9.〈秩序統制機関〉――異世界の希望
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――決まった時間に起きて、決まった時間に家を出て、決まった時間に学校で勉強をする――ただそれだけの作業のような一日がただひたすらに繰り返されていた。
目的もなく、意思もなく、流されるままに生きて来た、と思う。目的意識の欠如は現代ではそう珍しくもない。ほとんどの人間がこうやって何も残すことなく死んでいく。俺もその一人だといつからか理解していた。
自分の部屋を出るのは学校と買い物の時くらいだ。学校に行っても腫物のように扱われ、買い物に行っても一言すら声を発さない。誰も必要しない、必要とされない非生産的な生物だと自覚している。
意義の見出せない生活をいつまで続ければ良いのだろう――そんな矢先は俺は異世界にやって来た。生まれて初めて死に掛けて、価値観をぶっ壊されて、その後にまた死に掛けて、ここにいる。
そして――俺はフィエリアに問われた。
「俺は……――」
死にたい、と思ったことはない。
一般的に人という種が子孫繁栄に逆らう行動を積極的には取らない、俺もその範疇から外れていない。高いところに行けば足が竦むし、大きな人がいれば威圧される。当たり前に持っている生存本能に逆らって生きるのは難しい。
だがそれは――積極的に生きていく理由にはなり得ない。死ぬ理由がないように生きる理由もない、というのが偽らざる本音だ。遺跡で魔物で襲われた時も〈名無し村〉で殺され掛けた時も、助からなくても良かったのかもしれない。
退屈で色褪せた世界に生きて来た俺にはもう未練も、後悔すらなく、何も感じなくなっていた。辛い生活に擦れた心身は物事に期待する、という感情を失わせた。それでも、他人よりも不幸になりたくない、という自我のお陰で辛うじてまともな人間性を保っていた。
「俺にとっては生きるのも死ぬのも同じなのかな、多分」
「ならもう死んじゃっても良いの?」
「…………」
これもまた純粋な質問なんだろう。
元いた世界と同じようにこの世界に未練はない。死ねば何も残せず、誰の記憶に残ることもないことまでわかっている。それで構わない、誰がために生きるのはもう諦めたから。諦めざるを得なかったから。
「――……」
展望デッキの淵には壁から連なる落下防止用の手摺がある。それこそカフェの窓際カウンター席のように勉強すらできそうなスペースに乗り上げた。まるで自殺直前のような心境だった。
首筋を撫でる夜風に全身が震える。この高さなら、一歩足を踏み外せばこのまま落下して死亡。死への恐怖で足が竦む。
だが、いつからか目の前の不安感が麻薬のように逝かれた甘さに変化していく。
自然と口角が上がる。狂っているのかとも思ったが、よくわからないホルモンが脳内を駆け巡っているのだろう。
今、フィエリアに背中を押されれば、俺は瞬く間に命を落とすことになる。
「殺して欲しいの?」
純粋だ、だからこそ狂気的である。理性的な判断ができない子供は概ね残酷だ。もし、頷いたら本当に押してくるかもしれない。勿論、幼気な少女を殺人犯にさせるつもりはない。それは考え得る最低最悪な終わり方だ。
「殺して欲しいの?」
「…………」
「どうなの? 殺して欲しいの?」
足を滑らして落下したとする、人生終わりの瞬間に俺は何を考えるのだろう。浮遊感に全てを委ねながら地面との距離を測るその無限の刹那に――。
あの時も、あの時も、最期の最期はひたむきに願っていた。抗いようのない理不尽をぶち壊してくれる希望のような何かを――期待することを諦めたはずの俺が咄嗟に手を伸ばしたそれを、今の俺にも見ることができるのか。
俺は片足で持ち上げ、手摺を蹴った。くるり、と反転してフィエリアを見下ろす形になる。
「フィエリア」
「ん?」
「俺は色々と諦めたけどさ……全部、俺が強ければ解決できたんだよ。異世界から来たのに何で無能力の雑魚なんだろうな」
そもそも何故俺がここに来たのかすら不明だ。
少なくとも選ばれし勇者ではないことは確かで、何か大層なことに巻き込まれた訳ではないことも間違いない。ならば当然、神様が特別な力をくれるはずもない――よく知らない奴から貰った力なんて信じられなくて使えたものではないが。
ここが自分のあらゆる要素を何も失うことなく生きられる夢のような世界、そうであればどれだけ良かったか。
「――魔法使えば良いじゃん」
