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ケツァルコアトル〜太陽になる男〜  作者: AU


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2/29

第一話 その日、青年は

 



「ーーて……ーきて…。生きて。ーーー生きて、ハルト」




「!!!ッはぁ!ぐっ…ぅ……」




 後頭部をガツンと殴られたような衝撃で目が覚める。



 ーーーまた、この悪夢だ…



 一体何度この夢を見たら克服できるのか?興味のない昔話はいくら聞いても覚えられないのに、この夢は見れば見るほど記憶に刻まれて俺の思考を雁字搦めに絡みとる。



 今すぐにでも忘れたいのに、頭が忘れることを許さない。何度でも眠りにつく度に反芻して甦ってくる。



 母さんが死んだ時の夢。一番人生で辛かった記憶をまざまざと見せつけてくるこの悪夢。




「はぁ……くそ…。寝てたのに…疲れた…」




 どうして、俺はこんなに苦しんでいる?

 俺は今、平穏に生きている。大きな喜びや楽しみも無い代わりに、苦しみや哀しみも無い、そんな平坦な人生を生きている。



 自分で選んだ選択。そこに何の後悔も無いはずだ。

 はず…だったのに、なんでこの記憶だけはいつまでも俺を苦しめるのか。



 でもまぁ、どうしようもないことだ。これを改善したからと言って母さんが戻ってくるわけではない。だから、些細なことではあるのだ。

 そうさ、忘れよう。




「…ん、なんだハルト。また魘されたか」




 寝台の横に立つ大男が俺に声をかける。




「あぁ…。うるさかったか?オヤジ」




「そうでもない。気にするな。もう少し寝ててもいいんだぞ」




 大男。俺が“オヤジ”と呼ぶ人物は母さんの友人で、母さんがいなくなった後の俺の育ての親。

 そして、俺の情報を世界から消滅させた張本人だ。



 本名はムラクモ。元々傭兵をしていた人物だったが、母さんと知り合っていつからか真面目に働くようになったらしい。



 ちなみに父さんや母さんと同じくオヤジも神格者で、その能力は『双方に合意があった際、被能力者の存在や情報を完璧に消し去る』というもの。

 はっきり言ってよくわからないが、その能力のおかげで俺は誰からも命を狙われることなく、誰に利用されることもなく、今日まで静かに生きることが出来ている。



 そんなオヤジは俺を世界から孤立させた責任を感じているのか、ことあるごとに俺の世話を見てくれていた。



 そう。能力者であるオヤジだけは俺のことを忘れないのだ。 

 俺が母さんの息子であることを世界中で知っているのはオヤジだけ。文字にしたら、完全なるひとりぼっちにほんの少しの拠り所が出来ただけだが、その事実にどれだけ救われたことか。



 基本的にはひとりで生きていくしか無い中で、オヤジが時折話しかけてくれたことや、俺の悪夢にも理解を示してくれたことはこの上なく有難いことだった。



 とにかく、母さんが死んで以来、俺はオヤジの故郷である北方大陸の寒冷な山奥で暮らしている。

 そのため自給自足では生活が間に合わず、月に一度はこうして麓の街まで出てきているといった具合だ。



 もちろん基本的に街の人々と会話は交わさない。下手に自分の情報が洩れてしまえば、オヤジの能力が解けてゆく可能性がある。

 俺は慎ましく、月に一度だけ食料や生活必需品を買いにくるオヤジの親戚の子を演じている。



 しかしながら、街の人々の対応は無口で無愛想な俺にも温かかった。

 やれこれを持っていけあれを持っていけと、頼まずとも色々なものをくれる。それでいてオヤジが裏で根回ししているのかは知らないが、どこに住んでいるかなど身辺情報を深く尋ねてくることも無い。



 今日も日中の吹雪が激しく、帰るか否かで踏鞴を踏んでいたのだが、「危険だから少し休んでいきなさい!」と名も知らぬ婆さんに諭され、吹雪が止むまでの間休息を取らせてもらっていた。



 オヤジの故郷である街というのも起因しているだろうが、なんとなく居心地が良いのは事実。




「…さて、そろそろ帰れるか?もう日が暮れかけているが、そこまで長い距離でもない。行けるなハルト?」




「元々あのぐらいの吹雪なら行けると思ったけどな。ま、万全を期すってなら夜道の方がまだ安全か…」




 軽く会話を交わして仮宿を出る。ここから俺の住居までは三十分程度。夜道とは言えある程度道が舗装されているのと、最早慣れ親しんだルートであることから概ね問題は無い。

 今日も今日とて、オヤジの警護付きで家路についた。




 家に帰る。飯を食う。薪を焚いて湯を沸かし、軽く体を流す。そしてランプの灯りを消して寝台に入る。何も変わらないいつものルーティーンだ。



 ただ淡々と安定した横這いの人生を生きるだけの自分。そりゃあこんな自分に生きている意味はあるのかと何度も自問自答をしたさ。何度も母さんと暮らしていた頃を思い返した。



