第四十話 エルギン再戦②
冥界領域内のエルギン本城。エルギンの街の地下に形成されたその空間は城を中心に円形に展開しており、翳りのある濃紫色の空と、生物の気配がまるで無い地平。そして異様なまでに沈んだ空気。…と、およそ地上のそれとはかけ離れた様相だ。
地上は現在明朝五時半頃。朝陽が出始め、陽光が差し込み始める時間帯。
しかしながら当然この冥界領域には少しの光も差し込まない。それが屍人のたちにとっては強みであるのだが、唯一の生者であるマリアの目にはどのようにこの景色は映っているのだろうか。
そんなマリアは、玉座の間にてアレクセイと共に微睡む。
屍人の準備は万全に整い、今にでも侵攻することが出来よう。今晩、陽が落ちた頃。帝国軍の拠点地へと乗り込む算段であった。
「ねぇさん…どうかした?」
そんなマリアであったが、屍人の奮起とは裏腹に、やや覇気のない表情を浮かべている。
「…いや、なんでも無いわアレクセイ。ただ、少し。コレを持っていくべきか悩んでいただけ」
マリアの懊悩の理由。それは玉座の間に置かれたとある“モノ”であった。
屍人の主人たるマリアにとって切り札足り得るモノ。そして同時に、自分の苦い記憶を呼び起こさせるモノ。
この手札を切った時、マリア達屍人側の勝利は確実となるのだが、マリアはそれを積極的に切ることを躊躇った。
(……だけど…なりふり構ってはいられない。敵を殲滅し、アナスタシアを連れ戻すためには、より確実な勝利が必要…)
「…ねぇさん…。…僕は、何があってもねぇさんの味方だから。ねぇさんのやりたい様にやってよ。今回だって問題ないさ」
「えぇ、もちろん。…アレクセイ。光の神子と影の神子を手に入れて、アナスタシアも取り戻して、三人でまた一緒に過ごしましょう。北方は私たち三人のものよ」
「当たり前じゃん。もう二度と、僕たちは辛い思いなんかしない。邪魔する奴らは全員ぶっ殺して、僕たちの平穏を取り戻すんだ」
マリアは再び決意を固める。
交渉材料としても、光の神子と影の神子は必ず手に入れなければならない。手元に置いておくだけで誰に対しても絶対的なカードになり得るこの二人は、まだまだ発展途上なマリアにとって必要不可欠だ。
そして、アナスタシアも手に入れる。それは彼女ら姉弟の心の平穏であるから。
また兄弟揃って生活することこそいつぞや夢見た景色であるのだ。
それらを手にするためにはどんな卑劣な手段も、どれだけの犠牲も気にすることは無い。過程や方法などは二の次。最終的に結果が平穏であるのならば何も恐れることは無いだろうとマリアは考えていた。
(そうよ…私は間違っていない。間違っていないはず…。目的を達すれば、私が間違っていなかったことは証明される。そのためにも…帝国の軍勢は必ず滅ぼさなくては…)
葛藤は、まだ心中に存在するようだ。それを知っていたアレクセイはそっと彼女の膝に手を置いて、安心させる様に目を見つめ続けた。
彼女の思想が正しかったか否か。もっと言えば、彼女の計画が達せられるか否か。
それを確認する機会が、予想より早く訪れるとは知らずに。
(ーーー!?)
微睡の中、ぼんやり睡魔に襲われようとしていたマリアの脳内に突如ノイズが走る。
それは自身が司っている冥界領域に異常が発生した際の違和感。頭痛は、本来マリアが承認した人物しか出入りが不可能であるその領域に、何らかの異分子が入り込んだことを意味する。
同時に、冥界領域の一部が崩壊していく感覚もあった。
前回、アンデルセンによって領域そのものが更地になってしまった時とは違う。一部分を消し飛ばされ、一つ、大きな穴が空いてしまった様な感覚。
視認できるはずのない冥界領域には大穴を開ける行為。それは空気の粒子を視認し、大気を手で捉える様な行為と呼べよう。
即ち、人間離れした神業だ。
それを成せる人物は…。マリアの中で思い当たる節は一人だけ。
「……光の、神子か…!」
一度どん底まで追いやられたはずのあの青年が、とマリアは驚く。だが、その青年が現れたとしか考えられない現状。その青年の力で無くては成し得ない所業。
(再び…あそこから立ち上がったか…。まさかここまで早く…。敵の軍勢は…、どの程度の規模だ…?)
