第四十二話 それぞれの戦闘。そして再会
インチマリンによって散り散りにされた城内侵攻組。彼ら彼女らの状況はそれぞれに、そして敵味方互いに危機的であり、予想だにしなかった方向へと運命は舵を切っていた。
まず、ジェントリーの前から姿を消したワトスン。
彼はどこへ行方をくらませたのか。
心の深淵に封じられた感情が表層に復活してきた訳では無い。或いはインチマリンの能力に巻き込まれた訳でも無い。
彼を動かしたのは他でも無い、クモナの影の能力だ。
岩壁によって分断されると理解した瞬間、クモナはその場にワトスンを残すと後々城外の戦況にも影響すると思考を回し、影の引力を使ってワトスンを自らの部屋へと引き寄せたのだ。
結果、クモナの部屋には無理やりに引き寄せたワトスンが存在し、ワトスンの能力を使うまでも無く一対一の状況が完成している。
これは屍人側からすれば貴重な戦力を無為に徒費してしまったことを意味し、帝国側からすれば厄介な敵を縛着したことを意味している。それだけ見れば帝国側が一枚上手を取ったとも言えるだろう。
しかしながら自我を封じられようがワトスンの強さは変わらない。アンデルセンと同等の膂力。異常に発達した脚力による速度と即応性。そして北方大戦を終盤まで戦い抜いた豊富な戦闘経験。
今のクモナのそれとは比肩するのも烏滸がましい程に、ワトスンの戦闘能力は高位のものであった。
弱点は搦手である。ジェントリーのように問答無用で動きを奪う能力などはワトスンにとって難儀する相手であろう。クモナに勝ち筋があるとするならばそこだ。
ハルトよりも早く能力に目覚め、その能力の研究をある程度の年月重ねていたクモナ。彼がワトスンを上回るとするならばそれでしか無いだろう。
影の力を存分に使いこなすことが出来たならば、ともすれば自我の無いワトスンを打破することが可能かもしれない。
(さて、どう出るかな…。会話も勿論通じないし……)
問題はワトスンの自我が失われているため交渉が意味を成さないこと。加えてクモナが光の力を纏っていないこと。
光の力と背反する影の力の持ち主であるクモナには、光を付与することが出来なかった。そのため、クモナは屍人に対して明確な特攻手段を持たない。
屍人同士であればダメージは通る。そのため、冥界領域に侵攻した時のように影の力が屍人の特性と判断されれば可能性はあった。
が、基本は撃破では無く拘束を目標として戦闘することになるだろう。
当然、それをクモナは理解している。故にこそ、切迫感に駆られていたのだ。
インチマリンにより分断された帝国軍の面々の内、シペトテックやポチは岩の封殺から脱出し主導権を取ったものの、依然として方々の状況は厳しいままと言えよう。
だがしかし、クモナよりも戦況が逼迫しているのはローラであった。
岩の部屋によって運ばれた先でローラを待ち構えていた敵。それはーーー
「あれ…確か。君とは昔…会ったことがあるような…」
「……なるほど。屍人の主人が連れてきた三人の神格者の内の一人は貴様だったか…」
ローラは敵の姿を視認した瞬間、目を閉じる。
それは狂気に侵されないため。精神を壊さないための行動。
彼と目を合わせてしまえば、狂気によって意識を汚染されてしまう。もっと言えば、現在脳内でコネクトを繋いでいる帝国軍の全兵士すらも狂気に浸かってしまうだろう。
ローラはそれを防ぐために視界を潰したのだ。
敵の名はアシュラ。反帝国同盟の前身、反帝国主義の幹部であり、かつてローラとローラの師が相対した敵。反帝国主義に加盟する以前は悪名高き宗教団体“ネオ・トージョー”を率いた世界的犯罪者。
司る神は『狂気の神』。目を合わせたものを狂気で汚染し、更に汚染された者と目が合った者にも同じ効果を齎す。言わば狂気のパンデミックを半ば強制的に引き起こす能力。
