第三十六話 無常
「まず、貴様は何者だ」
エルギン本城での戦いから数刻。ハルトとアナの二人を担いで命からがら逃走したクモナは、逆に黒い気配を追ってエルギン本城へと駆けていたレンジたちとぶつかる。
帝国軍の制服を確認し安堵したクモナであったが、運が良いのか悪いのか。へたり込む意識のないハルトを見たレンジはすぐさま懐の鞭剣を抜き、クモナへと突き立てた。
「端的に説明しろよ?今、俺は気が立っている」
レンジは鞭剣をクモナの首へ添え、脅迫じみた言葉を口にする。
言葉の通り、今のレンジに余裕は無い。
ハルト捜索もそうだが、消えたアンデルセンの気配や、シペトテックが感知した禍々しい黒い気配が彼の頭を重鈍にさせていたのだ。
それに対してクモナは冷静に、完璧な対応をした。
まずレンジを刺激せぬようにハルトを起こし、味方であることを証明する。それと同時に自身は息を整え、今にも倒れ込みそうな身体に鞭打って状況を説明した。
つい数分前、エルギン本城にて屍人の大群と大規模な戦闘があったこと。それを外部から視認できなかったのは、冥界領域と言う屍人の主人の能力によるものだということ。
そして、どうにかそこから抜け出せたのは自分たち三人だけで、まずは追跡から逃れるためにも遠くへ逃げなければならないこと。
とにかく、必要最低限な情報を必要最低限な言葉で、喉から血を吐きながらも必死の思いで情報を伝えた。
「…いいか!俺のことが信頼できないってんなら、俺を置いてハルトたちだけ遠くへ運んでくれて構わねぇ!だから!まずはこの場から離れねぇといけねぇんだ!!じゃねぇとっ!!」
「元よりそのつもりだ。だが、説明が足りん。お前はどうやって冥界を抜け出した?本来屍人で無ければ出入りは不可能だったはずだ。そしてーーー」
シャーロックの報告で冥界領域のことと、その特性を知っていたレンジは不審点を羅列する。
同時に彼はクモナにグイッと詰め寄り、鞭剣を更に深く、クモナの首へと押し当てた。
「ーーーオレンジ髪の奴がいたはずだが、そいつはどうした?」
クモナへの問いかけはアンデルセンの所在であった。
レンジはクモナのことを既に疑ってはいない。クモナの態度と言動を見て、そして心音を聞けば、虚偽が無いことは容易に汲み取れるからだ。
先んじてシペトテックが撒いていた穀物もクモナに対して敵性反応を示さない。
それらの情報から、レンジ、シペトテック、マヤウェルの三人は目の前の人物への疑念を捨てていた。
レンジの胸中に残る疑念はクモナが敵であるか否か、それに対してでは無い。この街にいたはずのアンデルセン。彼の所在に対してだ。
冥界領域からの脱出はこの三人のみで成せることでは無い。それをレンジは理解している。シャーロック、ワトスン、そしてアンデルセン。本来この場にいるであろう三人がいないと言うことが何を意味するかも理解している。
されど、アンデルセンの義兄であるレンジは、その所在を明らかにしなければこの場から動けなかった。
彼の能力的に心配は無い。もっと言えば、アンデルセンがどうなろうと彼の独断専行が招いたものだ。隊律的観点でも、或いは合理的観点でも、本来であればレンジはこうも焦燥を抱かなかったはず。
であるのに、眼光は鋭く、次なる言葉を吐こうとするクモナを射抜く。
地面へとへたり込んでいたハルトの意識が正常へと戻ろうと、その視線を動かすことは無かった。
「どうした。早く答えろ。俺は気が立っていると言ったはずだ」
「……。…冥界領域を脱せたのは…、アンデルセンの能力のお陰だ。そんでアンデルセンは…俺たちを逃すために殿を務めた。屍人の主人と、あの場所に残ったんだ」
「説明になっていない。アンデルセンの能力で領域が晴らせるか?アイツの能力は俺が一番知っている。可能性があれば俺が気付く。そしてシャーロックが見逃さない」
「違う…アイツは…」
一瞬の沈黙。更に鋭利さを増すレンジの眼光と語気は、クモナが言葉を発することを躊躇う程だった。
しかし。意を決しクモナは慎重に言葉を紡いだ。
