肩の辺りできれいに切りそろえられている。それだけなら、探せば街のどこかにいそうな十二、三歳の美少女。

 しかし、彼女の瞳は金色だ。人間にはありえない色。その瞳が、少女が人間ではないことを示している。彼女は明らかに魔物だ。

 その少女がこちらへ近付いて来た。沼の上をすべるように移動して。

「自分の命を賭ける気、ある?」

 真っ直ぐにこちらを見据え、少女はそう言った。

「あと少しの時間であなたは死ぬ」

 感情のこもらない声。彼女は淡々と死を予言する。いきなり何を言い出すのだろう。

 だが、ふざけるなと言いたくても、なぜか声が出ない。

 気付けば、左手を掴まれていた。引こうとしても、力が入らない。自分よりも小さくて細い少女なのに、どうあがいても掴まれた腕はぴくりとも動かなかった。指先すらも力が入らない。

 掴んでいる左手の甲に、少女が顔を近付ける。それを見て、背筋が凍った。そのままにしておけば、命を吸い取られる。そんな気がした。

 やめろと叫ぼうとしたが、やはり声が出ない。手も引っ込められない。

 少女の口から鋭い牙が現れ、手の甲に突き立てた。

「うわぁっ!」

 声を出したと同時に、ラディは飛び起きた。目の前が暗く、自分がどこにいるのかすぐには把握できない。少し息が乱れ、心臓も激しく鳴っている。

 夢、か……。

 わずかながら時間が流れ、ようやく自分の部屋で寝ていたのだと理解した。目が闇に慣れてくるにつれ、机や本棚など、見慣れた家具や持ち物の輪郭がぼんやりと見えてくる。いつもと変わりのない部屋だ。

 いつものように眠り、いつもとは違う目覚め方をしただけで。

「うわ……すげぇ汗」

 パジャマがしっとりしている。今の夢でひどい寝汗をかいたようだ。着替えるのも面倒だが、そのままだと気持ち悪い。

 ラディは魔法で自分の周囲に暖かな風を起こし、パジャマの汗と一緒にシーツの水分も飛ばした。洗いたての、とはいかないものの、湿気がなくなっただけでもさっぱりする。

 だが、すぐにまた寝直す気分になれない。それに、汗をかいたせいか、のどが渇いた。歩くのも面倒な気分だったが、ラディは小さくため息をつきながらスリッパに足を突っ込むとキッチンへ向かう。

 部屋全体の明かりを点ければ家族が起きてしまいかねないので、魔法で小さな火を出した。ロウソクがわりだ。こういう時は魔法を習っていてよかった、と思える。

 キッチンに入るとコップに水を入れ、一気に飲み干した。今度は大きなため息が出る。

 やっぱり頭の中に残ってるんだな。そりゃ、そうか。死にかけるなんて、滅多にない経験だもんな。それも異世界で、なんて。状況があれこれと特殊すぎだよ。

 さっきの夢は、ほぼ現実に近かった。ラディは実際、白いワンピースを着た魔物の少女フランカと出会い、彼女に血を吸われたのだ。厳密に言えば、血と毒。

 ラディは幼なじみのレリーナとともに、異世界カロックへ引き込まれた。そこで大竜のジェイと出会い、彼の「試練」に付き合うことになったのだ。今日も……いや、日が変わっているから昨日、二人は二度目となるカロックへと向かった。そこまではいい。

 ラディはレリーナ達と離れてしまい、吸毒鬼のフランカと会った。この時、ラディは毒のある植物で手を傷付けてしまい、死にかけていたのだ。

 フランカは毒を吸い出してやると言ったのだが、毒を吸い出すと同時に血も吸うことになる。毒がなくなった時、身体に残った血の量で生死が分かれる……と言われたらしい。すでに意識がもうろうとなっていたのでラディの記憶はあいまいだ。フランカに血を吸わせる選択をしたが、本当にそんなことを自分が決めたのかわからない。結果的にフランカに血を吸われ、瀕死状態になったところでレリーナ達に見付けられた。