狂気に侵されたものはまともな判断を取れず、善悪どころか敵味方の分別も付かない。自傷も、他を虐げることもまるで厭わず、痛覚さえもまともに感じずにただ周囲の生命を攻撃し続ける機械と化す。
ローラはその脅威を、まだ新人の兵士だった頃に嫌と言うほど実感していた。
無論、五感の一つを自ら封じることは、自ら劣位に立つことと同義だ。
ローラは空気の流れ、音、敵の死臭。あらゆるものに意識を尖らせ、敵の動きに即座に対応するべく刀に手をかける。
「ぁ、ちょちょちょ、ちょっと…折角久しぶりに会えたってのに、戦うの?……わわわかんないなぁ。どうしてさ?」
「それ以上喋らないで貰えるか?お前の声を聞いているだけで、狂気に飲まれてしまいそうだ」
「どどど、どうしてっ、どうして!?私は嬉しいんだよ?こここ、こうやって君と再会できて、まだあんなに荒削りだった子が、大きくなったもんだと思うもの!頑張ってるんだねホントに!」
アシュラは両の手を捏ねくりながら、極度に縮こまった体勢でローラへと声をかける。
猫背で自信無さげな立ち姿と声。血色のない身体の褪せた色。ややボロついてシミの多い赤茶色の貴族服。あらゆる全てが健康的なそれとは言い難く、吹けば倒れてしまうような印象を与えよう。
とは言え、その手に持ったチェーンブレードの禍々しさがその安易な印象の全てをかき消していく。
チェンソーともまた違う形状。まるで長身の剣のような形のそれは、縁を刃付きの鎖で囲われ、手元のスイッチを駆動させることでその鎖が回転する。
多量の血を吸って錆び付いたそれは、けたたましい駆動音も相まって無慈悲さと恐怖を周囲に放つだろう。
即座に瞼を落としたローラには音しか聞こえないものの、敵も臨戦体勢に入ったのだと理解する。
「相変わらず、親和的で馴れ馴れしく喋りかける割にそうやって武具に手をかける。貴様は昔から変わらんな。懐柔工作、籠絡の手練手管。それをさも当然かの如くやってのける。貴様の人当たりの良さを信頼する人間は誰一人としていないぞ」
「えぇ……そそそ、そんな、なんて酷いことを言うんだい?ききき、君を憐れむよ…そんなに虚勢を張って生きてて辛そうだ…うん…」
「だから、もう喋るな。今度は我が師では無く、その一番弟子である私が貴様の首を断とう」
そこまで言うと、アシュラへと向かってローラの刀が放たれ、音すらも置き去りにして切先が走る。
一閃。ローラの居合術の初速は音速を超え、残像すら残さずにアシュラの首へと向かった。視界を封じているにも関わらず敵の首を的確に捉えたその刃の軌跡は、ローラの技術力の高さを表している。
音速を超えた攻撃は、ポチの時越えを利用した奇襲と同じく、そうそう防げるものでは無い。
ローラはその一撃で敵を切り伏せんと、万力を込めて刀を振るった。
が、
「っ、」
その刃は、虚しく空を切る。
だらりと大きく体勢を後ろに倒したアシュラはいとも簡単にローラの初撃を躱して見せたのだ。
その身体能力は狂気の産物。狂気にて自分自身すらも侵食させているアシュラは、その身体能力を極端に向上させている。
本来であれば自身の肉体を破壊しながらも身体を強化する一利一害の手段であるが、屍人の肉体を得た今、それはハイリターンのみの技術と化してしまった。
ローラの一撃を完璧に避けることは叶わずとも、どこを狙ってくるか事前にわかっていれば、その一撃を躱すことは容易なことである。
アシュラは大きく腰から仰け反った体勢でニヤリとほくそ笑んだ後、手に持つチェーンブレードをローラの腹部目掛けて万力で振り上げた。
ローラは後ろに飛び退き、ギリギリのところでそれを躱す。
冷や汗を額に浮かべながらも、決して目は開かず。ディスアドバンテージを抱えたまま、納刀した刀に再び手をかけた。
