第四十四話 姉妹喧嘩
「さぁー、かかってきなよ〜。もーこっちは怖いもの無しだぜ〜?」
トムを宝石爆弾にて撃破後、マヤウェルは改めてネズミの黄金龍に向き直り挑発する。
わざと肩をすくめ、微笑を絶やさず、それでいて退屈そうに相手を値踏みするマヤウェル。
当のネズミは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてマヤウェルへと進路を変えた。
「きさま〜〜この女がぁ〜!!」
ネズミの黄金龍が猛進し、飛来する。空を轟音を立てながら飛ぶ姿は正しく巨龍そのものだ。
「黄金で形どっただけのハリボテ」と人は言うが、そうやって馬鹿にしてきた連中をネズミは必ず踏み潰して殺してきている。
先刻、マヤウェルはネズミのことを“蛇”と呼び侮辱した。ネズミにとって本気にならない理由はもうどこにも無いのだ。
どうあれあの女は殺す。そう決心して巨龍は翼をはためかせる。
「貴様はぁ〜!肉片すら残さずに擦り潰してやります!!」
「へぇー、出来るの?君に。金ピカも宝石君も大してやってること変わらないんじゃなーい?」
「っ私を!あんなバカと一緒にするな!私をあんな偽物の宝石なんぞで惑わせると思うなよぉ!!」
猛々しく叫ぶと、ネズミの口腔に熱が集まった。さながら噴火前の火山口の如く膨張した巨龍の口からは、金を一気に溶解させることで得たエネルギーが弾ける瞬間を待っている。
そして発射される黄金の熱線。ゴウっと言う音と共に弾き出された熱線は、一直線にマヤウェルの元へ向かい、彼女の肉体を溶かそうと空気を震わせる。
比べるならハルトの光線よりも遥かに早く、対人での戦闘においては殺傷力も凄まじい。神格者とて、その熱線を喰らったならばその肉体は溶解し崩れ落ちるであろう。
マヤウェルはその攻撃に一瞬瞠目し、「そんなことも出来るんだね〜」と言葉を発するが、されどいつも通りの飄々とした調子を崩さない。
ゆっくりと胸元に手を突っ込むと、奇怪な形の爆弾を一つ取り出した。
「なんだ〜!?そのチンケな爆弾は!!」
「チンケでしょ〜?でも、君の攻撃を防ぐことぐらいなんてことないんだぜ?」
ネズミがチンケと馬鹿にしたのも無理は無い。その形はマンゴーの種のような平べったい爆弾であり、およそ殺傷力の高いものであるとは思えなかったからだ。
しかし、向い来る熱線に向けて放たれたその爆弾は静かに胎動すると、やがて煙を立てながら破裂する。
その爆発は扇状に広がり、そしてマヤウェルを守る防壁のように斜め前へ向けて拡散した。
爆風が、そして熱波が。マヤウェルから見て前方へと噴出し、大地から噴水かの如くマヤウェルへの攻撃を防ぐ。黄金から生み出された仮初の熱線など、その爆発からしたら恐るるに足らず。爆発の奥で、泰然とした態度を崩さないマヤウェルは笑みを浮かべた。
それに対し、ネズミの黄金龍は硬直する。トムの宝石の攻撃ならまだしも、よもや圧縮した熱線までも防がれるとは予想していなかったからだ。しかもそれを防いだのが珍妙な形のただ一つの爆弾だと言うのだから、ネズミは侮辱された気がしてならない。
プライドをズタズタと侵害されるネズミ。されど冷静に彼は状況を整理する。
この敵は小手先の攻撃で致命的なダメージを与えられるような人物では無い。自身の持てる全てを使わねば勝てる敵では無いのだと。
