II
「魔物が出たりはしませんでしょうか……」
境界の森に足を踏み入れると、アンヴィが少し不安そうに呟いた。
森に入った途端、木々が日光を遮り、辺りにはどこか禍々しい重苦しい空気が漂い始めている。
「大丈夫だろう。もし出たとしても、ジークがなんとかしてくれる」
ゴブリンのように好戦的に人間を襲う魔物もいるが、大半の魔物は野生動物と同じく、縄張りを侵さない限りは人間を避ける傾向がある。
「ジーク、魔物の気配はあるか?」
「危険になりそうな気配は、今のところ感知できません」
「分かった。……慎重に進んでくれ」
「はっ」
それから、三時間ほど進んだだろうか。
ジークが馬車をかなりの速度で走らせているにもかかわらず、森の奥行きは相当なものだった。
「ロード、そろそろ森を抜けます」
御者台からのジークの声に、俺は窓から顔を出して進行方向を見つめた。
謎だらけで、これから俺の領地となる場所。
不安と同時に、どこか胸を躍らせている自分がいた。
やがて木々が途切れ、森を抜けた――その瞬間、目の前に広がったのは、およそ想像すらしていなかった異様な光景だった。
「……城壁!?」
「そのようですね」
馬車を止め、ジークが真っ先に降りて確認に向かう。
「随分と古い年代のもののようです」
俺たちも馬車から降り、呆然とその建造物を見上げた。
確かに、王都やローウェン領で見かける現代の建築様式とはまるで異なっている。
目の前にそびえ立っているのは、高さ十メートルはあろうかという重厚な黒鉄の門。そしてその左右には、人の背丈の何倍もある頑強な石造りの城壁が、森を分断するように果てしなく横へと広がっていた。
壁の表面には長い年月を物語るように苔や蔦がびっしりと絡みついているが、崩れる気配は微塵もない。圧倒的な威圧感を放っていた。
「門と壁に、強化魔法の付与が確認できます。しかし……術式自体はかなり古い二重展開の式のみ。正規軍が本気で攻めてきた場合、多少の時間稼ぎにはなりますが…」
ジークの言いたいことは分かる。
例えば、父上が率いるような精鋭部隊が攻め寄せれば、数時間もあれば突破できるだろう。
「外からの魔物除けの役割もあるだろうが……この頑丈さと構造、本来の目的は……」
「おそらく、ロードのお考えの通りでしょうね」
ジークも重々しく頷く。
「あのご主人様、どういうことでしょうか?」
小首をかしげるアンヴィ。ああ、そういえば彼女にはこの土地の過去の歴史について、まだ詳しく話していなかったな。
「つまりね、外敵の侵入から守るためではなくて――中にいる人間を、絶対に外へ出さないために造られた壁なんだよ」
「牢獄……ということですね」
「その可能性が極めて高い、ってことだ」
セバスから聞いた歴史を考えれば、これ以上ないほど辻褄が合う。
おそらく、内部には他にも様々な封印や魔法の仕掛けが施されているはずだ。
「ロード、どうなさいますか。私が壁の周囲を一周し、調査してまいりましょうか?」
「いや、ジークと離れるのは危険だ。一緒に行くとしても、馬車の旅で疲れている俺たちではジークの足手まといになるだけだからね」
「承知いたしました。では、この門から中に入れるか確認してまいります」
『すみません、新しく領主になった者ですが、門を開けてくれませんかー』
……なんて叫んで開くような門ではないのは一目瞭然だ。
「ふふっ」
アンヴィが口元に手を当てて小さく笑った。
「ロード、少々よろしいでしょうか」
門を調べていたジークが振り返る。
「どうした?」
「一通り確認いたしましたが、門を開閉するための物理的なレバーや鍵穴の類は見当たりません。……あるのは、これだけのようです」
ジークが指差したのは、門の脇の石壁に埋め込まれた、大人の拳ほどの大きさの半球状の水晶だった。
その滑らかな表面には、精緻な魔法陣が刻まれている。
「先ほど、私が手のひらを押し当ててみましたが――」
ジークが水晶に手をかざす。
すると魔法陣が一瞬だけ赤く明滅し、すぐに元の沈黙へと戻った。
「このように、拒絶の反応を示すのみで開く気配はありません」
ジークほどの魔力と実力を持つ騎士ですら弾かれる。
次は俺も水晶の表面に手のひらを押し当ててみた。
その瞬間だった。
――キィィィン……!
澄んだ高音が響き渡ると同時に、魔法陣に緑色の光が駆け巡った。
ガガガガガッ! と地響きのような重低音が鳴り響き、数百年間閉ざされていたであろう巨大な黒鉄の門が、ゆっくりと上方へと持ち上がり始めた。
滑車と鎖が擦れ合う凄まじい金属音が、静まり返った森に木霊する。
特定の人物――王家や特定の貴族の家系の血を引く者にしか反応しないのような仕組みかもしれない。
やがて、門が完全に開くと、大きな音を立てて停止した。
ぽっかりと開いた門の向こう側。
立ち込める霧の先で待っているのは、国王の理不尽な命令によって押し付けられた、俺の新しい領地だった。
「……行こうか」
俺たちは顔を見合わせ、その未知なる世界へと足を踏み入れた。




