第五話 怒涛の一日目①
「十八年前の戦争の話からしようか」
「十八年前の…戦争…」
天帝はジャックを諌めると、淡々と落ち着いた調子でハルトに語りかけた。
どこか聞き手を落ち着かせるような口調と声色。澄んだ灰色の髪は朝日に照らされ鮮やかに輝き、同じく灰色の澄んだ眼光は、淑やかにハルトを射抜く。
「十八年前の大戦争はね、帝国、反帝国主義、それと帝国に巣食っていた『影の神子』。その三つ巴の戦争だったんだよ。それに君のお父様のライトニングさんも絡んでいてね。実はライトニングさんはここにいるジャックの前代、帝国軍の総隊長だったのだけれど」
「父さんが?…いや、それより光の神子だけじゃ無くて影の神子もいるのか…?」
「そう。光の神子と影の神子と言うのは特別な存在でね。方や悪性に対する浄化作用、方や善性に対する汚染機構。いつの世にも存在したこの二つの存在は有史以来ずっと敵対し合っていて、常に戦火の渦の中心にいたんだ」
「浄化作用…なるほど…。つまり帝国に敵対するような組織からしたら、光の神子の存在は煙たい存在だってことですね」
「うん。概ね間違っていない。世界の簒奪を望む人々からすると光の神子の存在は障壁でしか無いね」
だからか。とハルトは顎に手を当てて頷く。
今まで周りで起こった災いや不幸はそれによるものだったのかと納得した。
「現に、当のライトニングさんは帝国内にいた影の神子の策略にはまり拿捕されてしまった。それを助けるために我々帝国の勢力は影の神子の勢力と戦うことになるのだけれど、影の神子の真の目的は帝国の簒奪では無くただの『混沌』でね」
「混沌…と言うと、ただメチャクチャにしたかっただけ?」
「そう。二つの勢力がぶつかるのを見計らって巨大化していた反帝国勢力を戦争に参画させ、そしてここ帝国で大戦争が起こしたんだ。混戦の最中、ライトニングさんは影の神子と相打ちになって殉職された。
どうだい?一旦ここまでは大丈夫そうかな?」
「……はい」
ハルトは胸の奥に寂寥を宿しながら頷く。
まず第一の疑問は解消されたものの、父の死の背景を聞き何とも言えない気持ちになったからだ。
ハルトは父に会ったことも無ければ、その存在も母親の言葉でしか知らない。そもそも父が既にこの世にいないことも幼い頃にハルトは理解していた。
だから特別驚きはしないし、涙を流すこともない。
しかし、やはり何とも言えない澱んだ気持ちになるのは事実だった。
まだ十八のハルトに失ったものを再確認する作業は中々に酷である。
「辛かっただろうハルト……。この俺がいながら、お前に最悪の選択をさせてしまった…」
「あぁ…母さんの、ことか」
「そうだ。お前の母さんが襲撃された時。すぐさま俺は現場に急行したんだ。ただ既にお前のことを忘却していたとは…。まるで何もかも忘れていただなんて、信じたくない悪い冗談さ。こんな不甲斐ない俺を許してくれ、ハルト」
「いや、それはもういいんだ…です。俺が選んだ選択だ。誰かが苦しむぐらいなら、俺一人で苦しむ方が楽だから…ただ平穏に生きたかったからそうしたんです。ジャックさんが気に病む必要は無い…と思う」
忸怩たる思いと後悔を口にするジャック。
ハルトがそれを咎めるわけもないが、ジャックは陳謝の言葉を止めなかった。
「そうじゃあ無いんだハルト。これは俺がライトニングさんとした約束の問題だからな」
「約束。ですか?」
「俺と天帝様はお前のことを託された。である以上何があっても守らなければならなかったはずだ。平穏に生きることがお前の望みであるのなら、それを叶えるのは俺たちで無くてはならなかった。そう思ってしまうだけなんだ」
「うん、そうだね。確かに僕たちは託された。けれど必ずしも僕たちがいる必要は無かったと言う話さ。結局、ライトニングさんとミシュさんはハルト君に争いとは無縁の人生を歩んで欲しかった。そして自由に選択して欲しかったんだ。ハルト君が帝国から離れた土地で育てられたのもそれが理由だよ」
ミシュさん。
懐かしい響きのある母の名前にハルトは郷愁の思いに浸る。
