第四十七話 祓狂
とある国に、著名な貴族がいた。その貴族の家柄に生まれた齢十にも満たない男児。父は人格者。尊敬と信頼。そして財力を兼ね備えた一流貴族の元、何不自由なく育っていく。
しかし男児は、自意識を持った頃。全てに絶望した。
その理由は彼の能力にある。
『狂気の神』。目を合わせた者に自身の狂気を伝播させ、更に被感染者伝いにも狂気が広がる。
それは病に似ている。最早止まらぬパンデミック。能力の使用者であってもそれを制限すること叶わず、自制不能な狂気が無限に広がっていく。
ある程度自我を保てる人間であれば抗うことは可能である。しかしそれは戦地に長いこと身を置き、精神の震撼に慣れ。計略、裏切り、甘言。あるゆる経験を踏んだ戦士であればこその話。
一般市民が狂気へと対抗することは極めて難儀な話である。
男児が絶望したのは、やはり能力の野放図さであった。
とある日の夜。彼の暮らす国の国民は、一人残らず狂気に感染して死に絶えた。幸か不幸か、周辺国家に伝播するより先に狂気は途絶えたが、国は確実に崩壊したのだ。
男も、女も、老人も、子供も、関係ない。親が子を殺し、子が老人を殺し、老人は狂気に呑まれて身を投げる。延べ数万人が一夜の内に悲惨すぎる末路を迎えたその事件は瞬く間に周辺国家、ひいては様々な組織に知れ渡る。
いつしか男児はその所業と、あまりの残虐さに“国堕とし”と呼称されるに至った。
それが戦争や災害によるものでは無く、自らの力によって引き起こされた事象だと知った時、かの男児は何を思ったのだろうか。
何をすれど止められず、抑え難く抗い難い狂気の流出に、彼はどんな感情を抱いたのだろうか。誰にもそれはわからない。
しかし、確かに男児は絶望していた。その能力の性質と、奪ってしまったモノの重さに。
そして男児は、心を壊したと言う。
そこからの人生は孤独で、陰鬱そのものであった。
孤独を埋めるために各地を転々とし、数多くの命を破壊し、数多くの文明を破壊した。
彼を利用しようと画策した裏社会の人間たちは、悉くその能力の餌食となって死に絶えた。彼を討伐しようと躍起になっていた団体も、その意気込み虚しく返り討ちにあった。
男児は孤独を癒すために人を求めるのに、求める度に数多くの命を自動的に奪ってしまうジレンマ。いつしか彼は、人を殺すことが心の隙間を埋めるために必要なことであると壊れた頭で解釈してしまう。
さて、それがどんな結果を齎したか。
火を見るよりも明らかである。
男児が二十になる頃には、諦念に沈み、自暴自棄になり、捨て鉢になっていた。
どうあれ人を蝕んでしまうのであれば最早仕方が無いと諦め、数多の命を進んで奪い始めたのだ。
「お前の孤独は、それを救わなかった者のせいだ」
そんな最中、突如、目の前に現れた無骨な大男は彼にそう告げた。
「どどど、どーゆうことなんだ…えぇ?えぇえ??私に何のようなんだよぉ……!私が何をしたって言うんだよぉ〜!」
「…お前の力は、人を守るために行使できたはずだ。だが、それを教えることをしなかった。誰もお前に手を差し伸べなかった。帝国は、お前の存在が手に余ると判断して殺しにかかった」
「っ…。何を言ってるんだ…あぁもう全然わかんねぇよぉ…!わかんねぇわかんねぇ!てか…、何であんたは私と会っているのにおかしくならないんだ!?早く一緒に…こっち側に来いよ、なぁ!」
人の域を出た強靭な精神力を持てば彼の能力は無効化出来る。しかしそれは、今まで彼と出会った何者も成し得なかった正しく神業。
目が合っても尚精神が微塵もブレない目の前の男に、彼は言葉を失い、瞠目したものだ。
ーーー同時に、この目の前の大男はこの世で唯一、自分の理解者になり得るかもと頭に理想を浮かべた。
「あああ、あんたは…一体どこのどいつなんだぁ!?教えてくれ…!じゃなきゃダメだ!仲良くなれない!あんたは一体誰なんだよぉ!!」
「俺は反帝国主義の団体を率いている、オアシスと言うものだ」
「ははは、反帝国主義ぃ…?聞いたことがある!あるぞ!粒揃いの神格者を揃えて帝国に戦争を仕掛けている連中がいるって聞いたことある!!」
