第三十七話 覚醒の時
「お前は、何のために生まれた」
十八年前。北方大戦が巻き起こるその数ヶ月前に大帝は、思うように生まれなかった我が子の価値の低さに頭を抱えていた。
目が合った者を竦ませる眼光。天をも震わす巨大な肉体。その腕は海を裂き、その脚は大地を破壊する。強靭な筋肉は破壊以外の何も成さないだろう。
当然、彼は子を抱くことも、子の頭を撫でることも彼はしなかった。
子に対しても暴は際限なく振るわれた。無情にも全てを破壊する手は、子供を殴打し、叩きつけるために行使される。
ただ一つ。北方統一、北方に大帝国を作るだけのために、彼は進み続けたのだ。
「……私は…強くなります。だから私を見捨てないで下さい。弟と妹には…手を出さないで下さい」
「だが、お前は女だ。そしてお前はただの人間だ。それでどう強くなる?お前には価値がない、捨て駒にもならないだろう」
「…後天的に、神格者に目覚める人物もいると聞きます。私も、そうなります…!」
「血も吐かず、肉も切らず、それでどう神格者として目覚める??
疾く消えろ。私はアナスタシアに用がある。お前は無用だ」
我が子に対する愛情などは欠片も無く、兵力にならぬ者に対する温情も無い。
およそ自分の娘に対する言葉とは思えない台詞を大帝は常日頃から吐き続けていた。
「…アナスタシア…。貴方は、間違っていることは間違っていると言える人間になってね…。私には…その勇気が無いの…。ごめん…ね」
日々折檻を受け続けるアナスタシアに、マリアは声をかけることしか出来ない。
彼女に正義感はあり、大帝への不満もあるが、それをどうにかする力は当然持ち得なかった。
故に、大帝の興味はマリアとアレクセイには向かない。
大帝の悲願を達するための戦争が開始された際にも、開戦と同時にマリアとアレクセイは城にある独房のような部屋に軟禁された。
不用意に何か問題を起こさぬよう二人が詰め込まれたその部屋に窓は無く、床は硬い石造りのもの。最低限薄汚れた寝床と食事は保証されていたが、それ以外の娯楽等は何一つとして無い殺風景さ。
戦争が佳境に入るまで、二人は数ヶ月の間、殆どの時間をその部屋で過ごし続けた。
苦行と呼ぶ他無い絶望的な生活。外では爆発音が時たま響き、本当に戦争が始まったのだとマリアは実感したものだ。
正義感の強いマリアはどうにかしなければとも考えたが、最早この薄暗い部屋では何もしようがない。大帝の息のかかった城内では、例え皇族であっても助けは望めなかった。
二人がまだ殺されていないのは、「強き自分の子がこんな無価値な訳が無い」と言う大帝の自負のみが理由。このまま餓死したならばそれこそ無価値のまま死んでしまう。
日に一度だけ配給される少ない食事の大部分をアレクセイへ分け与えながら、マリアは自分の非力さを呪った。
「ーーお嬢様、お坊ちゃま。まだ…起きていらっしゃいますか…?」
「……カーシン…何しに来たの…?」
「良かった、まだ起きていらっしゃいましたか。いえ、遅くなって申し訳ない。お二人を逃しに来たのですよ…」
「え。…?どうして、そんなことしたら…!」
日に日に痩せ細るアレクセイを腕の中で眠らせながら、マリアは外の声に反応する。
カーシンは大帝の側近の中では唯一二人に対して好意的に接してくれた人物だ。マリアがその声を忘れるはずも無い。
しかし裏で好意的に話しかけるだけならまだしも、軟禁状態の二人を逃すとなればそれこそ極刑もの。
マリアは何故そんな危険を犯してまで自分たちを助けに来たのか不思議でならなかった。
が、そんなマリアに告げられたのは、祖国の敗北であった。
「大丈夫です。もう戦争は終幕を迎える…。我々の敗北です。大帝様の病の進行も早い。最期の戦だと前線へ赴きましたが、直にお亡くなりになるでしょう」
「え…。そんな…お父様が…」
「………、えぇ。い、いえ!そんなことはどうでもいいのです!ここにいては危険でしょう。さぁ、逃げましょう!立てますか?」
こんな時まで父を慮るマリアの姿にカーシンが哀切を感じたのはまた別の話。
とにかくマリアとアレクセイの二人は、祖国の戦争敗北をきっかけに外へ出た。
二人が城を脱出して数日後、エルギン本城は大帝の死と共に陥落する。
長きに渡り北方を恐怖で塗り潰した大帝の死。そして大帝が統べていたエルギンと言う国の滅亡。たった一国で北方全土を敵に回した末路は悲惨そのものであったが、しかしその余波は死後にも残り続けた。
