第四十八話 復活
「それで…何が言いたいの、アナスタシア?」
ローラとレンジがアシュラを撃破するより少し前。ジェントリーを踏破したマヤウェルとポチが上階へ急ぐ中、当の玉座の間ではマリアとアナスタシアが対峙していた。
自我の無い大帝を背後に控えさせ言葉を綴るマリア。
多くの屍人が消滅していくのに反して、彼女は泰然自若としていた。
それは大帝がいるから故だ。彼女は実の父である大帝によって暴虐の限りを尽くされていたが、その戦闘力は誰よりも理解している。
結果的に北方大戦は痛み分けとなったものの、大帝によって齎された人的被害や破壊状況、及びそれに伴う報復の凄絶さは、マリアが一番近くで見てきていたと言って過言では無いだろう。
苦肉の策とは言え、そんな大帝を甦らせたのだ。最早負けはあり得ない。誰がこの場にいたとしても勝利を確信してしまうだろう。
ゆったりとした語り口調に、強張らぬ表情。瞼を薄らと下ろし、マリアは丁寧にアナスタシアの理解を求める。
急ぐ必要は無かった。大帝がいる以上、黒白を争った戦いの末路は既にわかっているから。
声を荒げる必要も無かった。アナスタシアは血縁であり、実の妹であるから。マリアは、自身の理想を妹が理解出来ぬはずがないと考えている。
ただ、現実はうまくいかない。
それどころか、アナスタシアは徐々に徐々に、マリアとの距離を空けていった。
「おねぇ様…。それは、本気で言っているの…?」
物理的にも、精神的にも距離を取ったアナスタシアが、緊張した面持ちで口を開く。
「もちろんよ、アナスタシア。…思い返してみて。私たちは幼い頃、何をされたの?あの戦争は、何故止まらなかったの?それにあの戦争の後、何が起きたの?」
「でも、それが…それがおねぇ様がこんなことをする理由には…」
「なるわ。どれもこれも、私に力があれば解決できたことよ」
アナスタシアの提言に、キッパリとノーを突き立てるマリア。
その目に曇りは無く、迷いは無く。まるで赤子にものを聴かせるかのように平然と妹と向き合った。
「例えば私に力があれば貴女がお父様に虐げられることは無かった。アレクセイが飢えることも無かったし、私たちは国での生活を保証れていた。
例えば私に力があればお父様を止められた。暴走するあの人を静止することが出来た。もっと言えば北方で生まれた被害を事前に防ぐことが出来た。
例えば私に力があればアレクセイは死ななかった。アレクセイは死ななかったし、カーシンも死ななかった。アナスタシア、貴女が私の元を離れることも無かった。きっと兄弟揃ってここで幸せな人生を築き上げることが出来たはず」
「そんなの…。…それは白昼夢です…。おねぇ様に力があっても、また違う不幸が起きていたかも知れないのだわ…」
「いいえ。白昼夢では無い。事実よ。
いい、アナスタシア?運命は不可逆に独り歩きするものでは無いわ。力ある者ならば、運命は手元に置ける。不幸な運命に進むのを防ぎ、幸福な未来を手繰り寄せることが出来る。お父様を見ていればわかるでしょう?力ある者が運命の、ひいては世界の手綱を握れるの」
マリアは後ろ目に、背後の父の姿を一瞥する。
一時は世を支配したその強靭な肉体。恐ろしい程に盤石な精神と、そこから生み出される悍ましいほどの強さ。誰がどう見ても、彼が北方を席巻したのはその強さ故であろう。
だからこそ、マリアのロジックも間違っていないように思えた。
確かに現状の世界の手綱を握っているのは紛うこと無く天帝である。彼は敢えてそれを語ることはしないが、世界最強が世界の実権の殆どを掌握しているのは事実であり、力ある者が自らの道理を通せるのは必然なのである。極言してしまえば、力ある者が採る行動は全て正しい。
ーーーただそれは、力ある者によって虐げられる命を鑑みなければの話。
大帝やマリアの理想には、それによって犠牲になる人々が算段に含まれていない。
「……なら、…そのためなら、おねぇ様は北方の人々が虐げられてもいいの…?」