「……何? 魔法?」
夢のような非現実的な事象――フィエリアは至って本気だ。いや、この世界なら魔法は普通なのか? そういうことなら、特別な力がないだけで一般レベルの魔法の才能がないとは限らない。
いやいや、そうだよ――。
エース達の武器や武装だ。近未来テクノロジーと判断して理解を諦めていたが、滅茶苦茶なものばかりだ。よくわからん赤い閃光とビット、空気抵抗を弾くバイク、少女の背負える砲塔――どれも現実的ではない。
フィクションなんかでよく見るからそれっぽく受け入れていたが、これ程進んだ科学は魔法と見紛う。
「俺に魔法が使えるのか?」
「魔力があれば使えるよ」
「魔力――俺にもあるのか?」
「この世界のもの全部にあるよ。でも、お兄さんのはその中でも群を抜いて――」
ご、ごくり――固唾を呑まずに口で言う。
やめろ、フィエリア。こんなところで溜めたらハードルが上がってしまうだろうが。フラグも立ってしまう。
「――変わってる」
「変わっている? 強いとか弱いとかじゃなくて?」
「見たことない魔力してるから変な魔法が使えると思う」
「変て。服だけ溶かす粘液を出す魔法とか、水をお湯にする魔法とか? 外れ、って感じのしか思い浮かばないな」
「わかんない」
「とにかく魔法を使えるんだな?」
「うん」
「信じるぞ、フィエリア」
「うん」
如何せん表情が見えない娘だが、嘘ではないはずだ。そう信じることにした。
信用とは裏切りを容認することでもある。これで裏切られても責任の三分の一程度は俺のものだ。その時は当然、三分の二を取り立てるが。
「諦めなくても良い道があるんだな。それなら後一回……後一回だけなら耐えられる気がする」
――本当は、諦めたいなんて思っていないから。
まだ心は挫け、トラウマが背筋をなぞっている。それでも、傷ついたまま歩き出そう。
もしかすれば、一時の希望に縋り付いているだけかもしれない。それでも、裏切られるその日までは信じて突き進んでも良いだろう?
もしそれで駄目なら今度こそ終わりにする、自分の手で。
一思いに手摺から飛び降りれば、着地の衝撃が足裏に牙を剥いた。顔面をぐちゃぐちゃにして馬鹿みたいに痛がる俺を見、フィエリアは愉快そうに笑う。
「まさかこの年で魔法使いデビューするとはな。三〇歳になる予定だったんだが」
「どんな魔法が使えるかは人によって違うから頑張って見つけてね」
「はい?」
さらっ、と途轍もなく重要なことを宣った幼女。
「要は魔法には適性がある、ってことか? 火属性とか光属性とか」
「そんな感じ」
「……詳しく話を聞かせてもらうからな、フィエリア。希望を煽った責任は取ってもらうぞ」
「うん……」
とても眠そうな返事で今が真夜中も真夜中、ということを思い出す。この年の子供が起きているべき時間ではない。俺も堂々巡りのような自己分析をして疲れている。
話を訊くのはまた後日にしておこう。
「話は今度にしようか。じゃあ、バレないように部屋に戻ろう」
「抱っこ」
「……我儘なお姫様だこと」
両手を広げて委ねてくる可愛らしいお姫様をお姫様抱っこし、美しい星々に後ろ髪を引かれながら展望デッキを後にする。その間にもうフィエリアは寝息を立てていた。
気を遣わせた上に、長い話に付き合わせてしまったからな。ここで文句は言えまい。
「……フィエリアの部屋、ってどこだ?」
この迷宮のような階層からフィエリアの自室を探し当てるとすれば夜明けがやって来ること請け合いだ。展望デッキからのルートで辛うじてわかるのは俺が間借りしている部屋だけ。
――なら、答えは一つしかなかった。
――本日の寝起きは大怪獣が出現でもしたかのような騒々しいものだった。
いつも寝起きしている病的に真っ白な部屋の唯一の扉は音もなく開くため、目視していないと人が入って来ても気づけないのだが、今日はいつもと違った。
あまりにも力強い足取りが特殊部隊がテロリストが立て籠もった総理官邸に突撃しているかのようだった。
目覚めたてのぼんやり、とした意識の中でも何かが起こっている、と直観した。
夜更かしのせいで本調子とは行かないが精神面は比べ物にならないくらい安定している。昨日の問答のお陰だろう、まだ生に希望が持てる。
「――え」
上体を起こした瞬間、射抜かれたような衝撃を受ける。
麗若き少女達にベッドが囲まれていたのだ。雁首揃えて俺を見下ろし――否、見下している。見られているだけで体温が三度は下がった。
何だこの状況は?