大帝に抑圧され続けた者。大帝に親類を殺された者。大帝に祖国を破壊された者。生き残ってしまった人々は大帝が死んだことで歓喜し、或いは、行き場のない怒りを膨らませる。
大帝も死に、その配下も悉く死んだことで、怒りのぶつけどころがどこにも無かったのだ。
暴走し出す市民のその感情を抑えようとするカリスマ的指導者ももういない。
憤怒は膨らみ、増大し、やがて爆発する。
彼らは“過激派”と呼ばれ、大帝のあらゆる痕跡を根絶させようと動き出した。
矛先は、当然三人の子供達に向けられよう。
エルギンの城から抜け出し、近隣の村に潜んでいたマリアとアレクセイの二人は、村民からの告発を受けた過激派に追われることとなる。
「はぁ…はぁ…はぁ…。っ、アレクセイ!頑張って!まだ止まっちゃダメ!!」
暗い森林をかける姉弟。泥濘に脚を取られながらも走ることを止めず、木々を払いのけて二人は駆けた。
カーシンは二人を逃す時間を稼ぐために村に残った。
「説得してきます」と彼はマリアに告げたが、その言葉の軽さに対して、やけに重々しい視線を落としていたことをマリアは忘れない。
彼が死を覚悟していたことは、齢八歳のマリアにも良く理解できた。
だが、そんなカーシンの覚悟虚しく、結局兄弟は深い森林の中で過激派に追い付かれてしまった。
過激派の男に殴り飛ばされ、岸壁に叩きつけられたマリア。彼女は両断されたカーシンの首を目の前に押しつけられ、加えて弟が首をギリギリと締め付けられる姿をも目にしてしまう。
「くっ…あぁっ…っー!離せっ!離せ離せっ!!」
「やめっ…やめて!!やめてぇぇぇ!!!」
「おいおい。何してんだ。もっと痛めつけてから殺さねぇとだろ?先走ってんじゃあねーぜ」
「…私の夫と息子は…こいつらに殺されたも同然よ…!今すぐ殺してやらないと気が済まない…っ!!」
「そうかい。じゃ、俺たちは姉貴の方を痛ぶるとするかね。俺たちが味わった苦しみを体験させてから殺さねぇと」
「お願い!!私たちは何もしてないわ!!やめて!!お願いやめてぇ!!!やめてぇぇぇぇ!!!!!」
過激派の面々による二人への暴行は激しさを増す。
アレクセイを離せと叫ぼうと、誰一人として聞く耳を持たない。止まらない過激派の憎悪。止まることを知らない過激派の憤怒。それらは関係無かったはずのマリアやアレクセイに全て降り注がれた。
「俺たちだって止めろと言ったさ。でも誰も彼もその手を緩めることは無かった…。お前らは戦争がどんな状態だったか知らねぇからそんなことが言えるんだ。お前にも同じ苦しみを味わってもらうぞ!」
降り止まない拳の雨。頬を打ち、腹を打ち、瞼が二倍近く腫れ上がるまで止まらない殴打。
そうして、マリアの肉体がボロボロになり始めた頃。一つの変化、と言うよりも一つ途轍もない異常現状が起こる。
「…おっ…おぉ?なんだこりゃぁ、前が…見えねぇぞ?」
マリアを殴りつけていた過激派の男の一人。その眼球が消滅した。
それどころか、
「えっ?あっ?何が、起きてんだ?声がーーーー」
殴打するための拳も、腹を蹴り飛ばしていた脚も、全ての四肢が消し飛んだ。達磨になった男は重力に逆らうことなく地面に落ち、何が起きたかまるで理解できない様子だ。
目の前の異様な光景に唾を飲むマリア。しかしながら過激派の面々がその景色を見て騒ぎ立てることは無かった。
何故なら、全員眼球が無かったから。
アレクセイの能力によって眼球。声帯。四肢。そして果てには一部の臓器が全て消滅し、十数人の過激派全てが死に果てていたから。
「アレ…クセイ……??」
「……ねぇ……さん……」
「え、嘘。ウソウソウソ!アレクセイ!!ねぇ起きてアレクセイ!!!」
遂に目覚めた能力で敵対する人間を全て殺し尽くしたアレクセイ。だが、無事に全てが解決とはいかなかった。
アレクセイの身体は度重なる暴行によって既に限界を通り越していたのだ。
マリアの前まで身体を引きずって這い寄るも、彼女の腕の中で彼は息絶えてしまう。
「お願い…ねぇお願い…どうして…、どうして私たちばかり…こんなにも…!」
力無く首をもたげる七歳のアレクセイ。彼の肉体は徐々に硬直し、瞳孔の開いた目からは光が失われてゆく。
マリアは全てを諦めた。奈落へ突き落とされたかの様な精神。冥府にいるかの様な心。光を失い、心を引き裂かれ、深く絶望した。あまりにも残酷過ぎるこの世に対して、或いは自分の非力さに。
力があれば、何か成せたのだろうか?どんな力があれば。どんな精神性があればこんな結末にならなかったのだろうか?
