6.〈避難民キャンプ〉――異世界原産生物
◎
――翌日の起床はあまり愉快なものではなかった。ヘクト君と殴り合ったからか、横にってもしばらく興奮が収まらなかったことが主な原因だろう。
そうでなくともハルからの告白の件もある、二人と顔を合わせ辛い。
それでも、労働しなくてはならない。俺は歯車、社会という名のシステムを動かすためだけの代替可能な部品なのだ。
朝食を早々に終え、いつもより早めに仕事場へ向かう。早く出れば顔を合わせずに済む、という浅い策略だ。だが、浅い策略は簡単に瓦解するもの。
洗濯物を抱えたハルとばったり出くわしてしまった。
彼女はいつもこの時間から家事をしている訳だ、お疲れ様です。
「あ、えっと……おはよう、放浪者君」
「あー、はい。おはようございます」
ハルは気まずそうに目を逸らす。それもそうだ、衝撃的な告白からまだ数時間しか経っていない。敢えて、何事もなかったかのように平然を装うこともできるが、ここは気まずさを共有しておいた方が何かと都合が良さそうだ。
「し、仕事があるから行くねっ、放浪者君、今日も頑張ろうね!」
「あ、あぁ……頑張って」
こうやって逃げてくれる間は保留状態になる。
俺はまだ告白の返事をしていない。簡単に決めて良いことではないので一日の猶予を貰ったのだ。こんな心持ちだとあっ、という間に夜になってしまう。
今日は畑の収穫物を蔵に運び込む仕事。来たる冬季に向けて食料を貯蔵するのだとか。碌な暖房器具のない田舎で冬を過ごすなんて考えるだけで恐ろしい話だ。
ヘクト君と参加しているが、お互いに近づくことなく労働に従事した。
「田舎の家族観、ってのもまだよくわかってないんだよな……」
男尊女卑の風潮における家族の役割とは何か――特に、故郷や家族を失った人が集まる〈名無し村〉では何を求められるのか。ただ、一つ言えることとして――家族を持つ覚悟はできてない。
俺にとってハルまだ他人だから、急にあんなこと言われても困る。友人としてなら全幅の信頼が置けても、家族となれば話が変わる。
「そんなに気にする程のことじゃないのかな。ま、なるようになるか」
何も考えずに流されるままに進めば良いか――。
選ばない、というのは楽だから。
〈秩序統制機関〉でお世話になったことも、言われるがままに〈名無し村〉に来たことも全部選ばなかった。
そこに悪意がなければ上手く行く、これが俺の人生哲学。
ハルには悪意はない――。
それに想像してみたら存外楽しそうではないか。今までの俺のことを知っている人がいない異世界なら新しい生き方ができる。家族のあり方だって気に入らなければ模索すれば良い。
下らないことで悩んでいたな。気に食わなかったら逃げ出せば良いだけのことではないか。こんな田舎生活に微塵も未練はない。
「――お疲れ様、ハル」
「放浪者君も、お疲れ……あ、あの実は今日昼食作り過ぎちゃって、放浪者君さえ良ければこの後一緒に食べない……かな?」
「じゃあ、ご相伴に預かろうかな」
頬を赤くしながらも嬉しそうに笑うハル。
やっぱり、難しく考え過ぎていた。
誰かが笑顔になってれる選択をすれば良いだけのこと。悲劇に満ち溢れている世界だから、少なくとも手が伸びる範囲だけは幸福であって欲しい。
俺に誰かを幸せにできるなら、もう迷わない。
ハルの家で昼食を摂った後、村で軽い騒ぎが起こった。
森林伐採にしている最中に猪の集団に襲われたらしい。足を掬われて頭を打った男が担がれて来た。額から血を流していたものの命に別状はないようだ。