反帝国主義。現存する反帝国同盟の前身。
現在の天帝 オメテオトルの二代前。その時代の天帝は強大化する悪魔教団に対抗するべく世界中を手中に収め管理統率。自らの手で采配を振ることで教団の撲滅を望んだ。
が、その独裁的な姿勢は各所からの反発を招き、やがて反帝国主義の団体が萌芽していた。
しかしながら帝国勢力は強大であり、独裁的な天帝が病に伏した後にも、その規模が衰えることは無い。
故に団体はスカウトのため、狂気の男へと近付いてきたのである。
「どうだ、私たちと共に来ないか?お前の孤独も、我々なら癒すことが出来るはずだ」
「私の…こここ、孤独、を…」
「そうだ。悲しむ必要はもう無い。お前の本来の幸福を取り戻そうじゃ無いか」
「こここ、幸福…幸福かぁ…味わったことないなぁ。うん味わったことが無いよぉ…。それは一体、どんなものなんだぁ……??」
「そうだな。まずはお前を否定するものを全て殺すといい。先にお前を峻別したのはあちら側だ。手を差し伸べなかったのはあちら側だ。ならばお前には怒る権利がある。お前にも強弁する権利がある」
ーーーそうして、狂気の男はオアシスの手を取った。
反帝国主義による蹂躙は、彼の加入によって更に熱を帯びていく。
やがて帝国軍と反帝国主義の戦争が最終局面を迎えた頃、狂気に一矢報いようと剣を取ったのはーーー
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「つつつ、次は何をしてくれるんだい…?楽しみだなぁ楽しみだ…。目を閉じたまま何かしてくれるのかなぁ!」
「気が散るから黙っていてくれないか?…あぁそうか、やけに無駄なことを喋るんだったな貴様は」
「ひひひ、酷いことを言うなぁ…。早くこちら側に来た方が楽だろぉ?楽だよねぇ。そうじゃないかぃ!?」
「っ。誰がっ、狂気になど落ちるかっ!」
ローラの抜刀術を軽く躱し、逆手に持ったナイフで攻撃を仕掛けるアシュラ。しかし実戦経験に長けたローラは視界を閉ざしたままでそれを防ぐ。
額、首、胸、脚。あらゆる部位を狙ったアシュラの攻撃もすんでのところで防ぎ続けた。
アシュラの戦闘スタイルに型など存在しない。ただ狂気のままに刃物を振るい、ただ思うがままに攻撃を繰り返す。
故にそこに洗練された武の強みは存在せず、逆に武を極めたローラにとって、視界を封じたままでも相対することが可能な動きではあったのだ。
されど、当然一筋縄ではいかない。ローラは音や体温を頼りにアシュラと戦うが、その間に隙は存在しなかった。攻撃に武の重みが無いとは言え、アシュラは神格者の上澄みに位置する実力者。抜刀術を得意とするローラにむざむざと納刀する隙は与えない。
狂気に染まり、ギアを上げ続けるアシュラについていくことは容易では無かった。
得意の抜刀術も、視界を閉ざして聴覚に神経を集中させている以上、本来の速度は出せやしない。
ローラは息を整えつつ、冷静にアシュラの攻撃を防ぎ、逆転の機会を伺った。
前回、アシュラをどう打倒したか。それを思い返しながら、刀を握る手に力を込める。
「けけけ、結局、やることは君の師匠と変わらない、ね…。刀を振るだけって、ちょっとね。ちょっと、芸がなさすぎる気がするけどさ…そうじゃない?そうだよね?」
「その刀に命を絶たれたのが貴様だろう?気を抜いてくれているのなら助かる、今回は私がお前の首を斬ろう」
「わわわ、私を殺したのは君じゃなくて君の師匠じゃ無いかぁ。君の!師匠じゃないかないかぁ!!おおお、女に私がやられる訳無いのに!何を言っているのかよくわかんないなぁ…」
以前ローラは、師と共にアシュラと対峙し、そしてローラ以外はアシュラと相打ちになる形で殉職している。未だその頃の記憶が新しいアシュラは女性であるローラを下に見て、飄々とした表情で戦闘を続けた。
逆にローラは本来冷静ではいられないはずだ。
師の仇。かつての部隊の仇敵が再び目の前に現れ、更にその狂気はローラの矜持を侮辱する。動揺と憤りを覚えて仕方が無いだろう。
(と、思われているのだろうな。だが、こんな男に揺らがされる程、柔な鍛え方はしていないっ!)
