12話 ハンドレッド
海神の三叉槍の大工房では、今回の作戦に向けて様々なアビスフレームの最終調整が行われていた。
忙しく動き回る技術士たちを横目にダイバーたちは手の空いた時間を思い思いに楽しんでいる。
しかし例外も何人かいた。
ダンジョンの占拠とは別の任務を言い渡されていたヤン・シェイもその一人で自分の目でも確認がしたいと調整作業に立ち会っていた。
「別動ですよね。良かったじゃないですか」
「いや保険だ、占領後の損害の多寡によって動く」
「そんな見えない意図を汲み取りだしたらキリないですよ。兎にも角にも、おめでとうございます」
調整を行いながら技術士のロレンツォがヤンの大役抜擢を祝う。
単独突入など、なんとも華がある。
その任務に使用されるアビスフレームの調整を行えることも彼からすれば光栄であった。
そんな本心から出た言葉をヤンは期待はずれだと溜息で返した。
「欲しいのは祝いの言葉じゃなくてソイツに勝てる見込みだよ」
「……炎天の血詩にですか?……まぁ、源詩の魔導の中でなら、一番のねらい目だと思いますよ」
ヤンの問いにロレンツォが率直なところを口にする。
彼自身も勝ち目のない戦いに作品を送り出す気はない。
「中では……つまり相対的に見て、か」
「そんな懸念持たせるような言い方でした? 海中でしか魔導が使えないのに炎熱を操るなんて尚更ねらい目かと」
魔導の使用において求める事象の効果の強弱と範囲、精密さと消費魔力の比例関係は研究によって明白になっていた。
さらに状況や本人のコンディションの如何で事象発現の難易度が変わり、魔力消費量も増減すると分かっている。
その点で見て炎熱を操る魔導は海中で運用するにはあまりに非効率的であった。
本来水中で発生しづらい炎熱を発生させ続けるなど、どれほどの魔力消費量になるのか。
ましてや殺傷能力まで求めるとなると、もう熱線くらしか選択肢はないだろう。
熱線、収束させた熱エネルギーによる一点突破。速度もあいまって優秀な攻撃手段となる。
だがそれも海凶を相手にするのであればという話。
「一定以上のランクのダイバーであんな直線的な攻撃に当たる人はいないって戦闘レポートで分かってます。ヤンさん、熱線系のエアソリッドシステムが躱せない人だったりします?」
「しないな、だが一気に複数射ないし熱線を薙ぎ払ってきたらどうする」
網のように敷き詰めた水の刃で広範囲を薙ぎ払う、そんな魔導があるというのをヤンは耳にしたことがあった。
「薙ぎ払いに関しては照射時間を減らすだけの行為で、複数射も……ていうか今ぼくが何の調整しているか知ってます? ヤンさんの装備なんですけど」
まるで我が子のように小型のアビスフレームを撫でながら愛でるロレンツォ。
完璧な仕上がりである。
耐熱性を高めつつ性能は一切落とさずに調整を終えた。もはや質量の伴わない熱線など問題にならない。
「コイツらが熱線なんて通しません。そうなると直接触れて焼きにくるでしょうけど、中距離で完封にしてやればいいんですよ。生きてればいいんですよね?」
「……ふはっ、いいなぁ、それ。そうだな、生きてればいいってのを楽しまねぇとな。泣いて捕まえてくださいと謝るまで削ってやるか」
ロレンツォの過剰な自信がヤンに乗り移り、狂喜を呼び起こした。
そもそもがこういう男、化けの皮が剥がれたとも言える。
◆◆◆◆◆
「(ウアー……)」
襲撃者のアビスフレームに装飾された2つ並んだ渦の紋様、それが見えただけでシャックの中のやる気は一気に失せてしまった。
雑魚は雑魚でもロクでもない雑魚だった。
相手は海神の三叉槍の中の日陰者。
シャック自身、欲を言えばキリがないのは分かっているが、せめて防波の盾がよかった。もし残す1つが出て来ていたなら小躍りくらい披露してやってもいい。
しかし、ここはやってきたもので取り敢えず満足すべき。
重要なのは、こんな雑魚を海に還すのはやめておくとしてどう扱うかというところ。
「ハァ……こうなってくると、どうするのがいいのか正直迷うよ。お前みたいな雑魚の処理」
「俺が雑魚?」
「その趣味の悪いエンブレム、潜入やら裏工作だのを専門にしてる【渦の目】だろ? ……こうまで見え透いた捨て駒だと拾いにいくのも躊躇うねー」
目の前の雑魚が聞かされているかどうかはともかく、狙いは自分の捕獲、ではなく指揮系統の混乱だろう。
おそらくダンジョンをまだ占領しきれていないのだ。
常駐の衛兵の処理に手間取っているのか、もしくは損害により、こちらの増援が来た場合に奪還される可能性が出て来ている。
(つまり欲しいのは時間か……)
ともあれ混乱自体は起きた。
もうその狙いは完遂されてしまっている。
ここから先は敵にとってすでにプラスアルファの領域、この捨て駒じみた雑魚も先程の転移魔導があれば回収できなくはない。
「捨てても痛くない単騎での小手調べ、まぁ常套だな」
シャックが軽く首を鳴らし体をほぐす、もう品定めは済んだとばかりに。
ここからは自分の気が乗れば遊ぶし、乗ってこなければ口だけ残して壊す。
そう決めた、と空間を隔てた顔も名も知らぬ同族へ伝わるように魔力を集中させていく。
「単騎? 単騎なぁ……そう見えるか」
襲撃者の背後にまたもや次元の裂け目が出現し、そこから杖を構えた手が伸びる。
シャックとしては増員を期待したが、どうやら違うらしい。
やはり、アテにしているのは魔導士のサポートということか。
「うーん、お前とその手じゃ比べるまでもないな。もちろん手が上」
(距離か内容物か、1日に何人も”送れる”わけじゃないのか?)