一応、この村における医学技術の発展に際して俺は知識を提供した。ある程度綺麗な水で傷口を洗うだけで破傷風は防げる、とか素人レベルの話だがこの文明レベルなら十分。
魔物が現れるから、ってただの獣が弱い訳ではない。ここは人間の立場が弱い世界だ。
安全性を考慮して今日の仕事は中断され、村にも不穏なムードが漂う。ハルへの返事に影響がなければ良いが。
「その前に少し仮眠するか。流石に夜には起きれるよな」
自宅に戻り、ごわごわなベッドに身体を投げ出す。スマホは〈秩序統制機関〉に置いて来たので時間を確認する手段がない。原始的な生活の末、自然と体内時計が整った。好きな時間に起きられる能力を身に着けた。
――慣れない生活に忙殺され、感覚が鈍ったのかもしれない。
突如として浮遊感に襲われて俺は目覚めた。不自然な起床に自然と冷や汗が背中を伝う。
間もなく、大地が揺らめいることに気がつく。振動自体はかなり軽い。一定間隔で刻まれるビートは感覚を研ぎ澄ませていれば実に心地好いものだった。
とは言え、異常事態と判断すべき事案だろう。ここは俺の生まれた国ではない、地震は珍しいもののはずだ。
背筋を伸ばし、大きく息を吸う。ため息のように盛大に息を吐いて茫洋な意識を吹き飛ばす。
扉に手を掛けたところで妙な香りが鼻腔を擽った。今までの人生で嗅いだことのない匂い。
その時、女性の叫び声が聞こえ、途切れた。
「なっ、今の声は――!?」
扉を開け放った瞬間、全てを悟った。
〈名無し村〉は燃え盛っていた。
まるで昼夜逆転したように。道沿いの家屋が根刮ぎ炎上し、煙を吹き上げている。間もなく、自宅にも火の手は迫って来るだろう。
凄まじい熱気が頬を焼き、疼く。
ただただ事態のスケールの大きさに圧倒される。
脳裏に過ったのは社会の教科書に載っていた写真――大災害の後に起きる二次災害。大火事――むしろこちらの被害の方が大きい、とさえ言われている。
これは、あくまでも二次災害だ――。
地震が切っ掛けなのではない。この揺れさえも二次災害みたいなもの。
ドン――と、断続的に大地が揺れる。一定のリズムなのはそれが歩行だったからだ。
「……っ、何だよあれ……」
――月下、燃え盛る村を堂々闊歩するのは全長五メートルはある爪先から天辺まで真っ黒な化物。
鎧のような禍々しい外骨格を纏った巨大な生物が人の営みを容易く蹴散らす。一般的な人型より腕が長く、鋭利な爪が煌めいた。
特筆すべきは、頭部から生えている二本角。こめかみ辺りから後方へ曲線を描いて伸びている。
殺意に染まっていながら視線が定まらない矛盾した赤き眼。
悪食の極まった恐ろしい牙。
すぐ近くから、ははっ――というから笑いが聞こえた。
不謹慎な奴だ。まさかこの一件の黒幕か?
俺の口から漏れた笑いだった。
「ここまで気づかなかったなんて、勘が鈍ったな。これ、魔物だよな――」
もっと正確にこの化物を表す言葉がある。
いつからだ? 身体の震えが止まらなくなっている。高熱に晒されているというのにどうして歯が擦れる。
「この世界には本物がいるんだな――鬼」
――〈名無し村〉は黒鬼の襲来により滅び去った。
ここに残っているのは誰も住んでいない家屋と俺だけ。後はもう灰と化した。そこに一切の希望は見出だせない。
「何なんだよこれ……」
世界は理不尽だ。
世界は残酷だ。
世界は醜悪だ。
それでも、少しくらいは美しいものがある。
それでも、少しくらいは慈しむべき者がいる。
過酷な世界に生きている以上、辛いことばかりだ。それでも小さな幸せくらい享受しても良いだろう?
それなのに、掌に収まるくらいの幸福がこんなにも簡単に壊されるのか?
