第七話 忠犬少女ポチ
部屋を染めるほどの朝日を浴びてハルトは目覚める。清々しい朝だ。ふと物思いに耽りたくなるぐらいには。
ハルトは、昨日はある意味では散々な一日だったとぼんやり回想を始めた。
帝国についてすぐの、天帝様、ジャックさん二人との対話。それももちろんハルトが疲弊する理由になっていた。
だが、それ以上の要因はハルトが風呂で出会った裸の少女である。
部屋に帰るとこれまた完璧なタイミングで食事が運ばれてくる展開に、ハルトは恐らくあの少女が常時自分のことを監視していると勘付いた。
(確かに非の打ち所がないサービスをしてくれるのでそこまで悪い気はしないのだが、それでもあんな可憐な少女に常に給仕をされているとは…ねぇ)
ハルトにとってあの少女の最も不可解な点は謎のおにいさま呼びだ。
ハルトに妹はおらず、少なくとも隠し子等血縁であると言う情報も無い。それも相まって、ハルトには彼女が自分の世話をしてくれる理由がわからなかった。
天帝やジャックが頼んでいたのだとしたら流石に伝えてくれるだろうと考えアンデルセンを思い浮かべるが、流石にそこまで気が利く人物だとハルトは思えない。
「…てか。名前、聞き忘れてたな。どこか天帝様と似たような雰囲気だったけど」
灰色髪に同色の眼。天帝とほとんど同じ雰囲気であったことをハルトは思い出す。
何か関係があるのだろうと推測するが、それはまた会ってみないとわからないとスルーした。
それよりも、結局ハルトの脳裏に焼き付いて離さないのはあの光景。
不可抗力とは言え裸を見てしまったからわかる、かなり鍛錬された肉体。
ハルト自身もずっと山の中で一人暮らしをしたいたため、割と力仕事は得意だった。日中日夜やることもほとんど無かったので、十年近く毎日筋トレもしている。
が、だからこそハルトにはわかるのだ。あのレベルに行くのはなかなか簡単なことではないと。
そして同時にあれは天性の才能だ。いくら鍛えてもあそこまでいかない人もいるだろうとも思った。
(もし天帝様と血の繋がりがあると言うのならそれも納得がいく…けど。とにかく、また会ったら今度は落ち着いて話を聞こう。もう風呂に入ってこられるのはごめんだけどさ)
と、ハルトは自分から回想をぷつりと終わらせて寝台から立ち上がった。
「おぉーいハルト!!起きてるんだってな!!入っていいか!?」
絶妙なタイングで部屋の扉がガンガン鳴り始める。
ハルトは一瞬で、扉の向こうの人物が誰なのか感じ取った。
「起きてるんだってなって…何でわかるんだよ…。聞かなかったことにしておくから入ってきていいよ、アンデルセン」
「おっすおっすー、おはようハルト!!昨日はよく寝れたか?」
「うん。まぁ寝れたっちゃ寝れたかな。至れり尽くせりではあったし、ゆっくり眠れたと思うよ」
「お、それならあれだ、これ幸いって奴だ!なんせ昨日飯を誘いにきたら寝ちまってたもんだから、疲れてるんだろうなと思って心配してたんだぜ!ゆっくり出来たならそれでいいけどな!」
あぁそう言えばそうだったな、とポンと手を叩いて忘れていたフリをするハルト。
だが、疲れていたとは言え悪いことした自負はあったため、ハルトはアンデルセンと話を続けた。
(…そういや、昨日の晩はあの少女に追い返されたみたいだしね)
「おっけー。じゃあ、そうだな。とりあえずその、あぁあれだ、埋め合わせってことで朝飯にでも行くか!」
「それならありがたいかな。昨日は悪かったよ。場所がわかれば探しに行ったんだけどなぁ。あ、そう言えば食堂ってどこにあるんだ?」
「あぁ食堂か。来客用の食堂は中庭を跨いだところだな。もちろん外に食いに行ってもいいし、ここに運ばせたっていいんだが…ん、あぁ!そうだ!いいこと思いついたぞ!」
「??どうした、アンデルセン」
朝だと言うのに一際大きい声でアンデルセンが何かに気付く。
よからぬことを考えてそうな不適な笑みを浮かべ、アンデルセンは体をハルトへ向き直した。
「折角中庭を通るんだ。一発、打ち合ってくか!!」
「……。はぁ?」
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「ほら、もういっちょ!まだまだだぞハルトぉ!」
「ちょ…ほんと、…タンマ……。マジで待ってくれ。なんで朝イチからこんな展開に……っいてぇ!」
起きて早々始まったアンデルセンとの打ち合い修行。アンデルセンはテンションが朝イチとは思えない上がり方をしており、二人は一発だけの予定が、かれこれ十数回は打ち合いをしてしまっていた。
否、打ち合いと呼べるようなものでは全く無い。ハルトは毎度毎度アンデルセンに向かって行くもののまるで一太刀も当てることが出来ず、木刀か蹴りの一発ですぐに吹き飛ばされる一方的な蹂躙。
これが実戦であれば命が幾つあっても足りないなと、何度も中庭の芝生に寝転がりながらハルトは実感した。
大前提としてアンデルセンのテンションと戦闘力の高さが問題だった。
楽観的な性格で感嘆詞の多い喋り方。誰が見ても「頭の良い男」とは評さない。だが、アンデルセンはシンプルに強いのだ。
足捌きも、重心の取り方も、剣術も、全てにおいて基礎力が高く、総じて戦闘力に長けている。
ハルトはその道のプロを見たことがある訳では無いが、こう見えて基本に忠実であるアンデルセンにギャップを感じ得なかった。
そしてそのシンプルさ故に凄さはわかりやすいもの。彼の高いスペックに瞠目する。
(自分でも同じ動きは出来るだろうけど、それを突発的に出来るか、他の動きと組み合わせられるかと言われれば首を横に張るしか無いぜ…。それをすぐに出来るようになるビジョンも浮かばない。毎日毎日同じ鍛錬を繰り返したとして、いつになればこの領域に到達出来るんだ…?)