シャックは自分の嘲りの言葉により男が怒りで肩を僅かに震わせているのを見逃していない。
源詩の魔導は分かっていないことの方が多い。
怒りで何か手の内を見せてくれるなら儲けものである。
「まぁ無策じゃないならさ、さっさと見せろよ。見た感じ面白ければ遊んでやるから」
「長引かせてもそれはそれで面倒、と思っていたんだが。やはり捕獲は死なない程度に嬲った後だ。……地獄を見せてやるよ、魔導士」
「魔導士、ね」
お前は自分が何者と向かい合っているのか自覚があったのか、と驚いてみせるシャック。
そんな余裕の態度を全く変えないシャックによって灯されたヤンの怒りの咆哮と共にワンドが振るわれ、次元の裂け目がその数を増やした。
多い、十数個、さらに増える。
人が通れるほどの大きさはないがシャックを包囲するように展開されていく。
裂け目の中から短槍と思わしき形状の小型アビスフレームが次々と投下された。
「エアソリッド”遠隔起動”! 【スコルピアーロンズ】!!」
起動したエアソリッドシステムにより投下された槍型のアビスフレームから背ビレと尾ビレという機動機構が生えていく。
よく観察すれば背ビレは弓、尾が弦の役割も果たしていることが分かる。
自走型のクロスボウ20数機による完全包囲。
水中における絶対的なアドバンテージが瞬時に形成された。
「装備者不要、深理の【リモートテック】……そりゃまぁ持ってて当然か」
「ふはっ、これから自分がどうなるか分かるか、シャック・ロックスクリーム」
「さぁ? お前をノした後だろ。とりあえず始末書でも書かされるんじゃないか」
状況が見えていないトボけ方ではない。
満を持して出てきたのがシャックの期待を大きく下回る代物だったため始まる前から飽きたという反応だ。
ヤンの中で何かが切れた。
「その減らず口を残さないといけないのは業腹だが……」
まるで銃を撃つようにヤンはシャックに向けて人差し指と中指を突きつけた。
これは引き金にもう指がかかっていることを示すジェスチャー。
弦が軋む音が一斉に木霊する。
それでも尚、侮蔑と失望の軽口を絶やさずシャックは自身の足元、床の硬度を確かめるようにつま先で小突いた。
「まったく、よくそこまで期待を下回ってくれるなぁ。もうすこし面白みがあれば同じ土俵で張り合ってやっても良かったんだが……がっかりだよ」
小突かれた床が寄木細工だったかのように組み替えられていき1つの立方体が出来上がった。
取っ手がある、ヤンには真っ黒なアタッシュケースかのように見えた。
つま先を器用に取っ手に引っかけてケースを蹴り上げてキャッチするシャック。
「魅せるってのはな、こうやるんだよ雑魚。 炎天の血詩 【換装錬金術】【型式:肆拾玖】【型式:伍拾伍】」
漆黒のアタッシュケースに赤光が走る。
熱線が均一な立方体へとアタッシュケースを分解した。
その立方体が原型を留めることはない。熱が形を歪め、瞬く間に別物へと再構築していく。
ヤンは直感的に理解した、炎熱が圧縮に圧縮を重ねた特殊な金属を溶かし、そうしたところで魔導を”解除している”。
魔導によって成立していた超高温は、解除された瞬間に幻と化し、物理法則への帳尻合わせとして急速な冷却が始まる。
溶解された金属が一気に硬質と鋭利を纏った。
たったそれだけのことだが膨大な技能が、この”鍛冶”の背景にある。
たしかに炎天の血詩は、炎熱を操ることしか出来ない魔導、シャック自身も異論ない。
その延長線上に録なものがないということにも、異論ない。
ならば捨てよう、ただ闇雲にではなく如何に捨てるべきか。
単なる破棄ではダメだ、雑に削ぐでもダメだ、研磨して練磨しなければ。
己が天賦の臨界点を知り、それを認めなくてはいけない絶望も糧に捨て去ることすら突き詰めた狂気の神業。
焼きしめ、形成し、急冷して鍛え上げる。
どの部位をどれほど焼き溶かすのか、どのタイミングで魔導を解除し、どのタイミングで再発動させるのか。
彫刻のように徐々に削り出していく作業工程とは次元が違う。
全方位からなる一斉形成であり、もはや創造に近い魔導による鍛造。
それが寸分の狂いもなく”神速で”行われる。
「弾け飛べ!!」
ヤンは実戦経験者、敵の技巧に見とれて硬直するなどあり得ない。
しかし彼の視覚はシャックの鍛錬をしっかりと脳に認識させていた。
確信する、これは死の間際にだけ与えられる極限の冴えだ。
視界が焼けつき、音が遅れ、時間が引き延ばされていく。
ここで殺せれば生き残れると叫ぶ生存本能で命中精度が底上げされた【スコルピアーロンズ】による一斉射。
(外れた!?)