「神核解放…。アイツは…神核を解放させたんだ」
「……、何……?」
クモナの言葉が水を打ったように響き、再び空気が静まり返る。
重くのしかかる空気が辺り一帯を包むと、意気消沈として正気の無かったハルトですら、何か異常な事態であることを理解した。
それ程までにレンジは動揺していた。合理的で鉄面皮な彼の愕然とした表情は、ハルトにとって初めて見る光景だ。
鞭剣を落とし、俯きながら思案するレンジ。
見兼ねたマヤウェルが口火を切るまで、まるで時が止まったようだったことは言うまでも無いだろう。
「君さ〜それは本当なの?まぁレンジきゅんの様子を見るにー嘘ついてる訳じゃ無いんだろうけどさ〜。でも、私の知る限りアンデルセンちゃんはさー。無理矢理にでも神核を解放出来るレベルじゃ無いんだよね〜」
「それは…わからねぇ…。けど多分、シャーロックって奴の能力があったんだと思う。俺は見ててそう思ったんだ」
「あっそうー。まぁそれならそれでいいや。じゃあ所在もわかったことだし、危険だから早くこの場から立ち去ろうね。レンジきゅん〜?」
「…………」
「ーーーえっ、立ち去る…?……えっ、いや、なんで…」
黙り込んだままのレンジ。何かを察した様子のシペトテック。そして飄々と撤退を急ごうとするマヤウェル。
そんな彼女に意を唱えたのはハルトであった。
「……どうして…だ?なんですぐ逃げようとするんだよ…?なぁレンジ…なぁ!早くアンデルセンを助けに行こう!!約束したんだ…すぐ助けに行くって…。今ならまだ間に合うんだろ!」
「………黙れ」
「変な暗い境界も無くなってた!屍人も消滅してた!今なら間に合うって!なぁレンジ!!!」
「黙れっ!」
「っ!!!??」
耳を劈き、場に叩きつけられたレンジの怒声。
再び両者を取り巻く空間が時でも止まったかの如く、冷たく張り詰める。
平時から無闇に感情を乱すことなく、泰然自若と合理性の塊のような男。それがレンジだ。
そんなレンジの取り乱した姿と行き場の無い怒りとも取れるレンジの声は、精神的にどん底にいるハルトを萎縮させるのに十分だった。
「ハルトきゅんはさ〜。まだあまり状況が掴めてないみたいだね〜」
そんな空気を読んでか、はたまた空気が読めないのか。いつもの調子のマヤウェルがまたしても先鞭をつける。
「急にごめんねーハルトきゅん、私マヤウェル。鷲の戦士隊の一人ねー初めましてー」
「…………、なんだよ。それでマヤウェルさんは、何が言いたいんだよ…」
「うんーあのねー。さっきそこの男の子が話してた神核解放ってのはさ、神格者の奥義なのー。類稀なる才能を持った子がー、心身共にその才能を極めた時にようやく使える最強奥義ね〜。かっこいいでしょ?でもさーアンデルセンちゃんはまだまだ若いよね〜。才能はあると思うけどさーー…。言いたいこと、伝わる〜?」
「アンデルセンが…その技を使えるのはおかしいってことか……?でもそんなの…、そんなの関係ない!!アンデルセンは死なねぇんだから!助けに行かなきゃじゃねぇか!!」
「ん〜…。まぁもしかしたらはあるかもね。もしかしたら生きてるかも。でも多分その可能性は薄いかなー。いいー?未熟な神格者が無理矢理神核を解放するとね、身体がその負荷に耐えられなくて神核ごと消滅しちゃうのー」
「………は???」
神核解放。そのリスクについて語るマヤウェルの言葉。
それはハルトを押し潰さんと体に重くのしかかり、混乱に喘ぐ脳内を更にぐちゃぐちゃに掻き乱した。
そう。アンデルセンはアレクセイの能力によって身体の特性を奪われるまでも無く、ほぼ確実にその肉体の消滅が確定していたのである。
再生の能力があったとしても、神核がそもそも擦り減ってしまっては能力を使用する余地も無い。
神核解放は、帝国の隊長格であっても命の危険を伴う正に諸刃の剣。隊長格でも、はたまた天帝直属の兵士であっても、それを成せる者が何人いるだろうか?
なんにせよ、まだ未熟な神格者が神核を解放することは確実なる死を意味していた。
「…おい…嘘つくなよ…。嘘をつくな!!
