協力者の魅力
「ふう……」
ジェイは軽く息をついた。ラディの顔に少し赤みがさしてきたのを見て、まずは一安心といったところか。
「ったく、二回目でいきなりピンチなんて、さすがに焦ったぞ」
レリーナとシュマがミネスの実を探しに出てから、ジェイはラディにゆっくりと力を送り込んでいた。ラディの体力を徐々に上げているのだ。治癒魔法の中でも、竜や本当に強い魔力のある者にしかできない術である。
傷を治すことは人間の魔法使いにもできるが、体力を回復させるのは困難。それは時間の仕事であり、本人の気持ち次第だからだ。無理をすれば術者も術を施された方もどこかでひずみを生じさせる可能性があるので人間はやらないし、そもそもやりたくても魔力が追いつかない。
試練の最中であるジェイは、通常よりも魔力を落とされている。だから、この魔法を使うのは正直なところつらい部分もあるのだが、協力者が死にかけているとなればそんなことを言っていられない。大竜の試練で協力者が亡くなるなど、前代未聞だ。そうならないためにも、力を出し惜しみしている場合ではない。
レリーナ達には軽く「力を送っておく」なんて言っていたが、魔力うんぬんより面倒な問題があった。ラディがあまりにも弱っていたため、力を送ってさっさと意識を取り戻させる、といったことができない。一気に送ればラディがその力を受け止めきれず、助けるはずがとどめを刺しかねないのだ。そのため、ゆっくり力を送らなければならない。その作業が辛気臭くて投げ出したい気分だが、ジェイはラディの様子を注意深く見守りながら力を送り続ける。
そして、ようやく「もう大丈夫だろう」と思えるところまで回復させられた。まだ一気に、とはいかないが、恐る恐る送らなくていいのは気分的に楽だ。
「ん……」
ラディが身動きし、わずかに目を開けた。濡れた黒曜石のような瞳が現れる。
「お、目が覚めたか」
嬉しくて飛びつきたいところを、ジェイは抑えた。さっきまでは重病人だったが、今は病人レベル。まだ元気とは言いがたいので、へたにこちらが興奮するとラディに負担がかかる。
「生き……てる……?」
焦点もほとんど合っておらず、現状の把握もほとんどできてないはずだが、ラディはそんなことをつぶやく。
「ああ。ちゃーんと生きてるぞ。誰がお前を死なせるかっての」
「……がと」
声はかすれていたが、ラディは礼を言った。
まだちゃんと考えられる状態じゃないくせに……律儀と言うか素直というか。
そのわずかな言葉に、ジェイは不思議な感覚が胸に広がった。恋愛感情とは絶対違うが、きゅんとなるような。
こう言えるのって、ラディの強さなのかな。まだ頼りない部分もたくさんあるくせに、何でもないような、でも誰もが持ってる訳じゃない強さを持ってたりして。……ああ、そうか。だから、協力者に選ばれるんだ。
「もう少し眠ってろ。じきにレリーナが薬を持って来てくれるからな。そうしたら、叩き起こしてやるよ」
ラディはわずかに笑って再び目を閉じた。たぶん、次に起きた時は今の会話を覚えてないだろうな、と思いながら、ジェイはまたラディに力を送る。
これで本当にもう大丈夫だろう、という頃になって、レリーナ達が戻って来た。
「ジェイ、ミネスの実を取って来たわ。ラディはどう?」
「一度、目を覚ましたからもう心配ない。その実、問題なく取れたか?」
「すごく大きなカエルが邪魔してきたわ」
「あちゃー、やっぱりいたか。普段食ったって何もならないのに、あの木の周りってだいたい何かいるんだよなぁ。いないことを祈ってたんだけど」
向かわせてからジェイは思い出したのだが、もし何かいてもシュマが一緒だからいっかぁ、と思い直したのだ。
「もう、ジェイったら。知ってるなら先に教えてよ。カエルがいきなり出て来た時、本当にびっくりしたんだから」
「オレを盾にしようとしていたぞ」
「ちっ、違うわ。盾にしようなんてつもりじゃ……。びっくりしてしがみついただけよ」
「はは、わかっている。本気にするな。ほら、その実でラディを復活させるんだろう」
「あ、そうね。ジェイ、これはどうすればいいの?」
「ちょっと待ってくれ」
ジェイは近くにある葉を数枚、魔法で取り寄せた。それらは見ている間に重なりあい、カップのような形になる。
「で、この中に……」
