第五十四話 北方平定作戦④
「おっしハルト!あれだっ、畳み掛けんぞ!!」
「任せろ!!屍人になったからって腕鈍ってないよな!?アンデルセン!!」
ハルトの放った光線が大帝に直撃した直後、アンデルセンはその隙を見逃さんと巨人を猛追した。声をかけられたハルトもそのままアンデルセンと共に大帝へ向かっていく。
アンデルセンは相変わらず猪突猛進な戦闘スタイル。一直線に敵へと突き進み、懐へ飛び込み、内部へと突貫する。万力で刀剣を振りかぶり、そのまま振り下ろす。そんなただ単純な攻勢。
されど屍人の肉体を得たことで二重に再生能力を有するアンデルセンには、この向こう見ずなスタイルがとことん合致していた。
彼は時折腕や脚を斬り離しては、四肢を引っ張られる引力を利用して一時的に浮遊する。その腕でハルトを引っ張ることで彼の肉体をも空中へ浮かし、大帝の顔面を直接ハルトの拳が打ちつけるシーンも見受けられた。
体長の差で言えば五十倍に近く、遥かに巨大な大帝には殴打程度では致命傷にならない。しかし、光の力を纏った拳はダメージソースとして確かに有効だ。
大帝は僅かに眉間に皺を寄せては、ハルトとアンデルセン、二人のことを睨め付けた。
アンデルセンのがむしゃらな戦い方。それに反してトリッキーに彼の能力を利用するハルトのスタイル。二人の対象的な攻勢は見た目に反してコンビネーションが抜群であり、言葉にせずとも各々の動きを察して的確に動き回る。
じわりじわりと大帝の肉体に鈍い痛みを与えていたのは、彼ら二人の非凡な才能と、阿吽の呼吸によるものが大きいだろう。
無論、大帝を苦しめていたのはそれだけでは無い。
大帝がハルトやアンデルセンを握り潰そうとした時。或いは斬り伏せようと大剣を振りかぶった時。ローラの伝達によりその予兆をいち早く察知したポチが攻撃を防いでいく。それによって大帝は二人にカウンターを当てられずにいた。
時越えにより二人の近くまで飛んでは、再度の時越えで攻撃が的中する前に安全地帯へと舞い戻る。二人はポチの能力を信頼しているからこそ、一見無謀に見える勢い任せの突貫も出来るのだ。
居合抜刀術の習得は、剣速の上昇や斬撃の威力増幅だけでは無く、平時の彼女の動きにも大きな変化をもたらしていたのである。
鍵は足捌き。抜刀術の際に有る完全に脱力した状態からの時越え。
今までとはまるで違う予備動作と踏み込みによって、剣速だけでは無く彼女自身の速度も格段に上昇していた。
結果、本来の時越えであれば“指定時間一秒”だったところを、今では“コンマ三秒”程度まで短縮。実質的に三分の一まで時間を削ることが出来ているのだ。その分ストロークに必要な時間も減少し、連続した時越えも可能となっている。
それに加えて、脚力に特化しているワトスンは足場を選ばない。
三人とは別ベクトルで機動力に長け、これもまた大帝からすれば厄介な要素の一つだ。
そんなハルト、アンデルセン、ポチ。この三人の猛攻に、大帝は懊悩していた。
ーーー否、懊悩していたのは三人の攻撃性能に。ではない。
生前であれば確かに対処できたはずの自分の力不足。及び異変に頭を悩ませていたのだ。
(……。何か…妙だ…)
左拳をポチによって斬り落とされ、続く光線によって上半身を焦がされた大帝。
その後もハルトの光による攻撃や、アンデルセンやポチの剣戟に対処しつつ、大帝は一つのことを思いあぐねていた。
自身の動きの鈍重さ。体動の緩慢さ。まるで起床直後のように身体が重く、動きづらい。
多対一且つ力を温存している状態とは言え、押され始めているこの状況。本来であればあそこまで自分の動きは鈍く無かったはずであり、遊刃有余の戦いが出来たはずだと彼は思案する。
