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ケツァルコアトル〜太陽になる男〜  作者: AU
第一章 北方攻略編

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第二十九話 Live and Let Die①

 






(ここは…どこだ……?)





 目覚めた時、そこは陰鬱とした薄暗い地下室だった。




 俺は今、正座の態勢で冷たい地面に座らされ、両手は手枷を嵌められ後ろでに壁から伸びた鎖で縛られている。

 ひとえに逃げ場が無い。と言うよりも逃げようが無い状況だ。




 壁に設置された蝋燭の灯りだけを頼りに辺りを見渡すと、徐々にだが周囲の状況が見えてきた。




 石造りの壁。どこかで見覚えのある器具の数々。血痕と共に刻まれる悲鳴の跡。

 鎖や鉄片がそこら中に散らばり、おどろおどろしい印象を感じ得ない。




 なるほど、一目見て全てがわかる。ここはきっと、





(ダッキの…根城、か……)





 俺は、ここがダッキの根城であると確認する。




 まぁまず間違えようが無い。この散乱している拷問器具の数々はアベラワーの闘技場で見たものだ。




 壁や地面に染み込んだ死臭は嘘をつかない。

 間違いなくここでも数多の人間が傷つけられ、耐え難い苦痛と、この上ない憎悪を抱えて殺されたのだろう。




 ーーーそして、次の標的はきっと俺だ。




 そうだ。俺はローズアイルの村でダッキに捉えられて、ここに連れてこられたのだ。





(……アナは、そうだよ…、アナはどこに!?)





 ローズアイルの村の惨劇を思い出すよりも先に、俺はアナの所在を確認する。




 一寸先もぼやけて見える様な微かな灯火の中、俺は必死の思いでアナの姿を探した。




 この期に及んで最悪も最悪だが、俺はあの時の記憶をしっかりと覚えている。

 俺のせいであの村の人たちが一人残さず殺されて、俺は捉えられ、助けに来たアナもダッキによって連れ去られた。




 どうして、大切なことはふとした時に忘れてしまうのに、こんな記憶は脳裏から消えてくれないんだろう。





「ハ…ルト……??」





 そんなことを思案していた俺の脳内に、アナの声が飛び込んでくる。





「アナ!…無事、なのか!?」





 俺はすぐさまアナの声がした方向へと顔を向け、彼女の無事を確認した。




 いや、無事と言うべきでは無いかもしれない。

 恐らくここまで引きずられて連れてこられたのだろう。俺と同様アナの衣服は土で汚れており、綺麗に整えられていた水色のネグリジェは黒く染まってしまっていた。




 敗れた服の隙間からはアナの肌が見え隠れしているが、皮膚を地面に削られて赤く滲んだ素肌は、無事を喜ぶよりも先に痛々しさを見せつけてくる。





「なんとか…意識はありますわ…。でも、ここはどこなのかしら…」





「……ここは、多分ダッキの根城だ。それが北方のどこにあるかはわからないけど…。ごめん…アナ。俺なんかのために…」





「…そう。……いえ、ハルトも無事で良かったですわ。でも、凄い怪我ね。早くここから出ないと」





「うん。ちょっと、待っててくれ。すぐにでもこの鎖を引きちぎるから」





 俺はアナが何もされていないことに安堵しつつ、自分の現状を思考と共に整理する。




 俺のせいでローズアイルが襲撃され、村民がみんな死んだ。

 そこで俺はダッキに捕縛され、助けに来てくれたアナと共に今ここに至る。




 しかしながらその間の記憶は無い。

 ここがどこなのか。ダッキはどこに消えたのか。クモナは生きているのか。




 今俺がここにいると言うこと以外、何も判明していることは無かった。





(……けど。せめて。アナだけは。アナだけは逃さないと)





