13.〈秩序統制機関〉――異世界の記録
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俺にしかできないことがある、なんて――。
どこにでもいる高校生以上でも以下でもない俺が代替不可能な何者かになれるなんて信じ難い。それでも、自分が考えるのと他人が発言するのとでは信頼度は異なる。
「――……やめてくれよ。そんなこと言われたら縋りたくなる」
「どう思うのかはあなた次第です。ただ知っておいて欲しいんです、恐らくですが――あなたの知識を上手く利用すれば協力関係を築くこともできる、ということを」
「知識……――」
ウィンティがちょくちょく発言する知識とは、単純に俺の持っている知識のことを言っているのか、それとも生まれ育ったこことは異なる世界のことを言っているのか。〈秩序統制機関〉と交渉できるとなると後者の可能性が高いが、だとすればどうやって気づいた――?
仄めかすようなことは口にしたが、それだけで俺が異世界人だと断定することはできない。思考が飛躍し過ぎている。
もしも、異世界人だと判断するならそれなりの根拠がある、ということになる。〈秩序統制機関〉の情報網を嘗めていたかもしれない。
「別に専門家じゃないから大したことは知っていないんだけどな。むしろ、何もしていなかった分浅学だし」
「知識の価値は使う人によって変わるものです。あなたが私の身体を知りたい、と思っても逆はないですから」
「ないだろうな、それは……」
「では、言い方を変えましょうか。その知識を活用すれば当座の時間稼ぎは可能です」
「時間稼ぎ――それは……俺好みの答えだな」
そもそも、俺はここで保護されたくて行動を起こした。必要とされることで〈秩序統制機関〉で生活する権利を得たかった。永久就職が叶うのが最善ではあったが、次点で猶予期間の獲得を目標にしていた。俺の有しているスキルでは時間稼ぎすらままならかったが、異世界知識を使えばそれができる、とウィンティは言っている。
自分が考えたことでもない知識で俺が得をするのは気分が悪いが――あるもの全部使わないければ望みが達せられない、と言うなら全部擲つべきだ。
チャンスはいつでも待ってくれる訳ではない。逃せば次はない――。
「――ウィンティ、ペンと書くものないか?」
「ありますよ。持ってきますね」
「あるだけ全部、頼む」
時に風化して忘れてしまう前に書き留めておきたい。
この知識が何の役に立つのかはわからない。だが。俺には無駄に思われる知識を誰かは有意義に使えるかもしれない。その可能性があるなら俺の脳に刻まれた全ての記憶を記録する価値はある。結果的に誰かの助けになるのならきっと間違っていない。
ウィンティが持って来てくれた白紙にボールペンのような筆を立てる。最初はどこから始めるべきか悩む。一旦、思い出を遡るように進めてみる。
現代における病院について端折って書いているとウィンティの強い視線を感じた。映しているのは俺が当たり前のように書き進めた母国語である。
「――あ、もしかして……この文字読めないか?」
「はい、全く読めません。ですが、気にしなくても結構です。暗号解読するのも好きですから、あなたは思うがままに書き連ねてください」
ウィンティは知識欲が強いのか、食い入るように日本語を見詰めている。日本語は世界でも有数の難易度を誇る言語だ。自力での解読は相当時間が掛かるだろう。だが、言葉は通じるため翻訳は案外簡単にできる。俺も後で対応表でも作ってこの世界の文字を覚えよう。
「そういうことなら進めさせてもらうけど――……俺が生まれたのは有名な大学病院で……って、大学についても一応書いとかないとか。なら、小学校から教育システムを書いて……いや、国民の三大義務が先か――」
今はこの行動に意味があるかはわからない。何かしたくて堪らない、という感情に従って時間も忘れて情報をひたすらに文字に落とし込む。
案外色々なことを知っているんだな、と再認識させられる。学校教育の賜物か暇潰しの産物か――何にせよ、こうして遠く離れた大地でも利用できるというのならその時間は無駄ではなかったのだろう。
――俺にも一つくらい、誇れるものがあったのかもしれない。
情報を吐き出した傍からまた吐き出す。やがて、思考は廻天し、前後の判断が付かなくなり――。
「――……もう、朝か……」
気づけば、翌日を迎えていた。熱中のあまり寝落ちしてしまったようだ。
