11話 セッション
火山都市ヴォルケーノの真昼間は、うだるようなイメージとは裏腹に爽快であった。
特に海からすぐの商業地区は海風と湿度の低さで人混みの中でも不快感なくショッピングやオープンテラスでの食事を楽しめる。
ただ、そんな市場の様子が今日は、かなり違っていた。
呼び込みに精をだす商人であったり、爆買いする観光客であったり、騒音芸術を垂れ流すストリートミュージシャンであったり、普段は群像劇さながらの市場だが、今日は明確な主役がいた。
その主役が深也の目の前を歩いている。
彼女が歩を進める度に人混みが割れる。
彼女が笑ったりしようものなら幾ばくかの静寂が生まれる。
ちなみに怒ると後ろを歩く深也に視線という名の槍が飛んでくる。
そのことに深也は、うっとおしさ半分と何故か覚える優越感という不思議な感覚に襲われていた。
不意に彼女が振り返った。
「聞いてますか」
「ん、聞いてる……なんの話だっけ?」
「本当にもう……」
不思議な感覚を与えてくる張本人、フィオナ・ルーンテラーが溜息をついた。
もっと出来るはずの子供を見るような、どこか不満げなフィオナ。
首をかしげて深也を覗き込む。
その動きへ付き従って揺れる前髪が彼女の目に黒の御簾をかけた。
絹糸のような黒髪の隙間から蒼い瞳が深也を捉える。
今日、何度も思わず息を呑みかけてきた深也の対応は早い。
心の動きがバレないよう適当に咳き込んで誤魔化した。
バレたら負けである、何の勝負なのかは知らなかった。
ある程度落ち着くと、心臓をフィオナに慣れさせるため、あえて見つめ返す。
すると今度はフィオナがそっぽを向いた。
大人びたいつもの雰囲気と違う。
後ろで短く結われた黒髪も相まって、どこか幼さを感じさせる。
(そういやコイツのオフの服みるの初めてだな)
髪型だけでなく服装も洒落ていた。
裾の青から白へとグラデーションしていくブラウスの緩やかさとシンプルな黒のジーンズの機能美とのコントラストは、色彩的な美しさを演出するだけに終わらない。
ゆったりとくつろげる場所、アクティブに遊び回れる場所、どこに連れ出されてもいいように誂えたオフにおける”少女の隙”を見事に演出している。
だが、当の誘ってほしいと考察できる人物はそっぽを向いていた。
ライセンス試験以降、深也と会うたびにこれである。
どこかそわそわした浮わついた雰囲気をまとっているくせに少しでも深也が踏み込もうとすると逃げてしまう。
もっとも、そもそもが深也の思い違いならそれまでの話だが。
「なぁ、この間からずっーと機嫌悪いの、いい加減直してくれ」
「なんの話ですか?」
「今度はお前がそれ言うのかよ……あの時言った見返りも、もう別に求めてない。 それでいいだろ、これ以上は何もノシつけられねぇよ」
「……もう?」
「もう、だろ。これといって何も貰ってない」
呆れて物を言うことも馬鹿らしいと蔑んだ目で見てくるフィオナに対して深也も必死に記憶を掘り起こしてみたが、まるで見当がつかなかった。
「……よし、話戻そうぜ」
「また後でしますから、早く思い出してくださいね」
「だから何をだよ」
「6回もしたのに……」
「した? 貰った? 本当に分からん」
「私にも尊厳があるので教えてあげません」
(面倒くせぇ……いや……)
愚痴はもちろん深也の心の中で済まされた。
これ以上面倒くさいのはごめん被る。
だが、そんな思いが次なる事態を呼び込むことになる。
「あ、いたいた! お二人さーん!」
空気を読む気が一切ない陽気な声に呼び止められた。
見やるとスーツ型のアビスフレームに身をつつんだ金髪の優男が片手を振りながら近づいてくる。
この街のギルド、炎熱の支柱でタスク管理部門に勤めているシャックだった。
「やっほ、デートかい」
「そう見えます?」
「ただの荷物持ちだよ。 お前こそどうした、事務方がそんなもん着て」
業務で海に入ることは滅多にない事務員であるシャック。
いつものごとく少年のような笑顔で、糸のように細めた目から真紅の瞳が見え隠れしている。
(どっから来るんだろうな、この胡散臭さは……)
同性だからこそ評価が厳しいというわけではない。
が、スーツ姿のシャックは、いつも以上に深也の中での信用度が低かった。
顔、良し。
身長、体格、ともに良し。
しっかりと着こなされているスーツタイプのアビスフレームだが、シャックの軽薄さが一層際立っていた。
良く言えばホスト、悪く言えば詐欺師のような出で立ち。
「どうしたってシン君、知らないにしても街とか市場の様子で察しつかない?」
「私もさっきからそれが気になっていて、なんだかいつもと違う感じが……ここに来たばかりの私が言うのも変ですけど」
「いや、そりゃあ」
お前がいるからだろ?