彼女を確実に殺すためには、どんな爆発にも耐え得る硬度、そして彼女の肉体を砕く程の強度を持った鎧が必要だった。
そう判断するとすぐに、龍の形を模っていた黄金は泥のように溶け、やがて形を変えていった。
「……仕方がない…。勿体無いが、貴様には見せてやろう〜この私の財力の象徴。即ち!最硬にして、最煌の私の姿を〜〜!!」
肉体を這い回る液状の黄金。頭部を大きな顎が上から包み込み、頭部、胸部、四肢など、次第に黄金の鎧が形成されていく。
やがてネズミの肉体は全てギラギラと光り輝く純金に包み込まれ、派手で、大胆な鎧兜が完成した。
「金陀美具足」
成形された姿は正しく黄金の巨兵だ。二メートルを越えたその肉体。常に流動し軽量化された黄金は全身に纏えど動きやすく。されど黄金龍形態と比べて金が密集しているため硬度は数倍。
黄金龍がその巨大な体躯で大多数を蹂躙する形態だったのに対し、この黄金人型は一対一に特化した形態。攻撃性能、そして防御力共に爆発的に跳ね上がっている。
「なーんか、動きづらそー。そんなんで私とやり合うつもりなの〜??」
「その薄ら笑いが続くのも今だけですよ!見てなさい!この形態の俊敏な動きを!!!」
そう言うと、ネズミは一気にマヤウェルと距離を詰める。
ネズミの言葉通り、黄金に纏われた身体はマヤウェルの予想より遥かに機敏に、そしてスムーズな動きを見せた。
彼の黄金人型は見た目に反して機動力も抜群だ。流動し続ける黄金は地面を弾き、波に乗るように大地を移動する。ネズミは黄金の神の能力、その創意工夫によって、頑強さとは裏腹に小回りのきく動きを可能にしていた。
マヤウェルをネズミの黄金の拳が襲う。蓮撃はマヤウェルに爆弾を放つ暇を与えない。
マヤウェルは徐々に徐々に後ろへと押されていった。
「ほらほら!もうあなたの体を我が拳が貫きますよ!爆弾を放ったらどうです!?」
「そんなことしたらさー私が巻き込まれちゃうだろ〜??」
「でしょうね!!ですがそれならっ、もう用はありません!とっととくたばりなさい!!」
一気に優勢になり得意げな表情を浮かべるネズミは、右腕の黄金を肩部から変形させ、複数の腕を作り出した。
多少なりと腕の防御力は下がるが、マヤウェルが爆弾を放つ暇がないのなら全く問題は無いと判断。彼女の逃げ場を無くし、増やしたい拳で上半身をぶち抜くつもりだ。
およそ八本の黄金の腕が連撃を繰り出す。
「…おっ、お〜?」
更に追い討ちの如く、ネズミは地中を這わせていた金でマヤウェルの脚を固定。
ネズミの金は液体状から固形化まで数秒を要さない。敵に気づかれず地面や地中を掘り進み脚を絡め取ることなど造作も無いことであった。
「さぁ!!ではっ!仕舞いですよ〜!!!」
マヤウェルの目の前にて振り上げられた無数の拳。黄金色の拳の雨が今まさに降り注ぐ。
ネズミは、既に彼女の息の根を止めてやったと言わんばかりに勝利に陶酔し、目を輝かせ、そして込み上げる笑いを抑えきれずにれ悦に入った。
ダンマリを決め込むマヤウェルも、ここまで両者の温度差があることを鑑みると、敗北を受け入れているように見えてしまうだろう。
しかし、
カチリ。
「ーーーは???」
ネズミが踏み込んだ右脚の下で、熱が膨張する。
気の抜けた声。それとは裏腹に、けたたましい音で地雷が爆発した。
「なっ、にぃぃ〜〜〜!!!???地雷だと!?貴様!自分が踏んでしまうかもしれないと言うのに、いつの間に!?」