「必要な犠牲であると考えているわ…。どんな理想も、どんな平和も、犠牲が無ければ成り立たないのは当然よ。私が北方を掌握し、力を得るためのにも犠牲は必要だった」
「でも!そんなのダメなのだわ!!大勢の誰かを虐げた上でようやく成り立つ平和なんて、平和じゃないですもの!」
「いいえ…必要なことよ。もっと言えば、これから必要にしていくの。ここまでの犠牲を無駄にしないためにも、私は勝たなきゃいけない。帝国を退け、反帝國同盟を利用し、悪魔教団も破壊して、全て、私の手で収めなければならないの」
北方の全権掌握。これ以降、自分たちのように不当に虐げられる存在が生まれぬよう、全ての運命を自らの手で管理する。それがマリアの野望であり、理想であった。
そのために先ず、北方を蹂躙し、全ての実権を手にしなければならないのだ。
「……じゃあおねぇ様は…屍人によって、死んでいった人たちにどう、接するのですか…?屍人の被害に遭った人たちには、何て声をかけるのですか…??」
「全員に理解して貰おうとは思わない。コレが最善であると行動で示すつもりよ。だけどもし、それでも被害を訴えかけてくるのであれば、私は相応の対価を差し出すわ」
「…じゃあ、その時は…」
「運命を正しい道筋に定めるまではまだ死ぬ訳にはいかないけれど、必要であれば私の能力で…」
「ーーーっ!」
水を打った様に愕然とするアナスタシア。
彼女は思わず、半歩後退りした。
姉の発言。それはアナスタシアにとって姉との決定的なズレを感じる一言であった。
まだ話が通じると思っていた。ゆっくりと説得すれば一歩退いてくれると思っていた。帝国の兵士たちが無闇に血を流すことなく、戦いは終結するものだと思っていた。
だと言うのに、先に追いやられたのはアナスタシアの方である。
(……そんなの、……そんなの…っ!)
が、その直後。何か思い立ったかの様にグングンとマリアの元へと近寄るとーーー
アナスタシアは平手でパシンと、マリアの頬を打ち据えた。
「ーーーー。……え、…アナスタシア…?」
「やっぱり…やっぱりおねぇ様は間違っています…!!!」
ここまで冷静だったアナスタシアがこの日初めて、声を荒げて慟哭する。
「そんな訳ない!!おねぇ様がそんなこと言う訳ないですもの!!犠牲になった人たちを甦らせたらそれで終わりだなんて、償いはそれで終わりだなんて!そんなことあり得ないのだわ!!家族を無くした悲しみも、身体を痛めつけられた苦しみも、一番おねぇ様がわかってるはずでしょう!?」
「…だから、それを無くすために…私は」
「それを無くすためにコレだけの犠牲を生んで…それじゃあ何にもならないわ!平和のための犠牲は想定されても、いかに少なくするかを考えるべきです!!」
平手打ちの直後、アナの思いの吐露は堰を切ったように流れ出す。
アナは、自身もダッキに凌辱された経験から悲痛な思いを口にした。
ふと、考えてしまったのだ。犠牲はつきものだと発した姉の姿に、過去の凌辱を。
あのダッキに、苦しめられた人がどれだけいるのか。北方の蹂躙が一時的に必要なのだとして、あの所業は姉の理想とはかけ離れた場所にあるのではないかと。
そして、今も階下で闘い続ける帝国軍の兵士たち。無論、犠牲は増え続けている。神格者の屍人の多くは打破したものの、全体的な戦力にて劣る帝国の兵士たちは、劣勢を余儀無くされていたのだ。
そんな誰も彼もが命を散らしているこの状況で、「必要であれば甦らせる」と述べた姉の大きな“ズレ”。
されど、マリアにその不自然さはわからない。彼女の精神はあの日、アレクセイが暴徒に殺され、自身も虐げられたあの日既に、大きくズレてしまっていたのだから。
それ故に、マリアもアナスタシアに対抗するように言葉尻を強める。
「…じゃあ…!どうすればいいの!?私みたいに力の無い者が自分の理想を成就させるためには、何を捧げればいいの!?何も捨てずに、苦しみの無い世界なんて作れないの!だったら手段を選んでいられないじゃない!」