マリアは一転して冷静さを取り戻し、侵入してきた敵の規模感を把握するために冥界領域内の感知にエネルギーを回す。
そして、侵入してきた敵は総勢二百前後。その内七、八名神格者クラスの強者がいることを確認する。
「お嬢様〜〜!!大変ですよ!帝国の奴らが!!冥界領域に侵入してきやがりましたよぉ!!!」
そこまで把握すると、玉座の間へとネズミが駆け込んで来た。
いち早く領域内の異変に気付いたネズミは金の龍の姿へと変身し、猛スピードで伝達をしに来たのだ。
「わかっている。敵の数も今、把握した」
「!流石お嬢様!仕事が早いですねぇ!ではっ、私めはいかがいたしましょうか!?」
「ネズミ。お前は屍人の軍勢を連れて城外を固めろ。サックスも連れて行け。お前が指揮を執り、一般兵共を確実に根絶やしにするのだ。他の神格者の屍人は城内に。インチマリンに分断させ、各個撃破を図る。城内に関しては私が指揮を執ろう。いいな。すぐに動け」
「はっ!承知致しましたお嬢様〜!!仰せのままにぃ〜!!」
そこまで言うと、すぐさま玉座の間の天窓から飛び出し、敵を迎え撃つ準備を整えるべく冥界領域を飛び回る。
玉座の間へと残されたマリアは、外の帝国の軍勢を眺めながら今一度、闘う意志を改めた。
「……先手は…取られたか。だが、まぁ良い。最後に勝つのは私たちだ。貴様らがどんな手段を用意してようが、私たちが勝利する」
=============
「索敵は上手くいってるか、ハルト」
冥界領域を駆けながらローラがハルトに声をかける。
冥界領域に穴を開けた帝国の一同の先陣を切るのはローラとポチ、そしてハルトとクモナだ。
マヤウェルはひと足先に城を一望出来る高台へ向かい、シペトテックは最後尾から一同の援護を。レンジは姉弟暗殺のためにクモナの影を纏って別働隊として動いている。
同時にハルトは、ポチの後ろを駆けながらも光の索敵を広範囲で行い、城やその周辺にいる屍人の反応。及び有力な屍人がどこにいるのか。それを確認していた。
一度見たことのある屍人の反応は正確に把握出来る。それはつまり、ハルトが以前脱出の際に見たマリア、アレクセイ、ネズミ、ワイルドハント。シャーロックにワトスン。そして三人の素性不明な屍人。この九名の位置は細かな部分まで把握することが出来ると言うことだ。
そしてそれをローラの『愛の神』の能力で全員に伝達する。その一連の流れによって、帝国軍は大きなアドバンテージを得られるのだ。
「城の外には…ネズミって言う金ピカの竜の奴と大量の屍人。後はもう一人神格者っぽい反応がある。これは多分、不明な神格者屍人三人の内の一人だ」
「そうか。では城内はどうだ?」
「さっき入った瞬間に確認した姉弟の反応は間違いない。城のてっぺんの部屋に二人がいるのは確定だ。後は各階にまばらに存在してる。入り口付近に二人。その近くに一人。これがワトスンだ。頂上近くにはもう一人。…多分、あの狙撃手だな」
「上出来。じゃあ城まで近付いたらポチは先んじて向かってもらおうか」
「了解しました。ローラ隊長」
城内の配置を知った一同。腕の立つ狙撃手であるワイルドハントはすぐさま狩らねばまずいため、ポチがその任を命じられる。
「残りの三人の反応はあるか、ハルト?素性不明な神格者屍人一人と、後はシャーロック…か」
「…あぁ、後二つ反応がある。恐らく小さい方がシャーロックなんだけど、もう一個は…これはすげぇ大きい反応だ。下手したら美食家と同じぐらいの巨大な悪性反応がある。前はよくわからなかったけど、これが神格者屍人三人の内の最後の一人だ」
「ほぉ、なるほど。じゃあそいつとは私かシペトテックが相手をしよう。ハルトたちを一対一でぶつけるわけにはいかないからな」