そう考えながら、マリアはアレクセイの瞼を右手で優しく閉じた。
「アレクセイ…私は……どうすれば良かったのだろうな」
「 」
「…??……え?」
その時、アレクセイの目が開く。
鼓動は復活していない。肌の血色は依然として死人同然。薄暗い森の中でなんとか見える彼の目も、まだ光を映してはいなかった。
それでも、アレクセイは目を見開いてマリアの相貌を見ていた。それだけは間違いの無い事実であった。
即ちこれが、マリアの『冥府の神』の能力が覚醒した瞬間である。
皮肉にも姉弟の二人は、父が死に、祖国が滅んだ後に神格者として覚醒したのだ。
「……全部、思い通りになればいいね。全部僕らが思い通りに出来れば…いいよね…」
「……うん…。あの時の私たちに力があればこうはならなかったもの……」
そうして姉弟は、過程は違えど、動機は違えど、父と同じ結論に辿り着く。
北方を力によって支配する。そして二度と自分たちの様に虐げられる存在が生まれぬ様、徹底的に統治する。
その過程に生まれる犠牲は、未来の平穏のための犠牲であると割り切った。
この思想がかつての父と殆ど同様のものであることは、マリアも理解している。しかし、歩み始めてしまった手前、もっと言えば自身の能力に目覚めてしまった手前、最早止まることは出来なかった。
マリアはこの悪夢を、眠る度に思い起こすのだった。
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人気の無い薄暗い城。再度展開された冥界領域の中央に佇む仄暗き空間。
本城の最上階、玉座の間は重々しい空気に満ちている。
玉座に座るマリア。傍に控えるアレクセイ。そして階下に潜む復活した大量の屍人。それらが空気を歪ませているとも言えよう。
しかし、本当の理由はまた別にある。
二人の目の前に堂々と鎮座する、深い深い漆黒の、巨大な鴉。
「どうも久しぶり。随分と荒れてるようだね」
「荒れている?私が?どうしてそう見える。私は今、非常に落ち着いているとも」
「そうかぃ。てっきり屍人を大量に狩られて落ち込んでいるかと思ってたよ」
鴉は、低くしゃがれた声でマリアに対して言葉を吐く。
この鴉は、反帝国同盟盟主の側近、その人物の能力による巨大な生物だ。視界や意識を共有し、情報の伝達、或いは情報の収集のために日夜反帝国同盟幹部の根城を飛び回っている。
つい先日は強力な神格者の遺体をマリアに提供していたり定期的にマリアの元にも姿を現していたのだが、今回は中々、現れたタイミングが悪かった。
ハルトたちを逃した後、マリアは冥界領域をなんとか再展開させ、アレクセイやネズミ等有力な屍人を再び甦らせた訳だが、他の屍人も甦らせようとしたタイミングで鴉はやって来たのだ。
必然、鴉は骨に戻された大量の屍人たちを見ている。
マリアが言い逃れることが出来ない程明確に、戦闘の痕跡を見られてしまったのだ。
鴉は追及する。この場で何があったのか。屍人が骨に戻るとはどう言うことなのか。冥界領域はどうやって破られたのか。あらゆることをマリアに問い詰めた。
「内側に侮れん奴がいてな。してやられた。数人に逃げられたのも、屍人がやられたのも帝国の兵士の能力によるものだ」
「帝国の兵士がこちらへ来ていたのか。ふむ、しかしだ、無作為に突っ込んでくることもあるまい。何か策があったんじゃあ無いのか?」
「飛び込んできた理由は配下の駄蛇が帝国の兵士を監禁していたからだ。冥界領域が破られたのも屍人が軒並みやられたのも、救出にやって来た帝国兵士の神核解放の能力。他に聞きたいことはあるか?」
「ふぅむ。神核を解放させれる程の実力者が。屍人に対する手段もそれなりに用意しているんだろうね。どうだい、更に援軍が必要かな」
「不要だ。既にその兵士は始末した。それに屍人も殆ど復活させた。次、帝国の兵士に遅れを取ることは無い」
状況を粗方説明し終えたマリアは、キッパリと鴉の誘いを断る。
動機は二つ。
一つはシンプルに北方を自らの手で掌握したいこと。反帝国同盟の傘を被り保険は張っているものの、それ以上の介入をマリアは望まない。あくまで利害関係の一致で同盟を組んでいるだけであり、北方制圧後に自分たちの立場が脅かされるような関係は持たない。
