白く滲む地平線、潮風に揺れる焦燥。
「ねぇレシカ様、幽霊についてどう思いますか?」
幽美ちゃんは、オーシャンビューのカフェテラスで潮風に髪を揺らしながら言った。
「どうって……普通に怖いかな」
私は幽美ちゃんを誘い、西宮北口駅のロータリーから出ているヨットハーバー行きのバスに乗り、大阪湾に面した人工島、西宮浜へと来ていた。
無機質な巨人軍団のように、白く高い団地が幾つもそびえるその人工島は、海浜公園側に行けばだだっ広く開けていて、なんとも解放感のある所だ。
たかだかバス揺られ三十分程で、こんなに街の雰囲気が変わる事に私は少々驚いた。
「怖い?レシカ様って怖い物あるんですか?」
白ブラウスに、百合の紋章が入った青いスカートを潮風になびかせ、首を傾げる幽美ちゃん。
「あるわよ。すごく沢山。あなたより全然怖がりかもしれないぐらい」
今日のコーデは、レトロなチェック柄のワンピース、それに合わせたカチューシャで前髪をあげ、いつもと雰囲気を変えている。
足元は先端が丸くて可愛いストラップシューズ。人工島のコンクリートを歩くと小気味良い音がするわ。
今日は、幽美ちゃんに合せたコーデ。彼女をデートに誘ったのはこの私だから。
「うふふふ、そんなのあり得ませんよ。私は凄く怖がりなんですから、ゴースト以外の話ですけれどね」
幽美ちゃんはそっと目を閉じて紅茶をスーッと上品に含む。
「じゃあ、怖がり同士だね。ふふ。幽美ちゃんは幽霊怖くないんだ?」
私はテーブルに肘をつき両手を重ねて、その上に顎をのせる。
「ええ。生まれた時から屋敷で沢山の幽霊と一緒でしたから。あ、でも、ヤバイ相手とかの時は恐怖は感じますよ?それは異形とかと同じ恐怖ですけれど、怖いっていうのとはちょっと違いますかね」
ムーンストーンみたいな瞳で、真正面から見つめ返してきた。本当に堂々とした子ね。
「へー……でも、そうだよね。幽美ちゃんの使役する五体のゴーストって結構強烈な見た目してるし、小さい頃から見てたら耐性ついちゃうよね」
ちょっと失礼だったかな。
「うふふふふ、そうですね。ケシェシェ、ドブノゲ、ネオメデュラ、ジャジャラク、 ミラミラコ、どの子も強烈ですよね!」
幽美ちゃんは、一体何処からやってきた存在なのか全く不明なゴースト達の名前を笑顔で指折りしながら唱えた。
笑ってくれてよかった。昔からの友達に失礼な言い方したみたいな感じだったから。
にしても、幽美ちゃんがゴーストの名前を唱えた瞬間、やけに寒気がしたわ。
「変わった名前よね。その子達って一体何者なの?」
私はナイフをメスのように持ち、パンケーキに切れ目をいれながら聞いた。
「それは……秘密です!うふふ」
私以外には素っ気なかったり、酷い言葉を吐く事もあるけれど、私と二人でいる時は、とても素直で毒っ気の無い女の子だ。
「そうよね。知らない方がいいって事もあるものね。これ食べたら少し歩こっか海沿い?」
私は晴れ渡る空を見回して言った。
海も空も真っ青だ、それが交わる地平線だけが白く滲み虚ろなのが不思議。
「ええ。そうしましょ。私も少し歩きたいですわ」
テーブルに置いている私の手を、ぎゅっと握る幽美ちゃん。それは手であるはずなのに私を食べたいというような感じの執着のような愛情が感じられた。
私達はコンクリートで整備された無機質な海沿いを歩く。
「ルンタッター、ルンタッター」
舞踏会のように、スカートを膨らませてくるくる回って踊る幽美ちゃん。
素敵だわ。
一度私の腕を舐めてきた事があるけれど、あの時の悪魔みたいな目つきをした子と同じ人間とは思えない。
「えへっ、レシカ様、いい匂い……」
私に飛びついて腕に絡みつきながら、幸福な夢の中にいるような表情をする幽美ちゃん。
私は左手に持つ大きな黒い日傘で私と幽美ちゃんを覆い、右手で幽美ちゃんの頭を何度も優しく撫でる。
「レシカ様と二人で、こんな綺麗な場所でデートできるなんて、夢みたいですわ!」
蛇のように強く絡みついてくる。きっと私がヨゼや火蘭君でなく幽美ちゃんに最初にキスをしていたら、想像も出来ない快楽への道へ進んでいたのかもしれない。
しかしそれは、取り込まれてしまうような、取り返しのつかない状況になっていたのだろうと感じる。
危うくて、優雅で、幽玄を感じる素敵な子。
私は海を見渡す。
風で薙いで海面がキラキラと揺れている。
「そんなに私が好きなの?」
「ええ!!!とてもですよ!!!」
急に私の前に飛び出して、お母さんに褒めて欲しい子供のような仕草をした。
「そう、ありがと。私も大好きよ。ほんとうにね」
私の言葉を噛み締めるように、無言になる幽美ちゃん。
すかさず、私は言った。
「……て事で隠し事はなしよね?幽美ちゃん、ちょっと思ってたんだけれど、私に言いたい事あるんじゃない?」
……
幽美ちゃんの顔が突如曇る。
「ありません……よ」
「嘘」
二人の間に潮風が吹いた。
「怒らないで下さい……」
「怒って無いよ、心配してるの」
……
「でも……レシカ様忙しそうですし……」
「やっぱり何かあるのね?忙しいけど、仲間の悩み事ぐらい知っておきたいわ」
「……」
「早く」
私は日傘を幽美ちゃんの上に移動させる。
「じゃあ、ちょっとだけ……」
「ええ、言って」
「……私、実は……最近トラブってて……」
「トラブってる?」
私は首を傾げる。この子がトラブるレベルの問題って一体何かしら?