「…あのさ〜、君は私をナメ過ぎてるんだよねー。私の能力が爆弾の形状を変えるだけだと思った〜?爆発の規模を変えるだけだと思った〜?違うよ、私は爆弾の形も、爆発の規模も、爆発の指向性も、爆弾の大きさも、爆弾をどこから生み出すかも、何もかも自在なのさー。
君の足元に、黄金を内部から圧迫するような爆弾を作ることなんてー、マジ造作も無いことなんだよな〜」
「じゃあっ、貴様のこの爆弾は、今、私の攻撃を避けながら…!」
「ま、そゆこと〜。なんか君は私を狙撃手がなんかと勘違いしてるよねー。近付けば怖く無い、みたいな。でもそんな訳ないじゃん。爆弾を使うような荒々しい人間はね〜、むしろ近接戦闘の方が得意なんだぜー?」
地雷によって動きが停止したネズミを万力で殴り飛ばすマヤウェル。
一見するとだらけきった印象を与える彼女だったが、その真価は接近戦での獰猛さと苛烈さにて発揮されるのだった。
それに対し、ネズミはギリギリと歯噛みし、肉付きのいい顔を黄金から覗かせる。
「くっ…なるほど…なるほどなるほどなるほど!!確かにっ!!実践経験豊富なあなたを侮っていたかもしれません!!ですが!あなたの爆弾には屍人を殺す機能は備わっていないようで!!僅かに私の黄金にヒビを入れただけのようで!!!」
確かに、地雷は驚異的である。脚の裏の常に流動している部分を狙い、内側からのネズミの肉体を破裂させてネズミの金陀美具足にヒビを入れる。破裂を免れた頭部で悠長に敵を罵るものの、頭部以外の場所はぐちゃぐちゃで人間体であれば確実に致命傷だ。
しかし、今のネズミは人間では無く屍人。となればたかが爆弾一つで死ぬことは無い。
先ほどのトムとの戦闘もそうであったが、屍人との戦いでは。あくまで爆弾は補助的な役割しか成さないのだ。
特にヒビを入れられたとは言え、依然金の鎧を纏うネズミには蓄光型照射器ではダメージを与えられない。
マヤウェルの地雷攻撃にそこまでの驚異的ではあったが、黄金を纏っている今、彼女の存在は依然として脅威では無いのだ。
(そうです!こんなもの、大したこと無いではありませんか!!所詮私の金を貫通させることも出来ない!!ここまで有り金全て叩いたのです!当然と言えば当然!!驚きはしましたが、肉体が再生したらそのままこの女をぶち抜いてーーー)
そこまで思案したネズミは、マヤウェルの冷笑を目にして再び動きを止めた。
「ーーーはぁ、だからさー。君は私を含め、色々甘く見積もりすぎなんだよね」
「!?」
マヤウェルが発した言葉。真意のわからぬ言葉。
ネズミにとっては負け犬の遠吠えにしか聞こえぬその言葉の裏の意味に気づく間もなく、ネズミは肩の部分に強烈な痛みを覚える。
「なっーーー!!!」
「ヒビは入れたからねー、もういけるっしょ?」
ネズミを背後から奇襲した人物。それはベンケイであった。
ハルトによって光の力を付与された薙刀をネズミの肩部に入ったヒビへと振り下ろす。そしてメキメキと金を剥がすように薙刀に力を込め続け、やがて袈裟斬りのように腹部まで到達した刃はネズミに耐え難い痛みを与えた。
そう。ベンケイ一人の力ではネズミが全財産を注ぎ込んだ金の鎧を破壊することは叶わない。
しかし、ヒビが入り、それを修復する前の状態であれば、ベンケイであっても有効打を与えられた。
「ぐぅっ!ぁあああああっ!!!おのれ貴様如きにぃぃぃぃぃ!!!」
「…貴様は、いい加減死んでおけっ!!」