 アナだけはここから脱出させなければいけない。俺に残された使命はそれだけだ。




 俺の命はもういい。もう俺は生きていてはいけないことがあの夜判明したから、どうあれここから抜け出して命を拾おうとは思わない。




 けれども、アナに落ち度は一つも無いのだ。

 せめて、せめてアナだけは救わなければならないだろう。アナだけはここから生還させなければ、俺の存在はこの世において無意味が過ぎる。





「ーーーで、その状態でどうやって逃げるの?クソガキ」





 そんな打開策を巡らせていた俺の前に、突如としてダッキが現れる。





「ダッキ……」





「起きたのね。良かったわ〜。連れてきた時点で死んでたら、こっちの溜飲が下がらないから」





 ダッキは俺たちが縛り付けられている地下室に入るや否や、ヒラヒラと手を振って俺を挑発した。




 ゴシック風の紅いドレスと白いフリルを靡かせ、黒いハイヒールをカツカツと鳴らすダッキ。

 纏った衣服は血塗られたドス黒い赤では無く、最初に会った時のように綺麗な色のものに着替えられていた。




 唯一、腹部の部分を仕切りに撫でているあたり、まだ俺から受けた傷が残っているのだろう。

 その事実に怒りを露わにしながら、ダッキは言葉を続けた。





「は〜今から楽しみだわ!お前を苦しめなくっちゃね!私のこの傷も、苦労も、報われなくっちゃおかしいでしょ??」





「……クソ…。サディスト、が…!」





「好きに言えばいいじゃないっ。心折れかけてた奴が、これから起きることに耐えられるとは思わないもの。あぁでも、すぐにくたばるのだけは勘弁ね?全力で私に絶望を見せてから落ちて頂戴」





 身動きが取れない俺に対して、ダッキはツラツラと余裕の表情で言葉を吐く。




 まるで褒美を待つ子供のように胸踊らせて喜びの兆しを見せる女。

 更にこの状況を楽観しているのか、高揚感を目に見えて顔に映すと楽し気に目を細めた。




 しかし、それに対して怒りを露わにしたのはアナである。





「……ねぇ…。一つ、聞いてみてもよろしいかしら?」





「勝手に喋れば?どうあれお前の運命は変わらないし」





 ドレスと同じ赤色の髪の毛を指で巻いて、退屈そうに髪を弄るダッキ。




 アナはその高圧的なオーラに身を萎縮させつつも、内心を押し殺し、虚勢を張ってダッキから目を逸さなかった。





「……アナタは…。どうして嬉々としてあんなことが出来るの?」





「……ハァ?そんなこと??もう何度も何度も聞いた退屈なセリフ。そんなの楽しいからに決まってるじゃない」





「楽しい…?ほんとに?」





「そうよ。ただただ楽しいの。人が苦しんでいるのが好き。希望を抱いていた目が絶望に染まるのが好き。人間の苦悶の表現は多種多様よ?別にお前に理解してもらおうとか思わないけど」





 さも当然かのように淡々と持論を述べるダッキ。




 その絶望的に噛み合わない価値観を俺は既に知っていたが、アナはそれを知らないのだ。

 まるで理解が追いつかないと言いたげに目を瞠目させ、言葉を失っていた。




 その間に、俺はどうにか手枷から解放される手段を探す。

 恐らく毒のせいだろう。やはり身体に力は入らない。光の力を練れるかと思ったが、この拷問部屋一体に光の粒子を放出するのも不可能だろう。





(まずい…まずいまずいまずい…!このままじゃまた失う!!最後までっ、何も成せずに終わってしまう!!)





 どうしようもない焦りが体の内側から俺を圧迫する。

 けれど何か打開策が思いつく訳でもなく、手枷を力の限り引きちぎろうと破れかぶれになるしか無かった。




 手首や足首の皮膚が剥け、血が流れ、肉が露わになろうと、その拘束から逃れることは叶わない。





「あ、ちょっと。そこのクソガキがガチャガチャうるさいから黙らせて」





 手首の皮が抉れて血が吹き出すほどに枷を引っ張り続けていた俺を見て、ダッキは背後に控えていた一人の屍人にそう命じる。




 細目に黒髪の短髪、そして見るからに鍛え抜かれた肉体と屈強な拳。

 上半身裸の男はニタニタ不気味な笑みを浮かべながら俺のことを殴りつけた。





「おい、お楽しみはこれからだぞぉ?お前は指咥えて黙って見てろぉ!」





 ゴキャ。屈強な屍人の拳が俺の左側頭部を打ち、鈍い音が頭部に響く。




 一瞬、意識が遠のいた。景色が湾曲して上下反転する。頭部からは血が垂れてきて、右目の視界は赤く染まっていく。





(…っ、……コイツ……!)