「……そそそ、そんなに頑張ってどうするんだい?つつつ、辛い思いをして生きるぐらいなら人間ありのまま生きた方がいいじゃ無いか…!あんなに弱かった君がこここ、ここまで、よよよく強くなったよ!もう十分さ!」
「心にも無いことをぺちゃくちゃと…。それ以上喋るなと私は言ったはずだっ!」
「……んん…厳しいなぁ…。そそそ、そう言えば、君はあの時も私に鋭い視線を向けてたよね…。結局君には力が足り無かったからお師匠さんがツケを払った訳だけど…。そそそ、それで今回も、視界。…防いだまま戦うの??我慢は身体に毒だよ…?」
「今のところ、問題は無いな。貴様を殺す障壁にはならんさ」
「あああ…うん、あぁそう!かっこいいねぇ…。頑張ってるんだねぇ!!でもだからこそ!本当の自分を思い出させてあげなきゃね!!」
アシュラは再度チェーンブレードを唸らせ、ローラへ向かって攻勢に出る。
アシュラは周囲にいる人物が皆一様に狂気に飲まれることに絶望し、更に幼い頃から狂気に触れ続けてしまったことで、狂気に呑まれた姿こそ普通の姿であると得心違いの解釈をしてしまっている。
故にアシュラは、対象を狂気に染めようと邁進する。人間の根本は狂気であると信じて疑わない彼は、少しでも多くの人物が殻を破り、狂気をその身に受け入れることを望んでいる。
あくまでもその根底にあるのは善意。人をありのままの姿にしてしがらみやら何やらから救済したいと思うその善意が、アシュラの一筋縄ではいかない怪奇さを生み出しているのだ。
チェーンブレードにてローラの身体を引き裂くまで、彼の激情は止まることが無い。彼女を切り裂いて、狂気で侵して、初めて彼の善行は達せられる。
対して、ローラはすぐさま顔を上げ、音を頼りにブレードを避け続ける。
彼女の技術を持ってすれば刀で受け流すことは可能…かもしれないが、彼女の細身な刀は居合専用とすら呼べるほど強度に乏しい。ただでさえ鍔迫り合いに向いていないのに、チェーンブレードを前にしたら刃こぼれどころでは済まないだろう。
そのため、避け続け、隙を狙う。それが唯一にして最善の手段であった。
ローラはこれでもかと言うほどに聴力を研ぎ澄まし、敵の動きを読み取る。
しかしながら、その聴力は捉えていた。
長身痩躯。華奢な身体でブレードをぶん回すアシュラ。狂気に満ちたその肉体は徐々に徐々に、膨張し始めていることを。
(まずいっ。コイツのギアがかかってきてしまったな…。これは一瞬で決め切らねば、こちら側が狩られてしまう…!)
「さささぁさぁ!目を開いてよ!!折角会えたんだから私を見てくれ!!どどど、どうしてもと言うなら、力づくで開けてあげるぞぉお!!」
(……そうだな…。流石に、背に腹は変えられない。か)
速度の上がるアシュラを前に、視界を塞いだままではやはり話にならない。
その上ローラは、自身の能力によって帝国軍の兵士たちと思考をコネクトしている状態。それは情報伝達の面で見れば有利であるが、アンテナの役割を果たすローラにとっては不用意な情報が際限無く流れ込んでくる正しく諸刃の剣。
少なくとも同等か格上の相手と戦闘を繰り広げながらでは、ノイズにしかならないだろう。
アシュラは反帝国主義の団体にて幹部の地位まで登り詰めた実力者。そして宗教団体としては歴史上最も多くの被害を出した最悪の犯罪者。
逡巡の末、この敵には全力で相対しなければとローラは決心する。
(ーーー皆、聞こえるか。端的に状況を説明する。現在私は、アシュラと言う屍人と対峙している。奴は反帝国主義団体の元幹部にして狂気の神格者。視界を合わせてはならぬ敵だ。万が一にもコイツを外へ出すわけにはいかない。勝手を知る私がコイツの相手をしよう。よって、……一時コネクトを切る!)
