14話 生き残るための一歩
この2体がスキュラと連携して、俺を包囲しようとしていたのは間違いないと思う。なのに、いざそのチャンスが巡ってきたときにこの2体は行動を起こさなかった。その理由に疑問を浮かべていた俺の目の前に、その答えはあった。
人……恐らくすでに事切れている、人だったものが目に入る。2体のリザードマンにやられたのだろう、服のあちこちが破けている。そして、その身体の下からは赤黒い液体が今も広がっているところだ。多分、ついさっきまでは生きていたんじゃないだろうか?
「その人をやったのは、お前たちか?」
自然と声のトーンが下がっていく。そこで死んでいる男?は、俺とは全く面識のない人間だ。だけど、魔物に殺されたその人を、無視して先に進むことは俺にはできない。俺の殺気に当てられて我に返ったのか、リザードマンたちが武器をこちらに突きつけて構える。それは、先端が黒く光る石でできた槍。リザードマンたちにとっては標準装備なのか、どちらも同じものを使っている。
俺も腰を落として身構える。ハッキリ言って、真正面から戦うのは馬鹿のすることだ。だけど、あまりの惨状に自分を抑えることができなかった。痛む右腕をダラリと下げて、目の前にいる2体を見据える。俺が片腕を怪我していることに今気づいたのか、リザードマンたちが笑った。目を細めて、口の端が持ち上がる……これはどの種族でも笑っていると分かる明確な仕草。笑われて、馬鹿にされて頭に来るかと言うと、そうでもない。今はどうやって、この2体を殺すかだけを頭で必死に考えているところだ。
少しだけ地面に倒れる人に目をやる。完全に事切れているんだろう、全く身動きをしない。だけど、ここで俺たちが戦い始めると間違いなくその死体は荒らされることになるだろう。そう思った俺は横に走り出す。視線はもちろんリザードマンたちを見据えたままだ。突然の俺の動きに、やや遅れる事になったけどリザードマンたちも続く。
「そうだ、そのままついて来いよ」
死体の場所から離れた場所までリザードマンたちを連れて行く。そこで仕切りなおそうと思ったら、我慢できなかったのかリザードマンの1体が跳躍して俺に飛びかかってくる。
「ちっ、もう少し我慢しろよ!」
人では考えられないくらいの距離を難なく跳躍して、俺の頭上にリザードマンが槍を突き出す。咄嗟に横に飛んで躱す……でも、その先にもう1体のリザードマンが。
「うおっ、こいつらやり慣れてるな……」
片方を躱せば、もう片方が避けた方に回り込む。2体しかいないのに、まるでもっと多くの魔物と同時に戦っているような錯覚を覚える。まともな姿勢を取らせてもらえないまま、ひたすらに2体の攻撃を躱していく。
「クエッ!」
「オゥオゥ!」
何やら声を掛け合うリザードマンの2体。休む暇もないくらいの連続攻撃を見ながら、思い出したことがある。
「うっ、そう言えば……まともに武器で攻撃してくる奴と、初めて戦ったかも……」
今まで武器を手に攻撃してきたのは、ゴブリンやオーク。そのどちらも知能が低く、とにかく力押しでグイグイくるタイプだった。だけど、今目の前にいるリザードマンの2体が扱う槍は、荒いけどカメリアたちみたいに武道に通じるものを感じる。どう使えば効果的か、どこを攻撃すれば致命傷を与えられるか、そういう考えが見えてくるような攻撃の仕方だ。しかもこいつら、2体で連携して戦う事に慣れてる。一撃では倒せない相手に対して、詰将棋のように先を見越したような攻撃をしてくる。
「はぁはぁ……クッ!」
横合いからの突きを横に飛んで躱すと、後ろからの気配が増大する。狙われているのは……頭!
キィン!