 恨み言を吐こうとするも、その力が沸かない。

 下手をすれば、今すぐ意識がブラックアウトしそうだ。




 しかしその最中、俺はダッキとアナの再度の問答を耳にする。





「…人を苦しめるのが楽しいだなんて…そんなの人じゃあ無いですわ…。他者を慮ることが出来るのが人間の美徳よ!誰かを思い、誰かのために行動する。時に我欲を律して、生存には不必要な善行を行える。それが人間だもの!」





「んだよ…何言い出すかと思えばマジにウルセェなぁ〜阿婆擦れ!!そーゆーことを言ってきた奴は過去にもいたよ!!だから何なんだって思うけどなぁ!?いいじゃねぇか、ただただ欲望のままに生きるのも人間だろーが!!」





「いいえ!それはただの獣よ!!アナタは人でなしだわ!!」





 アナが威勢よく啖呵を切る。




 するとぼやけた視界の端で、ダッキの体が怒りに震え始めるのが見えた。




 抑えきれぬ怒りが指先をワナワナと震わせる。今にも爆ぜそうな怒りは髪を逆立たせ、まるで殺意が具象化しているかのようだった。





 まずい。アナが殺される。





 俺は頭を地面に抑えられながら次に起こるであろう事態を危惧する。




 このままではまずい。ダッキは怒りの制御なんて出来るわけが無い。外見も中身も、あるゆる面で忍耐力に欠けた子供同然の女だ。

 ともすれば、アナは俺を庇い怒ってくれた訳だが、その意図を汲み取って慈悲を与えられるような奴では断じて無い。




 何とか、しなければ。




 決死の思いで鎖を振り切ろうとする。先ほどよりも肉に食い込んだ枷が鋭い痛みを与えるが、関係ない。

 何とかしなければ、アナが今にも死んでしまう。





 と、次の瞬間。

 危惧していた俺の脳髄に、衝撃的な単語が捩じ込まれた。





「コイツっ!…マジで腹立つゲロ女!!おいお前!!とっととコイツを犯して殺せ!!!」





「ーーーは?…」





 ダッキの発言を皮切りに、奈落すら安息に思える程の責苦が始まる。

 これより先、正視に耐えない、凄惨な光景が幕を上げた。






 それは正しく、悪魔の所業だった。

 身動きを封じられ、その光景を見ていることしか出来なかった俺は、何度舌を噛み切ろうとしたことか。






 瞳を閉ざそうと、両の瞼はダッキによって無理やりこじ開けられる。

 舌を噛み切って自害を図れど、猿轡を嵌められその手段も奪われた。




 意識を落とすことが唯一の救いだ。こんな光景見ていられない。

 しかしダッキはそれを許さなかった。気色の悪い高笑いをしながら、目の前の光景に手を叩きながら。俺の四肢をナイフで突き刺し、痛みで俺が落ちるのを防いだ。





 つまり俺は、目の前で、アナが凌辱されていく様を見ていることしか出来なかったのだ。





「やっ、めろぉ!!!やめろやめろやめろやめろやめろっ!!!やめろよ!!もうやめてくれぇぇぇええええええ!!!!!!」





 猿轡を噛み切り、喉を裂くように叫んだが、ダッキはまるで気にも留めなかった。

 俺が舌を噛もうとする度に強く頭を地面に押し付け、高らかに哄笑を響かせては、嬲る。




 ダッキに引き連れられて現れた男も、最早快楽に溺れるだけだ。どうにか逃げ出そうと身を捩るアナの身体を抱きかかえ、仕舞いには首を掴んで乱暴に組み伏せた。




 服をビリビリに破かれ、時に激しく殴打されたアナの身体に、悍ましき屍人の肉体が容赦なく捩じ込まれる。

 苦悶の表情を浮かべるアナを獣の如く犯す姿には、吐き気以外の何の感情も抱けない。





「…やっ、めろっ!!やめろアナを離せぇええええ!!!殺すんならっ、俺を殺せばいいだろ!!!!俺を殺せ!!!俺のことを殺せ!!!もうそれ以上好き勝手してんじゃねえぇえええええ!!!!!!」





