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6/8

III

 振り返ろうとした瞬間、背後に立つ大男の姿が目に入った。


 デカい。……いや、デカすぎる。


 ……油断した。


 この体格では、逃げ切れる気がしない。


 大男は俺を荷物でも運ぶかのように軽々と持ち上げ、そのまま小屋の中へと運び込んだ。同時に、先ほどの男二人が慌てて馬小屋のほうへ走っていく。


 おそらく、隠し通路の入口を封鎖しに行ったのだろう。


 小屋の中へ放り込まれた俺は、両手を後ろ手に縛られ、石床に乱暴に押しつけられた。


 目の前には、同じように縛られた女の子が倒れていた。


 ……この子が、カハのお姉さんか。


 彼女は目を見開き、じっとこちらを見つめている。口には長い布が巻かれ、声を上げることすらできないようだった。


 ……ジークが悪党どもを蹴散らしてから登場できれば、彼女を格好よく救えたのに。


「貴様、貴族の息子か?」


 俺を見下ろしているのは、四十代……いや、五十代くらいの男だった。


 右手には杖を持ち、上等な服をきっちりと着こなしている。執事のセバスを思わせる、隙のない身なりだ。


 少なくとも、先ほどの男たちとは格が違う。


 さて、どうするか。


「まあ、身なりを見れば明白なのでは?」


「お貴族様の小僧が、なぜこんなところをうろついている?」


「散歩していたんだ。それで、この小屋を見かけて寄ってみただけさ」

「……やれ」


 老人が短く命じた。


 直後、背後にいた大男の拳が俺の腹にめり込んだ。


「ぐっ……!」


 猛烈な痛みが腹部を駆け抜け、吐き気が込み上げる。呼吸すらままならない。


「こんな嵐の日に、街外れの森を散歩する者がおるか。調子に乗るんじゃないぞ、小僧」


 商品ではない俺は、彼女と同じ扱いをされないといことか...当たり前だけど。


 貴族の息子だって買い手くらいいるんじゃないのか。もっと大事にしてもいいのに。


「旦那、入口は封鎖してやったぜ。近くに、こいつの足跡も残ってた」


 戻ってきた男の一人が報告する。


 早いな。


 まあ、こういう緊急事態に備えて、すぐ封鎖できる仕掛けを用意していてもおかしくない。


 問題は、ジークがそれを突破できるかどうかだ。


 ……ただ重い石を置いただけかもしれない。


 いや、少し楽観的すぎるか?


「お前たち……やはり、誰かに見られたのではないのか?」


「誰もいませんでしたよ、旦那。なあ?」


「そ、そうだ! 時計塔に入る前だって、何度も周りを確認したぜ!」


 こいつら、ポンコツなのか、それとも、タスカの尾行がうまかったのだろうか。


「俺はこの人たちを知らないよ? さっき初めて見た」


「ほら、こいつもそう言って――」


 男は老人に睨まれ、口をつぐんだ。


「では、なぜ隠し通路の存在を知っている? どうやってここへ来た?」


 さて、ここからが勝負だ。


「家名は明かせないが、俺の父はそれなりに権力を持つ領主でね」


「こいつ、貴族のガキだったのか……」


「本来、この街に泊まる予定はなかったんだが、見てのとおりの嵐だ。仕方なく滞在している」


 嘘は言っていない。


 この調子だ。


「それで、俺の趣味の話になるんだが……古い建築物に興味があってね。宿の部屋から、あの時計塔が見えたんだ。それで見に行ってみたら、偶然、隠し通路を見つけたというわけさ」