確かに先刻のポチの剣戟、あれは脅威的な速度ではあった。それに完全な形で対応することは屍人の肉体では無く、生前の全盛期の状態であれど厳しかったかも知れない。
されど、反応は出来たはずだ。事実、二撃目からはある程度対処が出来ている。
それにポチの居合抜刀術はローラのそれと比較してまだまだ荒削りのもの。初速は凄まじいが、大帝クラスになれば攻撃の予兆を見逃さない。
他ならぬ大帝自身も、自身の反応速度や巨体に似合わぬスピードはトップクラスであると、確固たる自負があった。
(……だが、何の前触れも無かった。否、前触れはあったが、この我が反応出来なかった)
そこに不信感が募る。ただポチの速度が速いだけでは無い。何かしらのカラクリがあってのこの結果であろうと。
何より、敵側には北方の智将シャーロックがいる。これが大帝にとって何よりのノイズであるのだ。
比類なき頭脳と、圧倒的なカリスマ性。それらを持ちながら大帝からの勧誘を断固として断り続け北方神格者連合を組織した強者。
強き者のみを至上とする大帝にとって、シャーロックは正当に評価せねばならない存在だ。決して侮ってはいけない人物であると生前の戦いを経て大帝は理解している。
(ーーー策略があるはずだ。あの男が無策で出てくる訳が無い。我を打倒できる確信が無ければ、他の有象無象を連れて前には出て来ないだろう)
今し方。地割れと、亀裂の閉合から抜け出したシャーロックは、未だ空気の固定による妨害しかして来ない。それは何かしら理由があってのことなのだろうか?
「…シャーロック。お前は何を考えている?」
「そう聞かれて答える軍師がいるのか?いるんなら教えてくれ。アンタを殺す前に叩きのめしてやる」
「そうか。まぁ良い。貴様の作戦は俺には推測しきれん。だが、」
シャーロックによる空気膜の形成、固定。クモナによる影の吸引。そして激しさを増すアンデルセンとハルトの猛攻。ポチの斬撃。
それらを一身に受けながら、大帝は防戦から攻戦に切り替える。
「ーーー全て、滅すればいいだけだ。有象無象。森羅万象、天地神明。あらゆる全てを滅ぼして仕舞えばそれで問題は無い。そして、我にはそれが出来る…」
「…そーかい。それじゃあ、ここからが正念場ってヤツか?」
「如何にも」
ーーー曰く、北方に太古から伝わる伝承によると。巨人の肉体は世界を作り出す部品であるとされている。
巨大過ぎる肉体は大地に。血は海に。骨は山岳に。毛髪は森林に。頭蓋は空を作り出し、飛び散った火花は太陽や星になって空を彩った。
それだけでは無い。肉に沸いた虫は小人となり、海に流れ着いた流木は人となったとも言われている。つまり、巨人の肉体は余すことなく、現存の世界を構築するパーツとなったのだ。
その伝承を受け継ぐものはあれど、その伝承を守るものはあれど、当然それを真に受ける者は多く無い。
あくまでも民間伝承。あくまでも口伝の神話。北方にかつて巨人がいて、我々が立っている大地が巨人から模られたモノだと信じる者は殆ど現代にはいないだろう。
が、神格者の能力は司る神の範疇から大きく逸脱しなければ。そして、当人の広義的な解釈とそれを成し得るだけの才覚があれば。
言ってしまえば、どんな事象も再現できる。
大帝は知っていた。巨人が世界を作ったその伝承を。
大帝は知っていた。巨人には世界を形作る力が備わっていると言うことを。
ーーー即ち。こうも言い換えられる。
巨人には、自在に世界を構築し直すことが出来ると。
「世界創造」
シャーロックが構え、それに応じてハルトやアンデルセン、ポチが身を引いたその瞬間。
大帝が一言唱えると、エルギンだった街は一瞬にして景色を変えた。