「クゥェ!?」
タイミングを合わせて左腕で槍の穂先を逸らす。スキュラとの戦闘で覚えた、音を視覚的に捉える能力が役に立った。顔の側を素通りしていく槍の穂先を感じつつ、俺は咄嗟に後ろを振り返って回し蹴りをリザードマンの1体にぶつける。
「グェッ!」
当たった傍から魔力を流そうとしたけど、残念ながら防具に阻まれてしまった。そうか、今までの敵はだいたい肌が露出しているやつばっかりで、防具を纏った奴との戦闘も経験が無かったな。こういう小さいミスが重なっていくと、いつかこいつらに刺し殺されそうだ。
右の脇腹を抑えつつ、槍の穂先を俺に向けたまま警戒するリザードマン。残りの1体も横に並んで、これでまた振り出しだ。俺の方も、呼吸を整えつつ2体と正対する。さっきまでと違うのは、俺の態勢がやっと整ったところだろうか。
「リザードマンってのが、ここまで厄介な魔物だったとは思わなかったな」
返事が返ってくるとは思っていないけど、落ち着く為に軽口を叩いてみる。それにしても厄介だ、槍捌きだけみても低ランクの冒険者じゃ太刀打ちできないんじゃないか?それが2体同時って、どんだけ運が無いんだって話だ。
「とは言え、お前たちが槍使いで良かったよ」
「グゥ?」
「クェ?」
俺の言ってる事は理解できないだろう。だけど、今の言葉は心の底からの本心だ。
「俺の仲間にな、お前たちなんか束になっても敵わないような凄腕の槍使いがいるんだよ。そんな奴と俺は幾度となく訓練してるんだ。剣とか、斧とかを使われてたら、俺はとっくに死んでたよ。お前らが使うのが槍だから、俺の仲間よりも格段に落ちるレベルの槍使いだから俺は生き残れる」
「クゥアァァァ!」
「クエェェエェ!」
言葉は通じないけど、言われてる内容が自分たちを馬鹿にした内容だと理解したのか。2体のリザードマンたちは金切り声を上げて向かって来た。
突き出される槍を避け、左手でいなし、隙を見つけては相手にダメージを与えていく。この程度の実力なら、2体いてもカメリアの方がキツイ。それが心の余裕を生み出し、身体が自然に最適な動きをトレースする。散々カメリアに叩き込まれたからな、やってる当時は手加減しろと怒ったけど、今は感謝しかない。
2体を相手取り、真っ向から捻じ伏せる。挟み込まれ、左右から連続で槍の攻撃を受けるけど今の俺にはそれが見える。囲まれているけど、押しているのは俺だ。間違いなくダメージが蓄積されて、動きも最初の頃に比べれば鈍くなってきたリザードマンたち。
このまま行けば勝てる、その慢心が隙を生む。
「キィエェェェ!」
右にいるリザードマンの突きを掻い潜り、左のリザードマンの横薙ぎをスウェーで躱す。そして最初に攻撃してきたリザードマンの軸がぶれたのを見てとった俺は、一気に勝負を決める一撃を叩き込む。
ドウン!
「なっ!?」
だけど、吹っ飛ばされたのは俺の方だった。完全に槍を捌ききっていたはずなのに、一体俺は何にやられたんだ?……驚いてリザードマンたちの方を見ると。
ビシッ!
