26話 羊の夢枕亭を守れ!
普段通らない道。今俺たちは、羊の夢枕亭に向かって走っている。なんで普段通らない道を通っているかと言うと……。
「次の曲がり角を左に曲がってください。10秒後に正面から魔物が現れます」
ユーリの指示のもと、俺達は左の路地に入ってしばらく進み、壁に背を付けて息を潜める。すると……。
ペタッペタッペタッ……
「「「……」」」
目の前をカエル面の二足歩行生物が通り過ぎていく。スワンプフロッグだ。3体のスワンプフロッグが通り過ぎてしばらくすると、ユーリから声がかかる。
「もう大丈夫です。元の道を進みましょう」
改めて元の道に戻って、先を急ぐ。俺がユーリに頼んだのは、できるだけ魔物のいない、もしくは魔物をやり過ごせる道を選んで羊の夢枕亭まで誘導してもらう事。本来であれば、見つけた魔物は片っ端から倒していきたいんだけど、それをやると別の魔物を呼び寄せる事になる。結果、羊の夢枕亭に着くのが遅れる。俺は、それを看過できなかった。だから、魔物を無視する。それは、自分の中に明らかな依怙贔屓の線引きをしているって事だ。今見逃した魔物が、どこかで人を襲うかもしれない。そういう未来がある可能性を知っていながら、俺は羊の夢枕亭を優先させている。
「……ちくしょう、俺にもっと力があれば」
「ホクトくん、今は急ごう」
「ああ……」
アサギもカメリアも俺の決断を受け入れてくれた。今の俺達に、全てを救う力は無い。それは、俺だけじゃなくてアサギもカメリアも感じていることだ。だから、俺はリーダーとしてパーティに明確な指示を出した。
『羊の夢枕亭のみんなと合流するまでは、他の人たちを見捨てる』
自分がこんな決断をするとは思ってもいなかった。だけど、今の状況は両方を取る事ができない。もし、それをしようとすれば両方失う事になる可能性がある。羊の夢枕亭の誰かを失う……俺はそれが怖かった。
ユーリの指示で、確実に羊の夢枕亭に近づいている。こいつがいなかったら、今頃もっと遠くで魔物と戦っていて立往生していたと思う。感謝してもしきれない。だから、俺は前に進む。偽善、独善大いに結構。俺は、俺の助けたい者を助ける。
「そこを出れば羊の夢枕亭です!」
未だに声以外はピクリとも動かないユーリだけど、声には力が籠っていた。こいつもこいつで戦っているんだ。
「よし、2人とも行くぞ!」
路地から飛び出して、羊の夢枕亭に向かって駆けだす。ポロンは……良かった、怪我はしてるみたいだけど、まだ無事だ。あ、俺達の方を見た。近づいてくる匂いで気付いていたか?
「アオォォォン!!!」
歓喜の雄叫び。確かに俺の耳には、嬉しそうにはしゃぐポロンの思考が感じられた。でも悪いなポロン、今回は俺自ら助ける事はできないんだ。
「アサギ、カメリア頼む!」
「ええ、任せて」
「アタイが蹴散らしてやる!」
カメリアは、猛然と魔物たちの輪の中に飛び込んでいった。アサギは立ち止まって、魔法の詠唱を始める。俺は、そんなアサギを庇うように前に立つ。ユーリを抱えていて戦闘はできないけど、近づいて来た魔物を攪乱する事くらいはできる。
羊の夢枕亭を囲んでいるのはスワンプフロッグだ。数は多いけど、この2人なら何とかしてくれるだろう。
「おらぁおらぁおらぁ!」
カメリアが朱槍を振り回す。その結果、面白いようにカエル面たちが斬り飛ばされていく。血風を撒き散らしながら、まさに鬼神のような戦い方だ。そして、そこに完成したアサギの魔法が発動する。
「ウォータージャベリン!」
上手くカメリアを避けるように、数十本の水の槍がカエル面たちを串刺しにしていく。
「……凄いですね」
「ああ、ほんと圧倒的だ」
見る見る間に、羊の夢枕亭を覆っていた魔物たちが消し飛ぶ。俺は、ユーリを抱えながらゆっくりと建物に近づく。すると、建物を守っていたポロンが一目散に俺に飛びついて来た。
「わぅん、わぉ~ん!」
俺の前で減速して、二本足で立って俺の身体に縋り付く。余りの嬉しそうな表情に、俺もホッコリしてきた。膝をついてポロンと視線を合わせると、ポロンが俺の顔をペロペロと舐めてくる。本人もテンションが上がり過ぎて、よく解らなくなってるな。止める気配もなく、ずっと舐め回している。
「はは、よく宿を守り抜いたな。偉かったぞ、ポロン」
「わん!」
お前はちゃんと俺との約束を守ったんだな。
「ホクトさん、僕もう大丈夫です」
背中からユーリの声がした。見れば、視線が俺の方に向いている。どうやら、ウナとのリンクを切って、自分の身体に戻って来たらしい。ゆっくり背中からユーリを下ろす。
「ありがとうございます。ウナも、少ししたら戻ってきます」
「そうか、助かったよ。こっちこそありがとうだ、ユーリ」
ユーリに改めて礼を言う。ほんと、こいつと知り合いになってて良かった。さっきの感じだと、ポロンも後少しで体力が尽きてたな。
「そうだ、ポロン。お前、最高だぞ!」
お礼とばかりに、ポロンの身体を全身くまなく撫で回していく。ポロンは、それを気持ちよさそうに受け入れ、俺にされるがままになっている。