薙刀がネズミの肉体を斜めに一刀両断する。断末魔を上げながら斬り伏せられるネズミには最早抵抗する力は残されていなかった。
金が粉微塵に砕けるのと同時に、その肉体もパラパラと塵となって消えてゆく。
北方一の資産家と言われたネズミの最後は、黄金色の煌びやかな山では無く、灰色の薄汚い灰であった。
「おのれぇ〜〜!!!私の金を、無碍に扱いやがって〜!!!!」
最後まで金への執着を口にしながら消えてゆくネズミ。潔く消えるなどと言うことは無く、さりとて自身の命を惜しむことも無く、結局どこまでいっても、彼は自身の財産のことしか頭になかった。
それを見てマヤウェルとベンケイは憐れみを瞳に宿す。
「金なんか使ってなんぼなのに、どこまでも醜い男だったね〜。まぁー、私にはどうでもいいことなんだけどさ〜」
「…そうですね。とりあえずは、マヤウェルさん。ありがとうございました」
「いいってことよ〜。そっちこそ、来てくれて助かったかな〜。私一人だったらもう少し時間がかかったかも。まぁ苦戦はしないだろうけどー」
「流石です。…とは言え、まだ戦争は終わっていない。私はすぐさま階下へ戻ります。ではっ」
「はーい」
ネズミを撃破した勝利の余韻に浸ることなく、すぐさま階下の戦場へと戻るベンケイ。
槌や大剣、薙刀等、武器を大量に背負って走る後ろ姿を眺め、「真面目だね〜」とマヤウェルは呟く。
「さて、私はどうしようかな〜。このまま城外をサポートしてもいいんだけど、城内も大変そうだしね〜。でもコネクトが切れちゃったから状況わかんなんいんだ……ーーーん??」
そうして今後の行動を思案するマヤウェルが動き出そうとしたその瞬間、ふと、違和感を感じる。
それはドス黒く、されど巨大で厳格で。
異形の化け物を前に恐怖するような、しかし強者を目の前に武者震いするような。そんな感覚を彼女は抱いたのだ。
普段から超然とした態度を崩さないマヤウェルが、冷や汗を顎へ垂らした。
(なに…これ…)
そしてマヤウェルは目にする。城の上部の天窓に近い部分。階下を覗くために設置されたであろうステンドグラスの窓を突き破って落下する人影を。
「…レンジきゅん!?」
勢いよく地面へと向かうレンジの肉体。彼であれば落下途中に何かしらの対抗策を講じるであろうが、問題はそこでは無かった。
玉座の間にて何が起こったのか。誰が、レンジをボロ雑巾の様に放り出したのか。あのレンジを成す術無く離脱させる膂力を持つのは一体何者か。
そこでマヤウェルは理解する。先ほどの悍ましいオーラ。そして突き落とされたレンジ。
繋がった。繋がってしまったのだ。一体何が目覚めたのか。城外の神格者を狩り、優勢だと思っていた彼女の脳は、最悪の展開を予測してしまった。
彼女はすぐに飄々とした面持ちを捨てて城へと走り出す。城外の戦闘も確かに混戦状態ではあるが、まず真っ先にどうにかしなくてはいけないのは城内であると判断したからだ。
自分がいたとてどうなるかはわからない。が、戦闘経験が豊富で、且つ感知能力に長けたマヤウェルは敵の脅威を真っ先に感じ取っしまった。そうなればもう、駆け出さずにはいられないだろう。
「……コレさ〜、すぐに行かなきゃ流石にまずそうだね。レンジきゅんも…みんな、まだ生きてるよね???」
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マリアは焦っていた。