レリーナが取って来たミネスの実が、ふわりと浮き上がった。宙でぱかっと二つに割れると、ざくろのような赤いつぶつぶした実が現れる。その実から赤いしずくが落ち、葉でできたカップの中へとたまっていった。三つもあるのだから結構な量になりそうなものだが、見た目に反して水分は少ないらしい。コーヒーカップ半分程の液体がたまる程度だ。
「それをラディが飲めば、元気になるの?」
「おう。これで動けるようになるぞ。ラディ、起きろ」
レリーナが改めてラディを見ると、出かける時は真っ青だった顔色も今はいつもと変わらないまでに戻っている。そっと手に触れてみると、冬の寒空にさらしていたような冷たさはもうなかった。実の効果が現れなくても、これならしばらく休んでいれば元気になるだろうと思える。レリーナは締め付けられていた心臓がようやく解放された気がした。
ジェイがラディの額に触れると、ラディの目が開く。
「ラディ!」
「レ……ナ?」
焦点が定まっていない瞳で、それでもラディはレリーナを認識していた。それがわかり、レリーナは安堵のため息をつく。
「ラディ、起きろ。レリーナが薬の実を持って来てくれたから、飲むんだ」
「ん……」
ラディは言われるままに身体を起こそうとする。レリーナがそれを助けようとしたが、もたもたしているのを見かねてかシュマが頭でラディの背中を押して起き上がらせた。
ジェイから実のしずくがたまった葉のカップを受け取り、レリーナはラディに持たせる。ラディはそれに口をつけて一口飲んだ。その途端、ラディが咳き込む。
「ラディ? しっかりして」
落としそうになったカップを受け取り、レリーナはラディの背中をさする。ラディは咳を続け、完全に涙目になっていた。顔色も、さっきまでと違って赤い。
「ジェイ、これってちゃんと効果があるの? 本当はとんでもないものじゃないでしょうね」
レリーナがジェイの方を見る。さすがに毒を飲ませるとは思わないが、ジェイの今までの言動を思い返して「悪い悪い。それって実はさ……」なんて言い出しそうな気がした。
「だけど、元気になったみたいだぞ」
「え?」
「ジェイ! 何だよ、これ」
いつもの口調、いつもの声の強さでラディが尋ねる。
「酢なのか? とんでもなく酸っぱいぞ」
「そういう味なんだよ。びっくりして、一気に体中の血が回ってるって感じだろ」
「ちょっと待ってよ、ジェイ。まさかショック療法なの?」
ラディの文句を聞いて、レリーナは改めてジェイを見る。
「まぁ、今のラディにとっちゃ、そうかもな。だけど、栄養だとかはちゃんとあるんだぞ。しっかり飲んどけ。レリーナとシュマが苦労して取って来てくれたんだから」
「レリーナが?」
「あ、うん……」
「そうか、ありがと」
少し苦しそうな息をしながら、それでもラディは礼を言う。
「ううん……ラディ!」
何かがまんするように強くくちびるをかんでいたレリーナは、たまらずラディに抱きついた。
「おおっと」
カップが落ちそうになるのを、ジェイがかろうじて受け止める。しかし、レリーナはそんなことに気付いていない。抱きつかれたラディの方は目を丸くしている。
「あの……レリーナ?」
「あたし、ラディが死んじゃうんじゃないかって……よかった」
あんな冷たい手に二度と触りたくない。身内ではないが大好きなおじいちゃんが亡くなり、続けて大切な友達まで失いたくない。
ラディが目を開けて起き上がり、いつものように言葉を発しているのを見て、レリーナはたまらなくなったのだ。
「ごめん、心配させて。レリーナ、俺はもう大丈夫だから。な?」
なだめるようにして、ラディはしがみつくレリーナの背中を軽く叩いた。
「ようやく問題が片付いたようだな」
ラディから離れ、浮かんだ涙を拭くレリーナを見てシュマがつぶやく。
「ああ。ほら、ラディ。さっさと全部飲め」
「ぜ、全部?」
ラディが露骨に顔をしかめる。
「レリーナがもンのすげぇデカいカエルと対峙して、ようやく手に入れた実だぞ。ムダにする気か」
ジェイが言うと、あの場にいたカエルがシュマよりも大きかったように聞こえる。だが、まだ真相を知らないラディは「……わかった」とカップを受け取った。かなり渋々ではあったが。どうにか全部を飲み干したものの、しばらく咳き込む。レリーナはそれでラディの体力がまた奪われるんじゃないかと心配になった。
「そんなに酸っぱいの?」
「酢をそのまま飲んでる感じ……」
咳のしすぎでラディはまた涙目だ。でも、確かに身体は楽になってきたように思える。
「みんな、ごめん。俺のせいで余計な手間をかけさせて」