俺を起こしに来てくれた幼馴染、なんて生易しいものでは、断じてない。
エース、バスター、クレセント、ムーン、エクス――と言ったお馴染みのメンバーは勿論、知らない顔も二つあった。
誰もが、まるで俺がロリコンかのような氷点下の瞳を向けて来る。
「えっと……何か悪いことでもしましたかね?」
無言の圧に思わず両手を挙げてしまう。訳がわからん、と視線を彷徨わせる中で思い出した。ベッドに寝ているのは俺だけではないことに――。
すぐ隣でフィエリアが俺の服の裾を掴んで、小さな寝息を立てていた。なるほど、だから皆は声を発さなかったのか。てっきり俺がとんでもないことをやらかしたのかと思った。
寝かせた時は背中合わせだったはずだが、いつの間にか抱き合うような形になっていたらしい。
声を落として改めて少女達に問う。
「もしかして、俺がフィエリアを部屋に連れ込んだとか思ってる?」
「――」
眼力が強まった、ということは肯定だろう。
なんてことだ、本当にロリコンだと思われていたとは。わざとらしくがっくり項垂れてみる。俺が考えている以上に〈秩序統制機関〉におけるフィエリアの立ち位置は重要なのかもしれない。
少し服が引っ張られた。見ると、フィエリアが目を覚ますところだった。
「おはようさん」
「うん……おはよ……」
ぱちくり、と桃色の瞳が瞬いた。フィエリアは目元を擦りながら上体を起こす。アホ毛が飛び出ていたので髪を梳いてやるが、なかなか直らない。
と、している最中にも殺意に似た視線に刺される。触れること烏滸がましい、って感じか? 衣食住のため、これ以上は刺激しない方が良さそうだ。
フィエリアは視線を巡らせてエース達を見遣る。
「おはよ。みんな、何で集まってるの?」
「おはよう、フィエリア。ムーンが、あなたが部屋にいないことに気づいて探してたの。まさかここにいるとは思わなかった」
「お兄さんの部屋? 何で私ここにいるの?」
エースの疑問も尤もだし、寝ていたフィエリアが首を傾げるのも当然だ。事の真相を知っているのは俺のみ。
だが、果たして俺に釈明の機会を与えられるのだろうか。即刻処刑されそうな雰囲気だったのだが。
エースは俺には絶対見せてくれないであろう笑みををフィエリアに向ける。他のメンバーも先程のような剣呑さは何処へやら。
「ジェットが食堂にご飯準備してるから、朝食摂ってね」
「わかった。ご飯食べて来る」
フィエリアがこの部屋を去ったことで俺の味方は〇になってしまった。対して敵は六人。圧倒的劣勢、というか負け試合確定。
緩んでいた空気が改めて引き締まった。呼吸も許可制かと錯覚してしまう。
「説明してくれるんでしょうね、放浪者さん」
「――イエス・マイ・ハイネス」
拒否権を行使しようものなら滅多撃ち必死である。そうして、尋問が始まった。
俺が必要以上にビビったのもあり、説明に三〇分以上掛かった。その上、半分くらいの人には信じて貰えず始終肩身が狭かった。特に紫髪ハーフツインの少女には〈変態放浪者〉という汚名を頂いた(悪くない気分だった)。
逆に言えば、その程度で事態は収束した。衣食住を廃されるという最悪に至らなかっただけで上々だ。
――部屋に残ったはエースとエクス。二人には別件の用事がまだあるらしい。
「――放浪者さん、声出るようになったんだね」
「フィエリアと話すことになって、そうしたらこの通り」
嘘ではないが、真実でもない。本当は最初から喋れたなんて今更言っても意味がない。
検診の一環でエクスはいつかのように俺の手を握る。
「そんなことが……まぁ、ないとは言い切れないかも。フィエリアは特別だから」
「特別ねぇ――」
「食欲はある?」
「腹は減ってる、喉もカラカラ」
「じゃあ、ムーンに伝えておくね」
「……大丈夫かな? 絶対まだ怒ってるよあれは」
「そ、それは確かに。でも、そんなことしない人、っていつかは信じて貰えるよきっと!」
「希望的観測だ」
「志はいつも高く!」
「精神論だった」
こんなところで張り切っても、指先には白い天井しかない。
でもそうだな――そんな希望に縋る、と俺は決めたんだ。このタイミングでここを追い出されちゃ困る。そのために信頼を勝ち取らなければならないのだ。
「――良い顔ね」
「エース……」
「昨日は今までは今にも死にそうな顔だったけど、今は活力が漲ってる感じがする」
「そこまでじゃないけど、俺にできることを見つけたから」
「そう、それなら頑張って」
「おう」
嬉しい声援――エースからは貰ってばかりだ。命二つ分の恩なんか返せそうにないが、いつかは彼女の助けにもなりたい。俺が望むのはそういう自分だから――。
「――そんな訳で新生放浪者を改めて宜しく」