されどローラは、精神を磐石な状態に保ち続け、冷静にアシュラと向き合った。
彼の攻撃を的確に防ぎ、攻めるべきタイミングで要領良く攻める彼女は、かつての対戦経験を確からしく活かしていると言えるだろう。
かれこれ数分続く一進一退の攻防。どちらも危うい状況がありつつ、しかし継戦不能となるような傷は負っていない。軽口をたたき、得物を振るい、お互いの消耗を虎視眈々と狙っていた。
双方共に、どのタイミングで仕掛けるべきか考えあぐねていた訳だ。
ーーーそんな中、遂に戦況が動き始める。
ズズズズズズ……
二人の死闘の最中、部屋の床が、壁が、天井が。ジワジワとその形を変え、蠢いた。
床は滑るように横へ流れ、壁の凹凸は刻一刻と変貌していく。石の一つ一つが意思を持ち、まるで生物のように群れを成すこの状況。
そうこれは、インチマリンの石の神の能力。巨石群動であった。
帝国の一団を分断した際と同じ技。前回と違うのはこの能力を行使しているインチマリンの状況であろうか。
今回、石の神の力を行使しているのは彼の意思からでは無い。彼の脳を穀物の種子によって支配するシペトテックが、城内部の形状を元の形に戻していたのである。
「ななな、なっ、なんだよぉ…折角さぁ…。折角のいいとこだったのにさぁ!!なんで元に戻しちゃうんだよぉ!?」
(城内が…元に戻っていく…。これは敵を撃破したと見て良さそうか?)
視界を閉ざしていようと胎動する部屋の振動、石の擦れる音は感じ取れる。それらによって城の形状が元に戻っていくのを確認するローラ。
アシュラの動揺も感じ取った彼女は、この変化は戦況が好転している証であると推測した。
一時的にアシュラから距離を取るローラ。狂人アシュラはそのまま一直線にローラへと突貫するが、ローラは揺れる部屋の中でも淡々と攻撃を防ぐ。
「ななな、なんだよもう!もうもうもう!!なんでみんな拒むんだ!?わわわ、私は!仲間が欲しいだけなのに!!」
「甦ってもズレた思考は変わらんか。一生一人でやっているといい!」
抜刀したローラの刀がアシュラの頬を掠める。
最早情緒も無く、涙ぐんだ瞳で意味不明なことを宣うアシュラは狂人以外の何者でも無かった。膂力は凄まじいものの、単調さを増す戦闘スタイルはローラの敵では無い。
そうしてしばらく経った頃、扉も無く、窓も無く、敵を分断させるために閉鎖されていた空間は、元の形に戻っていた。
閉鎖空間からの解放。それはつまり、また別の策を講じることが出来ると言うこと。
ローラは石の胎動の終わりから、城の内部が元に戻ったことを確認する。
そして更に、付近に在る仲間の反応も感じ取った。
(この気配は…)
ローラはこの部屋へと近付く仲間の気配を掴むと、一時的且つ部分的に思考のコネクトを再開させる。
城内の形状が元に戻り、互いの援護をしやすくなったこの状況。されどそれはアシュラの狂気が外部へと流出する可能性のある一利一害の局面であるとも言える。
即ち、今ここへ向かっている仲間の助けのみでアシュラを狩り切る。その心づもりでいかなければ万が一があり得ると言うことだ。
今、ここに馳せ参じようとしているのはローラの直属の部下。第二部隊の精鋭五名。最初の分断の際に「いつでも殺せる」と言う理由で捨て置かれた五名が、石による監禁から脱出してすぐ、ローラの元へと向かっていた。
となれば、より連携の練度は高く、この場でアシュラを討伐せねばと焦るローラの目論見も達されようも言うもの。
ローラはアシュラの攻撃をギリギリのところで防ぎながら、コネクトにて仲間へと指示を出した。
(サトウ、お前たち兄弟は私の後方から照射器による援護を。カイソンは足場を破壊。イセ、お前は揺らいだ敵の足をすぐさま斬り落とせ。カメイは後方から敵の肉体を鎖で拘束。いいな!)