じんわりと頭に残るその音を反芻し、自身の父と母が帝国の中枢にいたことを改めて確認した。
(天帝様とジャックさんが母さんのことを…。あぁ…そうだよな。父さんが帝国の兵士なら、母さんのことも知ってるよな…)
「ミシュさんはね、光の神子が原因で起こった大戦争をその目で見て、尚も力を受け継いでいるかもしれないハルト君を帝国で育てようとは思えなかったそうだ。だから帝国から離れた土地で秘密裏に、どこにでもいる普通の一般人として君を育てた」
「そう、なんですね。だから俺はあの村にいたんだ…」
「うん。ただ、流石はミシュさん。万が一に備えて有事の際の保険はしっかりかけていたようだね。それが君の育ての親の存在だ。そして君はライトニングさんやミシュさんが望んだ通り、自分で人生を選択した。自分の存在を隠蔽するという選択をとった」
「……」
「けれど本当に偶然、君の隠蔽が解かれたタイミングで、たまたま北方の異常事態を調査していたアンデルセンが倒れている君を見つけたんだ。そしてそれがハルト君であると知った。
もちろん育ての親が亡くなっているのだから君にとって決して良い展開では無い。ただ、僕らからすると僥倖であったことに代わりは無い。すぐさま君を保護し、急ぎここに連れてきてもらったと言う経緯だ
ここまで何も伝えることが出来なかったことは謝罪するよ。けれど、どうしても事情は直接僕らの口から伝えたくてね。どうだろう、少しばかり疑問は解消されたかな?」
「…えぇ。だいぶ…」
落ち着いて端的に、しかし事務的では無い調子で話を締め括る天帝。
父のこと、母が帝国から離れた場所で俺を育てたこと、そしてアンデルセンやレンジがやけに丁重に素早く自身を連れてきたこと。
ハルトが抱えていたそれら疑問点は確かに解決されたと言える。
しかし、それ故にハルトの胸中では新しく気がかりな点が生まれていた。
それはこれから自分はどうなるのだろうと言うこと。もとい、どうすれば良いのだろうと言う不安だ。
ハルトは悟っている。自分はこのまま帝国で匿われ、守られ、人並みの生活を送っていくのだろうと。
ただ、天帝とジャックの話を聞いたハルトは、結局それが戦争の火種になるんじゃ無いかと思っていた。
ともすれば十八年前の大戦争の再来がここ帝国で起こってしまうんじゃ無いかとさえハルトは推測する。
更に気掛かりなのは先ほどの天帝の言葉。アンデルセンが北方に来ていた理由を“異常事態”と言っていた。
口ぶりから察するにそれが不穏なことであるのは理解できる。
総隊長直属の部下であるアンデルセンやレンジがわざわざ北方にやってくるなんて、異常事態は異常事態でも一際異質なものなのかもとハルトには想像出来てしまうのだ。
ハルトが何よりも恐れているのはその懸念が核心を突いていた時だ。
また、自分が原因で人が死ぬ。しかも恐らく、今までとは比べ物にならないとんでも無い量の人が。そうなれば今度こそハルトは耐えられそうに無かった。
(……けど、もうそれ以外に選択肢は無いのかもしれないよな…)
ハルトは改めて、帝国で暮らすことを覚悟する。
三日前であればサクッと死んでやるとすら思っていたものの、今となっては流石にそんな勇気、ハルトにはない。
帝国にも来てしまった。ジャックやアンデルセンのように良くしてくれる人もいる。きっとこれからも好意的に接してくれる人は増えていく。
その状況を鑑みると、やはり帝国の庇護下で生活することが最適解なのかとハルトは考えた。
(父さんも母さんも俺に自由に人生を選択出来るようにと願ってくれたらしいけど、それが今ではこれだ。結局俺はどうすればいいんだよ…。どう生きるのが正解なんだ?なぁ、教えてくれよオヤジ…)
ハルトは決意が固まらず、曇った表情を顔に浮かべる。
するとそれを察した天帝が先鞭をつけた。
「とりあえず暗い話は一旦おしまい。じゃあ、ここからが本題だね」
「…え?本題、ですか?」
「うん。結局話したかった方はこっちでね。君の今後のことなのだけれど、いいかな?」
「あ、えぇ。もちろん…?」
(なんだこの人、まるで心でも読めているんじゃ無いか?)
