12話 ヴォイドウォーカー
確かに纏った筈のアビスフレームの装甲が、固く編み込まれた筈の繊維が、解けていくような。
解れ目を補うように、水が縫い糸のように全身を走り抜けていくような。
冷たい――
冷気は一瞬で過ぎ去り、深也は水と同化したような感覚に包まれていた。
感覚器官の延長とでも言うべきか、視ずとも触れずとも聞かずとも水を通して知覚出来る。
深也が自身の分身たるシンの持つ、この特異な感覚に気付くのに時間は掛からなかった。
更には基本的にソロでのダイブを好んだことが感覚に磨きをかける。
常習化した多対一の戦闘、擬態や透明化能力を持つ海凶との戦闘を経て感覚は鋭くなっていた。
(居るな、そこに)
深也は鍛え上げて1つの武器となった感覚で、待機室から投下された直後にヘンリックが虚像を用意し、自身は透明化したことを看破していた。
さしずめヘンリックは、張り詰めた湖面へと落ちた水滴。
透明になって水に紛れたところで発生する波紋は隠し通せるものではない。
『おい何なんだ~、さっさと始めろー!』
『ヘンリックも横綱気取ってないで、自分から仕掛けろよ~』
野次を飛ばす観客の目には、ヘンリックそっちのけで深也が何もない虚空を見つめているようにしか映っていない。
そんな明後日を余所見している相手に、先手を取らないヘンリックにも相当な悠長さを感じてしまっている。
何をしているのか、これは何の時間なのか、何か意図があってことなのか、考えられるとすればそれは、
『……まさか見えてるのか』
目の肥えた一部の常連から事態に気づき始め、遂には全員が前例のない開始直後からの膠着に空前の期待で固唾を呑んだ。。
彼らの期待の正解を知るのはヘンリックと深也のみ。
雑音が消えると同時に深也は背中のランブルエッジの柄を握った。
合わせるように、二刀を構えるヘンリック。
(……やっぱりコイツ、NPCじゃねぇだろ)
ヘンリックの対応は、まるで看破されていることを承知しているかのよう。
見えているなら、さっさと来いと言わんばかり。
無敗の王者からの手招きという歓待、是非もなく深也から先に仕掛けた。
「……エアソリッド起動 【海駆け】」
試合時間は20分、宵越しの銭などという野暮はない。
通常の運用では考えられない試合専用に出力設定した加速システムが彼我の距離を切断する。
一閃、抜きざまに首を薙ぎ払わんとする深也の大曲刀はヘンリックの双剣に阻まれた。
(俺と張るか! 流石はデュアルコア!!)
阻まれて尚、大曲刀の威力が落ちることはない。
深也は両手でランブルエッジを握り直し、圧し切るように海駆けの効果を使って水中でありながら更に踏み込む。
だが、ヘンリックの双剣、細身の刀身とそこから更に研ぎ澄まされた刃がランブルエッジという剛刃を受けきり続ける。
「(折れないか!業物だな!!)エアソリッド起動 【ランブルエッジ】!」
だがこれも想定内であり好都合、そもそも深也は狙ってヘンリックに受けさせた。
切り結んだまま剣速を増大させるエアソリッドシステムを起動し、双剣ごと野球のパワーヒッターがするような強引なスイングでヘンリックを吹き飛ばした。
(特専2枚持ち相手に、マトモに勝負しようなんて虫のいいこと考えてねぇよ!)
ここは中空に浮かぶ囲いのない水槽、勢いのまま吹き飛ばされ続ければリングアウトとなる。
当然、踏みとどまるヘンリック。
当然、追撃の手を打つ深也。
起動させたままの【海駆け】で加速し、体勢のままならないヘンリックと再び切り結ぶ、当然これも故意。
またも大曲刀を防がせて、その状態から【ランブルエッジ】を発動する。
(どうしたよ最強、切り合いにもなってないぞ!!)
試合前にテツマの危惧した通りだが、立場が逆転した事態となっていた。
リングアウトまであと少しと迫っている。
先ほどと同様に深也のフルスイングがヘンリックを弾き飛ばした。
深也の感じた手応えからして飛距離は十分、もう踏みとどまるだけの距離もない。
だが、闘技場の絶対王者が、そんな呆気ない幕切れを許す筈もなかった。
リングアウト直前、ヘンリックの姿が消える。
(なっ……消えた……?)
透明化、ではない。
深也が真っ先に考え付いたのはダスクジェミニによる虚像だが、それはもっとありえない。
何故なら、虚像には実体がないのだから。
虚像を相手にしていたとすれば、先ほどまで切り結んだ際に感じていた質量の説明がつかなくなる。
(吹き飛ばされた瞬間に透明化した?いや、透明化は別に移動エネルギーを相殺できるわけじゃ……後ろかッ!)
シンの感覚がヘンリックの正確な位置を把握する。
背後から脳天へと振り下ろされる刃を、深也は大曲刀の質量で無理やり払い流す。
(マズイッ、この位置で入れ替えられた……!)