それは目の前の敵に対してでは無い。戦況全体に対してだ。
目の前の敵、レンジは、鞭剣を駆使してマリアへと攻撃を仕掛けてくる。その速度、技術共に並々ならぬもので、神格者としての特性を消滅させたからと言って油断のならぬ敵で間違いない。
マリアは弟アレクセイのためにも眼前の敵を必ず殺すと誓ったが、それもすぐには叶いそうに無いと判断するほど、レンジの猛攻は激しさを伴っていた。
とは言え、それこそ油断さえなければ敗北は有り得なかった。
能力を失い、更には身体能力まで通常の人間のそれに戻ってしまったレンジは決定打を持たない。二振りの鞭剣は蛇のように予測不能の動きをするため厄介ではあるものの、そもそもの基礎戦闘能力で優っているのなら恐るるに足らず。マリアにとってレンジは一筋縄ではいかないものの、それほどの脅威では無かったのだ。
だからこそ焦燥を抱くのである。屍人側が劣勢のこの状況に対して。
城内に侵入してきた敵は分断に成功した。そしてそれぞれに有効な屍人の元へとその身を運ばせることも成功した。
が、そのすぐ後にワイルドハントの消滅を確認。城外ではトムの消滅を確認した。その他の屍人は健在であるものの各戦場拮抗した状況である上、ネズミも劣勢であると認識している。
このままではまずい。そうマリアが感じるのも無理は無いだろう。万が一、今いる屍人が全滅したならば自分がレンジを殺したところで意味を成さない。
(アシュラを城外へと行かせるべきだったか…?いや、アイツの能力は敵味方関係なく作用する病に近い厄災だ。あの場に置くことが最適なはず…しかし、であれば…)
「どうした。考え事か?」
「……黙れ」
無言のまま時が過ぎる。
優勢だと感じているマリアは眼前の敵が油断ならぬものの、すぐさま首を取れる状況であることは理解している。劣勢に立たされているレンジは逆に、このまま攻め続ければマリアを狩れると得心している。
互いに互いのことを心中では認め、そして見下している。もっと言えば先を急いでいる状況。
このままではまずいと。この敵を真っ先に狩らねばならぬと両者並々ならぬ思いで武具を振るった。
特にレンジはコネクトを切断されたことで仲間の戦況を知れずにいるため、先を急ぐと言う意味ではレンジの方が上であろう。
そのため、屍人を生み出している元凶が目の前にいるにも関わらず討伐できていないこの状況に忸怩たる思いを抱いていた。
階下の戦闘音は激しさを増している。その音は彼を駆り立て、鼓舞し続ける。
(一時はどうなるかと思ったが、肉弾戦では現状互角だ。このままいけば…獲れるぞ)
拮抗した戦場に可能性を感じ取るこの一騎打ち。二人の戦いはそこから静かに、爆発前に胎動する爆弾の如く進行した。
やがて、戦況が動く。
「っ〜〜!!!」
鞭剣に気を取られたマリアの腹部を、レンジの強烈な蹴りが打ちつけた。
後ろへと激しく吹き飛ばされるマリア。勢いよく壁に叩きつけられた彼女は背中に響く痛覚に顔を歪ませながらも、視界だけはレンジから逸らすことがなかった。
城壁が砕け、石が散り、玉座の間に震撼が走る。
無論、レンジの猛攻は止まらなかった。
この機を逃すことを彼はしない。ようやく入った攻撃へ畳み掛けるように走る斬撃。容赦なく繰り出されるそれをマリアは手元の十字架で防ぐが、しかし防ぎ切れぬ斬撃は腕や脚の皮膚を裂いて回った。
(っ…このまま、では…!)