(承知!)
頬や腕にナイフによる切り傷を増やしながらも、どうにかコネクトを繋げ続けるローラ。視界を封じているにも関わらず、五名の部下と思考を繋げると言う行為はあまりにも無謀であり、心の臓を突かれかねない危うい場面が多々見受けられるようになってきた。
だが、五名の部下も当然、アシュラと相対する際には目を閉じる。ローラのように視界を閉じての戦いに慣れていない以上、誰か指示系統が存在しなければ満足に連携を取ることはおろか、即座に首を切られておしまいであろう。
即ち、ローラのコネクトは無理をしてでも繋げ続けなければならない。思考の共有こそ、正しく命綱であるのだ。
「…ね、ななな、なんか、部屋が元に戻ってからすっごい動きが鈍くなってきたね…え、え、え?ももも、もしかしてもしかすると、何か企んでる…?やっぱり!?やっぱりか!?!?」
緩慢になるローラの動き、そしてその違和感に、アシュラも何かを疑い始める。
部屋が戻った瞬間から綻びが生じ始めたローラの戦闘スタイル。その姿を見て、アシュラはより一層ヒートアップした。
(っ、コイツ!パワーとスピードが急激に…!)
「ななな、なんかっ、ずっとよそ見してるみたいじゃない!?目も開けてないのによそ見って!はは!!あ、…やっぱり!そういえば君の能力ってなんかなんかさぁ!ちょっと特殊だったよね!!もしかして……。あ、でもそんなのどうでもいいかぁ!!」
「ーーーっ!!」
ドスリ…。遂に凶刃がローラの肉体を捉える。
寸前で身体を仰け反らせ、運良く臓器への損傷は免れたものの、その切先はローラの利き腕上腕骨辺りを貫いた。
奥歯を食い縛り苦悶の表情を浮かべるローラ。腕をつたい流れ出る赤い血液。今まで頬や腕に負っていた切り傷とは違う、確実に筋肉を深く引き裂いた裂傷。
更に利き手を獲られたことで、これ以降、抜刀術の精度も速度も、威力でさえも、全て大幅に減衰することは間違いなかった。
膝を曲げ、体制を崩す。アシュラは反撃の素振りが無いのを見て、グリグリとナイフを奥へと食い込ませた。
突き立て、抉り、ギリギリと痛覚を増長させる。ローラは思い切って前蹴りを喰らわせるが、狂気に呑まれ痛覚が鈍っているアシュラはびくともしない。それどころかもう片方の手でローラの首を掴み、その顔へと噛みつこうとした。
狂人。その在り方は自由奔放。想定外の方法で想定外の苦痛を与えんと動く。それを成し得る高い身体能力も相まって、アシュラは対人戦闘においても脅威的な記録を残しているのだ。
五感の一つを封じたローラでは対処不能であるのは自明の理である。
だが、
「…あぁ、助かったよ。お前が狂人で」
逆にローラはアシュラの襟元を掴んで引き寄せ、その場にアシュラを拘束する。
その数歩後ろの背後には、ローラの部下であるサトウが既に立っており、アシュラに向けて蓄光型紫外線照射器を構えていた。
ローラの五人の部下が、戦場である部屋に到着したのだ。
「えええ、なになになに…!?何が起きてるのコレ!?」
後ろからアシュラを捉えるカメイの鎖。そこから逃れようともがく前にカイソンの大槌が部屋の床を中心から砕いた。
立て続けに、アシュラの脚を斬り落とすべく放たれたイセの刀。ローラと同様の抜刀術を習得した彼の一刀はアシュラの脚を断つことは叶わなかったものの、彼の膝裏の腱を正確に断ち切る。