と考えなしに喉元まで上がってきた言葉を叩き返して深也は市場を見渡した。
旅行客が異様に多い、市場は元々そういう場所ではあるが。
いつもと違う、ただ何かは分からないというなら程度の差というのは妥当な線だろう。
「あー……あっ、そうか今日だったか」
「うん」
「なんです?」
「各海域のギルドの首領が集まっての定例会があるんだよ。今回はここってわけだ」
「そうそう、それでギルドの職員は全員、見栄えするこの格好なわけ」
「なるほど…ところで私たちに何の用が……」
「いやさ、ウチが管理している海底遺跡あるでしょ。定例会で選抜制の限定解放しようぜって話になって」
(ようやくかよ……何が進行フラグになってるんだ?)
このゲームにおける最終目的は海底ダンジョンの踏破。
深也の目的もそこにある。
ダラダラとプレイしているが未だダンジョンに立ち入ることすらできていない原因は、怠惰ではない。
原因は、ダンジョンに眠る先史文明の遺産。
そんなただの価値ある骨董品で終わるはずのないものがダイバー個人の手に渡る可能性を危惧したギルドたちは、自分たちの海域にある判明しているダンジョンへの立ち入りを禁止していたのだ。
「どうせ後から広まるだろうに、わざわざそれを言いに来たのか、ヒマかよ」
「もちろん、ヒマな要件じゃないから来たんだよ。この旅行客を捌くのに人員とられたのと限定解放に向けての警備体制の改訂で忙しくしてたところを狙われてさ」
「まて、その先聞きたくないぞ」
深也相手に遠慮を知らぬシャックは当然ながら待たない。
口を抑えようと伸びてきた深也の手も軽く躱した。
「ダンジョンの内の1つが海神の三叉槍に占拠されちゃって」
あちゃー、とシャックは天を仰いだ。
面倒くさげに睨む深也とは対照的にコミカルで大げさな仕草で言葉を紡ぐ。
「そういうわけで腕の立つダイバーたちに招集をかけてるのさ、強制力ありきで。けど、最奥の財宝が盗られる前に奪りませんかって言ったら、みんな喜んでたよ」
「言いやがったよ……どのみち取るもん取ったら皆失せるだろ、俺はそのあとでも別にいいさ」
「財宝に興味ないの?」
「あるに決まってんだろ」
苛立ちで頭を掻きながらも即答する深也をシャックがケラケラと笑った。
◆◆◆◆◆
3時間前
ギルド、炎熱の支柱の首領室
(……あつい)
いまいち物足りない冷房を誤魔化すためにシャックは手うちわに勤しんでいた。他には何もしていない、突っ立っているだけ。
だが、断じてサボリではない。
目の前の老人に比べれば自分はかなり勤勉かつ功労な青年である。
手うちわと耳そうじでは比べるまでもない。
「耳クソがとれん」
「会議の前に耳毛と耳クソ気にしてるのボスくらいですよ」
「いやお前シャックな、大事なことだぞ? それと会議の前じゃない、とっくに始まってる」
「そういやそうでした……むしろそっちのが重要でしたね」
「わははははは! まぁ、耳クソはこの辺にしておいてやるか、いざ行くぞ!!」
耳に突っ込んでいた小指を引き抜き、付いていた皮脂を吹き飛ばしながら炎熱の支柱の首領グレイブ・リヒターは立ち上がった。
思わず見上げるほどの偉丈夫である。
70才というギルドの首領でみれば圧倒的最高齢の男は、ギルドのメインカラーとしている赤と黒の制服を身にまとい、年齢を一切感じさせない歩幅とスピードで会議場の扉の前まで来ていた。
扉を開ける直前、グレイブがついてきたシャックの方へと振り向く。
「で、だ。このタイミングで悪いが最終確認だ。本当に紡ぎ手だったのか?」
「はい、都合よく心肺停止したのでちゃんと見てました。 泣くぐらい焦ってたフィオナちゃんは気づいてませんでしたけど消えかけてましたよ」
「よーしよし、あいつら納得させるのに確信は重要だ」
シャックがどうする気か尋ねる前にグレイブが会議場の扉を弾き飛ばすかのように開け放った。
突然の騒音、しかし中にいた者たちは誰もグレイブを見ない。
この男は、いつもこうだからだ。
驚くのも面倒と思われているのである。
「”全員”いるなぁ」
グレイブを含めてたった5人、空席が1つ。
たった5人だが海域を統べる王と言っても過言ではないギルドの首領たち。
【夜鳥】 オリヴィア・ハサウェイ
【氷河の社 】ギンジ・ギアーズ
【海樹宝鐘】 バーンズ・スタッグ
【真砂に綴る】 ヴァン・クリード
入室したグレイブを見もせずヴァン・クリードが毒づく。
「おせぇよ、ジジイ」