それをシャックは笑って搔い潜った、おそらくは。
距離と時間を無視して目の前に現れたシャックの姿、ヤンはその結果から起こったであろうことを逆算したのだ。極致にあるヤンの知覚でさえ認識できたのは笑い声のみだった。
ヤンの腹部に貫くような激震が走る。
音が後から聞こえた、”すでに”撃ち終わったシャックの腕部には放熱を行う拳撃用の加速機構と命中時に更なる追撃を図るための銛を象ったパイルバンカー。ヤンは距離を離そうとするがまたも走った痛みがその動きを止めてしまう。
「(痛みすら遅れて…いつ撃たれた!)……ッ!!!」
「まだ貫けない、ヒビだけか。すごいの着てるなぁ、溶かさないとダメか」
文字通り言葉にならないほどの吐血と痛みに悶えるヤン。気を失うことはなかった。むしろあまりの激痛が彼に意識を保たせていた。
「もう足はいらないよな」
またしてもヤンの目は撃ち終わりしか捉えることが出来ない。
赤熱化した刃を伴ったシャックの脛部がヤンの両足を切り飛ばしていた。
腕部同様に脹脛に錬成された加速機構による速度、脛に錬成された刃の鋭さと炎熱で以ってヤンの両足を薙ぎ払ったのだろう。瞬時に焼き切られた足からは血が流れ出ない。痛みらしい痛みもなかった。
恐ろしい
恐怖が嗚咽を伴ってヤンの胸にせり上がってくる。このままでは気づかぬままに、自覚せぬ内に殺される。
敵のしたことは炎による武装の錬成。
常軌を逸したパワーとスピードは魔力とエアの混合がなせる業だろう。
フレイムピラーの特専である【デュアルコア】によるアビスフレーム本体の超出力と、シャック自身の絶大な魔力を動力源とする装備、掛け合わせて産み出される基本数値は桁が壊れている。
そこまで考えてヤンは恐怖と思考を捨てた。考える意味のない単純な話で、シャックと自分では格が全く違う。
魔導士の転移により距離をとるのと同時に散っていた【スコルピアーロンズ】も転移で前面に展開した。動かれては負ける、初動を抑えて火力と手数で押し切るしかなかった。それしかなかったが、愚策であった。
「リモートテックは多面と数で押せるのが強みだろ。俺の火線上に密集させてどうする……【型式:陸拾陸】」
当然のように”後から動いた”シャックの方が速い。
両腕部のパイルバンカーが巨大な刃をもつヨーヨーとなる。
放たれるヨーヨー、巻き付いていたチェインが一気に巻き上げられて回転速度を増し、刃が赤熱を帯びる。2つの大型ヨーヨーは戯れに舞いながら【スコルピアーロンズ】を微塵に変えた。
「【型式:玖拾壱】」
シャックの手元に戻ったヨーヨーがハンドクロスボウと回転弾倉へと変形する。シャック自身の早撃ちと連射、リボルビングクロスボウの持つ銃の火力と弦の張力が可能にした弾速はヤンに2発撃ちこまれて両腕が消し飛んだ事実を認識することを許さなかった。
「磔にするつもりが口径がデカすぎたな……こういうのって”ダルマ”っていうんだっけ?」
ヤンが気づいた時にはまるで最初からなかったかのように肘から先は消え失せていた。
「……化け物」
「動く口は残せたようだし、まぁいいか」
自分が作戦前に思い描いていた画と真逆の結果に絶望したヤンに出来るのは意識を手離すことだけだった。