 さっきの夢は、この時にしたフランカとのやりとりだ。本当に「死ぬ」と宣告されたし、左手にできた傷から血を吸われた。彼女の牙は現実には見てないが、恐怖のイメージがあんな形で現れたのだろう。

「ラディ? 何してるの」

 いきなり声をかけられ、どきっとした。振り返ると、姉のテルラだ。

「あ……のどが渇いたから、水を飲みに来たんだ。テルラこそ、何してるんだ?」

「私はトイレ。明かりが見えたから、いたずら妖精でも出たのかと思って」

 いくら小さな明かりでも、暗闇の中では目立つ。もし妖精がいたずらしているなら止めないといけないし、泥棒なら捕まえなければならない。まだ見習いであっても、テルラはラディより上のレベルのクラスだ。意表を突かれない限り、普通の人間の泥棒であれば捕まえることは造作もない。

 しかし、現実にいたのは自分の弟。少し拍子抜けだ。

「その火、ちゃんと消してから寝るのよ。おやすみ」

「……おやすみ」

 テルラは言うだけ言うと、さっさとトイレへ行ってしまった。

 姉貴とフランカって、髪型が似てるよな。

 どちらも肩の辺りで切りそろえられた黒髪。遭遇した魔物と髪型が似てる、なんて口が裂けても言えない。まして、美少女という点では向こうの方が上のような……なんて。

 その辺りのことは自分の胸に秘めておくとして、ラディはもう一杯水を飲むと自分の部屋へ戻った。

 すっかり目がさえてしまったが、今日も授業はある。授業中に寝てしまわないように、今はちゃんと休んでおかなければ。

 あんな夢を見た後で、眠れるかなぁ。

 小さな明かりの下で、左手の甲についた傷が浮かび上がった。それをしばらく見ていたラディだが、火を消してベッドに潜り込む。

 目を閉じた後も何度か小さなため息をもれたが、やがてそれも規則的な寝息へと変わったのだった。

☆☆☆

 その日の実技は、動く的に攻撃魔法を当てるもの。中級1のクラスでは、動かない的に火の弾や風の刃などを向けていたが、ラディのいる中級2のクラスではその的が動くのだ。人によってはその的を魔物の姿に変え、より実戦に近い形で訓練する。

 ラディはこの前までは単なる丸い的を攻撃していたが、カロックへ行くようになって意識が変わった。少しでも現実と同じ状態で訓練し、いざ異世界へ行った時に戸惑うことなく戦えるようにしたいと思うようになったのだ。

 初めてカロックへ行った時、クードと呼ばれる小さな魔物達に囲まれた。最終的には助かったが、それは残念ながら自分の実力で排除した訳ではない。クードが恐れる巨大な灰色狼が現れたからに過ぎないのだ。

 もしあの狼が現れなかったら。恐らくジェイや、その時呼び出していた魔獣のリーオンが一時的にその場から離脱するように言っていただろう。

 自分はまだ中レベル。上級レベルにあと少しで手が届く所までは来ているが、本当に中途半端な実力しかない。それはわかっている。わかっているからこそ、訓練を重ねて自分より下のレベルの魔物くらいは全て撃破できるようにしたい。そのためにも今は現実に近い状態で、ひたすら訓練あるのみだ。

 呪文を唱え、的がねずみのような魔物に変わる。ラディは動き回るねずみに狙いをつけ、風の刃を飛ばした。動くので的がいくつ出たのか数えられていないが、最初の攻撃でおよそ半分が消える。二度目の攻撃で残りが二匹になった。その二匹に向け、ラディは攻撃する。風の刃でねずみの身体は切り裂かれ、地面に落ちる前に消えた。