ハルトは同じ神格者であるはずのアンデルセンとのかけ離れた実力差に何とも言えない口惜しさを覚える。
神格者は同じ神格者と言う枠組みにいても身体能力や治癒能力に大きく差がある。どちらも平均点が高い人物もいれば、身体能力が異次元に高い割に回復力に劣る人物もいる。
つまり、得て不得手があると言うことだ。
それで言うとアンデルセンは身体能力に振っているタイプだと言えよう。
まだアンデルセンの能力も、神格者としての素質もハルトは知らないが、これ以上があることをあまり考えたくは無かった。
「そうでも無いぞ。俺の動きを目では追えている。ハルトもあぁ、あれだ、中々筋はいいんじゃないか!」
そんなハルトを見兼ねたのか、それとも自然に言葉が出たのか。アンデルセンがハルトに励ますような言葉をかける。
「ゼェ…ゼェ……そ、そうかぁ?」
「あぁそうだぞ!神格者って一口に行っても、戦闘力や能力の使い方はセンスがほとんどだ!そうそう、その点で言えば、ハルトは戦闘力の面じゃセンスありなんじゃ無いかな!」
「センスや…相性…ね。こんだけボコボコにされてそう言われても素直には喜べねぇけど…」
「なんだぁ?あぁ、あれだ。ずいぶんとヒクツだな!ただこれはマジだぞ!そう、お世辞抜きってやつ!だって俺は単純なパワーならアニキよりもだいぶ上だからな。セーブしてるとは言え、これだけ吹っ飛ばされて割と元気ってことは自然に…あれだ、防御姿勢が取れてる証拠だ!!」
「ん、まぁそう言われれば…そうなのかも…?」
ハルトは自信なさげに納得した素振りを見せる。
確かに、ハルトがアンデルセンの動きを全く追えていないかと言われればそんなことは無い。冷静に分析できるぐらいには見えている。
無論、それでも至らない点しか無いような状態だが、まるでセンスが無いと言われるよりかは百倍マシだとハルトは感じた。
「ま、能力面に関してはまだわかんねぇけどな!あれは、そうだな…あれだ。ハッソー力とジューナン性の勝負だ。あっちの方がセンスの割合は多いと思う。その点ポチはとんでもねぇセンスの持ち主だからなぁ。能力の使い方とかはポチに教えてもらった方がいいかもな!」
「ポチ?誰だそれ」
「お?ん??おかしいな。ポチの奴、昨日ハルトに会ったって言ってたけどな…」
「昨日…か。俺昨日会ったのってアンデルセンたちと天帝様とジャックさんと……。あ、まさか。まさかまさか…!あの、裸の女か…!?」
昨日会った人物を羅列してそれしか無いとハルトは判断する。
気が付かずすれ違っただけの人がポチの可能性も無きにしも非ずだと考えたが、恐らくそんなことは無いと首を振った。
(…そうか。ポチと言うのかあの変態。行動に反して可愛らしい名前だな。とは言え、名前がわかってしまうと二十四時間監視されているのが余計に生々しくなってきた…)
「お!?なんだ遊び人だなぁハルトは!」
「そーいうのじゃねぇよ!ただ、あの風呂場の少女がセンスの塊だったとは。色んな意味で只者じゃ無いなとは思ってたけどさ…」
「ムッ。風呂場の少女…その呼び方はあまり好きではありません義兄様」
「がっ!?この声は…!!」
ハルトが、既に聴き慣れてしまった声に気付き後ろを向くと、中庭の端にポチが立っていた。
昨日とは違いしっかりと白い制服…では無く給仕服に身を包んでいるポチ。
所謂メイド服と言ったところの服装にハルトは驚くが、それ以上にその服の独創性がハルトの目を引いた。
白いフリルに黒色で軽めのエプロンを重ね、清潔感のある服に身を包んでいるのは他と同じ。
しかし、他と比べて露出が多めで、腕の袖丈やスカートの丈は極めて短い。フリルもよく見ると少なめでリボンは小さめ。そして何より腰に携えた翡翠色の二振りの剣が特徴的だ。
総じて可憐であるがスタイリッシュで動きやすそうなメイド服と言った感じ。これはポチが自身で繕った制服であり、ポチの標準装備である。
「おはようございます義兄様。朝から精が出ますね」
「またその呼び方…。そんでもってすげぇそのまんまの服装だな…。いや、精が出るっつーか、アンデルセンに無理やり付き合わされてるって感じだけどね」
「おいハルト!なんでそんなこと言うんだよ!」