大地は文字通り海原と化した。文字の通り天変地異。先ほどまで大地であった足元は既に荒れ狂い波が逆巻く黒海だ。
瓦礫すらも全て消失し、草木もひしゃげて消えた。見渡す限りの果てしない大海。エルギンの街は冥界から今や溟海へと成り果てた。
有るのは生物を拒絶する黒く濁った大波。暴風、白煙。畝り、渦巻き。一度呑まれれば二度と浮き上がっては来れぬと思わせる程の波濤は、悉くを破壊せんと轟音でのたうつ。
所々に岩石が残され、それを足場としてハルトたちは大帝を見上げたが、安堵することは出来ない。機動力のあるポチや、脚力で優位を取れるワトスンの二人はこの状況でも少しは動けるだろうが、ハルトやアンデルセンは最早身動きが取れない。
シペトテックはレンジやローラを引き連れ、最後の力を振り絞りどこかへと避難したが、それがどこへ行ったかは一同にもわからなかった。
それほどまでに辺りの状況は一変していたのだ。
正しく世界の終わりのような光景だ。今にでも波濤は岩石を削って消滅させるだろう。
と、言うよりも、それ以前に今は他の脅威が猛威を奮っている。
それは猛烈な嵐である。
暴風雨が皆の肉体を打ち付ける。雨音はまるで狂った獣の咆哮のような音を伴い、ハルトたちの鼓膜を打ちつけた。神格者の視力を持ってしても、一寸先すら見えずらい。
落雷は次第に勢いを増し、至る所に降り注ぐ。その稲光に照らされて大帝の姿を視認するが、この大災害が重ねて押し寄せる環境において、その巨大さは先程とは比にならぬ程の威圧感と戦慄を一同に齎した。
曇っていたとは言え、先程までちらほら見え隠れしていた太陽はもういない。時刻はまだ朝方だと言うのに天幕は暗く、澱んだ黒色に染まっていた。
冥界領域の紫色の空とも違う。天に墨汁をぶち撒けたかのような光を拒絶する漆黒は、不吉な予感と嫌悪感を発している。
足元から這い寄る激浪。容赦なく吹き付ける突風、鈍い痛みを肉体に残す豪雨。これはただの天変地異では無い、嵐と雷を伴った神の怒りだ。
(そうか…!さっきまで太陽の光に当てられても大帝が無傷だったのは、この世界改変能力があったからか!)
先程まで大帝が陽射しの下で活動できていたのはこの能力の一端によるものであったのだとハルトは理解した。
その理解と同時に、一瞬硬直する。
大帝の本領を見て。そして瞬きの間で変貌した周囲の環境を見て。
脳が、筋肉が、四肢が、血液が。コンマ数秒、完全に動きを止めた。
「……これが…シャーロック言ってた、大帝の本気、…か…!!」
「おいおいそうかよ…。しっかしまぁ、こりゃあ…あれだぜ…。流石の俺も、びっくらぽんだぜ…!?」
ハルトやアンデルセンは次々に畏怖の言葉を呟く。
嵐の中。豪雨と猛風で視界すらも遮られぬ中、唯一遮られることなくその場に構える大帝の姿に恐怖した。
荒れ狂う大海にどっしりと両の脚を突き刺し、微動だにせずに構える大帝の姿に恐怖以外の感情を抱けなかった。
シャーロックは作戦会議の時点でこの能力のことを皆に告げていた。
大帝は、彼自身が本領を発揮せねばならんと判断した時、力業だけで押し切って来るような人物では無いと。
大帝は己が力に慢心するような性格では無い。温存はすれど、状況が状況であれば奥の手を切ることも厭わない性格だ。
必ず世界創造の能力を使用してくると一同は覚悟していたし、その性能についても頭に叩き込んでいた。
されど、想定を遥かに越える能力の規模は、最早ハルトやアンデルセンにそれ以上の言葉を発する暇を与えない。
辺り一面が荒れ狂う大海に変わり、空からは雷鳴と共に豪雨が降り注ぐのだ。
今し方眼前に巻き起こった天変地異を目にして、一瞬たりとも硬直せずに攻勢を続けられる人間がこの世にどれだけいるだろうか?