城内にて一際大きな悪性反応。マリアやアレクセイ以上、ともすれば美食家シュウと同等クラスの実力者が一人控えている。
大帝が潜んでいる可能性もあるため時間はかけられないのだが、この敵は他と比べて明らかに苦戦を強いられるとハルトは危惧した。
更に厄介なのはその能力が明らかになっていないこと。
前回の脱出劇の際に顔は見ているはずなのだが、それを照合する時間は無かった。敵の素性も能力も全くもって不明。そんな相手に対応出来るのは隊長格を除いて他にいないだろう。
と、そんなことを思案しながら走っていると、前方から猛スピードでこちらへ突貫してくる巨大な影が見えた。
ネズミの黄金龍だ。
「かぁ〜!戻ってきましたねぇ光の神子ッ!!またやられにきたんですか〜!?今度こそただじゃあおきません!!またその心をバキバキに割ってやろうじゃありませんか!」
「チッ、コイツ。いきなり来やがったか。しかもっ!前よりデカくなってないか!?」
ハルトたちの目の前まで迫ったネズミの黄金龍は以前と比べて二倍近くの体躯を誇っている。
それもそのはず、マリアから「最終決戦故、くれぐれも出し惜しみをするな」と釘を刺されているのだ。ネズミは自身の保持する金を(少しを残し)余すことなく使い、以前よりも機動力を増した黄金龍を作り上げていた。
そしてその背後には六百近くの屍人の群れ。この狭い戦場にわらわらと溢れ出す屍人はハルトたちの視界を埋め尽くす。
驚異的なのは、一部の屍人がその身に纏う黄金の鎧だ。ネズミが身を切るような思いで、そして忸怩たる思いで作り出した黄金の鎧。多少力を持っている屍人にそれを纏わせ、蓄光型照射機による消滅を防いで継戦能力を向上させる。
(アイツ、考えたな。確かに鎧を壊す手間があるだけでこっちからしたら面倒そのものだ。…けど)
帝国の一行の目の前まで迫った屍人の群れ。
ネズミが断腸の思いで消費した金の数々。
それによりハルトたちの歩みは城へ向かう前に止められてしまうかと思われたその時、
ボガン!!!!
と、空気を切り裂くかのような爆発音がネズミの黄金龍の周辺で炸裂した。
「なっ、にがぁ〜〜〜!?!?!?」
「さ〜て、じゃあ少し仕事しようかな〜。お姉さん頑張っちゃうぞ〜」
屍人の軍勢が吹き飛ぶのと同時に黄金龍の右翼部分を破壊され、焦り瞠目するネズミ。
彼が視界の右端にある高台へと目を向けると、こちらに向けて砲筒を向ける一人の女の姿があった。
マヤウェルである。
ひと足先に高台へと到着していた彼女は、自分の身の丈の二倍近い大きさの砲塔を組み上げ、ハルトたち一行の行手を阻む屍人を吹き飛ばしたのだ。
彼女の能力は『爆発の神』。彼女が内包するエネルギーを爆弾に換える能力。その形状、爆発の規模、爆発の方法など、諸々の調整は彼女が爆弾を作り出す際に決定することが可能だ。
今回は事前に大量に形成しておいた砲弾型の爆弾を撃ち込み、屍人の群れを吹き飛ばした。
ただの砲弾と侮るなかれ。この砲弾は着弾点にて炸裂した後、無数の粒となって周囲に飛散し、それらの粒を中心に爆発を引き起こすグレネードタイプ。更にハルトの光の力を爆弾外枠に織り交ぜることによって屍人にも効力を発揮し、逆に一般人にはそこまでのダメージが無いように調整されている。
故にこそネズミの黄金龍は直撃しても右翼が欠損した程度のダメージで済んだのだが、屍人の群れにとってはひとたまりも無い一撃で間違いないだろう。
「これを大量に作るの、すっごい大変だったんだぞ〜」とマヤウェルは語るが、実際に途轍もない技術と能力の練度であると言えよう。
「よし今のうちだ!城内侵入組は一気に駆け抜けるぞ!!」