 今の数、ざっと見た感じで十四、五匹ってところかな。それを三回で全滅か。一発で、なんてのはまだ無理にしても、攻撃回数を少しでも減らせるようにしないとな。

 何度も攻撃していれば、数の多い魔物もいつかは全滅するだろう。しかし、こちらの体力も同時に消耗してしまう。カロックへ行くのは、魔物退治のためではない。その後でメインである地図のかけら探しをしなくてはならないのだ。その時によって属性は変わるが、魔法を使う必要がある。魔物を攻撃して力を使い果たしては、試練の協力者としては役立たずなのだ。

 ラディの場合、レリーナが一緒にいるから彼女に頼むことはできる。しかし、上級生として、年上として、男として、そんな情けない状態になりたくはない。レリーナが聞けば、何をくだらないことを、と笑うだろうか。せっかく二人いるのだから、交代で力を使えばいいことだ、と。

 二人がカロックへ呼び出された以上、そうすることに何の不都合もない。頭ではラディも理解できるが、感情が許さない。ラディのプライドである。少なくとも、力の使いすぎでダウン、という形にはなりたくない。よほどの強敵でもない限り、そんな情けないことはいやだ。

 よし、次に行くか。

 再び魔物が現れる呪文を唱える。さっきと代わり映えのしないサイズの魔物が現れた。今度は火で攻撃する。小さな、しかし威力はちゃんとある小さな火の弾を魔物に向けた。恐らく現れた数もさっきと同じくらいだろうが、一回の攻撃で消えた魔物はさっきよりも多い。だが、二度目の攻撃もすり抜けた魔物がいて、結局は三回の攻撃が必要となった。

 んー、二度目の攻撃だけに関して言えば、今回の方が成績が悪いな。二回で全滅させようって気負い過ぎたかも。ちょっと肩に力が入ったかな。

「ラディ」

 呼ばれて振り返ると、担任のラオクが立っていた。ラディとは頭一つ半くらい違う大柄な魔法使いで、魔物退治に向かうのが似合いそうな壮年男性だ。実際、何十回と魔物退治に向かっていたと聞く。だが足を負傷し、日常生活には支障はないものの、現場で走り回るのは無理となって講師に転向したのである。

「お前、具合悪いのか?」

「え?」

 予期しなかった言葉に、ラディは目を丸くする。

「ここ二、三日、いい動きをするようになったと思っていたんだがな。今日は攻撃にキレがないし、パワーもない」

 まだ本調子に戻れてないってことか……。

 ラディとしては、いつもと同じようにやっているつもりだった。攻撃の結果もそう大きく変わったとは自分では感じられない。

 しかし、思っていた以上に血を吸われて死にかけたダメージは根深いらしい。起き上がれるようになってすぐにかけら探しを再開させたが、その時に呼び出していた魔獣のシュマから「覇気のない風」と言われてしまった。魔獣や正規の魔法使いのように、魔力が強い者から見ればラディの力のなさはわかってしまうということなのだろう。

「先生、俺、具合悪そうに見えます?」

「……いや。顔色は悪くないな」

 だからこそ、ラオクは余計気になるのだ。健康そうに見えるのに、いつもと同じようにやっているのに、結果がともなっていないから。

「でしょ? 俺、身体がつらいとか、そういうのは全然ないから。今日はたぶん、本調子じゃないってことかな。人間なら誰でもあるでしょ、調子のいい時と悪い時って」

「それはそうだが」

 まさか、昨日死にかけたのでまだ調子が戻らないんです、なんてことは言えない。ラディは調子のいい悪いという話でゴマかすことにした。たぶん、その辺りが一番妥当だ。

「具合が悪くないのであれば、それでいい。だが、どうしても調子がよくない時は無理をするな。魔法を使うということは、自分が思っている以上に負担がかかっているんだ」

「具合が悪くない場合でも?」

「ああ。お前、放課後もフィールドで訓練してるんだろう? 自主練習はいいが、あまりやりすぎるなよ」

 放課後に魔法の訓練場であるフィールドを使うのは、申告制ではない。誰が使っているかわからないはずなのだが、ラオクはラディがここ数日のところ毎日特訓していることを知っているようだ。そのことにちょっと驚いた。授業が終わったらさっさと職員室へ戻ると思っていたのに、ちゃんと見られているのだ。