ラディは頭を下げて謝罪した。
「こういうのも試練のうちに入ってるんだ、気にするな」
「……協力すると言ったからな」
ジェイは軽く言い、シュマはつぶやくように応えた。
「ラディがこんなことになったのが、シュマが来てくれてからでよかったわよね。でなきゃ、ラディを見付けるのも実を取りに行くのも、あたしだけじゃ無理だったもん。ありがとう、シュマ」
レリーナがシュマの首に手を回す。
「……レリーナは抱きつくくせがあるのか?」
何でもないような顔をしているが、シュマは戸惑っていた。こうして抱きつかれることなど、これまでになかったから。それはシュマに限ったことではないが。
「もう、シュマったら。あたしは感謝してるのよ」
レリーナが少し拗ねたように言い、ジェイとラディはその様子に声をたてて笑った。
☆☆☆
ラディも動けるようになったので、ようやく地図のかけら捜しが再開できる。本来の目的に移れるのだ。
ジェイがかけらの位置がわからなくなるぎりぎりの所までシュマに乗って移動し、そこからはラディかレリーナがジェイに指定された魔法を使うことで、再びその気配がジェイにわかるようになる。今回は風魔法を使ってくれと言われた。
「あたしだって風魔法ならできるもん。ラディはもう少し休んだ方がいいわよ」
「もう何ともないって」
「無理して魔法を使わないようにって、先生からいつも言われるでしょ」
授業で魔法の実技がある時は、担当講師である魔法使いがよく言う。本物の魔物と対峙している時ならともかく、具合が悪い状態で魔法を使わないように、といつも注意されるのだ。見習いは特に魔法を使うことで体力を使うため、体調を悪化させかねないためである。
「それはそうだけどさ、今は」
「ラディ、いいじゃん。レリーナに甘えておけよ。一応、ミネスの実の効果でまともな健康状態ってことになってるけど、無理に奮い立たせてるって部分も多少はあるんだしさ。何だったら、三回に一回くらいでラディがやりゃいいだろ」
「あたしの弱い力じゃ、ジェイもかけらの気配を感じ取りにくいんでしょうけど、時間がかかるだけでわからない訳じゃないのよね? だったら、構わないじゃない」
「うん。使う魔法さえ間違えなきゃ、ちゃんとわかるぞ」
「どっちでもいいから、さっさと始めろ」
ラディとしては、完全に復活したつもりだ。しかし、今は助かったという安堵感と高揚感で気持ちだけが盛り上がっているのかも知れない。今回は完全に助けられてばかりなので、おとなしく周りの言うことを聞くことにしておいた。ただ、何もしないのもつまらないので、ジェイが言うように三回に一回だけやることにする。
レリーナが呪文を唱えると、ふわりと柔らかな風がラディの頬をなでた。湿気の多い森の中で、その風はとても気持ちがいい。
レリーナの魔法って、肌触りのいいシャツみたいだな。……例えが変か。
自分で突っ込みを入れながら、でもラディはそんなことを思った。人の魔法を見ることはあっても、触れることはあまりない。フィールドでの授業でも、先生やクラスメイトの魔法は目にするだけで直接触れる機会がないのでどういう感触かわからないのだ。でも、今のように風なら肌で感じられる。だから、ラディはそんなことを考えたのだ。
魔法の中にも性格が出るものかな。俺の魔法ってどんな感触なんだろう。
荒削りだったりするのかな、などと考えながら、ジェイが地図のかけらの気配を感じて進む方へついて行く。また流されたりしないよう、地面から盛り上がったツルの上を注意深く飛び移りながら。あんな体験は二度とごめんだ。
今回はレリーナに頼りながら、時々ラディも風魔法を使う。
「覇気のない風だな」
シュマがあっさり言い放つ。
「え、そうか? 覇気のない風って、どんなだよ」
「レリーナより安定しているが、力強さに欠けている。そういうことだ」
「まだ本調子じゃないってことだよ。けど、あんな状態から魔法が使えるまでになってるんだから、回復状態は良好だ。うん、さすがオレ」
力を抑えられた状況でラディをちゃんと回復させられ、ジェイは喜んでいる。
「あ、もちろん、ミネスの実もすごいけどなー」
「俺、いつもと手応えは同じように思ってたけど……」
「お前の普段の魔法がどれだけのものか知らないが、オレを呼び出した時の魔力を思えばスカスカだ」
「そんなにひどいのか……」
スカスカとまで言われると、さすがにラディもへこむ。