ローラの一声で、城内へと侵攻する数名は一気にスピードを上げる。
ポチが先頭を走り屍人たちをバサバサと薙ぎ倒す。
その動きをすぐ後ろのローラが補佐し、横から襲いかかって来る屍人は彼女の居合抜刀術によって斬り捨てられた。
ローラが使う得物はローラ専用に打たれた業物の刀である。刃渡り、そして身幅ともに軽量に作られており、元重ね先重ね共にかなり薄めだ。本来であれば骨を断つのに難儀するであろう形状。
しかしながら、その重量がローラの抜刀術には一番適していた。ローラの抜刀術は圧倒的な初速を誇り、敵を斬るまでの時間は音速を越える。軽量な刀がその速さを実現させ、その速さが本来重量不足である刀を必殺の武器へと変貌させるのだ。
背後に控える第二部隊の精鋭五名はその速さと間合いを熟知しているため、完璧なタイミングと距離感で補佐を行う。
それを見たハルトは、これが帝国近衛部隊の実力かと瞠目した。
「…けど、俺だって負けてらんねぇな!!オラっ!!」
負けじと屍人に対して殴打を放つハルト。
迷いが無くなったハルトの拳は、煌びやかな光を纏っている。
「レンジからの連絡はまだっ、ですか!?ローラ隊長!」
「まだだ!だが、城の頂上付近に到着したと連絡があった!」
「じゃあ…もうすぐ、ですね…っ!」
ローラの司る神、『愛の神』の能力は、一定以上の信頼関係にあるものに身体能力向上の効果をもたらし、更にどれだけ距離が離れていようと脳内での会話を可能にする。
近くにいるならばその恩恵は少ないが、言葉にせずとも意思疎通が出来る能力は帝国側の圧倒的なアドバンテージになろう。
それにより今回は、帝国の面々、主にローラはレンジと意思疎通を取れているのだ。
クモナの影を纏って姿を消し、冥界領域を司るマリアからも生命反応を隠し、更に自身の能力で音を殺し、万全の状態で城内への侵入を試みるレンジ。
されど単身であるため、本来であれば突発的な状況の変化に対応することは難しかっただろう。
(それも、可能にしちまうのがローラ隊長の能力だ。隊長の能力のお陰で、俺の光の力も更に増幅してる。だいぶ助かるぜ)
無論、際限なくローラとコネクトを繋げる訳では無い。上限は存在する上、人数が増え過ぎるとコネクトを管理するローラの脳がショートしてしまう。
例えばこれが強力な敵と一対一の勝負になった時には、肉体的にかなり負荷のかかる能力だ。
されど、二百数名。その規模であれば全く問題ないとローラは語る。
帝国の隊長は武術だけでは無く、能力の練度も最上級なのだ。
後わずか百メートルで城内へと潜入出来る。
一行は依然として湧いて出て来る屍人を薙ぎ倒しながら更に速度を上げて城門を目指した。
「!」
そんな中、全速力で道を急ぐローラの脳内に一つの情報が入る。
「成程…」
「…っ、どうしたんですかっ、ローラ隊長!レンジからですか!?」
不吉な予感を感じ、ハルトはローラに対して声をかける。
今し方尋ねたレンジの状況。それに関する情報が入ったであろうことは誰が見ても理解できた。
ともすれば、暗殺は失敗したのだろうかとハルトたちは眉を曇らせる。仮にそうであった場合、戦況的にも、そしてレンジの状況も危急存亡であるからだ。
ーーー帰ってきたら答えは、
「お察しの通りっ、レンジ隊長からだハルト君。暗殺は成功した。しかし、部分的になっ」
「えっ!それはっ、どういう?」
「アレクセイは無事、撃破出来たようだ。しかしマリアは倒せなかった。後一歩でアレクセイによってその行手を阻まれたとのことだ」
「!…でもっ、一対一なら!それなら問題ない!レンジならマリアを打倒できる!!」
「…あぁ…そこなんだがっ、どうやらレンジ隊長はーーー」