「恐らくなんですが……」
「私…………魔女に目をつけられています」
――
魔女。
それは、まず接する事の無い存在。
中級のデーモンですら、一般人が日常で遭遇するのはとても稀で、出現すればその街と上下左右の街の学校が数日間、一斉に休校になるぐらいだが、強さのレベルではそれと比較にならない次元に強大な存在。
場合によっては魔を束ねる王をしのぐ場合もあり、都市伝説的に魔女の気分が変われば街の雰囲気が変わり、魔女が本気を出せば国が変わってしまうと言われているぐらいだ。
「それ……ほんとなの?」
「たぶんですが……レシカ様を追って施設から出た後、不門家に依頼が来たから、なんとなく私が請け負ったんです。呪われた大洋館の依頼で、さっさっと片付けようと安易な感じで、ですが……あまりにも甘く見過ぎていました」
「何があったの?」
「あれは魔界でした」
「魔界?」
「何か途轍もなく恐ろしい存在が率いる化け物達の本拠地でした。それに気づいた時はもう閉じ込められていたのですが、なんとか命懸けで逃げ出して……」
幽美ちゃんですら、逃げるので精一杯だったのか……
それはかなりまずい場所だわね。
「そう……怖かったわね、ごめんなさい」
私はそっと抱き締める。
「なんでレシカ様が謝るんですか……」
元はと言えば、私が脱走したからだ。
「いいの。それで?」
「はい……それから時折、変なイメージが強制的に浮かんだり、忌まわしい視線を感じたりするんです」
「変なイメージ?」
話に反して、空や海はとても穏やかだ。
「ええ、地下の儀式場みたいな所に、赤い服を着た女性がいて、その存在は一見美しいんですが……もう、どうしようも無く怖いんです。これは、さっき話した幽霊の怖さって感じですかね……初めての経験でした。それで、急いで不門家の倉に残る秘蔵物の資料を漁ってると……」
「どうしたの?」
「イメージの赤い女にそっくりな絵とそれに関する事項が書いてある、洋紙があったんです」
「なんて書いてたの……?」
「こう書いてました……『魔女 オババク』と……内容は意味不明でした……理解したくもありません」
「魔女オババク……」
突如私達の間に、怪しい風が吹き、波がバシャンッと音を立て荒れた。
幽美ちゃんはフラッシュバックしたかのように、顔を青白くし、手を震わしだした。
「だから私……もしかしたら……」
言わせない。
「そいつは、私が倒すわ」
「え?」
「絶対に」
「はい?」
「ボコボコにするのよ」
「魔女ですよ?」
「知ってるわ」
「……無理ですよ」
「私でも?」
「……」
「私の夢はね、女神になる事なの」
「は?」
「いえ、夢じゃないわ、きっとなる」
「どういう……?」
「女神と魔女どっちが勝つと思う?」
「……」
「顔をあげなさい幽美」
「はい……」
「私の目を見て」
幽美ちゃんは潤んだ瞳で私を見つめる。
「私が勝つわ、信じなさい」
その言葉に心の栓が開いたように、幽美ちゃんは私の胸の中で泣きじゃくった。
その後、歩きながら「まだ猶予はあるの?」と現状を聞いたりして話を整理した。
不門家が持つ宝物の札などがあるので、その洋館に近寄らない限りはまだ大丈夫らしい。けれど、相手が魔女なのでいつ何が起こるからは予測できないという事だった。
大体の状況は把握し、海沿いもひとしきり歩いたので、私と幽美ちゃんは、少し陽が陰ってきて随分と雰囲気が変わってしまった人工島から帰る為、西宮北口駅方面のバスに乗り、その場を後にした……