次いで放たれた照射器の光をどうにか屈んで避けるアシュラであったが、その動揺は計り知れず、続く五人の蓮撃を躱すので一杯一杯だ。
「総員、畳み掛けろ!!」
ローラの声が部屋に響き渡る。
同時に第二部隊の五人は続け様に攻撃を放った。
鎖による拘束を解けど、大槌が上から飛来する。それを防いでも続きで繰り出される刀の一閃と照射器の光線。城内侵攻組の武具には光の力が宿されており、一撃一撃がアシュラにとっては致命傷になり得た。
更に痛みを隠忍させ、抜刀を繰り返すローラ。その連携は凄まじく、毎秒単位でアシュラを追い詰める。
各々が視界を封じているものの、それぞれが感じ取った感覚、音、気配を共有しているため、最早目を閉じていることはデメリットにならない。
利き手とは逆の手で無理やり振るう刀も、アシュラの首を獲るのにそうそう時間はかからないだろう。
同じ部隊にて約十年以上切磋琢磨し合った六人が、一斉にアシュラへと飛びかかる。
目の前からローラの刀が、直上から大槌が、遠方からは光線が、足元には鎖が。四方八方を塞がれた彼に、既に逃げ場は無い。
ーーーはずであった。
「っ〜〜!?!?なっ…ぐっぁあっ、なんて…奴、だっ!!」
五人が驚愕し、ローラが歯噛みする程の衝撃。
膨張したアシュラの肉体から弾け出た狂人の瘴気が溢れ出した。
「るるるるる…るるるるるるる……。ききき、狂気は…どこからでもやってくる……。あなた方の瞼の裏にも、こんにちはこんにちは。わっわっ」
「……こっ…いつぁあぁああっ!!!くっ…隊長…精神が…呑まれそうだぁあ!!!」
「っ、堪えろ!カイエン!!」
最早目を合わせずとも関係無い。瘴気に触れると強引に彼の狂気に染められる。
瞼の裏に侵食していく黒いモヤ。黒い斑点。じわり、ぞわり。震えを伴う悍ましい狂気が精神を汚染した。
その先に待つのは無論、発狂だ。増長する殺意。失われる正気。生者に怯え、震え、害される幻覚を脳裏に描き。自らを守るために対象を攻撃しては、その後全ての道程を忘れて自傷し始める。
発狂はただただ目の前の生物を傷つけ、最終的には自身が崩壊するまで暴走する、あまりにも人としての尊厳を忘却した姿を呼び起こすのだ。
何とか自我を保ち、狂気に呑まれるのを防ぐローラであったが、部下たちはそうはいかない。
武器を手放そうとする者。互いを攻撃しようとする者。ギリギリでそれを堪え自制するが、それも長くは続かない。
六人の動きは止まり、アシュラの凶刃が辺りを蹂躙し始めた。
「さささ、さぁ!さぁさぁさぁあー!始まるよ!狂気の世界が!!広がるぞ僕の世界が!ありがとう!るるるららら〜!!!」
頭上に弧を描くように振るわれた最初の一撃はカイエンの大槌を見事粉々に粉砕。礫を蹴り飛ばし彼の表皮を抉る。
空中でもんどりを打った後、続く足元への一撃でカメイの鎖は破壊され、更には背後にいたイセの腹部を着地と同時に貫いた。
アシュラは着地して膝を屈めると、破壊した鎖を両手に持ち替え、ローラやカメイを打ち付ける。ローラの居合により直撃は免れたものの、刀が削れ、肉が抉れて、骨まで露わになるような獰猛な攻撃は三人を痛めつけた。
その威力は人を打った鎖が一撃で粉々になる程である。
自らの精神を抑え込み反撃を仕掛けるローラ。されどナイフに持ち替えたアシュラの凶刃は彼女の刀の刃こぼれを見逃さない。
刀の先端をへし折ると、次ぐ一撃はローラの左顔面を掠めた。
