弐 11月15日 金曜 ひるから雨
午からの雨は切ない。
それが週末の金曜ならもっと切ない。それでも、運が良くて調子が良くて、足取りなんてもうスキップでも踏んでいこうなんて輩らは、どんなに足元に晩秋の寒々が舞い込んでこようが、もう両足とも週末前の金曜の夜に突っ込まれてる。
そうじて景気はいいのだ。
運が良く調子が良い類いは、景気の気が見えてるから、自動歩行器よろしくホイホイそれにぶら下がり甘い匂いのする谷間に吸い寄せられる。
あたしはそんなでないから。傘を握って自分の脚でテクテク歩いて行くより仕方がないから。行く当てはなくとも行く先は決まっている。そうした手合いたちから金を借りる。
生活が苦しいからのたつきのために借りるんじゃない。同じ口に入れるんでも腹ペコだからの三食のおまんまに充てるような真似はしない。シャトーブリアンとかそういった類いだ。食すじゃなく、喫するの方だ。胃袋の決まったスペースを満たすんじゃなく、皆んなが心おきなく欲望を満たすための四次元ポケットがあるように、あたしの中にもそんなエレガントなものが付いている。それをあたしばかりが触っていないのは理不尽じゃないかとエレガントに囁く。
囁く体だから、もらうんじゃない。借りるだけだ。借りた金を返したのは一度もないけれど、あたしは強請でもヒモでもない、まして乞食でもないから、ちょうだいなんて使ったりはしない。わるいけどさぁーを挟んで貸してもらうだけだ。
運が良くて調子が良くて足取りなんてもうスキップでも踏んで夜の街へ繰り出す輩らでも、あぶく銭としって持ってるヤツは少ない。あぶく銭はその上に悪辣が灯っていないと付き合ってはくれない。景気がいいくらいで付き合ってくれるほどあぶく銭は太っ腹ではないのだ。
あたしが頼む相手はそんな太っ腹でないから、あぶく銭はない、ただ少し浮かれて、つま先立ちになってる隙間におべんちゃらと泣き言を挟んで、運と調子の良さのおこぼれから借りる。
たいした金額じゃない。週末の楽しみの2割か3割、泣き言言ってくる顔を早く追っ払うために割いて削って渡してくれる金額だ。見下げた相手にあぶく銭を振りまいて楽しむ輩とは違い、そこに楽しみを見つけるほど下卑ていない。
ただ、それをしないと、いたたまれないから、それであたしに貸してくれる。
そうした金はありがたい。金銭の多寡や貸し借りしてる本人たちとは離れ、尊くなる。つま先立った隙間に挟まってた窮屈から解き放たれたお金はわたしの掌の中で大きな伸びをしている。
でも、いつも、そううまくいくとは限らない。お金はわたしの掌の中で伸び伸びしていても、渡した方の掌は聖人君子聖人君子でないのだからいずれは後ろ髪を思い出すのだ。
こんなの繰り返してれば、世情のトラブルや破滅とは無縁じゃいられない。