ハルトは天帝の全てを見透かしたような瞳に若干の恐れを覚えつつ、しかし良いタイミングであると話を聴くことにした。
ジャックが何か言葉を発しようと口を開けかけたが、それより先に天帝の言葉が紡がれる。
「さて、色々とレンジやアンデルセンから話は聞いていてね。ハルト君の生きてきた環境も含め、どんな精神状況かは理解しているつもりだ。
そしてそれ以上に、自由に生き方を選択して欲しいと願ったご両親の気持ちも汲みたい。以上を踏まえて、僕から個人的に提示したい選択肢があるんだよ
ハルト君。もし良ければだが、帝国の兵士として人々を救ってみないかい?」
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「似ていたね。髪色はライトニングさんで、目尻や鼻筋は完全にミシュさん似だ。僕ですら思わず目頭が熱くなってしまったよ」
「えぇ…それは本当に。俺も会った瞬間に感慨深い気持ちになりましたよ。歳をとると涙腺が脆くなってしまって」
ハルトとの談話から数刻。部屋に残った天帝とジャックの二人はぼんやりと昔を思い出しながら懐かしさに浸っていた。だが、
「しかし天帝様、それはそれとして流石に酷ではありませんか?ハルトは確かに光の神子の力を継いでいるようだ。そして自分のせいで人々が苦しむと思い込んでいる。あの提案は、ある意味では正しい。
とは言え、まだ年端もいかない平穏を愛する一人の青年だ。戦場に立ったことも、ましてや喧嘩をしたこともまともに無いような子供ですよ。戦地に送り出すなんて選択肢を提示するとは思わなんだ」
ジャックは天帝が提示した選択肢。ハルトが帝国の兵士になることに不満げだ。
流石に相手が相手。憤慨して暴れ散らかすようなことはないが、眉間にはグッと皺がよっていた。
帝国としてハルトを保護しつつ、それと同時にハルトの罪悪感や生きることへの後ろめたさを和らげる。確かにそれが選択肢としては丸いものではあるとジャックも理解している。
ただ、ジャックとしてはハルトを二度と手元から離すなんてことは考えられなかった。
またハルトがいなくなってしまうかもしれないと考えると、敢えてハルトを危険に晒す行為は取りたくなかったのだ。
「一つの選択だよジャック。事実ハルト君はああ言う選択をした。我々の責務は彼を雁字搦めに縛りつけることでは無く、ハルト君が選んだ選択肢を尊重し最大限サポートすることだ。そこは勘違いしてはいけないと思うよ」
「しかし!ライトニングさんはハルトを争いの渦に巻き込ませたく無いからああして…!自由に生きて欲しいと願ったはずだ!」
「ではジャック。自由とは何かな」
空気が一瞬にして張り詰める。
危うく自分を抑えられなくなりそうなジャックに天帝は静々と問いかけた。
「余暇が多いことだろうか。過分に財産を持っていることだろうか。それとも圧倒的な力や権威で好きに選択を出来ることかな?まぁどれも自由の定義としては間違っていないね。ただ、僕はもっと詳細に定義付けするべきだと思うんだよ」
「…ならば、あなたの言う自由とは何なのです?」
「僕が思うに、自由とは肉体と精神のどちらも平静であり、何かを得るための選択肢に責任を持てる状態のことだ。例え不幸な境遇にいようと、手足に枷を嵌められていようと、その状況に責任があり、後悔が無ければそれは自由だ。休暇も、金銭も、力も、権力も、全て自由を手に入れるための手段に過ぎず、自由そのものは指さない」