そんな訳ない!アンデルセンは…アンデルセンは死なないって…!アイツがそう言ってたんだよ!!」
「そぉなのー?まぁあれじゃないかな。ワンチャンあるかもなーって思ってたんじゃない〜?まぁもし仮にアンデルセンちゃんが生き延びていたとしても、今は助けに行かないけどね〜」
「……どーいう事だ…。……なんで…なんでそんなことを言うんだよ!?!?アンデルセンは生きてるし、今なら間に合うかもしれねぇだろうが!!」
「うーん…。随分と、聞いてたより強情なんだねーハルトきゅんー。いい?私たちが受けた最優先の命令はね、“君の保護”なの。不確定要素の多い敵を相手に、みすみす君を危険に晒すことなんてすると思うー?シペたんの植物もさっきの反応に興味を示さないし、多分親玉は隠れたんだと思うよー」
「わかってくれないかなー」と軽く言ってのけるマヤウェル。腰に手を当て、ふぅーっとため息を吐くと、静かに怒気とも取れる威圧感を醸し出した。
その穏やかな物腰や、ゆったりとした衣服や髪の動きとは裏腹に、いざとなればハルトを力づくでも連れていかんとする凄味が彼女からはじんわり滲み出ているよだ。
それは精神が崩れかけているハルトからしてもよくわかる。
加えて、未だ動かないレンジから漂う言うに言われぬ哀愁。黙り込んだまま立ち竦むクモナの表情。
それらの情報から、ハルトは今一度理解する。
アンデルセンは、助からないのだと。
元より、どこかで理解していた。
アンデルセンのあの痛みに耐え忍んだ苦悶の顔つき。今までに見たことの無かったあの表情。何かがおかしいと、何かあると感じ取っていたのだ。
故にハルトはあの場に残ろうとした。残ったところで何も出来ないはずなのに、どうしても残ろうとした。しかしながらそれはクモナによって阻まれ、今もあの場へ戻ろうとする行動を三人に制止されている。
もっと言えば、この状況であの場に戻ることがどれだけ危険な行動なのかもわかっていた。
冥界領域。そして屍人の軍勢。まさかすぐさまあの軍勢を復活させられるとは考え難いが、こちらはハルトの光の力以外でマトモな対抗手段が無いのが現状。アンデルセンが生きている可能性にかけ一気呵成に攻め込むには不透明な要素と危険性が多過ぎる。
ともすればここから全滅なんてこともあり得るだろう。マリアにとっては、屠殺場へと仔羊が自ら歩いてくるようなもの。
ハルトはわかっているのだ。アンデルセンを助けに戻ることが合理的な判断では無いと。
しかし、受け入れられない。受け入れることを頭が拒む。
アンデルセンが生き延びている可能性が限りなく薄いのだとしても、一パーセントでも可能性があるのならハルトは動かずにはいられなかった。
「……ダメだ…。そんなの嫌だ…嫌だ嫌だ嫌だ!俺は…俺はもう、こんなの……、アンデルセンまでいなくなったら…俺は……!…あっ、あぁ……!ぅああああぁあッッ!!!」
目の前で殺された母親。育ての親の死。人狼やダッキによる村の襲撃。ダッキから受けた拷問。アナスタシアが受けた陵辱。そして、アンデルセンの死。
ここ一月でハルトに襲いかかった災難は、齢十八の青年にはあまりにも重たく、厳しい。着実にハルトの心の支柱を一本一本へし折り、彼を底へ底へと追い詰める。
そして今、ハルトの精神は崩壊してしまった。
「嫌われ役を買ったのは私だけどさ、ちょっぴり心が痛むかなー。だからほら、大変なことになる前に早くここから立ち去らなきゃね。いいよねーレンジきゅん…じゃ無くて、レンジ隊長?」
「……あぁ」
崩れ落ちるハルトを他所に、合理的な選択を取るレンジ。
エルギン本城に背を向けて歩き出した彼の唇と、千切れんばかりに握った拳からは、赤い血が滴り落ちていた。
「なぁ、隊長さんさぁ。光の神子君は無理矢理にでも連れて帰るとして、この二人はどうすんの?この変な男と、裸同然の女」
「…連れて行く。重要参考人に違いないからな」
「あっそう。ま、隊長さんが言うならそうするかなぁ」
レンジの命令を受け、能力で育てた植物を使い、無理矢理ハルトとアナを担ぎ上げるシペトテック。
辺り一帯は日中だと言うのに、穀物が満足に成長しないほど曇っていた。
対してレンジは二人に振り返ることもせず、顔も見せず、ただ前を向いて決意を改める。
「必ず…必ずそいつらから情報を徹底的に聞き出す。その上で、屍人の主人は俺が殺そう」
その目には、感情を凪いだ冷徹な殺意が灯っていた。