「うるさいアンデルセン!一発だけって言った割に三十分もやりやがって!俺はもう朝飯を食いに行きたいぞ!」
「チッ、アンデルセン…本当に空気の読めない男…。義兄様のそばにいるのは私のはずなのに…」
「ちょっ、やっぱりポチもそのおにいさまってのやめてくれよ!昨日も言ったけど俺に妹はいないんだわ。なんかむず痒いぜ…」
ハルトにはやはり、この呼び方が一番くすぐったくて気恥ずかしかった。
どうしてこんな呼び方をするのかはこの際どうでもいいとさえ思えたが、とりあえずは普通の呼び方をして欲しいと言うのが本音だ。
(いやホント、そんなに悪い気はしないんだけれど…慣れてないんだ俺は。そもそも女性と話した経験だって母さん以外とはほとんど無いしね)
「てな訳で、普通に名前で呼んでくれないか?おにいさま呼びは無しで。敬語も無くていいからさ。あと、もうそこまで世話しなくたっていいんだぜ。俺一人暮らし長いから、大体のことは一人で出来るし…」
「しゅん…。そんなに私は役に立たないですか」
「や、いや…役に立ってないとかでは無くて…。もう!調子狂うな!」
「なんだぁ喧嘩か?」
「お邪魔虫は黙ってて!」
ポチの怒号が中庭に響く。
「お…なんかアンデルセンに当たりが強いな。その分仲が良いってことなのか?」
「いえ、それは違います」
「おぉ…そうか…」
ポチの断固とした拒絶にハルトは気圧される。
であれば、ポチの所属がどこなのか気になるのがハルトの好奇心。
アンデルセンやレンジと同じく総隊長直属の兵士かと推測したが流石にこの服装でそれは無いだろうと脳内で自分の予想を否定する。
しかし、ハルトは帝国の部隊編成やら構成員やらについてほとんど知らないため、それ以外の選択肢が出てこなかった。
(そうだな…後で朝飯を食いながらアンデルセンに聞いとくか〜)
「っと、てな訳で一旦修行は終わりにしてさ、朝飯食いに行こうぜ。もう流石に疲れたよアンデルセン」
「ん?そっか?まぁこの後もあるし、とりあえず朝はこれで終わりにしとくか!シャワー浴びるなら浴びてきてから食堂に来ても良いぞ!」
「ではおにいさ…いや、はる、と。私がお背中お流しします。する」
「ぎこちなさすぎね?そもそも一人で風呂ぐらい入れるからね?」
「はっはっはっ!そーだよなぁ!ポチはハルトに会いたがってたもんなぁ!ずっと一緒にいたいのはわかるぜ!でもあぁ、あれだ。向こう一ヶ月、ハルトの修行は俺とポチが担当するから自ずと一緒にいれるはずだぜ!」
「ん、そうなの?そう言えば聞いてなかったな…」
ハルトは全く戦闘経験の無い素人だ。
無論筋力や身体能力は鍛えていなくとも神格者由来の強力さを持つが、流石に未経験の状態で北方に行く訳にはいかない。故に、今日から一ヶ月鍛錬を積み、必死の修行を行うことになっていた。
ハルトはその教鞭を取るのが誰かと言う話は聞いていなかったのだ。
予測では恐らくアンデルセン。次点でレンジあたりだとは考えていたので、とりあえずレンジじゃなかったことにホッと胸を撫で下ろす。
(とは言え、ポチが先生ってのもなんかちょっと気恥ずかしいな…。帝国に来てからほんと相変わらず、激動の日々だぜ)
「まぁ、とりあえずこの一ヶ月よろしくなポチ。…身の回りの世話も、まぁ程々に頼むわ」
「ほっ。もちろんですハルト!アンデルセンなんて比にならないぐらい役に立ちますので!」
「なぁに行ってんだポチ!俺がリーダーだからな!」
朝イチから賑やかな声で軽口の応酬を交わす三人。
じゃれ合いのような言い合いが食堂まで続いたが、友達すら作ることの無かったハルトにとっては妙に居心地が良かった。
これから一ヶ月、今まで平凡な生活を送ってきたハルトにとって激動の毎日が始まる。しかし同時に、悠長なことを言ってられないほど北方の状況は日に日に悪くなるだろう。
急がなければならない。急ピッチで強くならなければいけないことは、ハルトも良く理解していた。
しかしながら、取り敢えずは周りの人たちと良い交友を続けられそうで良かったと、ハルトはぼんやりそう思うのだ。
ふと目の前のアンデルセンとポチを見ながら、ハルトはそんなことを考えていた。




