第五十話 帰還
ズゥン…。ズゥン…。ズゥン…。
「………っ!なっ…んだっ…。なんだったんだよ…、おおい!?」
地面から伝わる轟音に気付く。
ハルトが短い意識の途絶から目覚めると、そこは冷たい瓦礫の中であった。
大小様々な尖った石、岩。目覚めてそれらを見ていると、今し方何が起きたのか。さっきまで何をしていたのか。彼にはよくわからなくなった。
光景が違い過ぎる。破壊の規模が違い過ぎる。
さっきまで見ていた景色とまるで違う。
(…いったい…、何が起きてんだ…?何が起きたんだ……)
理解が追いつかない。冷たい瓦礫の鋳型に嵌め込まれた彼は、体よりも先に思考が止まりかけていた。
崩落。城が落ちたことは彼にもわかった。指を動かし、腕に力を込め、上半身を起こし。城壁だった瓦礫を力任せに払って立ち上がる。
(……骨は…無事か。身体も…なんか奇跡的に無事だ…。アンデルセンにやられたとこ以外は痛まねぇ。どーゆうことだ…、いや、それよりもこれは……)
上を見上げる。先ほどまでは天井があったはずだと。そうでなくとも、仮に天井が取っ払われたとしても、冥界領域のあの紫色の空があったはずだと。
しかし今では、それが無い。ほのかに明るむ曇り空が広がっている。奥の方に太陽の影が見える。陽光は降り注いでいないものの、これが通常の世界であるということはハルトにもわかる。
冥界領域が晴れ、今では普通の朝方の空と、悍ましいほどに異様な空気感が広がっていた。先程までとはまるで違う空気感が身に染みて感じられる。
屍人たちはどこへ?壁はどこへ?
あのうるさい程に響いていた鍔迫り合いの音は。砲弾が弾ける音は。絶叫は、敵を撃破した時の歓声は。どこへ消えたのか。どうして消えたのか。一瞬にしてハルトの頭へ、膨大な疑問が流れ込んできた。
ーーーしかし、その疑問は次の瞬間に解消される。
(…………、ま…じか…)
それは、恐怖だった。地響きと共に到来する。空気を震わせて見参する。空を裂き、大地を砕き、立ち塞がる悉くを破壊して進撃する恐怖。
人はそれを見て、何を思うだろうか。生物だと思うだろうか?これが自分たちの王だと思うだろうか?力とはかくあるべきと納得するだろうか?
否。否否否。誰もがそれを同じ生物だとは思わない。それを見ても、何かしらの正義の形は露ほども感じない。
彼は、災厄である。
少なくとも北方の人々からすれば、あの戦争を少しでも目にした人物からすれば。
ーーー大帝は人々に恐怖を振り撒く災厄である。
(…マジかよ…。間違いねぇ…、大帝が…復活したってか……)
起き上がったハルトは遠くを歩く巨人の後ろ姿を見てそう確信する。
エルギン本城と同等レベルの巨躯。更にはその身の丈と均整が取れるサイズの大剣。異様なまでに巨大な頭部。
最早岩塊と見紛うほどに屈強な双拳。巨木と見紛うほどに剛壮な両脚。
無骨で、異形で、堅牢で。大帝が動いていなければそれが生物とは思うまい。
かなり遠くにいるはずなのに、まるで目の前に仁王立ちされているかのような威圧感はハルトに足を竦ませた。
「……ト…!ハルトハルト…!ハルト!無事だったんですか!?…あぁ、ほんとに良かった……」
「っ!びっくりした!ポチか!?…そっちこそ、無事で良かったよ…」
立ち竦むハルトの後ろから、ポチが駆け寄ってくる。
ポチは本城崩壊後、ずっとハルトのことを捜索していたのだ。
大帝の復活により崩壊したエルギン本城。マリアが意識を失ったことで消滅した冥界領域。
インチマリンの頭脳を乗っ取っていたため石の神の力を行使できたシペトテックは、帝国軍の面々を崩壊する城から守り抜いた。
そうして大帝の脅威から身を隠すことに成功した訳だが、被害が全く無かった訳ではなく、外で戦っていた数多くの一般兵。そしてハルトは今の今まで行方知らず。
ポチを始め、帝国の面々は彼らを捜索することに心血を注いでいたという具合だ。
「ハルト…私たちはどうにか、シペトテックさんのおかげで崩壊から助けてもらったんです。でもハルトがいないから…、ローラさんのコネクトでも応答が無かったし…。またハルトと離れ離れになっちゃったんじゃ無いかって、…私は本当に心配で」