怒りを隠すために彼の口元と鼻筋は金の刺繍が施された紫のバンダナで覆われていた。
分かりやすい不機嫌や嫌悪、それでコントロールできる相手なら良かったがグレイブは違う。
イタズラを思いついた子供のような笑顔でヴァンを迎え撃つ。
「いやぁ、ダイバーランクの中央値だの報酬金の捻出だの、そんな報告とか面倒なんでな。現状ウチはどっちも困ってない。もうそういうの済んだよな?」
むしろお前たちが俺を待たせていたんだが? と言外に匂わせるグレイブ。
誰の反論もなく、ただヴァン・クリードがテーブルの上で思い切り拳を捻りこむように握りしめた結果、テーブルが破砕した。
起こった事態への沈黙は一瞬で、まずバーンズ・スタッグが吹き出した。
黙っている時には切り出した彫刻のように鋭い印象を受ける銀髪と四角メガネの男は腹を抱えて大笑いする。
「ぶはははっは! また口喧嘩で負けて!! よせばいいのに、なんで仕掛けるかね、君は!」
「うるせーぞ! バーンズ!!」
「負けた自覚あり! わっははーい!、いやぁ面白かった! これを見込んで遅れてきたのですか、ご老公」
「なわけねぇだろぉ……本題をまとめてたんだよ」
「耳毛ぬいてましたよ?」
「シャックー?」
ひとしきりの茶番を終えてグレイブがようやく席に着いた。
「とにかく本題、本題だよ」
「あら、さっき自分で言ってたじゃない、定例会の本題は貴方抜きでとっくに終わったけど」
「そう言うなよ、オリヴィア。とっておきだぜ」
グレイブは指を5本立てて見せた。
まがりにもギルドの首領まで上り詰めた者たち、それだけで察する。
「今、かなりの数が手中にあんだよ。源詩の魔導が2つだ、あと4つ。把握できている海胤が3つ、あと3つ」
「それまだ信じてたのね……」
ぽつりとオリヴィア・ハサウェイが零し、片肘をついた。
喪服のようなに黒衣を全身にまとう妙齢な美女がするその仕草は本人が示したい意図関係なく艶やかさを持っていた。
ちなみに実際に内包された彼女の意図は馬鹿馬鹿しくて欠伸が出る、である。
グレイブが言っているのは、伝説にある7つ目の海へ”挑むための”鍵の数だ。
そんな寝物語よりも源素の魔導が2つも傘下にあることのほうが重大じゃないのかというのが、その場にいる大半の者の率直なところだった
「まぁ、揃うの自体は珍しいことじゃなかったからな。さしずめ鍵はあるが開ける扉がないマヌケな状態が続いてきたわけだ」
「リヒターさん、それで?」
少し身を乗り出してギンジ・ギアーズが話の先を促す。
軽く七三分けにされた黒髪と病的に白い肌の持つ誠実と清潔さ。
それらを打ち消してしまう寝不足続きが見て取れる濃いクマが添えられた紫の瞳が剣呑さを放っていた。
「俺のところに紡ぎ手がいる」
首領たちも予想はしていたが本当に出てくるとは思っていなかった単語がグレイブの口から出た。
首領たちが驚愕の表情を浮かべる中、特にギンジが渋い顔をする。
「最後の否定材料だった"扉"ももう有ると見て考えて備えるべきだ。生き証人が現れたんだよ、7つ目の海の。海魔石なんぞに左右されない、資源にあふれる穏やかな海と、そこで育った文明と世界があるんだよ」
”こちら”と”あちら”がある。
こちらが魔力のある世界、魔界であるという証明を降ってわいた魔力の無い世界があるという証明の紡ぎ手が逆説で行った。
いっきに空気に血生臭いものへ変わっていく
「まだ見ぬ海がある」たったそれだけの理由でダイバーは未踏を制し世界を切り拓いてきた。
先住民や海凶と殺し合いをしながら。
例外はただの1つとて無い。
ではこの異世界に対してそうでるのか。
これまでとは違って異界の海との接合はダイバーたちが作ってきた時代の終焉を意味している。
海魔石という資源がなくても回る世界への扉が開かれたら最後、権力基盤が崩れる、ライフラインが丸ごと変わる、文明の根っこを引き抜くことになるだろう。
異界からすれば海魔石という見知らぬリソースが加わるだけの話でむしろさらなる発展につながる。
しかしこちらの世界は目も当てられないことになるだろう。このままでは力関係は明白だった。
そうならないための防備策か、単なる支配欲からか、扉を開けるための鍵の蒐集に先史文明が力の褒賞を持たせた。
魔海の王という海の魔力と海凶を統率する力を。
確定事項のようにグレイブが宣言する。
「異世界との接合は、”絶対に”阻止する」
