12話 敵勢力圏からの脱出
咄嗟のこととはいえ、崖のような急斜面を転げ落ちるって言うのは肝が冷える。気付かれていないと思っていた油断から、魔物の魔法を食らってしまった。
「くっ、くそ……」
転がる勢いが衰えない。腕の中のシッカはすでに気を失っているのか、身動き一つしない。坂を転げ落ちながら、身体の至る所を打ちつける。徐々に傾斜が緩くなって、それに合わせるように回転の速度も落ちていく。一番下に落ちきって、ようやく止まった。
「いっつ……。よくあそこから落ちて、生きてるな」
自分が落ちてきたところを見上げる。もう一度やれと言われても、全力でご遠慮願う……それほどの坂だ。ハッキリ言って、生きているのが奇跡だ。
「それにしても、あそこに俺たちがいる事が何故分かった?俺もシッカも気配は消していた。確かにちょっとは身体を乗り出したけど、あんなに即対応されるほど分かり易くもないと思うけど……」
とは言え、見つかってしまったのは事実だ。早くここを離れないと、魔物の群れに囲まれて逃げる事も出来なくなるだろう。
「シッカは……ダメだ。完全に気を失ってる。これは、いよいよおぶっていくしかないか」
地面に横たわっているシッカの背中と膝の裏に腕を通して、所謂お姫様抱っこの形で持ち上げようとする。
ピシッ
「うぐっ!?右手……いや、肩か?焼けるように痛え!」
左手で肩のあたりを触診する。触れたところは若干熱を持っていたけど、折れてるって感触は無かった。そこから鎖骨、首と手を動かしていくと……。
「イテッ!鎖骨か……ヤバイな、折れてるぞこれ」
何時までもここにはいられない。だけど、逃げようにもシッカは気絶、俺は右鎖骨の骨折とまともに身動きが取れない。
「ウッ……」
途方に暮れていると、シッカが苦しそうに喘ぐ。起きたのかと思って、シッカの側に膝をついて確認したけど、どうやら痛みで呻いただけみたいだ。今だに気を失ったままだ。
「シッカも、どこか怪我してるのか?」
ざっと見た感じ、外傷は見当たらない。後は俺のように、身体のどこかを骨折している可能性だけど、これはもうシッカが起きるまでは判断のしようがない。
「しかし、そうなるとシッカを無闇に動かせなくなったぞ。頭を打ってたりしたら、動かすことで悪化することだってあるんだよな」
真面目に授業を受けていたわけじゃないけど、多少はそういう知識もある。それに、前に救急救命隊員の人が学校まで来て、人工呼吸の仕方やADSの使い方なんかの説明もしていた。その時に要救助者への対応も色々教えてくれた。
「まあ、その当時はこんなことになるなんて思ってもいなかったから、まともに聞いてなかったんだよな。はぁ、あの当時の自分を殴りたい」
今更悔やんでも後の祭り。今できることをしよう。
「まずは現状の確認だ。さっきの攻撃が当てずっぽうなのか、俺たちを認識しての攻撃なのかで今後取れる行動が変わってくる」
当てずっぽうなら、恐らくここまで調べには来ない。だけど、もし位置を把握した上での攻撃だったら……。
「結果を見にここまで来るだろうな……」
そうなったら、俺もシッカも戦えない状態じゃ万事休すだ。戦いにすらならないだろう。
「見つかった時点でゲームオーバーだな……」
周りを見回して、身を隠せそうなところを探す。俺たちが今いる場所は、岩がゴツゴツと隆起していて、身を隠す場所には事欠かない。シッカには悪いけど、まずは身を隠そう。
「後で幾らでも怒って良いから、今は我慢してくれ」
シッカの脇の下から自由の効く左腕を通して、身体を密着させる。そのまま、少しずつ岩陰まで下半身の力だけで引きずっていく。慣れない動き、少し動かすだけで激痛が走る右肩、気を失った人の重さ。その全てが俺の体力を奪っていく。額にびっしょりと汗をかきながら、なんとか岩陰までシッカを引っ張り込むことができた。
「……ふぅ……ハァ……ハァ……」
肺が酸素を要求する。ここまでの重労働に身体中から悲鳴が上がる。このまま、ここに大の字になって寝転びたいのをグッと堪えて、俺は気配感知を全開で発動させた。
「半径100m以内に魔物の気配は…………良かった、とりあえずは無い」
ここまで来て、やっと気持ちが落ち着いた。後は、シッカが意識を取り戻すまでに魔物が来ない事を祈ろう。
空を見上げると、そろそろ夕方になろうかと言う時間。正確な時間は解らないけど、4時くらいか?シッカが目を覚ましても、出発は明日になりそうだ。もっとも、それまで魔物が大人しくしててくれればだけど……。
「はぁ……長い夜になりそうだ」
それからしばらくして、シッカは目を覚ました。
「ごめんなさい、私が足を引っ張ったばっかりに」