「ラディ、ジェイも言ったけど、本調子じゃないってことよ。あたしががんばるから無理しないで」
「ん……」
言い返す気にもなれない。ここで意地を張って魔法を使ってみせても、レリーナはともかく、ジェイやシュマにはその力の入り加減がばればれなのだ。担任の魔法使いの前でやるよりも難しい。ゴマかしが絶対にきかない相手だ。
「どう、ジェイ。かけらはまだわからない?」
「かなり近くまで来たぞ。さっきからだいぶ強く気配を感じてるから」
ラディやレリーナは魔法を使うが、地図のかけらの気配はジェイにしか感じ取れない。魔力の高いシュマでさえ、全くわからないのだ。ここではジェイの言葉が全てになる。
「レリーナ、もう一回」
言われてレリーナは風魔法を使う。風がラディやレリーナの髪をふわりと揺らした。
「こっちだな」
ふわふわと上の方へ向かうジェイ。枝のように伸びているツルの間を抜け、その姿が見えなくなる。行く先を地上で見守っていると、嬉しそうなジェイの声が響いた。
「みーっけ。あったぞ」
降りて来たジェイの手には、白っぽい石のかけらのようなものがあった。ヴィグランの部屋で砕けた地図のかけらだ。
「……そんなものを探していたのか」
大竜の試練という名は聞いたことがあっても、詳しい中身まではシュマも知らなかった。見付けた物を見たその表情は、感心しているのかあきれているのか。
「じゃあ、これはラディにやってもらわないとね。あたし、まだ復元魔法はできないもん」
「ああ。復元なら覇気も何も関係ないしな。発動さえすれば、こっちのもんだ」
魔法で制服の中に織り込んでいた地図の切れっ端を、ラディは取り出した。泥の中に落ちても、制服が燃やされでもしない限りは地図も無事だ。もっとも、この地図は試練のための特別なものだから、何があっても紛失されることはないだろう。
ラディは取り出した地図と、ジェイから受け取ったかけらを持って復元魔法の呪文を唱える。かけらがふわりと浮き上がり、厚みがあったそれはどんどん薄くなって地図へと引き寄せられた。ラディの持つ地図にくっつくと境目がなくなり、地図の一部へと変わる。地図の切れっ端はほんの少しだけ大きくなった。
「よし、いい感じだ。これで今回も無事に終了だな」
ジェイの言葉に、ラディもレリーナもほっとする。
「やっと終わったか。やれやれ、騒がしい一日だった」
「シュマ、ありがとな。また頼むよ」
ジェイに言われ、シュマは目を丸くする。
「またって何だ。そんなに何度もやってられるか」
「けどさ。一度呼ばれると、術者の魔法に応えやすくなるって言うだろ。オレの協力者はラディとレリーナで、魔獣を呼び出すのはラディ担当なんだ。ってことは、ラディの声に引っ掛かりやすくなるってことで」
「他をあたれ。呼び出しても、次はすぐに帰るぞ」
「まぁまぁ、長い一生の中の一日くらい、いーじゃん」
相変わらず、頼む側とは思いにくい依頼の仕方だ。
「シュマの瞳って、すごくきれいな青なのね」
「い、いきなり何だ」
「正面からシュマの顔を見ること、今までなかったし意識してなかったから気付かなかったの。こうして見ると、深い海の色みたいできれい」
「……」
レリーナの言葉に、シュマが今までになく固まっている。
「レリーナ、魔獣召喚がんばれ。レリーナが呼べば、きっとシュマも来てくれるぞ」
「お前なっ」
シュマは怒るが、言った方のジェイはけろっとしている。
「ま、ラディが呼び出す時にいる位置にもよるけどさ、次があったら頼むよ、ほんと」
「……その時の気分による」
いやだと言わない辺り、協力に前向きだとラディは勝手に考えることにした。
「ラディもレリーナも、お疲れ。帰ったらゆっくり休んでくれ」
その言葉と同時に、森の中に不自然な扉が現れる。しかも二つ。前回とは違い、来る時にばらばらだったから、帰りもばらばらなのだ。
「これでそれぞれが来た場所へ戻れるからな。次は新月か」
「……関係ないだろ、こっちが新月でも俺達の世界では新月じゃない時に呼ばれるなら」
「あ、そうだったな。まぁ、最低でも三日はあくはずだから」
「たった三日なの? もう少し間をあけて呼んでもらいたいわ。たとえほんの少しでも、自分の力を高めてから来たいもん」
今回は本当に三日しか間がなく、前回来てからラディ達の暦では四日目に再びカロックへ来たことになっているのだ。これからこの状態だと、気分的に慌ただしい。自主トレもしたいし、勉強もある。たまにゆっくり休みたい時も。
