IV
「では、すぐに行ってまいります!」
「うん、気をつけてね」
街の衛兵たちを呼びに行くジークを見送った。
現在、四人の男たちは馬小屋で縄に縛られている。あの老人も含め、全員がジークによってあっさり制圧された。
あの老人は、やはりこの街の領主の屋敷で執事長を務めている男だったらしい。
そして、その裏では人身売買を行っていた。
ほかの三人は、金で雇われただけのチンピラにすぎなかったようだ。
領主自身はどうなのだろうか。
知らなかったのか、それとも知っていて黙認していたのか。あるいは――。
――いや、これ以上首を突っ込むのはやめておこう。
あとでレオン兄上に手紙を送っておこう。
この世界では、法に基づいた奴隷制度そのものは合法だ。俺の知る限り、この大陸でも、ある一国を除いてほとんどの国が奴隷制度を認めている。
しかし、人を誘拐し、本人の意思や法的な身分に反して売買する人身売買は、初代国王の時代から禁じられている。
父や兄上たちーーローウェン伯爵家という大貴族のものーーがこの事実を知れば、なかったことにはできないだろう。
仮に領主自身が関わっていたとしても、表向きは最低限の対応――この四人の公開処刑と、余罪や被害者の調査を王家に報告する義務が生じる。
領主自身も監督責任を問われ、何らかの処罰は免れないだろう。
すでに売られてしまった人たち全員を救い出すのは難しいかもしれない。
それでも――。
少なくとも、今回の四人が罪を犯したまま何事もなかったかのように暮らすことはないだろう。
ジークを見送ったあと、俺は小屋の中へと戻った。
次の仕事が残っている。
「……あなたたちは、何者なのですか?」
当然の疑問だった。
彼女からすれば、突然見知らぬ男が捕まってきたと思ったら、男たちが慌てだし、外で大きな音がして、気づけば自分をさらった連中が全員縛られている。
わけが分からないことだらけだろう。
犯人たちの捕縛を優先していたせいで、彼女にはまだ何も説明していなかった。
「うん。全部説明するよ。でも、その前に一つだけ確認させてくれ。怪我はない?」
「……え? ああ、怪我ですか。特にはありません」
「それはよかった」
改めて見ると、俺と同い年くらいだろうか。
整った顔立ちで、どこか凛とした品性がある。言葉遣いもしっかりしている。
「先に言っておくけど、さっきの俺の言葉は、ただの演技だからね」
俺はなぜ必死に弁解しているのか。
あの『ゴミを見るような冷たい目』が、思った以上に俺の心に深く刺さっていたのか。
「それは……見れば分かります」
「俺が貴族で、旅の途中で嵐に遭ってこの街に滞在していた……というところまでは本当の話だ」
「うん、それも見れば分かります」
本当に? 見ただけで分かるものなのか。
「それで、泊まっていた宿の前に君の妹のカハちゃんが倒れていたのを見つけて、保護したんだ。妹さんから君が誘拐された話を聞いて、少し調べたら、あの隠し通路を見つけた。タスカっていう足の速い男の子のおかげでね」
数秒の沈黙。彼女は何を考えているのか分からない、硬い表情を崩さない。
「妹は……今、どこに?」
「ああ、多分俺たちが泊まっている宿にいると思う。タスカも一緒だと思う」
また、数秒の沈黙が落ちた。
「……そう」
随分と落ち着いているというか、冷静すぎる反応だ。
――いや、違うな。
カハちゃんから聞いた。ずっとお姉ちゃんと二人きりで暮らしてきたと。
両親のことも、カハちゃんはほとんど覚えていないらしい。
つまり、この子は今までずっと一人で妹を育ててきたのだ。
頼れる家族もいない。困ったときに助けてくれる人がいるとも限らない。甘くないこの世界で、自分がしっかりしなければ、妹まで生きていけなくなる。
そんな環境なら、自然とそうなるのかもしれない。
妹の前でも、世間の前でも、弱さを見せない。
自分が泣いている暇があったら、まず妹を守る。
きっと、そうやって生きてきたのだろう。
……前世の俺が同じ年頃だったとき、こんなことを想像したことすらなかった。
彼女は、ずっと一人で頑張ってきたのだ。
すごいと思う。
心から、そう思う。
けれど……本当は、怖かったはずだ。
妹が無事だと聞いて、泣き崩れるほど嬉しかったはずなのだ。
それなのに彼女は、溢れそうになる感情を胸の奥に必死で押し殺して、平気な顔を作っている。
――『俺の胸を貸してやるから、泣いてもいいぞ』
なんて、出会ったばかりの男が言えるわけがない。そんなキザなイケメンムーブ、俺には無理だ。