リザードマンの尻から伸びる太い尻尾。それが、地面に叩きつけられて小さな穴を穿つ。
「尻尾!?」
そうだよ、うっかりしてた。相手は魔物、人間にない部位での攻撃だってできるんだ。それを、俺はカメリアよりも弱いと相手を見下して余裕ぶっこいて、油断した。その結果が背中に受けた強烈な尻尾の一撃だった。
「うぅ、ゴホッ……ゴホゴホッ……」
咄嗟に膝をつく。強烈な一撃を背中に受けて呼吸が苦しい。そして、そんな俺を前に舌なめずりしてくれるほど、リザードマンたちは楽な相手ではなかった。
「シャァァァ!」
ここぞとばかりに畳みかけてくる。慌てて姿勢を正すけど、左右からの攻撃を凌ぎきることができない。穂先による裂傷だけは避けていたけど、槍の柄で滅多打ちにされた。
動かせる左腕は、まだ良い方だ。動かせない右腕は骨が粉々になるまで砕かれている。折れた骨が皮膚を突き破って、周りに血飛沫が舞う。ヤバイな、血を流し過ぎると身体が動かなくなる。このままでいれば、待っているのは死だ。
「キシャァァ!」
「ぐぁ!」
遂に槍の穂先が脇腹を貫通する。膝を下りそうになるのをグッと堪え、リザードマンたちを睨み付ける。俺の無様な姿に口の端が吊り上がるリザードマンたち。
「クソッ、こんなところで……俺は、こんなやつらにやられるのか?」
リザードマンが槍を大きく振り上げる。身動きを取ろうにも、脇腹に槍を突き刺したままじゃ碌に動けもしない。これは、いよいよお終いか……。
高々と掲げられた槍、それが今から俺を貫くんだろう。なのに、酷く現実感がない……。俺は、これで死ぬのか?こんな魔物に、なす術もなく殺されるのか?
そんなのは嫌だ!
「がぁあぁぁぁ!!!」
ありったけの力で吠える。嫌だ、俺はまだ死にたくない!その思いを声から絞り出す。喉が切れても構わない。
「うがぁあぁぁぁーーー!!!」
あまりの豹変に、一瞬持ち上げる手を止めたリザードマン。だけど、当然思いが通じる訳もなく……頂点から俺目がけて振り下ろされる槍の穂先を、俺はただ見つめ続けて……。
ザシュ!
「えっ?」
リザードマンの首筋から血飛沫が舞う。頸動脈を切り裂かれたリザードマンは、何が起こったのか分からないって顔をしている。だけど、俺にはそれだけで十分だった。
「うおぉおぉぉぉーーー!!!」
身体中から伝わる痛みを無視して、俺の目の前で無防備になっているリザードマン目掛けて左拳を叩きつける。
「浸透!」
ビクンッ!
リザードマンは、1回震えて膝から崩れ落ちた。残った1体は何が起こったのか理解できずにポカンとしている。俺が言うのもなんだけど、戦闘中にそんな間抜け面を晒していいのかね?
「はぁっ!」
左腕で槍の柄を掴んで、思いっきり膝を突き上げる。それだけでリザードマンが持っていた槍をへし折る。
「キィエェ!?」
「どうした、かかって来いよ。ほら、俺はこんなに満身創痍だ。今ならお前の尻尾の一振りで殺せるぞ?」
一歩リザードマンに向かって踏み出す。明らかに自分の方が有利なのに、リザードマンは一歩下がる。視線がたった今殺された仲間に向けられる。その仲間は顔中の穴から血を噴き出し、すでに死んでいるのがわかる。
「どうした、来ないのか?」
更に一歩踏み出す。それに合わせてリザードマンは一歩下がる。完全に気圧されて戦意を失っている。目の前のリザードマンは、立ち向かう事も出来ず、かと言ってこの場から逃げ出すこともできず、思考が停滞して無駄に時間を使ってしまっていた。この場には俺以外にもいると言うのに……。
ズブッ
「グェッ!?」
突然リザードマンが後ろを気にして、悲鳴?を上げる。そこにいたのは……。
「残念だけど、逃がさないわよ」
シッカがダガーをリザードマンの背中に突き刺していた。
「お前たちは、時間をかけ過ぎたんだ。とっとと殺しておけば、こんな事にはならなかったのにな……」
覚束ない足元に力を入れて、更に一歩。だけどリザードマンはもう下がれない。俺はゆっくりと左拳を握り、腕を振りかぶる。もう強烈な一撃なんて打てない。だけど……。
「死ね……」
リザードマンの身体に触れると同時に、俺は魔力を解放した。