淡々と状況を説明するローラ。彼女はそこまで言いきると、返信を待たずに思考の共有を切断した。
思考を共有していたレンジやマヤウェル、ベンケイやポチと言った実力者たちはすぐさまその異常事態を察知する。
アレクセイを討伐した今、城内で最も脅威であるのはアシュラであると各員が気付いたのだ。
反帝国同盟の幹部にも並ぶ歴戦の猛者、ひいては狂気のパンデミックを起こしかねない災厄の存在。運良く一対一の状況に持ち込めているから良いものの、これが外に出てしまった時には一溜りも無い。屍人側もそれを理解しているので、石の壁を何重にも織り込んでローラを拘束したのだ。
屍人も帝国の兵士も、敵も味方も関係無い。最後の一人が死ぬまで、誰も彼もが互いを傷つけ殺し合う地獄が始まってしまう。それだけは防がなければならない。
よって、帝国軍はローラにアシュラの討伐を一任する。
城内へと侵攻していた第二部隊の精鋭たちはローラの最後の放送を聴き入れ、すぐさま彼女の援護のために駆け出すが、岩の移動によって散り散りになった今、すぐの到着は難しいだろう。ローラは単身、視界を封じた上でアシュラを討伐せねばならない。
「さて、気合入れてこうか。ここで私が負ける訳にはいかないからなっ」
「ふふふふふふ…。こここ、ここからが本番…って感じかな??ぼぼぼ、僕も負けないぞ…!」
コネクトを切ったことで整頓された脳内を感じ、改めて爽快な思考で目の前の敵と向き合うローラ。
神格者としての特性を失いながら、マリアと一騎打ちを繰り広げるレンジも。
相性最悪のジェントリーと激突するシペトテックも。格上のワトスンと対峙するクモナも。
それよりも更に格上の敵と遭遇してしまったローラも。それぞれがそれぞれの敵と火花を散らそうとしていた。
合縁奇縁の巡り合い。各々が少なからず因縁ある敵と衝突した現状。
そんな各所の戦闘は熾烈を極め、黒白を争う戦いはヒートアップしていく。
ーーーさて。そんな中、ハルトだけは運ばれた先の部屋にて、やけに落ち着いた様子を見せていた。
「…、……まぁ、そうくるよな」
帝国軍の兵士たちは敵の数を粗方把握していた。
特に自身の能力によって索敵を行い、敵勢力、或いはその反応を識別していたハルトは、他の面々と比べある程度の受け攻めを予想できていたと言えるだろう。
それでも認めたくなかった。認めることを、静かに頭が拒んでいた。薄々勘付いていたものの、そこから目を逸らしていた。
目の前のこの現実を認めてしまえば、ハルトが抱いていた淡い期待は泡沫と帰すことになるのだから。もしも生きていたならば。もしも捕えられていたならば。そんな空想が空想のまま終わってしまうから。
ハルトにとって、現在目に映っている情景は、どうあれ幻覚であると否定したい不都合なものだ。
しかしながら、運命はそれを許さない。
ハルトに改めて、残酷な現実を叩きつけた。
甘い幻想は砕け、希望の皮は剥がされ。蝕むように、期待を上塗りしていくように。無慈悲な光景は、ハルトの脳内に覆しようの無い事実として広がっていく。
「……全くさ、性格悪いよな。そんなことしなくていいのによ」
悔恨はあれど、未練は無い。悲哀も、後悔も、それらの感情をハルトが忘れることは無いが、それに心を縛られることは無い。
クモナの言葉で立ち直ったハルトは逃避し続けた現実にしかと向き合う。何度も崩壊した心は、また再び溶接され、ハルトの瞳に覚悟の火を灯す。
ゆっくりと息を吐いた。拳に力を込めた。丹田に力を込め、臨戦体制に入る。膝をついて項垂れる時はもう終わったのだ。
ーーー歪でも、不格好でも、立ち上がって一歩踏み出す理由をハルトは既に得ている。
「まぁ、願っても無い展開だ。俺がけじめつけるって啖呵切っちまったしな。…っし。修行の成果を見せる時って感じか!」
そうしてハルトは、幾度となく拳をぶつけて語り合った相手と向き合った。
約一月前、帝国での修行の日々が、色をつけてまざまざと甦ってくる。
「ーーーやるか。アンデルセン」
ハルトの目の前に立つのはかつての同士、アンデルセン。
修行の成果を見せるべく。成長した姿を誇るべく。
ハルトは師兄たるアンデルセンとの戦いに臨んだ。