ならば、大人として俺にできる気遣いは一つだけだ。
「ああ、そういえば……さっきジークが暴れたせいで、馬たちが怯えていたな」
「馬、ですか?」
「ああ。だから、ちょっと様子を見に行ってくるよ」
「あ……はい」
「こんな強い雨だし、外に出ていたら中の音なんて何ひとつ聞こえないだろうなあ……困った困った」
わざとらしい独り言を呟きながら、俺は小屋の扉を閉めて外へ出た。
少しして、雨音の向こうから少女のかすかな泣き声が聞こえたような気がしたが――きっと、ただの雨の音だったのだろう。
***
ジークが街の衛兵たちを連れて戻ってきたあと、約一時間ほど事情聴取を受けた。
俺の身元を明かなかったが、衛兵たちは察してくれた。必要な確認が終わるとすぐに解放された。
外はまだ小雨が降っていたため、帰りも例の地下通路を通ることにした。
薄暗い通路を歩きながら、ジークから道中の話を聞いた。
門番への聞き込みを終えて宿に戻ったジークは、カハちゃんたちから話を聞き、急いで俺を追って時計塔へ向かったそうだ。
だが、彼が辿り着いた時には、すでに例の跳ね上げ戸は封鎖されていたらしい。
時間にして、あと数分早ければ俺と合流できていた計算になる。
ちなみに、あの鉄の跳ね上げ戸には、重力魔法の魔法陣が刻まれていた。
つまり、一種の魔道具だ。
表面にいくつかの細かい文字盤が刻まれており、それを正しい順番に回すだけで魔法陣が完成し、人間には持ち上げられないほどの重力が発生する仕組みになっていた。
魔法が発動してしまえば、いくらジークでも力づくで突破することはできない。
解除するにはダイヤルを逆順に回さなければならないが、それには強大な力と手順が必要で、外からの侵入者を防ぐための罠としては完璧だったという。
この隠し通路の存在自体もそうだが、設置されていた照明の魔石、そして重力魔法が付与された魔道具。……果たして、一介の執事長が個人の裁量だけで用意できるものだろうか。
もし、領主自身が関わっていないとすれば、彼の背後にはもっと巨大な――。
いかん、また余計な詮索を始めるところだった。
ちなみに、力づくでの突破が不可能だと知ったジークは、階段の下で剣を構え、入口が開く瞬間をずっと不動の姿勢で待っていたのだという。
理由を尋ねると、彼は大真面目な顔でこう答えた。
「ロードなら、必ず何とかして扉を開けてくださると信じておりましたので」
ここはツッコムところだが、結果論として見れば、彼の判断は完璧に正しかった。
そんな話をしながら歩いているうちに、時計塔の出口へと辿り着いた。
「お姉ちゃん!!!」
隠し扉から出た瞬間、待ち構えていたカハちゃんが弾かれたように飛び込んできた。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん……っ!」
「はいはい、お姉ちゃんは無事だよ。もう大丈夫だからね」
泣きじゃくる妹の頭を、優しく撫でる彼女。
先ほど小屋で泣いていた弱さは微塵も感じさせない、本当に立派なお姉ちゃんだ。
「君たち、宿から出るなと言ったはずだが」
ジークが眉をひそめて子供たちを咎めると、タスカが慌てて両手を振った。
「ち、違うよ騎士の兄ちゃん! 俺はダメだって言ったんだけど、カハがどうしてもって引っ張るから……!」
「ふふ、二人ともちゃんとジークに伝言を伝えてくれたんだろ? 偉いよ」
「はい……! えへへ」
俺が頭を撫でてやると、タスカ君は嬉しそうに照れくさそうに鼻の下をこすった。
「お兄ちゃん、本当にお姉ちゃんを連れて帰ってきてくれたんだね!」
「うん、約束したからね」
「お兄ちゃん、世界一かっこいい!」
「その通りです。我がロードは、世界一偉大な御方なのです」
ジークが深く深く頷く。
やめろ。恥ずかしいからやめてくれ。
大体、俺は敵にあっさり捕まって腹に一撃食らっただけだぞ。
「お姉ちゃんも、そう思うでしょ!?」
「え? あ……うん、その……とても……」
ほら、彼女だって困っているじゃないか。
まあ実際、彼女が見ていたのは、敵に軽々と担がれて部屋に放り込まれ、腹を殴られ、そのあと必死に三文芝居の悪徳貴族を演じていた情けない男の姿だ。
我ながら、お世辞にもかっこいいとは言えない。
その時――。
時計塔の古びた扉の隙間から、柔らかな金色の光が差し込んできた。
見上げれば、雲の切れ間から青空が顔を覗かせている。
長くて暗かった大嵐が、ようやく過ぎ去ったのだった。