が、理由としては二つ目の理由の方が重要だ。
光の神子。その存在を知られたく無いからである。
先の戦闘、確かにマリアは勝負に負けたものの、シャーロック、ワトスン、そしてアンデルセンと言う三人の強力な屍人を手に入れ、それらの人物から逃がそうとしていた白髪の青年が『光の神子』であると知ったのだ。付け加えるなら黒髪の青年が『影の神子』と言う情報も仕入れている。
光の神子と影の神子を手中に収めること。それが何を意味するのか。わからぬ者はおるまい。
帝国、そして反帝国同盟。現在のこの世界を席巻する両者に対してこの上ない牽制材料を手に入れるのだ。
言うまでもなく、帝国に対しては人質と言う側面で、あらゆる猛者たちの北方への手出しを防止することが出来よう。
そして反帝国同盟。理由は依然として不明だが、かの盟主は光の神子と影の神子を求めている。であれば二人の存在は反帝国同盟に対しても交渉材料として使えるのである。
もっと言えば、手駒として使うことも考えようによっては有効だ。光と影の力は相対する敵に対して最大の効力を成す。一度屍人にしてしまえば叛逆の恐れも無く、マリアにとって最大の手札になろう。
故にこそ、マリアはハルトの情報を鴉へ明かさなかった。
「じゃあ攻めるのかい?帝国の連中を」
「攻めようか。奴らの準備が整うより先に」
「そうかい。それで援助もいらないと。まぁ強気なもんだね。帝国だってお前たちの全貌を知ったんだ。それなりに力を入れてくるはずだぞ?」
「関係無い。私の手札が今、どれだけのものか。攻めようとも、逆に攻め込まれようとも関係無いのだ」
「じゃあいいよ。ゆっくりと、頑張ってみるといい。どうなるか見ものだよ。これで勝てたなら、君たちの地位は大いに向上することだろう。ただもし、屍人に対抗する手段として光の神子を帝国側が用意していたなら、その時は真っ先に我々に報告することだ。それはわかるな?」
「無論だ。そこは信頼してもらおう」
「ふむ。ではまた。次は勝利の祝いを持ってくるよ」
そこまで言うと人間大の翼を大きく左右に広げ、鴉は天窓から飛び立って行った。
その姿が小さく見えなくなるまで、黙って見送るマリアとアレクセイ。二人は改めて覚悟を固め、数日後に迫る北方大戦を思いあぐねる。
屍人側の戦力は想像を越えて過剰である。が、マリアは決意を固めたとて、一抹の不安を消し切れなかった。
「で、ねぇさん。いつ、攻め込むんだい?」
「そうね。万が一のためにも冥界領域を拡大させてからがいい。二日後…。奴らの準備が整うより先に、光の神子を獲るために出向こう」
「あいつ、あの精神状況。ダッキに相当やられたみたいだね。多分もう復活してこないよ。そこまでやる必要は無いんじゃない?」
「そうかもね。でも、用心に越したことは無いわ。…最悪、あの手札を切る可能性もあるわ」
マリアはふと、玉座の後ろに鎮座する棺桶に目を向ける。
人ひとりを収納するには些か巨大過ぎるその棺桶は、重厚さとはまた別の、異様な圧を放っていた。
静謐、憤怒、荘厳、威厳、崇高、畏怖。ありとあらゆる黒く巨大な気配は辺りの空間を確実に歪ませる。
マリアやアレクセイが敢えてそれに触れようとしないのも、その深く黒い鉄棺から放たれる異常な気配が理由だろうか。それともはたまた、中に眠る人物に対する感情が起因しているのだろうか。
何にせよ、負の感情に満ちたこの玉座の間では、あらゆる推測が意味を成さない。
これより行われる北方の命運を賭けた闘争にただ全てを投じることでしかマリアの不安は晴れないだろう。
(何を迷っている…何の息苦しさなんだ、これは。光の神子は最早廃人だ。であれば屍人に対抗する手段など現状恐るべきモノは何も無い。冥界領域が打ち破られることも無いだろう。私たちが負けることなど万に一つも考えられないのだ。…だと言うのに)
それでも、マリアの焦燥にも似た不安、心に差した影は晴れることが無い。
不安を表に出さぬよう務め、マリアはアレクセイの頭に手を置く。そうして背後にある鉄棺から目を逸らした。