「最初から知っていたよ、終わる時は一瞬だって……それでも、これはないだろ……」
こんな終わり方が許されるはずがないだろう。
怖いから震えているんだと思っていたが違う、俺は怒っていたから震えていたんだ。
期待するだけ無駄なのに、新天地に――異世界に期待した俺が馬鹿だった。
「逃げよう」
鼻腔にこびりついた死臭――。
ここには何も残らない、もうどうでも良い。
鬼に気づかれる前にこの村から離れる。財布やスマホみたいな貴重品なんてない、着の身着のまま逃避行に出掛ける。
「――助けてっ、放浪者君っ!」
「ハル、か!?」
全てが終わったはずの村に一つだけ残っていた――。
ハルは村外れの空き家にずっと隠れていた。だから、ここまで生き残れていた?
ハルは頬を流れる涙を拭うともせず、俺目掛けて走って来る。頬は煤で汚れ、スカートの端には焦げた跡が見られる。
ここまで逃げるだけでも、怖かっただろうに――。
だから、両手を広げて待ち構えた。俺にできることはこれくらいだと思ったから。
刹那、空を彷徨っていた真っ赤な眼光が瞬いた――。
呆然と歩いていた黒鬼が何故かハルを捉え始めたのだ。
地面に足先がめり込む程の突き込まれるのが見えた。力が籠められた。次の一歩は〈揺れ〉程度では収まらない。鬼の膂力など計り知れないが、質量からしてトラックみたいなものだろう。当たるだけで粉砕骨折請け合いだ。
「ハル! 手を伸ばせ――!」
「っ、うん……!」
駄目だ、間に合わない――俺の方から近づかない限り間に合わない。だが、前に出れば、ハルを引き寄せられる代わりに俺が前に出てしまう。凶刃に引き裂かれる対象が移るだけ。
巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るな――この怒りを、この激情をどう発散すれば良い。
――逡巡はない。一足で距離を詰め、ハルの手を掴む。まさか自分がハルのために――誰かのために動ける人物だとは思っていなかった。いざという時になってようやく、誰かのために動けることを知る。
瞬間には視界から黒鬼の姿が消失していた。遅れてドン――と、凄まじい爆音が鳴り響き、暴風が吹き荒れる。煽られた火がまた新たな家屋に燃え移った。
ハルを引っ張ったはずなのに尻餅をついていた。反動で俺は前方に飛び出るはずだ。だって、確かにハルの手を掴んで――。
「は…………?」
肘より先がなかった。だらん、と垂れ下がる右腕から止め処なく血液が流れ出る。反射的に離したのは凄まじい嫌悪感が理由。
切断面はまるで食い千切られたかのように滅茶苦茶だった。
腕より先の部位はどこにも見つからない。あるのは、黒鬼が刻んだ深い足跡から続く、真っ直ぐ伸びた移動の跡のみ。
鬼が真後ろに立っている。圧倒的な存在感、見ていなくても理解させられた。
俺が狙われず、ハルが狙われた理由――。
推測、鬼は〈恐怖心〉をレーダーに標的を殺戮している。
ハルは怖がった。俺はどうにかなると心の底で思っていた。その差異が明暗を――否、生死を分けた可能性。
推測が合っていたとしよう。
俺はもう、鬼をどうでも良いなんて思えない。存在を知覚するだけで背筋が震えてくる。
恐怖が怒りを凌駕してしまった。
「…………あ、っ……………………身体が、動かねぇ…………」
首筋の痺れが俺の死期を仄めかす――たった今、ハルを殺戮したばかりの凶刃が振り上げられている。
――死の、自覚。
そうだ、遺跡の時も全く同じことを考えていた。抗えないものに対する恐怖と諦観。
あの時、俺はどうやって生き残れたんだっけか。
天を仰ぐ。もしも、叶うなら奇跡のような偶然をもう一度起こして欲しい。都合の良い夢物語を見させてくれ。
朧気に煌めくだけ月が答えるはずもない。いつも、お前は見ているだけ、俺と同じ傍観者。
その時――空に赤い流星が八つ、降り注いだ。
鮮烈な、目が眩む程の閃光が視界を覆い尽くした。