「俺、やりすぎてるつもりはないけど」

「それならいい。ちゃんと自分の身体と相談しながらやれ。わかったな」

「はい」

 昨日、シュマからはスカスカとまで言われたのだ。あれはかなりぐさっときた。一日経った今日はさすがにスカスカではないだろうが、こんなふうに言われてはがんばるのも考えもの。

 授業が終わってからの今日の特訓は、ひとまず休むことにした。しかし、何もしないで帰るのも気がひける。と言うより、落ち着かない。

 きっとすぐにまたカロックへ行くことになるだろうから、その時までに今より魔力をアップさせたいという気持ちがある。それなのに、何もしないでいると焦りが出てしまう。前に来た時と変わってないな、とジェイに思われるのが悔しいのだ。

 恐らく、ジェイはそんなことなどまるで気にしていないだろうが。

☆☆☆

 真っ直ぐ家に帰る気分にならないラディは、図書館へ行くことにした。

 技術の向上だけが進歩ではない。実戦のための訓練ができないなら、知識を増やすことを選べばいいのだ。特訓を休むきっかけになった吸毒鬼についても知りたい。……元々の原因は、毒のある植物で傷を作ってしまった自分なのだが。

 そう頻繁に来る場所ではないので、入ると何だか新鮮な気分だ。紙とインクのかすかなにおいが、通常とは別の空間を思わせる。

 ラディは魔物についての本と毒についての本、それから魔獣召喚の魔法について書かれた魔法書を選ぶと空いている席に座った。

 まずは魔物についての本をめくる。吸毒鬼については、後でジェイに教えてもらったことと大して変わらない内容だ。

 いわく、毒に冒された獲物の血と毒を吸う。血の残量によって被害者の生死が分かれる。吸毒鬼は毒を好むのであって、血はいわば付属品のようなもの。毒を目当てに自分で行動を起こさなくても、毒のある植物の周辺をさまよっていればだいたい「食事」にありつける。なので、出遭っても襲われることはまずない。意思疎通できれば血を吸う許可を取り、できなければ死んでからゆっくり吸う。

 だいたいこんなところだ。吸毒鬼の姿はその都度変わるらしく、絵はなかった。ラディが遭ったフランカは、たまたま少女の姿だったということだろう。あれが本性なのか、気まぐれにああいう姿になっていただけなのかは彼女のみが知る、といったところ。

 他のページもめくってみる。最初にカロックへ行った時、クードというリスのような魔物が現れた。それを探してみたが、索引には載っていない。しばらくページをめくっているうちに、似たような姿の絵が描かれたページを見付けた。

 こいつかなぁ。よく似てるし。けど、ジェイが名前を間違えるってことはないよなぁ。あの時、そばにはリーオンがいたんだし、違えば絶対に訂正するだろうから……カロックとこっちの世界では名前が違うってことかな。

 さらにページをめくっていく。

 ハネコ……って言うと、シュマが怒るんだっけ。羽のある猫は同じなんだけどな。あ、かっこ書きで翼のある猫とも呼ぶってある。シュマ達はこっちの方がいいみたいだけど。ロアーグ達みたいな灰色狼も同じ呼び方だ。ってことは、同一の存在でも同じ名前の奴と違う名前の奴がいるのか。ややこしいなぁ。

 ややこしいのはそれだけじゃない。とにかく、魔物の種類が多いのだ。フィールドでは色々な魔物が現れるように設定されているが、きっとこちらが気にしていないだけでそれぞれに名前があるに違いない。さらに言えば、本に出ているのはあくまでも人間が知っている魔物であり、世の中には人間が知らない場所で生きている魔物だってたくさんいるはず。そして、それはカロックでも同じだ。