============
時はやや遡り、ハルトたちがネズミの黄金龍の横を駆け抜けた頃。レンジは無事、玉座の間の天井部分まで到達していた。
玉座の間の天井はドーム状のステンドグラスになっており、中の様子は伺えないものの岩壁と比べれば侵入は容易い。
レンジはガラス部分から音を奪い、そして人一人が侵入出来るサイズの穴を開けた。
中の様子をその目で見る。
真ん中からやや左寄りの壁際に、教会のように厳かな礼拝堂が見える。その左右に鎮座する黒塗りの長椅子。そして長椅子に挟まれる形で中央には荘厳な椅子が置かれていた。
ところどころに金で装飾を施された漆黒の椅子。そこに座るのは屍人の主人マリアである。
そしてその近くには、玉座の間のガラス窓から階下の様子を覗き込むアレクセイの姿があった。
(…さて、どう出るか)
レンジの狙いは姉弟二人。二人とも同時に暗殺することが一番の理想である。
しかし戦争が始まった今、二人の警戒心は高く、更に二人とも纏まった位置にいないこの状況。
何かしらのトラップで二人を同じ場所へと集められれば同時の暗殺が可能だったが、それをするためにはまた策を講じなければならず、二人の警戒心を自ずと上げてしまう行為になろう。
(大帝の姿は見当たらない。優先順位は、やはり…)
レンジはそれらを鑑み、まずはマリアかアレクセイどちらかに標的を絞ることにした。
どちらかを殺せば、もう一方との戦闘は必至だ。
そうなった時に、被害が薄く済みそうな方を残し、厄介な方が先に討伐する。
結果は当然、
(アレクセイだ。奴を先に狩る)
マリアを先に殺した場合、そしてマリアを殺せど屍人が消滅しなかった場合。そうなればアレクセイの能力による報復がどの規模になるか。想像に難くない。
報告でアレクセイの能力の無法さを聞いていたレンジは、即座に標的をアレクセイへと絞った。
ーーーそこからの攻防は一瞬の内に進行した。
レンジはガラス片を玉座の間のアレクセイの方向へと投げ捨てる。音を消さずに投げつけられたガラス片はアレクセイの注意を右方向へと向けた。
「なんだ…、なんでガラスが…?」
同時にマリアの目線もそちらへと向くが、更にコンマ数秒遅れて放られたもう一つのガラス片はマリアの頭上へと落ちた。
間一髪、どうにか自身の頭上に落とされたガラス片を払い除けるマリア。
その瞬間、姉を傷つけられたと思い込んだアレクセイの目にとてつもない怒気が宿り、頭上を見上げ敵影を捕捉しようとした。
「っ!!どこだ!!?どこだクソ野郎!!」
マリアも同様に上を見上げたが、アレクセイの表情には既に冷静さは無く、血走った眼球が侵入者を探そうと右へ左へと動く。
自身の姉を攻撃しようとした敵を、確実に殺すために。
そして数秒の後、玉座の間の天井に空いた穴を見つけた。
「そこかぁ!!!ゴミカス野郎!!!!」
アレクセイはより一層意識を上へと向け、臨戦体制に入った。
そうして膝を屈ませ、天井へと飛び立とうとする。
だが、アレクセイの目論見はすぐさま水泡に帰す。
天井部分から玉座の間の横、アレクセイが先ほど階下を眺めるのに身を乗り出していた窓まで鞭剣を巧みに操って回り込んだレンジは、勢いそのままガラス窓を突き破り部屋内に侵入。
ーーーそして、次の瞬間
「ーーーっ!!アレクセイ!!後ろ!!!!」
マリアの叫びよりも先に、そしてアレクセイがレンジを目の端で捉えた瞬間、レンジの二振りの鞭剣がアレクセイの肉体を粉微塵に粉砕した。
光の力を付与された鞭剣により、言葉を発する間も無く粉砕されるアレクセイ。
その姿に一瞬目を丸めたマリアだったが、即座にその目に殺意を宿し、跳ねるように椅子から飛び上がった。