「だからって、不用意に人を傷付けていい理由にはならないのだわ!!おねぇ様の苦しみも、理想への心持ちも、理解出来る!でもその手段が間違っていると言っているの!」
脳裏にハルトの姿を浮かべながら言葉を続けるアナスタシア。
ハルトとマリアの、平穏や平和を求めるその姿勢は確かに同じである。
が、どれだけ虐げられようと、どれだけ苦渋を舐めさせられようと、何度打ちひしがれようと、何度心を砕かれようと。それでも毎回立ち上がり人を救うハルトの姿は、手段を選ばず道理を押し殺して他を排斥するマリアとは正しく真逆であった。
もし今、アナスタシアがマリアの思想や手段を是としてしまったならば、手の届く距離の人々が虐げられないために、奥歯を噛み締め、必死の思いで戦うハルトを否定することになるだろう。もっと言えば、彼を助けようと身を呈したアナスタシア自身も、自分で自分の行動を否定してしまうことになる。
いくら血縁深い姉が相手であっても、それだけは出来なかった。
「……誰も死なずに、誰も虐げられない世界を作ろうだなんて、そんなの夢物語よ。光があれば影がある。大願の裏には、恐ろしい程に積み重なった死がある。貴方が理解してくれなくても…私は、やるわ。これ以上、私たちのように虐げる人々を生まないために!」
「いいえ、いいえ!犠牲になる人も、運命も、何もかも人が決めていいものでは無いです!!運命に抗うのは正常な形よ!でも、運命を掌握するのは人の身には重すぎるのだわ!!おねぇ様は…神様にでも、なるつもりなの…?」
「神…いいえ。そんなに崇高なものにはなり得ない…。私の理想が正しいことは結果で証明するとして、その過程で恨まれることも、疎まれることもわかっている。故に、悲願を叶えられるなら私は悪役でもいい。…私は…、悪魔にでもなるわ」
「っ…、悪魔…そんな…。おねぇ様…」
ごくりと生唾を飲む。舌戦の末、姉から出てきたワードは、この世の中において何よりも忌避されるものであったからだ。
悪魔になる。その言葉の重みは、姉の覚悟の表れであるとアナスタシアは理解した。
既に崩れた精神故、極限まで追い込まれた故に、力で運命をも掌握すると言う極論に行き着いたマリア。彼女はリスク全てを理解した上で尚、その歩みを止めようとはしない。
北方の人々に憎悪の感情を向けられようとも、帝国の大軍勢に攻め立てられようとも、例え悪魔の如く、世界に仇なす存在になろうとも、後退することは万に一つもあり得なかった。
例え愛する家族であるアナスタシアが真っ向から理想を否定して来ようとも、それだけは譲る訳にはいかないのだ。
何もかも、ここで終わる理由にはならなかった。
ここで歩みを止めてしまえば、今までの犠牲が全て水泡と帰す。北方の人々の犠牲も、この戦いで失ったものも、これまでの人生すらも、全てが無駄になってしまう。
アナスタシアと同様に、当然ながらマリアも譲れぬものを持ち、この場にて立っているのである。
相反するのであれば、力を持って屈服させるしか無いことも、目的を譲れぬことも、どれも開戦前からわかっていたことだ。
「……。お願い…どうかわかって…アナスタシア」
ーーーされど。マリアの意志は、崩れた精神の上に置かれた、言わば薄氷の上の覚悟でしか無い。それを証拠に、マリアは疲れ果てたかのように、懇願した。
ここまでの問答でそれを察していたアナスタシア。彼女は…
「………いいえ。いいえ出来ません。おねぇ様がどうしても、どうしてもこのまま突き進むと言うのなら、私が、おねぇ様をここで止めます!」
「……どうして…」
「どうして…?そんなの、決まっているじゃ無いですか」
スゥっと息を吸い込む。そして涙ながらに、一つの言葉を吐き出した。
「だって私は…、おねぇ様の妹ですから」
「…っ……」
玉座の間にて姉妹を包む空気が、一変して揺れた。
「…おねぇ様が教えてくれたことです……。間違いを正せるような人間になってねって。例えそれが家族でも。…いえ、家族だからこそ止めなきゃいけない時があるって」
「違う…、あれは…お父様に対して言ったことよ…」