押し出そうとヘンリックを追い詰めた深也だったが、裏をとられたことで自身がコーナーを背負うこととなった。
リングアウトギリギリの位置から脱出しようにも、ヘンリックの双剣と巧みな体捌きがそれを阻む。
上下左右のどこからも抜け出せない、常にピタリと深也の目の前を陣取ってくる。
斬り合ってラインを押し上げるか、振りかぶりなどの予備動作の間隙に合わせて抜け出すしかない。
(やっぱシステムなしだと互角 ……ッ!位置が悪い!!)
斬り合いは自然、”隅”を平行移動しながらとなった。
深也とヘンリック、2人の剣捌きは互角であったが、これは同種という意味ではない。
ベクトルが異なる。
システムからも分かるように深也は一撃の重さ、そしてそれを当てるための速度を求めた。
結果、精密さと小回りに欠くこととなる。
ヘンリックは精密さと速度、そしてそれが際立つ手数を双剣に求めた。
結果、一撃の重さを欠いた。
これら2つの剣技を互角たらしる状況は、両者ともに相手にとっての弱みである己が強みを存分に発揮できることが前提である。
現状は違う、明らかに苦しんでいるのは深也だった。
「ーックソが!」
繋ぎがないようにすら思えるヘンリックの連撃が止まらない。
紙一重、薄皮一枚、ついには装甲が削られ始めた。
刃の侵入が徐々に深くなっていく。
夥しい連撃をねじ伏せる重厚な一撃が今すぐにでも必要だった。
(振りが……! )
だが肝心要の剣が振れない。
常にコーナーを背負わされたことで深也は自身の強みである強力な一撃に必要なテイクバックをするためのスペースが確保できない。
大曲刀の取り回しの悪さが如実に表れていた。
「エアソリッド起動 【ランブルエッジ】!!」
システムのみの出力となれば格段に威力は落ちるが、今はとにかく防戦一方の状況から脱することが最優先となる。
深也は、肩部を狙う横一文字の剣に大曲刀の縦一文字を合わせた。
続く連撃の中でも特に危険度の高いもの狙って払いのけ続ける。
速いだけの剣では、出来てもこの程度。
(散りばめられすぎて、絞りにくかったが……大体わかった!)
しかし、深也は最低限競り合うことが出来れば良かった。
切り結めば押し負けかねない程の一撃、安定した土台が欲しかった。
(来た、倒せる一撃!!)
「【海駆け】!!」
払いのけるのではなく真っ向から切り結びにいく深也。
当然力負けしてしまう、ヘンリックも微動だにしない。
その微動だにしないヘンリック自体を”支点”にして海駆けにより得た海中での脚力による跳躍、ハンドスプリングを決めてみせた。
背後を取り返し、そのまま大曲刀を振るう。
が、またもヘンリックが視界から消え、今度は深也から少し離れたところに出現した。
透明化ではない、本当に消えて、そして異なる場所に現れた。
エアソリッドシステムとは別種の、超常の域にある力だ。
(……合点がいったよ)
深也の中で2つの点が繋がった。
エアを、もとい大気の魔導炉を動力としない電気駆動の武器。
常時展開されたダスクジェミニ。
すべてエアソリッドシステムの逐次起動が出来ないことの裏返し。
「魔導士か……俺はポジションでの駆け引きの主導権を完全に奪われたわけだ」
答え合わせでもするように、ヘンリックがまたも姿を消した。
魔導というカードの出現により択が増えている。
消えたまま近づいてくるか、虚像のブラフか、転移か。
(リングアウトに持っていく作戦は完全にオジャン……択も増えた……)
しかしながら、シンの持つ感覚により転移は問題にならない。
当たりの分かっているクジにハズレが増えただけ、そのはずだった。
突如、眼前と背後に現れたヘンリック、だがシンの感覚が告げる、背後にいるのが本体だと。
振り向きざまに大曲刀で薙ぎ払う深也だったが斬ったヘンリックが水に溶けた。
(虚像!? 自分に被せるよう発動して当たる直前に転移したのか!?)
瞬間の攻防、互いにダメージは無かったが精神は違う。
このたった一回の読み違いにより深也の心に疑念の種が埋め込まれていた。
もしや、自分が斬ったのは虚像”だけ”だったのではないかという疑念。
感覚への信頼が揺らぐ。
立て直す暇を与えてくれる相手でないことは分かっている。
揺さぶられたまま勝てる相手ではない。
深也は大曲刀を捨てて双剣銃に装備を切り替えた。
(際での判断はともかく、距離詰めてくる時は目視で確認するしかないか!!)
見えているヘンリックとは別方向から”来る”。
虚像はマネキン、動作はとれない、そこで判別が可能。
だが止まっている画を動いているかのように見せる手法は、ありふれて存在する。
コマを送って作る手書きのアニメーションのように虚像の作成を、あるいは透明化を、もしくは転移を高速で繰り返すのだ。
(……追いつかない!)