視界が赤く染まる。否、黒く閉じていく。
左側頭部を狙ったナイフの一閃は運良く頭を切り開くことは無かったが、左眼球を瞼の上から横一文字に斬り裂いた。
「っ……くっ…そ!!」
「うううう、わわわぁ…。痛そう…痛そうだねぇ!痛そう痛そう…早く楽になろぉ!痛そうで可哀想で見てられないなぁなぁなぁ!!!!」
「ふざけっ…るなっ!!」
折れた刀で、猛攻を続けるローラ。しかしながら、狂気の増したアシュラの身体能力には遠く及ばない。
元より右肩の抉痛に、鎖による骨まで達した赤紫色の鞭痕。そして先ほどの左眼球の裂傷。傷だらけのローラがアシュラと対等にやり合うなど無理難題だ。
だと言うのに、狂気は刻一刻と一同を深く蝕んでいく。既に五人の精鋭たちは狂気の侵食と深手によって立つこと叶わず、ローラとてその精神はもって十数秒。
この狂気はアシュラが今回のために体内で調合、そして急造した狂気であり、神格者及びそれに準ずるものに特化したもの。ローラは勿論、ローラの能力によって身体能力が大幅に向上し、神格者と同様の力を持つ五人にも覿面の効果を及ぼしていた。
即ち、ローラたち第二部隊に打つ手は無い。毎秒単位で膨張していく狂気と、向上する敵の戦闘能力。対して帝国側は毒に侵され衰弱していく状況。
仮にコネクトを先程のように帝国軍の兵士全員に繋げれば、今ローラたちを蝕んでいる狂気はそのまま伝播してしまう。故に、援軍を呼んで打破すると言うことも出来なかった。
万事休す。そして、アシュラは勝ちを確信した。
「ううぅ、うははは!!あばばばばばば!!!!さぁ、みんなで一緒になろ!!ね!ね!!一緒になれば怖くないし寂しくないしそりゃもー最高さ!らららっ、らっ、やった!やったねいぇーす!!」
がくりと体制を崩したローラの首を、狂人のナイフが掻き切ろうと迫る。
「チっ、チっ、血血チっ!!こっから始まる!狂気の時間!ななな何もかも噛み合わない!けれど寂しくならない時間が!ここかららぁっ、始まーーーっ。っあ…????」
ーーーが、その刃はローラへと届かなかった。首元を引き裂こうかとしたその瞬間、血に染まったナイフはガラリと地面へと落ちる。
ナイフだけでは無い。その柄をがっしり握っていたはずの右腕が、肘から纏めて斬り落とされていたのだ。
状況が飲み込めず、ただでさえ焦点の合っていない目をギョロつかせるアシュラ。
その目は確かに、背後に忍び寄っていた男の影を捉えた。
「……、これが限界だ…。次は無いぞ…」
「…あぁ。助かったよ。レンジ隊長」
レンジの姿を後ろ目に捉えたアシュラ。再び瘴気を放出し、レンジ諸共辺り一帯の生物全てを呑み込もうと画策する。
しかしレンジにその瘴気は効果が薄い。
何故なら、彼はアレクセイによって、神格者としての身体能力、特殊能力、ひいてはあらゆる肉体の強化が既に消滅させられていたから。
レンジの身体は、一般人のそれと何ら変わりない、平凡なものと化していた。
それが功を奏するとは、アレクセイと対峙していた時のレンジは思うまい。されど、対アシュラとの戦闘においては、思いがけない功績を齎した。
「さっさと殺れ。ローラ」
「了解した」
「そそそほそそっ!そんなバカなっ!?!?」
レンジの鞭剣により腕と背中を斬り裂かれたアシュラ。彼が次の一手を繰り出すまでも無く、その首は
ローラによって振るわれた折れた刀によって宙を舞うのであった。