流れる血液と、脳を刺激する痛覚で自身の劣勢を悟るマリア。
弟の仇を取らねばならぬのに。二度と苦しみは味合わぬと誓ったのに。襲い来る敵を撃墜する必要があるのに。それすらも叶わぬ自身の力不足を彼女は嘆いた。
(…最早…手段は選んでいられないか)
マリアは次の手段を模索する。全体的に劣勢のこの状況、如何にして目の前の敵の首を取るか。
アシュラを城外へと向かわせ一人勝ちを狙うか。
否、最悪の場合自分自身も狂気に感染する。そうなればマリアの一人勝ちでは無くアシュラの一人勝ちであろう。彼には閉鎖空間で敵を狩らせるのが的確だ。
インチマリンによって城内空間を更に改造するか。
否、既に敵の分断は済んでいる。そしてそれぞれ勝ち筋もある。みすみすそれを手放すのは至当な選択では無いかもしれない。それにマリア自身が玉座の間から離れるのはまた違った面でリスクがある。
では、神核を解放させ、一気に盤面をひっくり返すか。
否、マリアは確かに強力な神格者ではあるが、肉体や能力の練度で言えばアンデルセンと同等。その状態で神核を解放させたところで、末路は目に見えている。十中八九、アンデルセンのように肉体が崩壊して仕舞いであろう。
ーーーでは、どうするか。
マリアが取れる残された手段は、今や一つであった。
マリアの動きを察知したレンジは、更に鞭剣による攻撃、或いは徒手空拳による猛攻の勢いを増す。
彼女の狙いは疑う余地も無く、九分九厘アレであると判断したからだ。
玉座の間の端に堂々と鎮座する礼拝堂。その直下にて黒々と禍々しいオーラを放つ一つの霊柩。死を囲う黒い器。中身に反してあまりにも矮小な、しかして荘厳な漆黒の棺桶。
手段を選んでいられなかったマリアがこの決戦のために、おそらく数日前に用意したのだろう。シャーロックが把握出来ていなかったこともそれならば納得出来る。
そして甦らせた際のリスクも考え、まだ、中身は死体のままなのだろう。ハルトの感知に引っ掛からなかったのならばそうとしか考えられない。
即ち、マリアに触れさせなければその脅威は表面化しないと言うこと。
「そう見え見えの一手。俺が見逃すと思うか?」
神格者としての利点を失ったとは言え、その行動を見逃すレンジでは無かった。駆け出そうと膝を曲げたマリアの脇腹を横から蹴り飛ばす。
勢いを殺しきれず、地面を転がるマリア。彼女の口端からタラリと赤い血が流れた。
彼女は屍人では無い。これ以上のダメージを喰らえば継戦能力はおろか、屍人に対する支配力すらも落ちてしまうだろう。最早一撃もダメージを喰らうことは許されない。
しかし霊柩までの距離はおよそ十数メートル。その距離は短いようで遠かった。
(神格者としての特性を奪ったからと油断したな。例え身体能力が大幅に減衰しようと、貴様に遅れをとるほど甘い鍛え方はしていない)
対してレンジは、マリアにトドメの一撃を放とうと鞭剣を振り上げる。
振り翳した鞭剣はまるで予備動作も無く、空気を裂く音だけを残して、白光が奔る。
が、遂に北方の動乱に区切りがつくかと思われた正にその刹那。
剣がマリアの首を断つまでの圧縮された時間の間で、レンジは彼女の手のひらが何かを握りしめていることに気がつく。
(……なん、だ。それはーーー)
機微に触れ、その正体を看破しようと脳がフル回転したが、その答えを出すよりも先に、レンジの肉体は真横へと尋常ならざる速度で吹き飛ばされた。
「っ!!!、ぐっ、ぉおおッッ!?」
内臓を揺さぶる衝撃と、遅れて肋に感じる強烈な鈍痛。糸の切られた操り人形のように、成す術も無く思い切り玉座の間の空を飛ぶレンジの肉体は、壁面では無く、先ほどレンジが侵入する際に通ったガラス窓へと追突した。
窓のステンドグラスを思い切り突き破り外へと放り出されるレンジ。
痛みに目を細めた彼であったが、確かに玉座の間にマリア以外の何者かが立っているのを捉えていた。
(しくじった…。あの女、既に肉片を懐に忍ばせていたとは!)