「っーーーー。…っ貴様ぁ!!!」
マリアの怒号が部屋の内に響き渡る。
レンジの鞭剣はまるでミキサーの如くアレクセイを粉々に切り刻んだため、再生は不可能。更にマリアが今一度触れようと肉片が細か過ぎるため復活させることは叶わない。
それを理解しているからこそ、マリアは柳眉を逆立てる勢いで怒り、即座に得物を手に取ってレンジへと突貫したのだ。
ギリギリとぶつかるマリアの十字架とレンジの鞭剣。
膂力ではマリアの方が上かと思われたが、鞭剣を自分の腕のように扱うレンジは軽く力を受け流し、マリアの首を狙う。
弾き、絡め、そして投げる。
獲物を狙う蛇の如く、或いは漂う風の如く。レンジの鞭剣は縦横無尽に部屋中を這い回った。
何度かの鍔迫り合いが行われた後、レンジの鞭剣はマリアの肌を掠め続け、今にもマリアの首は取られる寸前まであっという間に戦況は動く。レンジの目的は、すぐにでも達されよう。
(あと、一押しか)
後一押し。そう判断したレンジが、音の再発生を行いマリアを撹乱しようとする。
美食家シュウですら手玉にとった音の撹乱。そして現状、レンジの思い通りに進む戦況。
全く問題なく、このまま首謀者は狩られるかと思われた。
ーーーしかし、勝負はレンジ優勢のままでは終わらなかった。
(…なんだ?音が…使え、ない??)
レンジの能力は不発に終わり、マリアの持つ十字架が隙をついてレンジの腹部を打ち付ける。
そのまま後方へ吹き飛ばされるレンジ。
踏みとどまり壁への激突は防いだものの、続くマリアの猛攻は威力と攻撃性能を増してレンジを追い詰める。
(どういうことだ…。コイツの身体能力が跳ね上がっている…。いや違う…、この感じ…!俺の、神格者としての力が失われているのか!)
アレクセイの最後の力。復讐の神の能力。
彼の力は自身や自身の懇意にしている存在が不利益を被った時、それを自らの尺度で何かしらの事象に変換し復讐を果たすと言うもの。
その能力の効果範囲は“認識しているモノ”である。
例えば先のアンデルセンとの戦闘では、彼の特異体質を認識していたため、その一部を復讐対象にすることが出来た。
今回は、アレクセイが消滅する瞬間、とある不自然さに気付く。即ち不自然に“消えた音”。否、消された音に。
レンジの姿を視認し認識することは叶わなかった。だが、その能力の一端だけは今際の際に認識出来ている。アレクセイにとってはそれで十分なのだ。
徐々にマリアに押され始めるレンジ。
彼の身体からは、神格者として一般人とは一線を画す身体能力、又は治癒力等、あらゆる長所が失われていた。
「どうやら、アレクセイが最後の置き土産をしてくれたようだ…」
「……なんだ、冷静になったのか?」
「ほざけ。貴様こそ、余程焦っているように見えるが?」
この状況で啖呵を切るレンジに対し、怒りを抑え込み、冷静沈着に応じるマリア。
彼女は一国の長として、或いは屍人の主人として、勝利のためにその身を投げうることを良しとしている。そしてアレクセイもそのために必要な犠牲であったと割り切った。
悲哀はある。後悔もある。しかしながら、全くの無傷で理想を成就させようなどとは思っていない。
アレクセイの無念を果たすためにも、マリアはまず、目の前の敵を殺すこと。ひいては帝国軍を根絶やしにすることを改めて心に誓った。
最早無駄な思考は必要ない。目の前の敵との対話も必要ない。
必要なのは、絶対的な勝利のみ。
「必ず。お前は殺す。そして、私の悲願はここで成就させる!!お前の屍の上で、私は北方を統べよう!!!」
そうして、遂に始まったエルギンでの再戦は、灼熱の如き激しさで進行していく。