「…ん…、いや、ほんと悪い…。他の、他のみんなはどうなったんだ…?」
「…クモナさんは別でハルトを探し回ってます。他の皆さんは、シペトテックさんが作った石と穀物のシェルターに隠れてます。……。今、皆さんお呼びしますね」
ポチの応答に一人頷くハルト。
まさか自分の意識が落ちている間に皆やられてしまったのかと不安に感じていたものの、その期待が良い意味で裏切られ、ハルトはそっと胸を撫で下ろした。
されどポチの応答にあった妙な間。
それに違和感を抱きつつ、彼は皆が地下から出てくることを待つ。
するとすぐに、ハルトの数百メートル後ろの地面がゴウゴウと音を立てながら盛り上がり、砂埃を撒き散らしながら、まるで地面が裂けるようにシェルターの扉が開かれた。
「…ぉお、おー良かったハルトきゅーん。大丈夫かーい??」
「あ、マヤウェルさん。…それに」
「ん?お前が死んだんじゃ僕もマヤウェルも大目玉だからな。仕事で探してただけだぞ」
「シペトテックさんも。じゃあ、他の皆さんも中に?」
マヤウェルとシペトテックが先んじてシェルターの扉から出てくる。
しかし、ハルトの想像よりシェルターはだいぶ小さめだった。
流石に小さ過ぎるが、中からまだ誰か出てくるのだろうと考える。レンジやローラ、ベンケイ。まだまだ帝国軍の面々はたくさんいるのだから。
そんなハルトの表情を察したマヤウェルが口を開く。
「ふぅーん。小さいなぁって思ってるんでしょ〜?そりゃそうだよー、動ける一般兵はベンケイくんが連れてみーんな遠くに逃げてもらったからね〜。被害はあったけど、大多数は生きてるよー」
「あ、…なるほど。そりゃ、そう…っすよね。大帝が甦っちまったんだ。そりゃそうなる…。…で、他のみんなは…?」
「…そうね〜。ま、中を見てみると良いんじゃ無い〜?」
マヤウェルに促される形でシェルターへと向かうハルト。
彼がぼんやりとシェルターの入り口まで歩くと、後ろに控えていたポチがどうもバツが悪そうな吐息を漏らした。
(………?)
しかし、今はそんなこと気にしていられないと邪念を頭から払い除ける。
そうしてハルトは、シェルターの中を覗いた。
ーーーハルトの視界が捉えたもの。それは、
「……は??」
傷だらけのローラとレンジ。呆と座り込むアナスタシア。
そして彼女が血まみれの手で抱えている、
「マリア………。何で……」
「すまんな、ハルト。私たちが一歩遅かった」
数秒間、静寂が一帯を埋め尽くす。
予想外の光景を前に呆然と立ち竦むハルト。彼に対してレンジが状況説明をするべく口火を切った。
「俺の判断ミスだ。マリアは殺し切れず、アナスタシアが単身説得に望んだ。そしてマリアを揺らがすことには成功した。だが、その隙を突かれ大帝はマリアを強襲。支配から抜け出し、自由の身になった」
「ハルトも見ただろう?大帝の姿を。目覚めた大帝は我々に戦闘の意志が無いことを確認すると、進撃を始めたよ。どこへ向かったのかは不明だが」
「…いや…えっ、…でもコイツは…コイツはアンデルセンを殺したやつだ…。今回の動乱の元凶だ…!何でこの女を生かしてるんだよ!?」
大帝が甦ったことの顛末をハルトは理解した。その脅威も、凶悪さも、遠目であれど彼の姿を視認したことで理解している。
されど理解できないこと。それはシェルターの中にマリアがいて、簡易的とは言え治療が施されていることだ。
ハルトにとって、ひいては帝国全体にとってマリアは仇敵である。
反帝国同盟の一員であり、北方を恐怖に陥れた張本人。死人を使って転覆を企み、アンデルセンを殺した事実上の黒幕。そんな人物をこともあろうにレンジが生かしていることが信じ難いことであった。
ローラもレンジもかなりの強敵と激突していたのであろう。少なからず数日は再起不能の傷を負っている。とは言え、瀕死のマリアにトドメを刺すことはなんてことない作業なはずだ。
(…アナスタシアが抵抗したのか…?)