天帝やジャック、それに並ぶ世界有数の実力者か。或いは一度この光景を見ている、そんな人物であれば動くことは出来るかもしれないが、戦闘経験の浅いハルトにそれは不可能だ。事前に情報を得ていたとしても、すぐさま動くことは出来ない。
ーーーしかし、そんな人物が、この戦場には存在している。
「…おうよ。さぁテメェら、正真正銘。こっからが正念場だぞ」
北方の智将シャーロック。彼はこの能力を知っている。どころか、一度身をもって体感している。
その規模。その脅威。その性能。その効果。強大すぎる力を持つ大帝との戦争を一度経験し、そして記憶している。
故にこそ、ハルトやクモナ、アンデルセン、ポチらはすぐさま体勢を立て直し、大帝へと向き直った。
シャーロックの存在。シャーロックの策略。大帝がどれだけ規格外であっても、それを越える頭脳が、かつての経験を引っ提げてここに立っているのだから。
「ほぉ。我を畏れぬか。否、誰も彼も、畏れて尚奮起するとは。やはりシャーロック。何か仕組んでいるな」
「当たり前だな。なんで無策でお前の前に出てこなきゃいけねぇんだ?自殺行為でしかねぇ」
「この状況と戦力差で、自殺行為で無いと宣うか」
「あぁ。言うね。ところで、お前はそんなのんびり突っ立ってていいのか?足元、注意した方がいいぜ?」
「何をーー」
シャーロックが大帝の足元を左手で指差す。
波濤が押し寄せてもまるで動じない両の脚を指し、何が起こると言うのか。
彼の言葉と行動は、大帝にとって釈然としないものであった。
脚元に響くこの振動は狂瀾怒濤の荒波によるものである。身体に打ち付ける暴風によるものである。そう考えているからこそ釈然としないのだ。
ーーー大帝は。よもやその震えの原因がシャーロックの策略によるものであるとは、微塵も考えなかったのである。
否、考えれなかったと言ったほうが正しいだろうか…。
どうあれーーー
——ドゴォォォォンッ!!
波音や突風の音に紛れて、鼓膜を突き破るような凄まじい轟音が轟いた。ビリビリと大気を震わす衝撃波が遅れて到来する。
波濤が一斉に跳ねると同時にハルトたちの視界は黒海に染まり、跳ね上がった海水が落ちると同時にとてつもない勢いで大地の底へと流出していく。
まるで栓を抜いたバスタブかのように、辺りを覆っていた海原は地盤を削りながら消失していく。
爆発が起こったのだ。大帝の脚元を震わせていた振動の原因は荒れ狂う海では無く、爆発の初期微動であったのだ。
大帝がそれを理解するよりも先に、天変地異によって変貌していた彼の足元は剥き出しの地盤へと戻り、帝国側の軍勢にとっては足場が復活する。
(これは…、いつの間に…?)
初撃でマヤウェルの爆撃を喰らっていたはずの大帝が、なぜ爆発が起こるかもしれないと考えなかったのか?何故爆弾を生み出す能力者が敵側にいると推測しなかったのだろうか?
何故。爆発によって、改変した環境が破壊されることを念頭に入れていなかったのか?