「くぅ~ん……」
「偉かったな、ちゃんとハンナちゃんを守ったんだ。俺は、お前を誇りに思うぞ」
ポロンの顔を覗き込みながら、思いつく限りの言葉で褒めていく。ポロンも嬉しかったのか、身体を摺り寄せて擦り付けている。はは、緊張が解けたのか随分と甘えてくる。身体が小さい時は良くやって来たけど、最近はハンナちゃんと一緒だったから、あまりやらなくなっていた。
「……お兄ちゃん?」
その時、宿の中からハンナちゃんが顔を出した。
「ハンナちゃん!大丈夫か?」
立ち上がって、ハンナちゃんの元に向かう。周りに倒れている魔物と、俺達の顔を交互に見て、ダッと俺たちの元に駆け出してきた。
「お兄ちゃん!」
俺に抱きついて来たハンナちゃんを、優しく抱きしめる。良かった、この子が無事で本当に良かった。これで、俺は自分の行動に自信を持つことができた。
「怖かったな。でも、もう大丈夫だ。ほら、見てみろ。俺だけじゃない。アサギもカメリアもいる。俺達が魔物からハンナちゃんたちを守るよ」
「ひぐっ、ひっく……うぇ~ん、おにいちゃん……」
俺にしがみ付いて、ボロボロと涙を流すハンナちゃん。随分怖かったんだろう。
「あれ、でも女将さんは?こんな時ほど、頼りになりそうなのに」
「……ひっく、お母さん出かけてていなかった」
「あちゃあ……なんて間の悪い」
じゃあ、中にいたのはハンナちゃんとミリアムさんだけか。どうりでハンナちゃんの怯え方が尋常じゃない訳だ。普段、絶対的な安心感をハンナちゃんに与えていた女将さんが不在。これが、どれだけハンナちゃんにとって負担だったか。
「でもハンナちゃん、ポロンがいたろ?ポロンは宿の前でずっとハンナちゃんの為に戦ってたぞ?」
俺に言われて、初めてポロンに意識がむかうハンナちゃん。ハッとして、ポロンの方を見る。ポロンはすでに落ち着いたのか、いつも通りの表情でハンナちゃんを見ている。あれは、褒められたくてウズウズしている顔だな。
「……ポロン、ごめんね。私たちの為に、戦ってくれて……」
ポロンの首にしっかりとしがみつくハンナちゃん。かなり力を入れて抱きついているみたいだけど、ポロンは優しい瞳でハンナちゃんを見ている。
「わぅ!」
一声鳴いて、ポロンはハンナちゃんの涙を舐めていく。そうだよな、ポロンとしては謝られるよりも、もっと違う言葉をかけてほしいよな。
「ハンナちゃん、ポロンはゴメンじゃなくて褒めてほしいみたいだよ」
「ふぇ?……えっと……その……」
突然言われたことでハンナちゃんが混乱する。そこまで慌てなくてもいいのに。
「ほら、いつものようにありがとうって。ポロンは、それだけで満足だよ」
「う、うん。ポロン、ありがとう……ポロンのお蔭で、私もお父さんも無事だよ。よくやったねポロン……ポロン大好き」
「わん!」
ギューッと抱きついてお礼を言うハンナちゃん。ポロンも嬉しそうに一声鳴く。
「さて、とりあえず羊の夢枕亭は無事だったけど……俺たちどうしようか」
「そうね、命令無視してここまで来ちゃったからね」
そう。俺達は今、命令無視の真っ最中だ。本来のアマンダさんからの命令は、グルドさんの安否が分かり次第戻って来いといったものだ。俺達は、それを知ったうえで命令を無視して、羊の夢枕亭まで来たのだ。戻れば、規約違反で罰則があるかもしれない。
「まあ、仕方ねえんじゃねえ?アタイにしたって、あの場面で宿を見捨てるって選択肢は無かったわけだし。ここは、みんなで怒られようぜ」
無駄にイケメンなカメリアの言葉。まあ、そうだな。俺達は、自分たちが選んだ行動に後悔は無い。多分次に同じことがあっても、俺達は同じ選択をすると思う。
「そうね。それに、今度こそ街中に放たれた魔物たちを一掃しないと。それで、アマンダさん達には許してもらいましょう」
「そうだな」
起きてしまった事は仕方ない。どんな罰則があるか解らないけど、ここは素直に怒られよう。そんな思考に浸っていると……。
「ハンナ!」
遠くから人が走ってくる。この声は……。
「お母さん?」
言われてみれば、シルエットが女将さんだ。声も聞き覚えあるし、間違いないだろう。
「ハンナ!」
ポロンにしがみ付いているハンナちゃんを、ポロン毎抱きしめる女将さん。自分が不在の時に魔物が街中に入るなんて、女将さんにとっては気が気じゃなかっただろう。これだけ取り乱した女将さんを見るのは初めてだ。やっぱり、ハンナちゃんと女将さんは親子なんだな……と、当たり前の事に驚く自分がいた。
「小僧……いや、ホクト。ありがとう、娘を守ってくれて」
このしおらしい人は誰でしょう?俺の知ってる女将さんとは違って、随分殊勝な人みたいだ。脳みそが、目の前の人を女将さんと認識するのを拒否しているようだ。
「俺は何も。最後の最後でしたしお礼はアサギとカメリアに。それに、ずっと宿を守ってたのは俺達じゃなくてポロンです」
「それでもさ、こうしてハンナが落ち着いているのはお前たちがいたからだろ。だから、ありがとうで合ってるんだよ」
少し照れくさそうに、こっちを向く女将さんが妙に新鮮だった。