ハルトはそう考える。だがすぐにその考えは捨てた。
アナスタシアも姉が黒幕であり、倒されるべき対象であることは理解していたからだ。先ほどアンデルセンと対峙していたハルトのように逡巡や葛藤は少なからずあるだろうが、ハルト以上に大局を冷静に見ることが出来る人物ではある。
それに例え抵抗したとして、合理主義のレンジがその場にいるのなら無意味だろう。
即ち、彼女が生かされているのには別の理由があるのだ。
「…理解したか?この女を生かしておかなければならない理由を」
「………そうか。すぐに大帝を抑える手段が、それしか無いってことか…」
「そういうことだ」
ハルトは結論を出す。
目覚めてしまった恐怖の権化。そして傷だらけの帝国軍勢力。まともに戦える兵士はシェルターの防御に回っているシペトテックを除けば、ハルトにクモナ、ポチとマヤウェルの四人だけ。
となれば応援を呼ぶしか無いが、それまで大帝が進軍を待つ訳もなく、被害は毎秒単位で増え続けてしまう。応援が来るまで時間を稼ぐのは残された者の必須業務だ。
ならば、必要なのは大帝の精神を縛る強制力であろう。
マリアが持つ、屍人の主人たる絶対的な命令権。それが復活すれば多少なりとも大帝の歩みを遅らせることが出来る。
「冷静で助かるよハルト。ベンケイに帝国への伝達は頼んである。応援が到着するまで、我々は時間を稼ぐ必要があるだろう。
彼女を目覚めさせ、大帝を多少なりとも縛る。そしてそこからハルトの力を持って大帝の歩みを少しでも止める。それが最善にして、唯一の作戦だ」
「………あれを…?」
ローラの言葉にハルトは口をもごつかせる。
マリアを生かしたままにしている理由。それは納得できた。見知った中である姉を傷つけたく無いアナスタシアの気持ちも、痛いほどに理解できる。
そして現状も、取れる選択肢が大帝の足止めでしか無いことも把握した。
されどハルトに疑惑はある。それは目覚めたマリアがこちら側に確実につく保証があるのかどうかと、大帝を果たして足止めすることが可能なのかどうか。
「あれを…足止めか…。そんなのどうやるんだ、レンジ?」
「マヤウェルの渾身にお前の力を乗せる。他は脚を徹底的に攻める。体力の続く限りな」
「んなバカな…。いつものバシッと決まるような作戦は無いのかよ?」
「あの化け物は、美食家をそのまま山みたいなサイズにしたようなもんだ。小細工は当然通じない。曇り空とは言え陽の下を普通に闊歩してるとこからも、光の力もダメージソースになりにくいだろう。故に撃破は諦めた。それが合理的な判断だ」
「そんなの…じゃあ、これから大帝が踏み潰しにいく村は…街は、国は…いったいどうなるんだよ…」
「全てを救うことは諦めろ。責任は俺が取る」
ローラが腕を抑えたまま俯き、ポチがハルトの後ろで肩を落とす。
アナスタシアは依然として目覚めることのないマリアにか細い声をかけ続けていた。
マリアを討伐することの出来なかったレンジに責任があるだろうか。
否、それは違うだろう。
確かに見込みは甘かった。大帝がまだ甦っていないと考えたレンジは即座にマリアとアレクセイを倒せば問題ないと考えていたからだ。
されど、大帝は元々玉座の間に陣取っていたのだ。マリアは大帝を復活させていながら、その素ぶりをまるで見せなかった。レンジやシャーロックがそれを見抜けなかったことは失策だが、そもそも初めから一人で全てを負うべきでは無かったというもの。
とは言え、もし大勢で玉座の間へと侵攻していれば対抗処置を取られ、アレクセイすらも撃破出来なかったかもしれない。
となれば一般兵にも、城内侵攻組にも、今以上に被害は出ていたはずだ。あの瞬間においては、レンジ一人で暗殺を遂行しようとする作戦が正解である。
では、大帝が初め目覚めた時に倒せていれば良かったのか。
あの状況でそれは無理難題であろう。アシュラと激突しコネクトを切ったローラにも責任は無く、総員に伝達が遅れたのも仕方が無い。レンジやマヤウェルは少なくとも、最短ルートで皆へ大帝が目覚めてしまったことを伝えて回っている。
ならば、説得に向かってしまったアナスタシアに責任があるのか。
確かにタイミングは最悪であった。もし玉座の間にアナスタシア以外の帝国兵士が到着していれば。ともすれば説得と同時に大帝を撃破出来ていたかもしれない。アナスタシアに責任が無いかと言われれば、首を傾げる者がいてもおかしく無いだろう。
しかし、少なくともハルトにはそれを責められない。