無理のない話だ。
大帝は念頭に入れていなかったのではない。マヤウェルの力を侮っていた訳でも無い。ただ忘れさせられていたのだから。
即ち、シャーロックの策略が、この大々的な環境変化の中で炸裂したのである。
その一端を担ったのは……、
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私は。私の人生は。思い返せば思い返す程に罪深く、思い返す程に吐き気を催す非道な人生である。
最初にこの能力に気付いたのは一体いつだったっけ。
確かあれは四歳を迎えた辺りのことだったと思う。まだまだ自我が形成されたてぐらいの頃。強制的に修練を詰まされ毎日血反吐を吐いていたあの頃。
苛烈なお父様の英才教育により能力に目覚めた私は、自身の能力を初めて知覚した。
初めはただ願っただけだったと思う。ぼんやりと呟いただけだったはずだ。
幼子が抱く、無垢な願いを、他の子供たちが願うのと同様に抱き、ふと声に出しただけ。
もっとたくさんのご飯が食べたいと願った。もっとたくさん眠りたいと願った。姉と共に寝たいと願った。兄と共に遊びたいと願った。雪ばかりのエルギンがもっと晴れて欲しいと願った。
修練の日々は最早自然であったためそこに私はほとんど違和感も抱かなかったが、痛いのは嫌だと。苦しいのは嫌だと。毎日こんな生活から逃げたいと口に出していたはず。
ーーーそして。純情故のそれらの願いは、すぐに叶えられた。
たくさんご飯が食べたいと願った次の日、お父様が隣国へ侵攻し支配した。
その国は食料自給率が八割を越える国家であり、その日から食卓に並ぶ皿の数々は増え、目に見えて豪華になったっけ。
たくさん眠りたいと願い、姉や兄と時間を共有したいと願った次の日は、お父様が病に倒れた。その後長きにわたってお父様を苦しめた病が初めて表面に出て来た日だ。
その日はお父様とその側近が全員不在のためいつもよりも修練は短時間であり、初めて十時間近く眠ったのを覚えている。
そのおかげもあって久方ぶりに姉と共に眠れた。久方ぶりに兄と遊ぶことが出来た。
幼かった当時、その一日は最も楽しかった日であふと言えるかもしれない。
国が晴れて欲しいと願った時には、奇跡的にエルギン本城の周囲のみ晴れたっけ。
その他の地域は史上稀に見る豪雪。数多くの家屋は潰れ、何人もの人が亡くなった。翌年の作物の不振ももたらし、年単位での被害が出た。
「アナスタシア。お前の能力は無限の可能性を秘めている。この我もここまで無法な能力は知らん程にな。
しかしそれ故に、我の許可なしでこの能力を使用することを許さん。お前が何か、人並みの願望を抱くことは許さない」
そう。ここら辺で私は気づき始めたんだ。
私が口に出した“願望”は数日の内にほぼ確実に叶えられると。だけどその代わりに、どこかの誰か、自分とは別の誰かがその跳ね返りを被ると。
奇跡は、無条件に叶うものでは無い。代価を払わず、何の苦労もなく、奇跡が成されると考えているのであればそれは大間違いだ。
大金持ちはその大金を得るため、間接的ではあるが人から財産を奪っている。自国領を拡大させようとしたならば、当然住まいを追われる人々や侵害される国家が発生する。王族が贅を尽くそうと奮起すれば、必ず一次産業が割を食う。
そう。幸福になる人間の裏には不幸を被る人間が絶対にいる。光があれば影がある。それが世界の原理だもの。
私の『奇跡の神』の能力も、例に漏れずそうであった。
そこら辺で私は願うことをやめたんだ。お父様もこの能力を理解していたから、私に“願うこと”を禁じた。
お姉様やお兄様に会うことも禁じられた。
もっともっと遊びたかったし、休みたかったし、みんなとお喋りしたかったけれど、文字通り口は災いのもと。それは絶対に許されない。願ったことで誰かが不幸を被ると考えたら、自然と我慢が出来た。
黙して、何も期待せず、希望せず。ただあるがままに日々を過ごした。
誰にも迷惑をかけないように。お父様から叱責されないように。静々と、感情を殺し続けた。
……けれど、消えなかったんだ。ただ一つ、消えない感情があったんだ。
その感情は恐怖。お父様への恐懼だ。震慄だ。この上ない畏怖だ。この感情だけは、どれだけ自分を律しようと消えることは無く、心の隅っこで、ずっと燻っていた。
お姉様に会いたい思いは封じ込めることに成功した。お兄様と遊びたい思いも封じ込めることに成功した。
食べたいものも我慢した。外に出たい気持ちも抑え込んだ。
どれだけ痛めつけられても、それは仕方のないことだと自分を納得させた。
けれどダメだった。恐怖は消すことは出来なかった。出来なかったんだ!