机いっぱいに広がる紙束、こんなに書いたか自覚はない。それが現実であることを右腕の腱鞘炎が語っている。
腕が痛くなるくらい文字を書いたのは小学生以来だろう。無鉄砲に、目的意識を持って何かを為すのも何年振りのことか。
「ウィンティ――」
少女は正面の席で寝息を吐いていた。ああでもない、こうでもない、と宣っていた俺に一晩中付き合ってくれた。少し無理をさせたかもしれない。
「お疲れ様」と、起きない程度の小さな声で言っておく。
ふ、と耳に掛かっていた一房の真珠色の髪が頬に垂れた。指先をウィンティの仄かに紅い頬に伸ばす。
「――何をしようとしているんですか」
「ッ――……」
唐突に降って来た声に全身が固まった。凍えるような悪寒が背筋を撫で付ける。
背後から凄まじく剣呑な気配が漂って来る。この抜き身の刃のような声音を違えるはずがない。今も耳にこびりついている――〈やり直してください〉と。
「ムーン――ッ!」
「しっ」
ムーンは口許に人差し指をあてる。次いで、指先は心地好さそうに眠るウィンティに向けられた。音量注意の警告だ。
抑え目の深呼吸で跳ねた心臓を落ち着かせる。
「いや、耳に掛かっていた髪が横に行ったから戻そうとしただけで……これに乗じて触ろう、とか全く考えてないからな?」
これじゃあダメだ、犯行現場を見られた犯人かよ。言い訳みたいになってる。
ムーンの冷たい視線が刺さる。疑い以前に、いつも通りかもしれない。メイドは目を伏せ、小さく息を吐いた。
「先程あなたの部屋に伺いましたが姿を見受けなかったので調査して、ここを特定しました」
「調査……監視カメラでも設置されているのか、それとも発信機がどこか服に付いているのか」
「ご想像にお任せします」
言いながら、ムーンは湯気の立つ紅茶を出してくれた。
まさか、俺が起きたことに気づいてから煎れたのか? 何処まで優秀なメイドなんだ。一緒に働こう、とか考えていた自分が恥ずかしくなるくらいだ。
「……美味いよ」
「味の違いがわかるんですか?」
「わからないな」
「出任せですか」
「違うな。味の違いがわからなくとも、味は理解できる。白湯と比べればずっと美味いと思う」
「味が付いていれば何でも良い、と」
「不味い、美味いもわかるからな。美味いものは何がどうなっても美味い、それだけのことじゃないか」
差異に気づけない程鈍感でも、不感ではない。
ムーンはまるで花弁まで刃でできている鋼鉄の薔薇だ。褒めても刺されては溜まったものではない。何であれ、ご馳走になったらお世辞を言うのは当たり前だ。
昨日の今日で顔を合わせるのは気まずいものがあり、自分から話題を提供しようとは考えなかった。それからウィンティが起きるまで静寂の時を過ごした。
ウィンティが目覚めると、ムーンの到来に瞳を見開いた。
「あら、放浪者さん、おはようございます。ムーンも来てたんですね」
「御機嫌よう、ウィンティ。その男が不貞を働いていないか確認しに来ていました」
「は? そんな目的で来ていたのかよ」
「そう言えば、昨日は穴が空く程私の胸を凝視していましたね……」
「誤解を招くようなことを言うな」
完全に事実だが、これ以上ムーンに冷視されると氷河に埋まったマンモスのようになってしまう。
ムーンは机に散らばるメモ書きの一枚を摘む。読めない字だからだろう、悪戯書きとでも思っていそうだ。
「これを書いていたんですか?」
「あぁ、それでいつの間にか寝落ちしてた。晩御飯も食べていないからペコペコペーだな」
俺をガン無視して、ムーンはウィンティに問い掛ける。
「――もしかして、これは〈ホロウ〉と同じ……?」
「はい、確認したところでは矛盾は見つかりません」
「使えそうなんですか?」
「共通する部分も多々見受けられましたが、未知の分野についての情報もあります。質で言えば、彼の知識の方が有用かもしれません」
「――何らかの関係がある、と考えるのが妥当ですか」
「そうですね」
真面目ったらしい顔をして二人がわかり合っていた。目の前でそんなことされたら孤独感が半端ない、って。俺にも説明してくれよ。
思い出したようにウィンティが俺に微笑み掛ける。
「放浪者さんが頑張った、って話です。とても偉いです、よしよししてあげましょうか?」
「餓鬼扱いやん」
「それなら、一つだけ何でも言う事を聞く、というのはどうでしょうか?」
――何……………………だと……………………!?