鋭敏さがアダになった。
感覚が滅茶苦茶な位置情報を深也にもたらし、更なる混乱を呼ぶ。
視えている2体のヘンリックだけでない、透明化も織り交ぜて全く別のポイントからも迫ってきている。
目に頼るな、本能のような何者かが深也に告げる。
一挙に迫るは虚実入り乱れる6本の剣。
双剣銃が大曲刀より小回りの効く武器とはいえ虚実全てを捌くことは出来ない。
(違う、そこじゃないだろ)
もっと根本的な部分でヘンリックを”上回る”必要がある。試合前に己で再確認したことだ。どう対応するかという考えはヘンリックに勝つ上で論外だと。
今もそうだ、双剣銃でどうするか、というところから始めるから詰まってしまう。
もっと、もっと、もっと削ぎ落さなければ。
ならばもういっそ……
「エアソリッド起動 【ラスイグニス】【プロミネンス】」
双剣銃の持つ最大火力、数秒だけ熱線の照射を持続させるシステム。
熱線で虚実とも全て薙ぎ払う。
今一時を凌ぐだけ、こんなもの転移が使えるヘンリックに当たるはずがない。
加えて今の迎撃で双剣銃が熱量に耐えきれず使い物にならなくなる。
再度迫るヘンリック相手に深也はナマクラとなった双剣銃を破棄。
観客も、ヘンリックも、誰もがギブアップかと思った次の瞬間
「これでさっきより迅い」
まさかの徒手格闘、武器というデッドウェイトを捨てることで得たハンドスピードにより本体と疑わしき刃をすべて弾き流す。
剣の腹に拳を当て横から力を加えることで剣筋を反らし、刃が”立った”状態になることを決して許さない。
挙句、突きの軌道を僅かに孤を描くよう曲げて撃つことでヘンリックの剣閃を歪め、攻撃と防御を両立しはじめる深也。
水中で上下左右と、きりもみになりながらも両者は攻撃の応酬を続ける。
本体以外有効でないとはいえフェイントも含めるならば手数は依然ヘンリックが勝る。
しかし後から動いても追いつけるほど攻撃スピードでの有利が深也にはあった。
こうなるともっと際どい領域すら射程に入ってくる。
深也は迫る剣へと照準を合わせた。
「エアソリッド起動 【海駆け】」
一瞬で剣が機能しない間合いの内へ。転移する時間は与えない。
解放された脚部のスラスター機構、左足は今しがた間合いの内へ踏み込むために使用した。本来の用途である加速のために、そして右足は蹴りの威力を増大させるために。
水の抵抗を切り裂く迅速なる三日月蹴り。
(……遠いな! 入れても浅くなる!)
だがヘンリックが少し体を後方へずらすだけで打撃の衝撃が殺されてしまう。
片やヘンリックの剣はその程度の後退は問題にならない。
最後に残る障害はスピードを得るための代償であるリーチ差。
埋めるためには、やはりカウンター。
必要最小限の防御と回避による撒き餌で大振りを誘う。
「エアソリッド起動 【エーテルブリンカー・リバース】」
刃が到達する直前に深也の掌底から放出されるエア。
これも当然試合用に出力調整されている。
膨大なエアによる抵抗が剣速を低下させた。
これなら”捕れる”。
「これがかかった状態で”跳べる”かな」
腕ひしぎ十字固め。
床が存在しない水中での戦闘において関節を狙う組み技の価値はほとんどない。
今回も腕一本の自由を奪ったのみ、まだヘンリックにはもう片方の手にある剣と転移が残されている。
「【強制接続】! さぁ、爆ぜろ!!」
狙いは関節などではない。
エアの強制注入による暴走爆発。
通常でも破格の威力を誇る【エーテルブリンカー・リバース】だが、それを大気の魔導炉の制御が出来ない魔導士に使えばどうなるのか。
ただでさえデュアルコアの超出力により常に満たされた状態にあるアビスフレームに使えばどうなるのか。
ヘンリックが必死にもがこうとしていることが絡めとった腕から伝わってくる。
そう、流れを乱され、溢れかえるエアの暴走で通常駆動や魔法の使用すら難しくなっているのだ。
(いけるぞ!! あとォ!少しィッ!!)
そんな思いで深也が気を緩めたりはしない。
だが、いきなり視点が高くなりクリアになった視界が深也の思考を止めてしまう。
深也の勝負をかけたポイント、組まれているという密接度の高い状態から自分だけ抜け出す形での転移は難しく、ましてや大気の魔導炉に異常が起きている状況では出来ないまであるのではないかという推論。
この賭け自体には勝っていた。
実際、今のヘンリックに出来るのは、せいぜい深也ごと跳ぶことくらい。
エアに含まれる魔力からの激しい干渉の中で制御の利かない転移魔法、跳ぶ距離も滅茶苦茶なものになるだろう。
転移した先が”水槽の外”ということもありうる。
このヘンリックが仕掛けてきた最後の勝負で深也にとっての裏目がでた。
水槽の外、水の無い空間。
急速にエアが散っていく、それにより駆動するアビスフレームは力を失い、当然エアソリッドシステムも不発に終わる。
この状況下で唯一力を失わなかったものは……
試合が終わった。
短い審議の結果、両者同時のリングアウトにより引き分け。
だが、悠々と双剣を納めるヘンリックに対して横たわる深也は無惨にも切り裂かれている。
誰が勝者であるか、観客含め皆分かっていた。