それで…。…それでエルギンは。私の生まれ故郷は。お父様が支配するこの国は。大事なお姉様とお兄様が暮らしていた国は。
私が「恐怖から逃げたい」と願ってしまったばっかりに、滅びたんだ…。
「お前確か、アナスタシア、だったか?」
「どちら…様ですか…。味方なのは勿論わかりますけど、私はあなたの名前を知らないのだわ」
「俺か。俺はシャーロック。お前の親父を殺して、エルギンを滅ぼした張本人だ」
冥界領域に突入した後、順調に作戦が進行した後。
お父様が復活し、崩落した城の跡で、シャーロックさんが私に声をかけてきた。
「今回の作戦は万事上手く進んだとして勝率は三割だ。良くて四割。五分には満たねぇ。本来であればこんな作戦、結構したくねぇんだがな」
「そう、なのですか…?」
「あぁ。だがその低い勝率を八割近くまで引き上げる方法がある。それがお前の能力だ、アナスタシア」
「私の…能力…。なぜ敵だったあなたが、そんなことまで知っているの…?」
「敵だから。だな。大帝の側近から情報は引き出していてな。随分と無法な能力を持った子供がいることは知っていた。
それに加えて先の地下牢での事案。現在お前の姉が致命傷を負って尚生きながらえている事案。それと一応もう一つの事案。これらを鑑みると、大方どんな能力なのかは想像に易い」
的確で、正確なシャーロックさんの推測。作戦会議の終わりに告げられたその推理。
確かにあの地下牢で私が記憶を取り戻した後、私は目の前のあの蛇女を殺してやりたいと願った。苦しいのはもう嫌だと口にした。
それの影響で私は一時的に光の力を会得し、あの屍人を滅ぼすことが出来たんだ。
…でも、それと引き換えにハルトは意識を失った。もしあの場で苦戦していたら、ハルトの命も失わせていたかもしれない。
大きな願いを成就させるためには、やはりそれ相応の代償を必要とするんだ。であれば、今回敵対しているお父様を倒すだなんて…
けれどそんな私の思案はまるで気にせず、シャーロックさんは話を続けた。
「お前が能力を使うことを避けているのも無理はねぇ。例えばエルギンが滅んだのも、お前らが隠れ蓑にしていた村が襲撃されたのも、お前の能力との因果関係を否定出来ねぇ。例えばの話、お前がハルトと二人になりたいだなんて願ってみたとする。そうすりゃ辻褄が合わないこともねぇな」
「…シャーロック!それ以上は…」
「黙ってろよぉハルト。別に俺はここでこの女を責めようって訳じゃねぇ。ただ、能力の使い方を教えてやるって言ってんだ。その上でやってもらいてぇことがあるもんでな」
「…能力の……使い方…」
ズキり。…と、こめかみが締め付けられるように痛んだ。
「そうだ。お前も薄々気付いているはずだろ。気付いた上で表に出したくねぇから気付かねぇフリしてやがるんだ。
大それた欲望は、デカい代償と引き換えに成就するってんなら、細かい欲望ならそこまでの副作用は無いはずだって気付いている癖によぉ」
「でも……、いや…。お父様を止めるなんて、ましてや倒すだなんて…、そんなの、無理なのだわ!それこそあなたの言う大それた欲望じゃない!私は…この戦いで能力を使いたく無い…!」
「ほぉ?」
「………怖い…、の…。もう、大切な何かを失うのは…。本当に、怖いのだわ…。だったらまた記憶を自分で消して、どこかへ消えてしまった方が気が楽よ!」
私はシャーロックさんに向けて、いや、ここにいるみんなに向けて想いを吐露した。
吐き出した。私の感情を。
ともすれば生まれ故郷を滅ぼしたかもしれない災厄の女の心情を。
ともすれば優しくしてくれた村の人々を殺させたかもしれない最悪の女の心情を。
潤む目端の方でハルトが歯噛みするような表情を浮かべている。