レンジが目端に捉えた敵の姿。
その体躯は隣に立つマリアの約二倍。異常なまでに発達した筋肉と、恵まれた肉体。黒いローブを纏い、先ほどまで礼拝堂に設えてあった大剣を手にしたその荒々しく雄々しい立ち姿。
身の丈を裕に超える大剣を振り回し、周囲の敵、或いは建物、街、ひいては国すらも蹂躙して回るその姿は正に怪物。
もしもジャックがこの世に存在していなければ、彼が最恐の座を欲しいままにしただろう。今はマリアによって自我を完全に封じられているものの、何らかの要因で自我が復活した時、ここ北方は間違いなく終わりを迎える。
北方のかつての王者にして、北方を恐怖に陥れた終焉の巨人。
ここに屍人として、イヴァン大帝が復活してしまった。
「………」
堂々と玉座の間に鎮座する大帝。その横で衣服の汚れを払って立ち上がったマリア。
彼女は自身の窮策が功を奏したことに安堵しつつも、その手段を取らざるを得なかった自分の力不足を嘆いた。
(……可能なら、このカードは切りたく無かった…。だが、シャーロックの謀反を知った後、骨の一部を懐に忍ばせておいたのが功を奏した…。と言ったところかしら…。………、??)
しかしながら、そんなマリアを他所に玉座の間に新たな異変が生じる。
大帝が甦ったことでコレより蹂躙が始まるかと思われた。よもや帝国に対抗出来る戦力は残されていない。屍人側の勝利は確実だと、そう思われた。
されど、大帝が甦るだけでは飽き足らず、運命は更に流転していくことになるのだ。
異変の正体。それは…
(……。なんて、タイミングで……)
レンジが離脱した代わりに玉座の間へと到着した人物。マリアの実の妹にして、帝国側に属する協力者。アナスタシアの存在であった。
彼女は、単身玉座の間へと入室したのだ。
皮肉にも、大帝、そしてその娘たるマリアとアナスタシア。三者がここに揃い踏み、十数年ぶりに顔を合わせた。
「…一体、何を…されているの…?おねぇ…さま…」
「…アナスタシア。良かった、戻ってきてくれたのね」
「………。…おねぇ様。その方は…もしかして……」
「……えぇ。えぇそうよ。私たちの父。憎むべき父よ。私が甦らせたの。私が勝つために、この人を使うのよ。
もうここまで来たからには引き返せない。アナスタシアは…それ以上、こっちに来ないで頂戴」
マリアはアナスタシアを突き放す。アナスタシアのことは傷つける訳にはいかない。この世に残された唯一の生きる家族である妹を排斥するなんてことはあり得ない。
万が一にでも、アナスタシアが傷つくなんてことはあってはいけない。故に、アナスタシアにはここに来ないで欲しかった。
大帝を甦らせたのは苦肉の策だ。最後の手段にして最悪のカード。それを切ってしまった以上はもう引き返す訳にはいかない。
決意は、揺らぐことは無かった。
だが、引き返せないのはアナスタシアも同じである。
実の姉の過ちは、実の妹である自分が是正する。本来討伐以外の手段は無いと思われていたところに、叶わぬと考えていた対話の機会が転がり込んできたのだ。アナスタシアがそれを無碍にすることは決して無い。
がくりと首を落とし、一瞬潤んだアナスタシアの目にも決意の火が灯る。まっすぐ、澄んだ視界で、マリアと向き直った。
「…いいえ。いいえ退きませんおねぇ様。私、ここから立ち去る訳にはいかないのだわ!」
「……どうして…アナスタシア…。どうして私の言うことを…聞いてくれないの…?ただ私は、あなたを傷つけたく無いだけなのに…」
「…どうして?そんなの決まってるのだわ。だって私は、おねぇ様を説得しに来たんですもの!!」
アナスタシアの言葉が空を響かせ、そしてマリアの鼓膜を震わせる。
その言葉に悲哀の表情を浮かべるマリアを、アナスタシアは見逃さなかった。
実の姉との久方ぶりの再会。そして、北方の命運をかけた説得の時。
戦場が混戦の一途を辿る中、ここに世紀の姉妹喧嘩が始まった。