「アハハハハハハハ!!!!まだ殺すわけが無いじゃ無い!!まだまだまだまだっ!ここからが凌辱の本番!!四肢を千切って!ダルマになった阿婆擦れの身体の穴という穴を犯し尽くしてやるわ!!!」





 服を裂かれ、白い柔肌を醜く汚され、男の体液に塗れて嗚咽混じりの苦鳴を洩らす少女の姿。




 それを嬉々として観覧するこの醜悪な悪魔。





「うっぁああああああああああああああ!!!!!」





「そうだっ!!泣けよ喚けよ!!!もっと絶望しろ!!もっともっともっと!!!私を散々馬鹿にした罰だ!!!よく見ろ!!お前を好きな女が目の前で犯され!バラされる姿をッッ!!!!!」





「くぅぁあ!!!ダッキィ…!!ダッキダッキダッキダッキィィィィッッ!!!」






 そうだ。即ちこの世に、希望は無い。




 否、俺の人生に希望は無い。

 ここ数日のあまりにも耐え難い出来事から、俺はその事実を改めて理解した。




 憎きダッキの名前を叫べど状況は何も変わらない。

 俺は、あまりにも無力だった。




 ひとしきりアナの身体を弄んだ後、屍人の男は満足したようにアナを冷たい床に投げ捨て、拷問器具をガチャガチャと漁り始める。





「……………おい…。何してんだ…何でそんなもん持ってんだそこのクソ野郎…。何を!しようとしてんだよクソ野郎!!」





 まるで剣を交差させて組み合わせたような巨大な鋏を取り出す男。




 血で錆び付いた巨大鋏を見れば、誰もが、この男がこれからどれだけ卑劣な行為をしようとしているのか理解するだろう。




 もう、何も見たく無い。正真正銘の地獄絵図はまだ終わらない。

 生きていることをこんなに後悔したのは初めてだった。





「…頼む…お願いだ…!!!…やめてくれ…やめて、下さい……!……もうこれ以上…俺の前で俺の大事な人を傷付けないでくれよ……!!」





「あら、アハハハハッ!何?さっきまでの威勢はどうしたのよ!!クソ野郎だの何だの好き勝手言いやがって!!!てかっ、私に言ってたのかあの台詞!!!やっぱりまだまだ許せねぇなぁ!!!もっともっと、絶望を私に見せろ!!!苦しんで苦しんで苦しみ抜けクソガキが!!!!」