…あぁ、ハルトと私は似ているんだなぁってこの時思った。
でもやっぱり、シャーロックさんはそんなこと気にしない。
私に求めるものはそうじゃ無いと言わんばかりに首を振り、気怠げで、けれど真剣な眼差しで私を射抜いた。
「俺はそんなこと頼んでねぇなぁ?そんなに楽に終わるなら、何を代償にしてもいいから終わらせてくれよ。
いいか?俺がお前にしてもらいたいのはな。大帝の記憶の部分消去だ」
「記憶の…消去…?」
「やつの肉体を吹き飛ばすためには、そこの爆弾女と光の力の二つが不可欠だ。特に爆弾女は、戦いの最序盤と佳境においても役割がある。完全に緩んでいる大帝に向けた先制攻撃、そして世界創造の突破だな。
しかしそうなると、奴は当然爆弾女に警戒度を上げてくる。わかるだろ?」
「そうよ…。お父様は、認めたく無いですけれど凄く聡明なのだわ。でも、…だからこそ、どう言うことなの……?」
「だからよぉ、度重なる爆弾の攻撃は、俺が仕掛けたものと誤認させなきゃならねぇってことだ。最終盤、奴を吹き飛ばす手段が光の力を込めたあの爆弾だってことは勘付かれちゃならねぇ。
幸い、俺の得意とするトラップは爆弾でな。俺をよく知るあの大帝なら誤認してくれる。マヤウェルの存在を隠し通せれば、な」
「つまり……、マヤウェルさんの存在を認識しないように、記憶を消せ…ってこと?」
「そうだ。案外聡明じゃねぇか」
シャーロックさんはパイプを燻らせながら、煙を私の方へ吐き出して賞賛した。
「記憶を全部消すなよ?それじゃあ不自然さに大帝が気付いちまうし、何より代償がでかくなる危険性もある。やるのは爆弾女に関する記憶だけだ。それだけを願え」
「…それだけを……」
「あぁ。それだけだ。だが、その一つが勝利を手繰り寄せるもんだ」
「………」
そこまで言うとクルリと体の向きを反転させ、シェルターから出て行こうとするシャーロックさん。
対照的に、今まで少し遠くの位置にいたハルトが私の隣に来て肩に手を置いた。
落ち着く鼓動の音。体温。吐息。
隙間風で靡く薄いゴールドに近い白髪を、私はまるで太陽を見るかのように目を細めて眺めた。
「……あのさ。レンジもシャーロックも言葉が足りねぇんだけど、つまりアイツは、アナの能力が災いを呼び起こすものじゃねぇってことをここで証明しろって言いたいんだよ。何もアナは、大帝利用されるためだけに生まれてきた訳じゃあねぇだろ?」
「……えぇ、もちろんよ……」
「こんな言葉薄っぺらくて嫌だし、いつも助けられてばっかりだけど、俺、アナの気持ちはよくわかるんだ。…だから、一緒に頑張ろうぜ。俺にはさ、アナの力が必要なんだよ」
「………はい…」
ーーー私は今、必要とされているんだってこの時思った。
大事にしている人に、大切に思われているんだってこの時思った。
だから。きっと、その期待には応えなきゃ。
過去の呪縛をここで断ち切らなきゃ。自分の記憶を封じてまた逃げるだなんてとんでもない。明るい未来を、自分の手で勝ち取るんだ。
今度こそ、自分の能力を正しく使って、ハルトの助けにならなきゃダメなんだ!
よし、いける。今の自分には最高の正のエネルギーが満ちている。指先から足の先まで、すべての細胞が『やれる』と叫んでる。
不安は全て推進力に変わる。誰にも負けない、自分にも負けない。
「…やりますわ。ハルト。…私も、みんなを全力でサポートしますわ!」
「あぁ、心強いぜ!ようやく最高のメンバーが揃ったって感じだな!」
ーーーそうよ。ハルトの言う通り、最高のメンバーが揃ってる。シャーロックさんの作戦通りにいけば、お父様を打破することも夢じゃ無い。
私はここで、お父様を倒して。
…新しい人生を始めるのだわ。