 そこまで考えると、前途があまりに遠くてめまいがしそうになる。ラディは魔物の本を閉じて、毒の本を開いた。毒を持つ動植物の絵と毒の種類、解毒方法などが書かれている。それもまた多種多様で、最後まで見る気が失せた。専門知識を得るために勉強するならともかく、これらをみんな覚えるなんてとてもできない。これまで授業で覚えたものは、本当に一部でしかなかったのだと思い知らされた。

 世界って……広いんだな。

「ラディ、頭を抱えて何してるんだ?」

 不意に声をかけられ、突っ伏していたラディは顔を上げる。すぐ横にブラッシュが立っていた。テルラの元同級生で、ラディが尊敬する魔法使いだ。魔法の腕は当然だが、見た目についても上級レベルなので、彼に気付いた女子の見習い達がちらちらとこちらに視線を向けているのが感じられた。

「あれ、ブラッシュ? どうして図書館にいるんだ?」

 正規の魔法使いとして、魔物退治などに向かうことが多いと聞くブラッシュ。仕事がない時間はどこにいてもいいのだろうが、図書館にいるのは不思議な気がする。

「報告書を書くための資料を探しに来たんだ」

「資料? 職務部の魔法使いでも、図書館で資料探しなんてするんだ」

「当たり前だろ。自分の知らないこと、わからないことを調べられるよう、図書館は存在してるんだぞ。職務部も修学部も関係ない」

「ブラッシュでも知らないことがあるのか……」

 ラディの言葉に、ブラッシュは苦笑した。

「お前ねぇ、ちょっと過大評価しすぎ。俺はまだ二十年も生きてないんだぞ。知らないことは山のようにあるんだ。倒したはいいが、自分が相手にした魔物がどういう奴だったのかわからない、なんてのはしょっちゅうだぞ」

「そうなんだ……」

 正規の魔法使いになれば、何でも知っていると勝手に思い込んでいた。現実はそうじゃない。古株と呼ばれるような魔法使いならともかく、ブラッシュはラディと二つしか違わない十八歳で知らないことがあっても当然だ。

「で、お前は何を調べてるんだ。課題か?」

「え……あ、えっと」

 カロックでの体験をきっかけに調べに来たのだが、それを知らない人にどう説明したらいいのだろう。

「授業で動く的に攻撃するの、魔物の姿に変えるようにしたんだ。で、それを見てたら俺って魔物のことをあんまり知らないなって思ってさ」

 きっかけは授業の幻影ではないが、これは本当に感じたことだ。現れる魔物を見ても、どういう魔物か知らない。教科書に載っているのはほんの一部。一般の人でも物語などに登場するのを読んで知っている、というよく知られたものばかりだ。吸血鬼や狼男、トロールやゴブリンなどなど。しかし、実際に魔法使いが遭遇するのは見たことのないような魔物がほとんどだったりする。どんなに座学で知識を得ても、知っているのは一握りでしかないのだ。

「ふぅん。それで、勉強してるのか。いい心がけだな」

「中級2まで進級したけど、知らないことの方が多すぎるなって思ったんだ」

「みんな、そういうもんだ。で、いざ正規の魔法使いになってから、そんなのは聞いたことがないって慌てる。俺だってそうだしな」

「ブラッシュは他の奴より絶対に勉強してただろ」

 運と才能はもちろん、努力だって欠かしてないはずだ。ラディは見ていた訳ではないが、そう思う。

「その勉強が足りてないから、こうして何かあればすぐ図書館に頼ることになるんだよ。ちゃんと知っていれば、図書館に来て本を探してページをめくって……っていう時間を省くことができる。その分、次の仕事の下準備を余裕をもってできたり、自分の時間が持てる。どの世界でもそうだろうけど、知識の乏しさは自分の首を絞めるぞ。今のうちにしっかりたたき込んでおけよ」