「あぁ…うっ…ぐぁぁあ!!!!」





 ダッキの鋭いヒールで顔を蹴り付けられる。




 しかし、痛みなんかは感じなかった。声は洩れるけれど、痛みは無い。




 毒に身体を侵食され、喉は枯れ、顔も土と涙と血で汚れ果て、全身に裂傷や骨折の負傷を負って限界すれすれの肉体なのだけれど、それよりも心がもたないのである。




 心臓を鷲掴みにされているような感覚が永遠続く。自身の口から流れ出る液体がもう何なのかもわからない。

 吐き気も止まらない、胃袋がそのまま口から飛び出て来そうだ。




 もう…俺は………。





「おい!何落ちようとしてやがる!!!まだ私を楽しませろよクソガキィ!!!!」





 ダッキが這い蹲った俺の左手をヒールで貫く。




 けれどももう、焼き切れた思考回路は復活しない。擦り切れた意識は目覚めようとしない。





 俺は、自分が死んだのか死んでいないのかもわからず、最悪の光景から目を逸らすように意識を落とした。

 冷たい地面の上で、散々辛い経験を目にしてもここまでどうにか保ってきた精神が、最後の支えを失った。






 ============






 北方大戦を引き起こした張本人たるイヴァン大帝。

 彼には三人の子供がいた。




 力のみを求めた大帝は実子にも強さを渇望する。

 子供も神格者として産まれることを望み、仮にそうでなくとも神格者と同等に戦えるように育て上げ、優秀な駒として使うこと。それを思案していた。




 そこに愛は無い。ただ只管に自分の目標を達するための都合のいい手駒としか考えていなかった。




 そして、大帝に疑いも無かった。自分の子であるのだから当然神格者として生まれ落ちる。当然強い肉体を持って優秀な戦士となる。そう信じて疑わなかったのだ。





 しかし、生まれ落ちた三人の子供は末の次女を除き、神格者では無かった。




 長女と長男は幼い時分、その当時には神格者としての才に覚醒していなかったのだ。





 怒り狂った大帝により三人の母は惨殺されたが、当然、神格者であると明らかになった末の子に対しても態度は威圧的且つ容赦が無い。




 次女は毎日ネグレクトを受け、望まぬ修練を積まされ、食事も、睡眠も、全て管理された上で強い戦士になることを強要される。




 幼いからこそ生まれる欲望の全ては達せられず、肉体的にも、精神的にも壊れる寸前まで追い詰められた。




 泣けど喚けど大帝の苛烈な矯正は終わらない。

 末の子は毎日力尽きて寝に落ちる前に、涙で枕を濡らしたものだ。




 唯一、姉は自分のことを思いやり、夜はいつも隣にいてくれたが、神格者で無い上に女である姉に人権は無く、本当に辛いのは姉の方であると言うことも末の子は理解していた。




 つまるところ、どこを向いても地獄の幼少期だったと言えよう。




 誰もが大帝の元では虐げられ、辛苦を舐め、心を擦り減らした。





(わたくし)……もうこんな生活、耐えられませんわ……)





 何度も何度もこの国に生まれたことを悔やんだ。

 されども齢十にも満たない幼子には国を出ると言う選択は考えられず、





(私は…もうこんな苦しいことは嫌ですわ…)





 ただただ、自分の苦しみから現実逃避をしようと思案するしか無かった。




 姉の手を握り、今日も悪夢に魘されながら少女は眠りにつく。




 いつしか心を摩耗させた少女はそれしか考えることが出来なくなってしまった。





(もう…私…苦しいことは嫌…。辛いことは嫌…。普通に生きて、普通に恋をして、普通の女の子として生きてみたい…)





 思えば思う程に、現実との乖離に心が蝕まれる。




 さりとて現実は残酷であり、少女は望まなかったものの、彼女を取り巻く環境のストレスが彼女の能力を更に強力なものに昇華させたのだ。





(……何で今になって……こんな夢を……。あぁ、でも…)





「……私、辛くて苦しいことは、もう嫌ですの」






 ============






「んぁ?は?何??」





 ダッキの素っ頓狂な声が部屋に響く。

 彼女は何が起こったのか理解できていなかった。




 数刻前、耐えきれずに気絶したハルトを叩き起こすべく、その頭部を只管に蹴り続けていた時。彼女が連れて来た屍人の男はアナを更に凌辱すべく、拷問器具を手に添えていた。




 これより、今まで以上に凄惨な血の景色がハルトの視界に刻まれる。そのためにもハルトの意識は戻さねば。

 そんなはずだった。そんな予定だった。




 だが、そうはならない。

 ダッキの目論見は外れ、歯車は狂い始める。




 アナの腕を切り落とそうと鋏を構えた大男の腕が音を立てて灰のように崩れ去ったのだ。





「うっ、おぉおおおお??」





 鉄の鋏が地面にガラリと落ちたのと同時に、男は想定外の痛みに瞠目する。




 屍人である以上、光の力以外の攻撃には耐性があり、痛覚はそこに生まれない。

 であるにも関わらず。光の力を操るハルトが気を失っているにも関わらず、自身の腕に痛みが生じる。それは不自然以外の何ものでも無かった。




 何故、自分の腕は崩れ落ちたか。何故、自分は痛みを覚えているのか。





(いぃや違うぞ!!何だぁこれは!コイツ!何であれだけやられて立ってられるんだぁ!?)