「それで、一人でここまで来たと?」


「そうだ。隠し通路なんて、冒険心をくすぐるだろう? 見つけたときの俺のわくわくが、あんたに分かるか?」


「では、なぜ一人なのだ? 貴族の嫡男なら、護衛騎士の一人や二人は連れているであろう?」


「別に、一人じゃないよ」


「何?」


 大男と男二人が、一斉に周囲を警戒した。


 ……うん。いい反応だ。


「どこにも誰もいねえじゃねえか! このはったり野郎!」


「あの入口の下、階段のところで一人待たせてあるよ」


「お前たち、封鎖するときに階段の下まで確認したのか?」


「い、いや……こいつ一人だと思ってたんで」


「で、でも、誰かがいる気配なんてしなかったぜ、旦那」


「そりゃそうだ。奴隷だからな。あいつらの仕事は、気配を消して空気になることだ。俺がそう『教育』したからな」


 俺は偉そうに肩をすくめた。


「最後に、入口の下で待機していろと命じたんだ。あいつなら、俺が戻るまで何時間でも待ち続けるだろうよ。荷物持ちと肉壁くらいしか能がない、間抜けな奴だからな」


「……ひでえ」


 男の一人が、思わずといった様子でつぶやいた。


「やっぱ貴族って、こういうクソ野郎ばっかりなのかよ……」


 その言葉に、俺の隣で横たわっていたカハの姉が、こちらを見た。

 先ほどまで案じるような目を向けていた彼女の視線が、今では完全にゴミを見る目になっている。


 ……我ながら、なかなかの名演技らしい。


 ごめんなさい。


 でも、君を助けるために、もう少しだけ利用させてもらうよ。


「それより、商売の話をしようじゃないか。お互いに利益のある話だ」


「商売だと?」


 老人の目つきが変わった。


 よし。食いついた。


 金のために人を売るような外道だ。こちらが金の話を持ち出せば、無視できるはずがない。


「あんたたち、なかなかいい『商品』を持っているじゃないか」


「……こいつか?」


「ああ。そろそろ新しいおもちゃが欲しくてね。俺に売る気はないか?」


 もちろん、全部演技だ。


 だが、言葉を選んでいる余裕はない。相手に怪しまれないよう、徹底的に嫌な貴族を演じる。


 カハの姉が暴れ始めた。


 本当にごめん。あと少しだけ我慢してくれ。


「仲介料なしで、俺と直接取引するんだ。オークションに出すより、何倍も儲かると思うが?」


「旦那……」


 老人はしばらく俺を見つめていた。


「どうする?」


 やがて、老人の口元にわずかな笑みが浮かんだ。


「……いくら出す?」


 よし。


「父から金貨二枚を自由に使っていいと言われている。これだけ壊し甲斐のありそうな相手には、そうそう出会えないからな。銀貨五十枚でどうだ?」


「銀貨五十枚だと? 舐めてんのか! オークションに出せば、この嬢ちゃんくらいになると金貨一枚で売――」


「お前、交渉相手に何を相場までぺらぺら喋ってるんだ?」


「……あ」


 男が老人に睨まれ、口を閉じた。


 まあ、相場が分かったところで、今の俺には何の役にも立たないが。


「金貨一枚? 笑わせるな。所詮、平民の小娘だ。せいぜい銀貨八十枚といったところだろう」


「金貨一枚と銀貨五十枚だ」


「それでは俺にとって、損しかないのでは?」


「貴様、自分の立場が分かっているのか?」


 よく言う。


 この狸親父は、今も金のことしか考えていない。


 俺をここで殺すことだってできるはずだ。だが、それでは将来の取引相手を失うことになる。少なくとも、こいつはそう考える程度には、貴族社会の常識を身につけている。


 だからこそ、俺の態度も理解できるのだろう。


 身分のある人間が、金をちらつかせて傲慢に振る舞う。あいつらにとっては、見慣れた光景に違いない。


「分かった、分かった。金貨一枚と銀貨二十枚で勘弁してやろう。こいつを『教育』するための道具も、新しく買わなければならんからな」


 老人が、そこで初めてにたりと笑った。


「それはそうだな。では、取引成立だ。おい」


 合図を受けた大男が、俺の後ろ手に縛られた縄をほどいた。


 俺は自由になった手を伸ばし、老人と握手する。


「ああ、取引成立だ」


「……まだ、貴様を信用したわけではないぞ」


「警戒しすぎだろう。紙とペンはあるか?」


 老人は不審そうに眉を寄せたものの、手下に合図を送った。


 間もなく、紙と羽ペンが運ばれてくる。


 俺は男たちにじっと見張られながら、紙に文字を書きつけた。


 ――五分後にまた入口が開く。魔法金庫を外へ押し出せ。


 貴族が金や貴重品を持ち運ぶための、小型の魔道具だ。もっとも、今は実物を持っているわけではない。


 地下にいるはずの従者がそれを持っている。そういう設定だ。


「この手紙を入口まで届けてくれ。下にいる従者に渡せばいい。入口に少し隙間があれば、そこから投げ込んでも構わない」


 俺は紙を折りたたみ、老人へ差し出した。


「五分待ってくれ。それでも金庫が届かなかったら、俺をどうしようと自由だ」


「旦那、どうします?」


 老人は紙を裏返し、念入りに確認した。


 俺の顔と紙を交互に見比べ、しばらく考え込む。


 どうぞ好きなだけ確認すればいい。


 その中身はどうでもいい。


 さあ、どうする?


 金の話には乗った。俺の身分も信じ始めている。あとは、欲をかいてくれることを祈るしかない。


「……よかろう。行け」


「は、はい!」


 大男を含めた三人が、紙を持って小屋から出ていった。


 封鎖を解くには、複数人の力が必要なのだろうか。それとも、本当に重い石でも置いただけなのか。


 いや、それだったらすでにジークに突破されているはず。


 男たちが出ていってから、どれくらい経っただろう。


 ……一分か。


 たった一分なのに、ひどく長く感じる。


 老人は杖を握りしめ、落ち着かない様子で窓の外を気にしていた。


 そして――


 ドガァンッ!!


 まるで雷がすぐ近くに落ちたかのような轟音が響いた。


 直後、男たちの悲鳴が馬のいななきをかき消す。


「ん……? 何が起きたのじゃ?」


 老人は窓へと駆け寄った。


 外を確認したその顔から、余裕が消えていく。


 そして、ゆっくりと振り返り、俺を睨みつけた。


「貴様……何をした?」


 そう、重要なのはその紙の中身ではなかった。


 封鎖を解くその一瞬だけ。


 ジークにとってそれで十分だろう。


 俺はできる限り余裕のある笑みを浮かべた。


「ああ。俺の騎士が、優秀なものでな」

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