「…違いません。私は今のおねぇ様のやり方はお父様と同じだと思うのだわ。けれど、あの時と違うのは止めることが出来ると言う点です。私には支えてくれる友達がいる。仲間がいる。みんなと一緒におねぇ様を止めることが出来ます」
手を差し伸べる。すぐに掴み返してくれるとは思わない。そうでなくてもいい。
けれど、どこかでまだ、自分のことを思ってくれているのなら、いつかはこの気持ちが届くとアナスタシアは確信している。
理想のために自我を捨て、他者を排斥し、憎き父と同じ道を進む。その選択を取った姉を自分なら止めることが出来ると。
そんなアナスタシアの対面、黒い十字架を持っていたマリアの右手が緩んだ。
表情の強張りも消え、どこか、二十四歳の女性らしい顔つきに戻っていく。
揺らいだのだ。心が揺らいだ。気持ちが揺らいだ。脳がシェイクされたが如く思考は纏まらず、動揺は肉体へと波及した。
ブレるはずの無かった決意が、覚悟が、退路をたったはずの自分の未来が。あらゆる不退転だったはずの意思は、薄氷がひび割れたことでグラグラと揺曳する。
言うまでもなく、彼女が北方を動乱に陥れた理由は家族だ。もう二度と母を殺された時のような思いはしまいと。もう二度と妹と離れ離れになった時のような思いはしまいと。もう二度と弟を失った時のような思いはしまいと。そう決心して今回の蹂躙に踏み切った。
しかし、弱点もまた家族なのだ。愛する家族。何より、この世に唯一残された妹の言葉は、揺らぐはずが無いと思っていた芯の部分を大きく震わした。
「………ぁ、でも…私、は…」
アナスタシアの言葉に応えようと頭を回転させるが、マリアは言葉を吐けなかった。先ほどまで散々に吐き散らかした思いも、今では喉元につっかえて出てこない。
言葉は形を成さずに喉を焼く。呻くように、喘ぐように吐息を洩らす。
今更立ち止まれない。だが、妹の涙ながらの激情の発露を無碍にすることも出来ないのだ。
故に葛藤があった。ここまでやった自分が、一人だけ救われるような選択を取れるものなのかと懊悩した。
「……おねぇ様…。もう、一人で抱え込まないで。その思いも、罪も、全部私も一緒に背負うのだわ…」
姉に対し、アナスタシアはその身を抱き寄せようとそっと両腕を広げる。
迎え入れる準備は出来ていた。
姉が許されざることをしたのはわかっている。自身の友人にとっては仇敵であることもわかっている。ともすれば自分もその被害を蒙った。
けれど今だけは、自分だけは姉の味方でありたいと、アナスタシアはそう思うのだ。
最早言葉は必要無い。ここにあるのは海よりも深い、姉妹の血の轍である。
アナスタシアの意図を汲んだマリアは、その姿勢に応えるように一歩、また一歩、妹の元へと歩き出す。
「アナ…スタシア…」
「おねぇ様…」
二人の距離が更に近付く。
立場で言えば敵同士。そんな二人が手を取ろうとする。肩を抱き寄せようとする。北方の動乱が終焉を迎えようとする。
血塗られた姉と忘却から帰った妹が抱き合った時、屍人の脅威は消え去るであろう。
ーーー
「ーーー本当に、愚かな娘だ」
「…お、ねぇ…様…?」
だがしかし。脅威は、消え去らない。
マリアとアナスタシアが、望んでいた形で抱擁を交わすことは無かった。
背後から大剣で背を斬られ、血を噴き出すマリアの肉体。
崩れ落ちる彼女の身体を抱え、慟哭するアナスタシア。
マリアの精神が揺らいだことで弱まった屍人への支配力は、自我を封殺していた強制力は。
…一人の男を、完璧な形で解放した。
「痴愚、愚劣、浅薄。よもやこのような人間に余の血が流れているとは考えたくもない」
大剣を振り翳し、力無くもたげるマリアに近寄る。
じっとその背後に立つと、自身を睨みつけるアナスタシアを一瞥し、その後、一人で玉座に座った。
「…しかし、案ずるな。貴様に北方を統べる力が無いことなど、元よりわかっていたこと。余が代わりに支配しよう。
ーーー今度こそ、地平全て余のものである」
北方における恐怖の化身。
ーーーイヴァン大帝。完全復活。




