2.〈秩序統制機関〉――黄金幼姫
◎
一晩ゆっくり休むことで清々しい翌日を迎えることができた。こんな無機質で真っ白な部屋だったからこその情報量のなさが脳を休ませてくれたのかもしれない。
「現代日本とは比べるべくもない情報量だ。スマホが使えないだけで暇で暇で仕方ないな」
――ムーンは監視でもしていたかのように起床した直後の俺の前に現れ、朝食を置いて行った。監視カメラは見当たらないが、プライバシーなんてないものと思った方が良さそうだ。出されたのは見たことがない食材ばかりだったが口にすれば美味だった。異世界の植生には興味深いものがある、余裕があれば色々見てみたい。
至り尽くせり、という訳ではなくとも何もしなくても食事が出るだけでどれだけ幸せなこと実感できる話である。他人事なら尚、良かった。
この部屋は見渡す程度に広々としており、圧迫感のない一室ではあるが何にしても虚無。昨日から数時間も眺めていれば次第に飽きて来る。
「確か扉はここら辺だったよな」
扉と壁の境目は注視しても見分けがつかなかったが、今朝ムーンが現れた辺りに立つと独りでに扉が開いた。
廊下も部屋と同じく人工物感の強い造りでできている。右にも左にも道は続いていた。ここは迷わず右を選ぶのが現代人の嗜みだ。
「――昨日も思ったが想像以上に近未来的だな」
天井に埋め込まれている電灯も、宇宙船を思わせる重厚な壁面も元の世界では見たことがない。
遺跡や魔物なんかが出てくるから定番の中世かと思ったのだが、認識を改める必要がありそうだ。
――そして、探索開始から三〇分後。
「迷った」
研究所なのか医療施設なのか、どちらにせよ迷宮のような構造をした巨大建築物は大凡、利用者に優しくない設計がされていることがよくわかった。
どこまで進んでも風景は変わらず標識の一つもない。距離感覚がバグった頃には自分がどこから来たかも思い出せなくなっていた。
誰かと出くわすつもりで歩いていた、というのに誰にも出会うことなく早くも半時間が過ぎている。
「叫んで誰かに助けてもらうか? いや、高校生にもなってそれはあまりにもダサいな……勝手に出ていって勝手に道に迷った分際だし」
ムーンならともかく、エースと鉢合わせて上手く言い訳できる気がしない。
だからと言って今更戻ることもできない訳で。
こんな迷宮で助けを呼んで誰かが来る保証もない。
「このまま餓死してしまう可能性……なら、迷子という汚名を被った方がマシな気がする」
何も考えずに角を曲がった先で立ち止まる。
気分で言えば台所で蜚蠊を見つけた時と同等。それくらい驚き、心臓が早鐘のように鳴った。
この場合はお化け屋敷と言った方が良かったかもしれない。
人がいた――真珠色を発する流麗な金髪を携えた幼女が。幼女が。
「…………」
「…………」
自然と目が合い、無言を交わした――桃色の眼。
子供特有の無垢な瞳が心に痛い。誰だか知らんが出会い頭に精神攻撃を受けた。
ここは年上である俺が声を掛けるべきなんだろうな。
わざとらしい咳払いをし、言葉を紡ぐ。
「あー、こんにちは」
「こんにちは」
幼女は普通に挨拶してきた。
友好的だ。初対面の子供に嘗められていたら落ち込むどころではなかった。
こんな施設にいる彼女は一体何者なのか――。
「――お兄さんは迷子なの?」
「お……」
幼女の方から話し掛けられた。
そして、お兄さんと呼ばれた。人生初めての経験で悪くない気分ではあるが、何故か迷子がバレている。
「……一応訊くけど、どこから聞いてた?」
「〈勝手に出ていって勝手に迷った〉、って言ってた」
「よりにもよってそこからか」
一番聞かれたくないところだ。
明らかに俺よりも幼い子供に迷子になったことがバレた。そして、抜け出してきた奴ということまで知られている。
ここまで来ればプライドもへったくれもないか。
逆に、堂々としていれば子供くらい圧倒させられるはずだ。
「たまたま不運が重なって道を違えて行く先がわからないんだけど、道案内してくれないかな?」
「道案内?」
「そう、外に行きたいんだ。こんな人工施設にずっといると気が滅入ってくるから」
太陽光が入らない場所で数日過ごす――そんな実験が外国であったとかなかったとか。その結果、被験者が大変なことになった、と聞いたことがある。
「外の空気が吸いたい時もあるだろ?」
「うん、わかった」
「ありがとう、素直だ」
思いの外あっさりと話は進み、俺は二回りも小さな幼女の背中を追った。
秩序統制機関――よくわからん組織に、よくわからん施設、加えてよくわからん幼女。チュートリアルを搭載してくれないとはとんだ不親切設計である。
代わり映えしない廊下をひたすらに歩く。
まさか、迷っていないだろうな? ――そんな不安が過ると同時に幼女が立ち止まった。
幼女は壁面に手を伸ばす。壁に刻まれている回路のような線が淡く瞬いた。
――コントロールパネル? 指紋認証ではないよな?