何でもということは何でもということですか? つまり、あんなことやこんなことも無条件に命令できる、と?
「確認なんだが、言う事を無限に聞く、という願いは聞いてくれるのか?」
「ある訳ないでしょう。いきなり裏道を進もうとしないでください、増やすことは禁じます」
「じゃあ――言う事を聞く、というのは文字通りに話を聞くだけだった、ってのも禁じさせてもらう」
「…………」
「何だよその間は」
「難題が来たらその手を使おうと思っていました」
「姑息だ」
「ここまで確認するなんて神経質が過ぎると思いますが……わかりました、命令という意味で構いません。勿論、私のできる限り、という制約付きですが」
「問題ない。この一手が最善になるように抜かりなく考える。慎重に進めたいから一旦チャージでよろしく」
「……とても嫌な予感がします。覚悟、決めておいた方が良いんですかね」
何を想像しているのかウィンティが遠い目をし始めた。
勘違いして欲しくないな。ウィンティに色々な服を着せたい、という健全な願いだというのに。案はあるがこの世界に該当する衣装があるかは怪しいので、履行はしばらく先になりそうだ。
清涼感に欠けた会話お気に召さなかったのか、ムーンが静かにため息を吐いたのを俺は見逃さなかった。ウィンティが席を立つ。
「……私もお腹と背中がくっ付きそうです。食堂に行きましょうか」
「そうだな」
「私は仕事があるのでここで失礼させて頂きます」
ムーンは貴族でも相手しているかのように懇切丁寧に礼をし、踵を返す。姿が見えなくなる前に一言伝える。
「お茶ありがとうな」
「……お気に召したようなら何より」
隙も、卒もない返答だった。俺に心を開いてくれることは一生ないような気がする。
ウィンティと共に食堂へ向かう足は重い。下手すればムーンよりも顔を合わせにくい。やっていることはセクハラだ。事故とは言え、完全に俺が悪い。
「野菜丸ごと出されるくらいはあり得るか」
「ジェットは辛いことがあっても料理に対しては真摯ですからその手の心配は無用ですよ」
「それなら良いが………」
四人掛けのテーブルに向かい合って座る。ウィンティがキッチンにいるであろうジェットに手を振った。チラリ、と視線を遣ってみたが一見は普段通りに見える。
ジェットの人外装備の千手の影が厨房で蠢いた。しばらくして、トレイを両手に乗せたジェットが席の前に立つ。
「召し上がれ」と、差し出された皿にはスクランブルエッグのような目に麗しい料理が盛り付けられている。空腹だったからだろう自然と喉が鳴った。但し、それはウィンティに出された皿だが。
「あの、ジェットさん……これ、途轍もなく赤いんですが……」
目下には、唐辛子をぶち撒けでもしない限り生誕しないであろう地獄の卵料理。嗅覚が潰れんばかりと思いきや、実に香しい匂いなのが不気味だ。
「何? 文句?」
「いえ、何も」
「新作だから心して食べなさい」
「新作か……でしょうね……」
これで俺に対する怒りを表現した訳か。ウィンティの料理には真摯という話はなんだったんだろう。食べ物を粗末にはできない、出されたからには頂くしかない。恐る恐るスプーンを突き刺し、口の中に放り込む時は思い切りよく。
見ているだけのウィンティですら辛そうな顔をしていた。次の瞬間――味覚が大爆発した。味蕾細胞の四散である。
「お、おお――」
「どうなの?」
「おおおおお! 辛えええええええええ!? でも、ゲロ吐く程美味ぇえええええ――!?」
「ゲロ吐くの!? 美味いの!? どっちなのよ、はっきり言いなさい!」
「おいっ、揺さぶるなマジで吐くから!」
半狂乱のジェットが身を乗り出して襟を掴み掛かってくる。万華鏡のような視界の中――ウィンティが堪え切れず、といった風に笑っていた。