「シッカのせいじゃない、運が悪かっただけだ。それに最悪って訳でも無い、まだ魔物たちに見つかってないし、あいつらに動きも無い。今は多少悪いくらいで済んでるよ」
ひたすらに頭を下げるシッカを宥めて、これからの事を話し合う。
「身体の方は大丈夫か?」
「ええ……と言いたいところだけど」
シッカはそう言って、上着を胸の下まで捲った。突然の事に唖然としたけど、別にシッカが発情したわけではない。慌てて視線を逃がそうとする俺を制して、シッカが脇腹の辺りを指す。
「多分落ちたときに、どこかに打ったんでしょうね。息をする度に痛みが走るわ」
シッカの左脇腹は、浅黒く内出血していた。これは……。
「肋骨が折れてるわね。まったく、シーフとして失格だわ」
「俺だって鎖骨をやってるんだ。シッカばかりが気にする必要はないよ」
「でも、あなたは偵察の専門じゃないわ。私は専門なのに、咄嗟の時にあなたに庇われて……本当は私がもっと早くに気付くべきだったのに」
どこまで行っても、自分のせいだと言い張るシッカ。これはもう性格上の事だから、俺がいくら言っても聞かないだろうな。なら、もっと建設的な話をしよう。
「何にしても、一刻も早くみんなの所に戻ってこの群れの事を伝えないと」
「でも、どうやって?私は歩けるけど、行き程の速度は出せないわ」
「俺も同じだ……」
しばらく待ってみたけど、俺たちを探しに魔物が来ることは無かった。当面の脅威は去ったとはいえ、今のままここに留まる訳にもいかない。
「行きましょう。多少時間はかかるけど、何もしないよりはマシだわ」
「そうだな……行ける所まで行ってみよう」
気配感知を全開にしつつ、俺とシッカはベースキャンプへと向かって歩き出した。
「はぁ……はぁ…………」
「大丈夫か?辛かったらおぶるぞ?」
「……はぁ、大丈夫。それに、おぶられる方が振動に耐えられそうにないわ」
あれから1時間くらい歩いただろうか。周りはすでに薄暗くなり始めている。どこかで休みたいと思う気持ちと、一刻も早くキャンプに戻ろうと思う気持ちが常にせめぎ合っている。多分、独りだったらとっくに心が折れてただろう。
「夜通し歩けば、明け方までには着けるかな?」
黙り込むと気がめいるから、俺もシッカも意味もない会話を続けている。そして、そんな時間は突然終わりを告げる。
「!?気配感知に反応があった。これは……左右から挟み撃ちにしようとしている。隠れてやり過ごすか?」
そうは言っても、この辺りに隠れる場所はない。夜の暗がりで気配を殺してやり過ごすくらいしか方法はない。
「ホクトは先に行って。私はシーフのスキルで気配を消すことができる。夜の暗さなら、動かなければ見つかることは無いわ」
「それは夜だったらだろう?この感じだと、そんなにかからずに見つかるぞ」
「ならちょうどいいわ。私を置いて行って……今の私は足手纏いになる。それだけは我慢できないわ」
怪我のせいか、さっきからシッカがネガティブな事しか言わない。確かに俺1人なら逃げ切れるかもしれないけど、俺はさっき気付いちゃったからな。
「シッカが一緒じゃないとダメだ。俺1人になったら……多分、心が折れてその場に大の字になって寝転ぶぞ?」
「……ぷっ、何よそれ」
少しだけどシッカが笑ってくれた。大丈夫、まだ諦めるような時間じゃない。
「よし笑いが出たところで現状把握だ。敵は全部で5。左に2、右に3だ。俺としては挟み込まれる前に各個撃破したいところだな」
「そんな身体で戦えるの?」
「今ならなんとか。疲労が溜まってきたら、さすがに厳しいだろうけどな」
俺の自己分析は間違ってないはず。ここはやり過ごす事ができない以上、敵を倒す必要がある。それも同時に来られる前に個別に対応する必要がある。
「シッカは、そのまま気配を消して進め。俺があいつらを倒す」
「そんな、私も戦うわ」
責任感が強いシッカなら、そう言うと思った。だけど、ここは俺に任せてくれた方が助かる可能性が高い。
「俺1人の方がやり易い。それに、今の方がスキルを覚えられそうだ」
「……それだけ大口が叩けるのなら、本当に大丈夫なのね?」
「ああ、任せとけ」
俺の目をまっすぐに見つめるシッカ。しばらく無言の時間が続き、そしてシッカが折れた。
「分かったわ。どちらにしろ、私に戦闘力を期待されても困るんだけどね。なら、ホクトに任せるわ。でも、絶対生きて再会しましょ」
「もちろんだ」
俺は立ち止まってシッカを見送る。シッカも時折振り返るけど、足は止めない。そうして、シッカの姿が視界から消えたとき、改めて気配に集中した。
「この感じは、ユニークじゃないな。その点は良かったと思おう。まずは、2体いる方から片付けていくか」
そうして、俺は行動を開始した。