「うん……けどさ、数が多すぎて」

「一気にやろうとするからだ。毎日、少しずつ。継続は力なりって言うだろ。楽して覚えられるなら、みんなやってる」

「はは、厳しいな」

 前途は遠くても、一歩ずつ進むしかないのだ。カロックではジェイが、あいつは何々という魔物だと教えてくれた。しかし、いつもジェイがそばにいる訳ではない。さらに言えば、ラディはカロックにいる訳ではない。大竜には及ばなくても、自分の世界にいる時はそれなりに「あの魔物は何々だな」とわかるようにならなければ。

「魔物と魔獣召喚と……毒? ラディ、どういうつながりで選んでるんだ」

「え、どういうって、別に大した意味は」

 それまでは穏やかな雰囲気だったブラッシュだが、すっと冷静な表情に変わる。

「お前、自分だけで何かしようとしてないか」

「何かって……」

「この前会った時も、妙な質問してきただろ。対象を守りながら魔物と向き合う時の動きがどうのって」

 鋭く問い詰められ、ラディはちょっとあせる。前にした質問まで出され、すぐにはうまい言い訳も浮かんで来ない。だてにストレートで認定試験を突破してないということか。

「わかってるだろうけど、今のお前が一人で魔獣召喚するのは禁止だぞ」

「それはわかってるよ」

 でも、カロックではもう二回やったけどね。

 心の中で苦笑する。自分のレベルでよくリーオンやシュマのような大きい魔獣が現れてくれたものだと、どこか他人事のように感心しているのだ。

「ラディ、何か隠してないか」

 真面目な顔でさらに尋ねられ、ラディは内心あせった。

「か、隠すって何だよ。ブラッシュに内緒で何かしようとしたって、俺のレベルならできることは知れてるだろ」

「お前は中2のクラスにいるけど、使おうとしている魔法の種類によっては上級レベルのものだってあるかも知れない。俺はお前の魔法を見たことがないからな」

「ロネールの外で魔法を使えるような場所なんてないだろ。力試しならフィールドでやればいいんだし」

 それらしいことを言ってみるが、ブラッシュのいぶかしげな表情は変わらない。

「あれこれ言うと、ますます怪しく思えるぞ」

「んなこと言われたって……黙っていたら、それはそれで怪しく思うんだろ」

「まぁ、そうなんだけどな」

 ブラッシュになら話してもいいだろうか、とラディはふと思う。

 別に隠し事にする必要はないはず。祖父のヴィグランは、幼いラディとレリーナにカロックのことを話してくれた。子どもに話しても支障はないと思ったのだろうか。

 しかし、子どもが別の大人や友達に話すことは十分に考えられるはずだ。ヴィグランは話をした後、これは誰にも言ってはいけない、なんてことは言わなかった……と思う。

 だいたい、普通の大人ならあまり信じないような内容の話だ。別世界で冒険なんて、物語の中でしかできないと思われるのがオチ。

 それなら……と思って、またラディは考え直す。

 大人が信じないと思える話をブラッシュにして、気にしているのにからかうな、と怒られないだろうか。そんな話でゴマかそうとするのか、と。

 いくらブラッシュでも、さすがに異世界へ行った経験はないだろう。そんな人に話しても、信じてもらえるかどうか。

 カロックのことを話したものかとラディが悩んでいると、誰かがブラッシュを呼んだ。職務部の魔法使いが来ていて、戻るように言う。仕事の話だろうか。

「じゃあ、またな。ラディ、自分で責任が取れないようなことだけはするなよ」

「う、うん、わかってる」

 図書館を出て行くブラッシュの後ろ姿を見送り、ラディはほっと一息ついた。

 何かあったらまたアドバイスをもらえたらいいなぁ、なんて思ってたけど、これから先は難しいかも。

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