 けれどその度に母さんの死も同時に追憶されるんだ。どうも俺がいるだけで不幸になる人がいるらしい。俺がいると苦しむ人が増えるらしい。だからこれは仕方のないことだ。



 母さんに「生きて」と言われた以上死ぬ訳にもいかない。こうやって一定の調子で生きていくしか道は無いんだ。



 今日もきっとあの悪夢を見るのかな。

 そんな胸騒ぎに不安を覚えながら、俺は重々しい瞼を閉じた。




 ==========




 何か不吉な雰囲気を感じて目を覚ます。悪夢に魘されて起きる時とはまた別の違和感と心の澱み。



 今日は魘されなかったとホッと胸を撫で下ろすことは出来ない。嗅いだことのない嫌な臭いが漂っていたから。




(何か、おかしい…ぞ。すっごい肌がゾワつく…嫌な感じだ…)




 跳ね上がるように寝台を飛び出て家を出る。



 しんしんと粉雪が降る山の中腹。あたりはまだ日の出前で見渡す限り真っ暗だ。



 そう。真っ暗。一片の明かりも無い。街があるはずの場所を見下ろしても蝋燭の灯りひとつ見つけられない。




「……そんな訳、無い…何か、絶対におかしい…!」




 不自然だった。だから俺は山を駆け降りた。



 普段だったらこんなこと気にも留めないはずなのに、どうして脇目も振らずに走り出したんだ。そんなこともわからないぐらい必死だった。



 俺は必死で、必死で、普段なら三十分はかかるだろう街までの下り坂をものの数分で駆け抜けた。



 嫌な予感は杞憂であってくれ。不吉な雰囲気はただの勘違いであってくれ。

 これ以上、俺に禍をもたらさないでくれ。神様がいるのなら、どうか…どうか…



 そう、胸奥で強く希求しながら俺は街に辿り着いた。




「ーーー、ぁー……う、そ。だ…」




 そうして辿り着いた街は、真紅の血に塗れていた。



 建物はあちらこちらが砕け、ところどころに瓦礫が小山を形成している。夜道を照らすランプの火は何かに引火して小さな火災も起きていた。



 静かに生き絶えた街。数時間前まで活気のある状態だったのに今では生者の気配をまるで感じられない。


 

 パチパチと炎が燃え盛る音と瓦礫の隙間を抜ける風の音だけが確かにここは現実世界であると俺に理解させた。




「ーーーう、そだ…そんな訳ない。あれだけ町民がいたんだぞ…!たった数時間で、そんな訳…ない!」




 俺の脳は現実を理解しようとしない。理解の範疇を越えているのだ。目覚めたら、見知った街の風景が全て崩れ去っているなんてそう簡単に信じられるものか。

 こんなことはあり得ないと何度も何度も自分に言い聞かす。



 しかし、辺りの状態は、燃え盛る炎の中に確かにある()()()()、嗅いだことのない鼻腔を突き刺すような焦臭は。

 それらは目の前の景色が最早変えようの無い事実であると実感させた。



 恐らくつい先刻、何者かによって街は襲撃され、人々は無惨にも殺され尽くしたのである。



 俺は、もう頭がどうにかなりそうだった。理解をした途端に信じ難い光景は徐々に色味を増していく。



 そこら中に転がっている亡骸の余りの無惨な状態に吐き気すら覚えた。ただ殺されているのではない。まるで獣に食い荒らされたような遺体の損壊具合。しかしこれは獣による反抗では無いだろう。殺され方でそれはわかる。



 ここはこの世の地獄かと思えた。



 傍に転がる胸から上のない遺体に目を向ける。

 よく見るとそれが、昨日の昼に俺を家に泊めてくれた老婆の下半身だと衣服の柄でわかった。




「…っーーー」




 地面に足を縫い付けられたように一歩踏み出すのが難しくなる。



 が、それでも俺は慎重に歩みを進めた。

 瓦礫につまづかないよう、亡骸を踏まぬよう、慎重に慎重に。俺は一歩一歩前に進む。



 何故ならまだ確認しなければならないことがあるからだ。この街に確実にいるはずの人を探さなければ。喉に力が入らず大声すら出せないが、この目できっと見つけなければ。




(…いや、というかオヤジは。…オヤジは神格者だろ。普通の奴なんかに負けやしない。凶暴な獣相手でも、オヤジなら…問題ない…。

 そうだ!生きてる!オヤジがそんな簡単に死ぬもんか!絶対大丈夫。大丈夫なはずだ!)




 自分を納得させようと、ぶつぶつと暗示をかける。



 そうして歩く。オヤジの無事を信じながら。



 歩く。オヤジが運良く逃げれたことを信じながら。



 惨状を見るに襲撃犯は複数いる。それにオヤジは真っ先に逃げるような性格じゃない。最後まで戦い抜く。普通に考えたらもうオヤジは無事じゃあない。でも、だけど今回は、運良く生き延びているはずなんだ!