壁が内側に収納され、新たな道が開通する。
「幾ら歩いても部屋や入口が見つからない訳だ……」
隙間から射し込む光に目を細めると同時に、一陣の風が吹き荒れ、前髪が舞い上がった。
肌寒さを覚える程冷たい風に否応なく意識のレベルを引き上げられる。
瞳を開けば、絶景が広がっていた。
続く先は展望デッキだった。
雲一つない晴天、地平の果てまで続かんばかりの森林、建物の足下までぎっしりの草原。全てのスケールが俺の人生経験を超えていた。
この絶景を俺の語彙力で表現することができないのが惜しい。国語の勉強をしなくてはならないのはこういう時のためだとようやく理解できた。
息を吸って、吐き出す――そんな当たり前のことさえ、入学式のような初々しい気分になる。空気の澄み渡り方が違う。一切の不純物がない、身体に染み込むような大気に包まれていた。
「凄いな、綺麗だ」
「そうなの?」
幼女は可愛らしく小首を傾げた。
彼女にとってこの景色は別段珍しいものではないのかもしれない。それを価値をわかっていない、と断ずることはないにしても、貴重なものだということは是非知って欲しい。
美しいものを美しい、と思えるだけでどれだけ人生が豊かになるのかを――。
「この風景は謂わば、文明の進化とは真逆の事象なんだよ」
「ぶんめいのしんかとまぎゃく……」
辿々しく復唱する仕草は年相応に可愛らしいがあまり伝わらなかったようだ。言葉を選んでもう一度伝える。
「いつか失われる、ってことだよ。ここがどんな世界であれ、この美しさを理解できる人がいなければ守られることはない」
自然保護区だとか、自然遺産だとか――魔物がいる異世界ではまともに機能しなさそうだが、この美しさは努力して守られるべきものだ。
文明の進化――自然破壊で失われるのはあまりにも勿体ない。
「ふーん」
幼女はどこか他人事のように相槌をうった。
この年齢が理解しろ、というのが酷か。
そうして、しばらく二人でこの景色を眺めた。ひたすらに、ひたむきに、刻み込むように、時間を忘れて。
「――連れて来てくれてありがとう」
「別に。気まぐれだし」
「そうなのか……」
詰まらなさそうな顔だ。
そんな顔をしてたら、折角の美人が勿体ない。
人は笑っている顔が一番可愛いものだ。子供なら尚更に。
それなのに、こんな顔をされたら放っておけないだろ。
「――君の名前、教えてくれないか?」
「フィエリア」
真っ直ぐ、俺の瞳を見詰めながら少女は――フィエリアは名乗った。出会い時から感じていた寡黙な印象とは裏腹な力強い眼の奥に芯が宿っているような気がする。
フィエリア――フィエリアか。
「フィエリア――良い名前だな。この景色と同じくらい綺麗だよ」
「…………」
「えぇ……」
「お兄さんの名前は?」
「おう、俺は――……」
口癖のように零れ落ちるはずの言葉は直前で霧散する。
やはり、名前を思い出すことができない。意識すればするほどドツボに嵌まってしまう。
こうなってしまったらエースに貰った名前を言う他ない。名前としては酷くお粗末なあれを――。
「――俺の名前は放浪者」
「ほうろうしゃ?」
「そう、放浪者というのが今の俺の名前だ」
「放浪者さん」
「何だ?」
「変な名前」
「おい」
「――ふふっ」
今の今まで仏頂面だったフィエリアが堪え切れず、という風に頬を運ばせて。
こっちの顔の方が断然良い。
放浪者という名前のお陰で彼女を笑わせることができたのなら、エースに感謝しなくてはならないな。
この細やかな幸せを噛み締めながら、遠い青空に笑い掛けた。案外、異世界も悪くないかもしれない。