少なくともグレイブに既得権益を守りたいなどという意識も、これ以上の支配海域の拡大思想もない。
地図にない世界と未知の文明、これらとロクな出会いになった試しがないと歴史が証明しているだけのこと。
それが世界規模ともなれば、流れる血の量は計り知れないものになる。
為政者としてそんな事態は避けなければ。
その点について、この場に同席している者も異論はないだろうとグレイブは考えていた。
「個人的には生殺しがいいと思ってる。見つけ次第、源詩の魔導は保護監視だ。嫌われちゃかなわん。総数の分からん海胤は厳重保管か破壊もしくは……保管にも破壊にも難があるなら身内から装備者を見繕ってもいいだろ。戦力増強にもなる。最悪、そいつと一緒に処理もできる。ダンジョンで苦労して手に入れた直後のところを狙えばいい「ちょっと待ってくれない?」」
このまま畳みかけてしまいたかったグレイブだが案の定まったをかけられる。割って入ってみせたのはオリヴィアだった。
「それにだれが協力するの?」
「今俺はお前らに向けて喋ってるつもりだが?」
「言葉を言葉通りに取らないでよ、わざとなの? はぐらかしてるつもり? 誰が身を切るのかって話よ」
「そりゃ手前のとこに所属しているダイバー達になるだろうがよ」
「金やモノと違って人的資源は替えが効かない場合があると言ってるの」
「……なんならウチから派遣してもいいぞ」
「グレイブ、ちなみに今の貴方の発言はね、土足で上がり込んできて私のところの財産に手垢を付けるってことなんだけど」
「世界規模の話してる時に縄張り意識の強い女だなぁ……どうすりゃ信用してくれるんだ? まず俺たちから身を切ってみせろってことなら、とっくに用意してあるぜ。手始めにだな」
ダンジョンの限定解放を行う、そう言いかけた矢先だった。
「会議中、失礼します」
フレイムピラーの男性職員が一人、会議場へ入ってきた。
足取りが早い、会議中にもかかわらず伝えに来るとは火急の要件なのか。
「すみません、ボス、会議中に」
「どうした?」
「それが「限定解放予定だったダンジョンが占拠されました」」
部下からの報告に男の声が割って入った。
薄ら笑いの混じる軽薄な若い男の声が。
誰も声のした方向を見ない、ワンアクションで殺すと決めているから。
空席だった残す1つのギルド、【深理】の席に男が腰掛けた。
ギシリと椅子の軋む音がそのことを告げる。
それは”ない”だろう
目を丸くしているシャックと報告に来た職員以外の全員が護身用に装備を認められていた小型の武器に手を伸ばす。
ナイフの柄、もしくは撃鉄に指がかかる速度を”魔導”が上回った。
前触れもなく何もない空間から杖を持った手が2本現れる。
「虚空の灰詩 【ディメンション・フィールド】」
「深海の蒼詩 【ハイウェーブ】」
次元の裂け目としか形容できない空間の亀裂から膨大な量の水が室内へと流れ込んだ。
そうして流れ込んだ水だがドアなどから排出されない。
まるでこの室内だけ世界から切り離されているかのように。
(ここを海中にする気か!?)
敵の狙いに気づくと同時にグレイブはアビスフレームを装備していないことを悔やんだ。
だが、陸上ではすぐ大気に散ってしまうエアの性質上、エアソリッドシステムは使えない。
通常駆動に関しても鎧としてすらの機能を果たさない。
水位は1分と経たず、すでに肩まで達していた。
「シャッーク!」
「はい?」
「なんとかならんのか!?」
「この魔導、たぶん”水を”部屋の外へ漏らさないことにリソース割いてるんで脱出できますよ?」
「早く言え!!」
グレイブを含めた首領たちと報告に来た職員が会議室から飛び出す。
唯一、アビスフレームを制服替わりに着ていたシャックだけが部屋に残った。
「……展開 【紅蓮】」
水位が口元まであがる前にシャックはアビスフレームを展開する。
姿を現した赤と黒をメインカラーとする甲冑には何の装備もない。
すでにアビスフレームを展開していた襲撃者が尋ねる。
「お前は逃げなくてよかったのか?」
「”俺は”出られないようにしてるんだろ?」
鎧越しでも透けて見えるような愉悦を伴った問いかけにシャックがそれを上回る嗜虐を込めて応えた。
普段の周囲に感染するほどの脱力感は、とうにない。
「炎天の血詩 シャック・ロックスクリーム、お前を捕獲する」
「中々活きのいい雑魚だな」
シャックから溢れ出した魔力により水がまるで陽炎のように揺らめいた。