 そう。男が総毛立つような思いをしたのは、自身の痛覚に対してでは無かった。




 恋した人物の目前で肉体を犯され、汚され、惨めにも吐き捨てられた裸の少女が。ボロボロの少女が今、目の前に立っている。

 それが男にとっても、ダッキにとっても震慄そのものであった。





「………私…辛いことは嫌なの。私を苦しませる人は、みんな嫌いなの…」





「おい…何だお前、何で急に元気になってんだよ!台無しじゃねぇか!!とっとと犯されて寝とけよ阿婆擦れがぁ!!!」





 ダッキの慟哭が走る。

 しかしそれより先にダッキの視界は高さを失った。




 ぐらりと揺れる景色。想定外この上ない状況。




 ダッキの膝から下は灰のように崩れ落ち、脚部を完全に失ったダッキは地面の上に不自然な体勢で落ちた。





「はっ?何?えっ???」





 硬直するダッキと大男。




 アナはそんな大男の頭を右手で掴むと、そのまま男の体内に光の力を流し込む。





「ぎっーーーあぁぁあああああああああ!!!!」





 まるで血液が蒸発するかの如き熱量を体内に注ぎ込まれ、血が巡るのと同様に光の力が体中を巡る。




 一体これがどんな攻撃であるのか、何故目の前の女が光の力を支えているのか。

 そんなことを理解するよりも先に男は、光が体を焼き尽くしていく感覚に筆舌に尽くし難い苦痛を味わい、蒸発するかのように消滅した。





「ぉ、お前!何をしやがった!?!?」





「私………、私はもう、あなたみたいな方は許せませんわ……」





「うっ…あぁ??身体が…動かねぇ…っ!!!」





 蛇に変貌しアナへ襲い掛かろうとするダッキ。




 しかし下半身を失ったダッキは立つことすらままならず、アナが目の前に近付いて来ることをただ黙って見ていることしか出来なかった。





「おい…おいおいおいおい!!近付くんじゃあねぇ!!何だ素っ裸のくせに調子に乗りやがって!!何を私にしようとしてやがる!!おいやめろ!!!きったねぇ手で私に触ろーとしてんじゃあねぇ!!!!」





 いくら叫べど、アナの歩みが止まることは無い。




 膝から下を失ってへたり込み、その場に釘付けになっているダッキは焦燥に駆られ、冷や汗をダラダラと額に浮かべた。




 自分の命が脅かされていること。

 そしてその命を狩る要因が何なのかまるでわからないこと。それが恐怖であった。





「おい!だから近付くなって言ってんだろうが!!

 やめろ!!私の肩に触れるんじゃあねぇ!!!!やめろぉおおお!!!!!!!!!」





 バシュっと軽快な音と共にダッキの右腕が塵に変わる。

 次いで、アナを振り払おうとした左腕も軽く払われ、ジワジワと粉微塵になって宙に舞っていった。





「わ…私の…腕が!腕がぁあああっっっっ!!!!」





 四肢を失い、悶え苦しむ動きをするダッキ。




 皮肉にも今し方、アナにしようとしていた行為の跳ねっ返りをダッキは受けていた。




 光の力で受けた傷は屍人であっても再生しない。




 アナの次なる手を防ごうとしても、それを払うための腕が存在しない。

 どこかへ逃げようと画策せれど、それを成すための脚が存在しなかった。




 人を散々弄び苦しめた女蛇は今、人の形を失い、尊厳を失った状態で死を待つのみとなったのだ。





「おいっ!やべろ!!!正気かテメェ!!!私が!私がお前に何をしたんだ!!私は何もしてねぇだろ!よせ!よく考えろっ、やめろぉ!ヤメロォおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」





 次の瞬間、頭部をアナの手に握られ、大男同じく呆気なく消滅したダッキ。




 その最期は、図らずもダッキがもっとも嫌悪する終わり方だ。




 史上最低の悪女の第二の生は、いとも容易く幕を閉じたのである。






 ここはかつてイヴァン大帝が拠点としていたエルギンの城、その地下深くにあるダッキ専用の拷問部屋。




 エルギンに潜入していたシャーロック、そして追跡していたクモナや、ハルトを決死の思いで捜索していたアンデルセンがここに集うのはもう暫く後のこと。




 しかしながら、現状最も脅威とされたダッキは驚く程淡白に消滅し、残されたのは枷に縛られたハルトと、ダッキを消滅させた後に力を失い倒れ込むアナの二人のみ。




 アナは力尽きる寸前、ハルトの無事を確認すると、ひっそりとその両の目を閉じた。







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