 しばらく歩くと、遠くに人影が見えた。

 屈んでいるような影の形。その人影は距離を詰めるごとに鮮明になっていく。



 瞬間、じわりと背中をなぞられるような悪寒が走る。



 なんだあれは、と自問自答を繰り返す。

 コンマ数秒の間に脳みそがフル回転して回答を求め、そして、静かに止まった。




 ーーー人影は遺体に貪りつく人狼の姿だった。




 俺は、憎悪がどんな感情なのかを生まれて初めて理解する。



 何故人を喰っているのか、何故顔が狼で身体が人間なのか。そんなことは心底どうでも良かった。



 何故なら、人狼に食われていた亡骸の顔があまりに見知った顔だったからでーーー




「……ッ!あ、。っ、ぅうおぉぉぉぉぉぉァァァァァァァァァッ!!!」




「!?なんだ!まだ生き残りがぁっ!ーーー」




 俺は拳に万力の力を込める。光が、夜の廃墟に煌々と輝き俺の拳に纏わり付いた。



 そしてその拳で振り向いた人狼の顔面を思いっきり打ち抜く。



 感じたことのない歪な感触。この手で生き物の肉体を壊した最悪の手応え。

 滑り、弾力、あらゆる全てが不快。



 しかしそんな俺の感情とは裏腹に、パァンと弾ける破砕音を響かせて人狼の顔は砕け散った。カクンと落ちる人狼の身体。チリチリと音を立てながら胸部、腹部、腕、下半身と順序良く人狼だった人の形は煤のよう散る。



 そりゃ不自然だとは思う。まさか襲撃してきたのが人狼だったなんて。しかも今の死に方も不自然だ。全ての事象が到底普通とは呼べないだろう。




 でも、もうどうでもいい。どうでもいいんだ。

 なんだか全てがどうでも良くなった。




 俺は、ここで死のうかと思う。

 


 実の親は二人とも死んで、育ての親も死んでしまった。俺は今度こそ間違いなく、この世界でひとりぼっちになったんだ。



 もしかしたら、この状況も俺の存在が招いたものなのかも知れないと思うと心に亀裂が入って今にも崩れ落ちそうだったから。

 


 ーーーやっぱり、それでも生きようとは思えないんだ。これ以上、生きていても苦しいことしかないじゃないか。



 そう思うと、ガクリと全身から力が抜けていくのを感じた。

 いや、違う。力が抜けると言うより、命が溢れ落ちている。



 先の人狼を打ち抜いた時、確かに俺は奴を仕留めたが、それと同時に奴の鋭利な爪は俺の脇腹を掠め、抉り取っていたのだ。故に俺の右脇腹からは血が気力と共に溢れ出ている。



 見た目以上に出血が多く、下手すれば臓物すら抜け落ちそうだったが、それよりも先に俺は膝をつきうつ伏せに倒れた。




「………そっか…普通に死ぬのか……。………まぁ、もう…どうでも、いいか…」




 身を貫くような激痛すらも今はどうでもいい。

 俺はもう、これ以上生きるつもりは無いのだ。自害する手間が省けたと言うもの。



 あぁ、しかし本当に不幸な人生だった。俺、本当はもっと明るい性格なはずなんだけどな…。



 俺と言う人間はどうして生まれたのか、何のために生まれて、何のために今まで生きていたのか。何のために自分の素性全てを消してまで平穏を求めたのか。今思えば何から何まで無駄な努力であったわけだ。



 何から何まで徒労に終わった。俺はこの世に存在したことすら誰にも記憶されず、ただひっそりとここで死んでいく。




 {ーーー、ごめん。母さん…)




 意識が落ちるまでの数秒の間で、俺は全てを恨んだ。

 母さんを殺した奴を、街を襲撃した奴らを、オヤジを貪り喰ったあの人狼を。そして俺を翻弄するこの運命を、世界を、神を。何よりも母さんとの約束を果たせなかった自分の存在を。



 もし次生まれ変わったら、今度は自分の好きに生きよう。世界を回って、美味しいものを食べて、色んな人と出会って、好きに恋愛をして、精一杯好きに生きよう。




 そう強く念じて、俺の意識はぷつりと切れた。




 ==========




「ーーーっ!おいアニキ!コイツ、まだ生きてるぞ!!あれだ!えーっと、生き残りがいる!どこも喰われてないみたいだし!なんか腹は削れてるけど、死んでないはずだ!」




「うるさい。大声を出さなくとも聞こえている」




「え!でも、凄いだろ!?もう生きてる奴は絶対いないと思って諦めかけていたもんな俺は!」




「そうだな。一人でも生き残りがいれば来た意味があるか」




「おう!でも、いや大丈夫かな、こいつだいぶ、いや、すげぇ顔色わりぃ。あぁ、多分死んではないけど、えーっとまぁ、脈は薄いかも…」




「何を言っている。そのために俺たちがいるのだ。とっととそいつを連れてここを出るぞ。埋葬は後。生き残りを保護するのが俺たちの役目だ。

 何であれ間に合わせるさ。帝国(俺たち)の正義の元にな」




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