身内を失う悲しみも、見知った人物を傷つけたく無い気持ちも、どれも大いに共感できる。それどころかつい先刻まで自分も抱いていた感情だ。故に、彼がアナスタシアを責めることは無い。
そもそも、この場で誰かに責任を追及したからと言って解決する問題では無いのだ。
絶望的に歯車が噛み合わず、その隙間で恐怖の権化が復活してしまったのだから。今出来ることは、その足止め以外には何も無いと言えるだろう。
だがそれは、エルギン近辺の街を見殺しにすることと殆ど同義で…
「クソっ…。せっかく、ここまで来たってのに…」
「ハルト…。私も、気持ちは大いにわかる。だけど、私たちが犬死にする訳にもいかないのだ。屍人の主人をこのまま野放しにすることは出来ない。奴を狩れる要素であるハルトを放っておくことも、出来ない」
ハルトは忸怩たる思いに唇を噛んだ。
今まで必死で戦ってきた成果も、各々が撃破した強力な屍人も、何もかも全て、北方の動乱を鎮めるための過程であったのに。
結果として北方は守れず、また多くの人々が死ぬ。
北方に恐怖が再来する。北方にまた血の雨が降る。
北方だけでは無い、もし足止めが叶わず応援が遅れれば、大帝は北方の外へも侵攻するかもしれない。あの巨体、日光だけでは滅ぼしきれないのかもしれない。
「時間が惜しい。俺は陣頭指揮しか取れんが、すぐに奴の足元へ向かうぞ」
「………」
歯噛みするハルトを他所に、レンジが作戦開始を告げる。
大帝の足止め。それをするしか無い。何度も反芻し、思案したが、今とれる行動は、一秒でも多く時間を稼ぐのみだ。
「ーーーおいおい、そんなに死に急いでどうすんだ」
そんな一同の耳に、男の声が入る。
ややヤンチャ気味で、しかし重たい威圧感とカリスマ性を備えたその声。
ハルトやレンジからすれば、かなり聞き馴染みのある声。それはーーー
「シャーロック!?」
「目の色が真っ当なのに戻ったなハルト。ま、ようやく俺も真っ当に戻ったとこだ。今の今まで、コイツが叩き起こしに来るまでは意識取られてた」
「…ワ、トスンも。それに、クモナ!!」
シャーロックの隣に控える白騎士ワトスン。そしてその背後に控えていたクモナの姿を見て、ハルトは声を上げる。
そう。屍人の主人が攻撃されたことで支配から抜け出したのはシャーロックやワトスンも同じだ。クモナと戦闘中だったワトスンも無事味方サイドに戻ってきている。
シャーロックは元より敵に回らぬよう自分で自分の肉体を縛っていたためエルギン本城での戦闘では見られなかったが、ここにきて漸くその自我を取り戻した。
「なんだレンジ。てめぇが投げやりになってどーすんだよ。確かに大帝に小細工は通用しねぇが、小細工じゃなきゃいい話だろ。少しは考えやがれ」
「…これまで姿を現さなかったと思えば、小言を言いにきたのか?」
レンジを責め立てるシャーロック。自分に責任があると考えるレンジが、それに対して憮然とした表情を浮かべることは無かったが、彼の言葉の裏に何かしらの真意が隠されていることは理解した。
故に待つ。シャーロックの次の言葉を。
シャーロックは「なぁ?」と隣のワトスンに一言声をかけると、そのまま言葉を続ける。
「いいか?なんも考えねぇなんてのはリーダー格の奴がやっちゃいけねぇんだよ。てめぇはもう前線にいても役にたたねぇんだからよ、全力で頭を回しやがれ」
「……何が…言いたい?」
「あぁ。頭を使わねぇ、一直線に突っ込むなんて役割はなぁ。一人いれば十分だってことだよ」
「………。ーーーっ!」
シャーロックの背後、ワトスンとクモナのすぐ後ろからこちらへ歩いてくる人影が現れる。
のしのしと。随分と自信満々に肩で風を切りながら歩いてくるその姿は、帝国側の人物であれば誰もが見たことのある光景だ。
一足早く、その姿を視認しているマヤウェルは「ヒュー」っと口笛を吹き、クモナはハルトと目を合わせ、口端を上げてほくそ笑んだ。
「よぉし!起きたぞ!そんであれだ、ぜーんぶ身体が再生して何よりって奴だ!!ほんじゃまっ、そう。シャーロックの作戦どーりに、あのデカブツをぶっ飛ばすとするか!!」
聞き馴染みのある声。そしてどこか懐かしい声がハルトの耳に入り、彼の眼がその姿を映す。
涙で滲む視界にも、風に靡くオレンジ髪は綺麗に映っていた。
「ア……アンッ、デルセン!!!!!!!!」
「おうハルト!あれだっ、久しぶりってやつだなっ!」
ーーー生前の約束通り、オレンジ髪の快男児がここに帰還した。