「……」
「それで言うと今まで彼は一度たりとも自由な選択を出来ていない。世間から距離をとって十年間生きてきたのだから仕方ないけれど、今までの選択は全てそれ以外の選択肢を知らなかったから、半ば激情に任せてそうしてしまっただけに過ぎない。
となるとまずは彼に自由な人生を生きてもらうために、ひいては僕たちが責務を果たすために、まずはハルト君に世界を知ってもらわねば。色々な人々と出会い、自分の五感で思案してもらわねばならない。言うなれば色んな生き方を選ぶことが出来る状況に成長してもらわなければね」
「では、あなたはハルトに荒波に揉まれろと、過酷な状況に身を置けと言うのですか?」
「彼が平穏に生きたいと言うのなら結果的にそうなるね。帝国で大層大切に保護されているだけの生活は彼にとっては平穏では無いだろう。矛盾しているけれどそれは間違いない」
「それなら、戦うことも平穏では無いではありませんか!」
ジャックが怒りに任せて机に拳を振り下ろす。
鈍い音が室内に響き、少しばかりの静寂が部屋を包んだ。
しかし、天帝は動揺する様子をまるで見せずに再び口を開く。
「長期的に見なければならない。人生はいつ終わるかわからないけれど、明日必ず終わるわけでは無い。彼が自由を手に入れる為にはそれなりの時間を要すると言うことさ。それに…」
「それに?」
「そもそも、こうなってしまった以上、彼は争いから逃げられないよ。それはハルト君が一番理解している。
でなければ十年前のあの時、自分の情報を全て消すなんて行動取らないだろう?もう逃げ場が無いことは言わなくともわかっているはずだ」
「もう逃げ場が無い、確かに…。いずれ奴らにハルトの情報は知れ渡るでしょうな…。そうなれば、なる…ほど…」
天帝との問答の後、ジャックはゆっくりと椅子に座り直す。
納得はしつつも、それ以外に何か懸念点があるような、スッキリとしない表情をしていた。
「…では、何故あのことは伝えなかったのですか?ハルトに経験や知識が必要だと言うのならあの情報も伝えるべきだ」
「ジャック。本当にハルト君のことが大切なんだね。いつもの君らしく無い。
いいかい?物事に必要なのは順序とタイミングだ。適切な順序で伝えなければパンクしてしまう。適切なタイミングで伝えなければ不満が溢れるだろう。まだ不安定過ぎる彼の状態に、あの情報は必要無い。それこそもう少し成長してからだ。ブレない軸を手に入れて、身も心も平静を保てるようになった時に僕から伝えよう」
「いつか、然るべき時が来た時に。と言うことですな」
「うん。だからこそ、それまでが僕たちの仕事だよ。彼が成長できるようにサポートすること、万が一の際に彼を助けることが僕たちの責務だ」
そこまで言うと天帝は執務机から離れ、立ち上がる。
「そんな顔をしないでくれジャック。彼はライトニングさんの息子だよ。今は不安定かもしれないが彼は弱く無い」
執務室のすぐ後ろ。昼の日差しが差し込む大窓か
階下の街並みを見下ろす。
街の活気とそこで暮らす人々の顔をしばらく眺め、そして顔を上げると、歪な形の太陽を見上げた。
これからのハルトの行く末を案じ、そして自分がハルトに課した試練が正しい選択であったことを願い、天帝は静かに目を細めるのであった。