「その辺りはオレもまだうまく調節できなくてさ。悪いな」
あまり悪いと思ってなさそうな口調と表情である。こういう顔と声なんだ、と言われてしまえばそれまでだが、少なくとも口調に神妙さはない。まだ出会って二日目だが、ジェイはこういう竜なんだ、ということでラディもレリーナも思うことにしておく。
「少しでも日数があくことを期待してるよ。じゃあな。シュマ、本当にありがとう」
「またね、シュマ」
ラディとレリーナはそれぞれの扉を開き、自分の世界へと戻った。
「ほら、またって言われたから、来ない訳にいかないだろ」
「……レリーナやラディには協力するが、ジェイに協力するのは気が進まない」
「えー、そんな冷たいこと言うなよなー」
シュマの言葉は、もちろん見習い魔法使いの二人には聞こえていない。
☆☆☆
扉を通り抜けると、自分の部屋だ。そばにレリーナはいない。彼女も自分の部屋から来たようだし、今頃はほっと一息ついているだろう。
とんでもない体験、しちゃったな……。
ラディは自分の左手の甲を見る。わずかなひっかき傷がまだ残っていた。これくらいの傷ならすぐに治るからあえて魔法では治さない、とジェイに言われたのだ。いくら元気にするための魔法であっても、ずっとかけ続けることは不自然な状態。出血が止まらないのならともかく、自然治癒力で十分に治る傷は触らない方がいいということらしい。
俺、死にかけたんだよな、本当に。こうしてると夢だったようにも思えるけど。
しかし、夢なら手に傷はつかない。白いワンピースを着たフランカという魔物は確かに目の前に現れたのだ。
ふと気配を感じ、ラディはポケットに手を入れた。小さな水晶がぼんやりと光っている。通信魔法の呼び出しだ。すぐに呪文を唱えて応えると、聞こえてきたのはレリーナの声。
「具合、悪くなってない?」
「さっきまで元気に歩いてたの、見てるだろ」
扉を抜けて、一息ついただけの時間しか経っていない。これで倒れていれば、余程の重症だ。
「それはそうだけど、帰って来たことで気が抜けてないかなって思ったから」
「抜けてないよ。ジェイがしっかり治してくれてるんだから。いつも軽い調子でいるけど、ジェイだってれっきとした竜なんだからさ」
竜でなければ、魔力が高くなければ、ラディはまだ今頃カロックで寝込んだままだ。竜の力があったからこそ、ラディは起きて動けた。もちろん、レリーナが持って来てくれたミネスの実も一役買っている。あの味だけはいただけなかったが。
「そうね。ジェイが竜でよかった。魔力を抑えられてるって話してたけど、助けるだけの力があるってことは、隠してるだけで本当は相当すごいことができるんじゃないかしら」
「どうかな。喰われそうになった時は助けてやる、なんて言ってたから、緊急時だけに限られてるとかじゃない? もしくは治癒系だけとかさ」
「そっか。攻撃系はダメ、とかね」
前回カロックへ行った時、小さな魔物に取り囲まれた。今日のような高い治癒の力があるなら、その力を攻撃に変えればあっという間に一掃できたはず。それができないのは本当に必要最低限の力に抑えられているからだろう。
「ありがとう、レリーナ」
「え?」
ふいに礼を言われ、レリーナは戸惑う。
「今回は本当に心配させて悪かった。これからは俺ももっと注意するよ」
たかがボタン、されどボタン。この小さなボタン一つでとんでもないことになりかけたのだ。どんな小さなことでも、放置してはいけないことが身に染みてわかった。
同時に、戻って来てすぐに心配して連絡をくれたレリーナの気持ちも嬉しい。詳しくはまだ聞いてないが、ミネスの実を取りに行った時は大変だったようだ。彼女にそんなことをさせないためにも、自分がしっかりしなければ。
「ん……。今回のことで、少しはあたし達も成長できてるわよね」
シュマのように大きな魔獣と一緒にいても、平常心でいられた。これはレリーナにとって大きな収穫だ。
「ああ、転んでもただで起きてちゃもったいないからな」
結局、次のカロック召集がいつになるのか、わからなくなってしまった。しかし、今回よりもスムーズにかけら探しができるよう、精進しなければ。
予定が未定でも、まったく時間がない訳じゃない。これからいくらでも練習はできるのだ。たとえそれが二日や三日であっても。
ラディとレリーナは、お互いさらに高めあおうと決意したのだった。





